夏目漱石「それから」本文と評論11-9
◇本文
翌日代助は但馬にゐる友人から長い手紙を受取つた。此友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰つたぎり、今日迄ついぞ東京へ出た事のない男であつた。当人は無論山の中で暮らす気はなかつたんだが、親の命令で已むを得ず、故郷に封じ込められて仕舞つたのである。夫でも一年 許りの間は、もう一返親父を説き付けて、東京へ出る出ると云つて、うるさい程手紙を寄こしたが、此頃は漸く断念したと見えて、大した不平がましい訴もしない様になつた。家は所の旧家で、先祖から持ち伝へた山林を年々 伐り出すのが、重な用事になつてゐるよしであつた。今度の手紙には、彼の日常生活の模様が委しく書いてあつた。それから、一ヶ月前町長に挙げられて、年俸を三百円頂戴する身分になつた事を、面白半分、殊更に真面目な句調で吹聴して来た。卒業してすぐ中学の教師になつても、此三倍は貰へると、自分と他の友人との比較がしてあつた。
此友人は国へ帰つてから、約一年許りして、京都 在のある財産家から嫁を貰つた。それは無論親の云ひ付けであつた。すると、少時して、直ぐ子供が生れた。女房の事は貰つた時より外に何も云つて来ないが、子供の生長には興味があると見えて、時々代助の可笑しくなる様な報知をした。代助はそれを読むたびに、此子供に対して、満足しつゝある友人の生活を想像した。さうして、此子供の為に、彼の細君に対する感想が、貰つた当時に比べて、どの位変化したかを疑つた。
友人は時々鮎の乾したのや、柿の乾したのを送つてくれた。代助は其返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣つた。すると其返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評が屹度あつた。けれども、それが長くは続かなかつた。仕舞には受取つたと云ふ礼状さへ寄こさなかつた。此方からわざ/\問ひ合せると、書物は難有く頂戴した。読んでから礼を云はうと思つて、つい遅くなつた。実はまだ読まない。白状すると、読む閑がないと云ふより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云へば、読んでも解らなくなつたのである。といふ返事が来た。代助は夫れから書物を廃めて、其代りに新らしい玩具を買つて送る事にした。
代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向を有つてゐた此旧友が、当時とは丸で反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色を出してゐると云ふ事実を、切に感じた。さうして、命の絃の震動から出る二人の響きを審かに比較した。
彼は理論家として、友人の結婚を肯つた。山の中に住んで、樹や谷を相手にしてゐるものは、親の取り極めた通りの妻を迎へて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来すものと断定した。其原因を云へば、都会は人間の展覧会に過ぎないからであつた。彼は此前提から此結論に達する為に斯う云ふ径路を辿つた。
彼は肉体と精神に於て美の類別を認める男であつた。さうして、あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考へた。あらゆる美の種類に接触して、其たび毎に、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞家であると断定した。彼は是を自家の経験に徴して争ふべからざる真理と信じた。その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつゝあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対は、双方ともに、流俗に所謂不義の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終 嘗めなければならない事になつた。代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を撰んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分からないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。
此所(こゝ)迄考へた時、代助の頭の中に、突然三千代の姿が浮かんだ。其時代助はこの論理中に、或る因数を数へ込むのを忘れたのではなからうかと疑つた。けれども、其因数は何うしても発見する事が出来なかつた。すると、自分が三千代に対する情合も、此論理によつて、たゞ現在的のものに過ぎなくなつた。彼の頭は正にこれを承認した。然し彼の心は、慥かに左様だと感ずる勇気がなかつた。
(青空文庫より)
◇評論
今話後半は話者がやや論理に走った傾向がうかがわれる。分かりやすくまとめていきたい。
都会で気ままに美を鑑賞する代助の比較として、「但馬にゐる友人」の例が挙げられる。「此友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰つたぎり、今日迄ついぞ東京へ出た事のない男であ」り、「当人は無論山の中で暮らす気はなかつたんだが、親の命令で已むを得ず、故郷に封じ込められて仕舞つたのである」。「親の命令」に従い、「故郷に封じ込められ」るという、代助とは対照的な存在。「夫でも一年 許りの間は、もう一返親父を説き付けて、東京へ出る出ると云つて、うるさい程手紙を寄こしたが」、その足掻きも長くはもたない。「此頃は漸く断念したと見えて、大した不平がましい訴もしない様になつた」。
「此友人は国へ帰つてから、約一年許りして、京都 在のある財産家から嫁を貰つた。それは無論親の云ひ付けであつた。すると、少時して、直ぐ子供が生れた」。親が決めた結婚に従い、子供が生まれ、家庭・家族を持つ。「子供に対して、満足しつゝある友人の生活」。代助の興味は、「此子供の為に、彼の細君に対する感想が、貰つた当時に比べて、どの位変化したか」ということだった。代助にとって女性は、恋愛の対象なのだ。夫婦・家族というつながりが、彼には現実味・実感を持たない。
「新らしい西洋の文学書」への興味が減退する友人。田舎に住む彼は、学問や芸術への関心がどんどん薄れて行ってしまう。
だからその様子を察した代助は、「書物を廃めて、其代りに新らしい玩具を買つて送る事にした」のだった。この場面の代助は、「自分と同じ傾向を有つてゐた此旧友」の変化に対応してあげている様子が見られる。
「当時とは丸で反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色を出してゐる」友人。代助は、「命の絃の震動から出る二人の響きを審かに比較した」。
〇友人
・「親の取り極めた通りの妻を迎へて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得た」
〇代助
・「理論家として、友人の結婚を肯つた」
・「あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来すものと断定した。其原因を云へば、都会は人間の展覧会に過ぎないからであつた。彼は此前提から此結論に達する為に斯う云ふ径路を辿つた」…この部分の論理が分かりにくい。「都会は人間の展覧会に過ぎない」ことを「原因」として、「理論家として、友人の結婚を肯」うという「径路を辿」り、「あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ち来すものと断定」するという「結論」に至ったということか。
代助の論理の説明が続く。
「彼は肉体と精神に於て美の類別を認め」、「あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考へた」。美に接触する「たび毎に、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動か」すことが、「鑑賞家」の必然であり真理であると考える。従って、「都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつゝあり」、「既婚の一対は、双方ともに、流俗に所謂不義の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終 嘗めなければならない事になつた」。これはもちろん、平岡夫婦をイメージしている。
「代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を撰んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分からないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた」
…芸妓はやや突飛な例に思われるが、「感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な」「都会人」は、美を感じた相手に心を移すことは当然であると代助は考える。
従って、「渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置」くことになる。
代助の以上の論理は、三千代に対してはどう作用するのか。
三千代をイメージした時、「代助はこの論理中に、或る因数を数へ込むのを忘れたのではなからうかと疑つた。けれども、其因数は何うしても発見する事が出来」ず、「自分が三千代に対する情合も、此論理によつて、たゞ現在的のものに過ぎなく」なってしまう。代助はこの事実を「承認した」が、「然し彼の心は、慥かに左様だと感ずる勇気がなかつた」。
この「ファクター」は何なのか、代助の「頭」と「心」の分裂がこの後どうなるのかが、物語の展開と密接に関連することになる。
語句の確認をしておきたい。
「セオリスト」…理論家。これには「空論家」の意味もあるところが面白い。
「アトラクション」…引力。人を引き付けるもの。
「インフイデリチ」(インフィデリティ)…不義。不信心、無信仰、不信、背信、(夫婦間の)不貞、不義、不貞な行為、浮気
「ファクター」…要素。要因。因子。因数。
「ハート」…心臓。心。感情。愛情。恋心。
「頭」・「論理」では、恋愛感情の変遷を肯定する代助だが、彼の「ハート(心)」はそれに疑問を抱く。三千代への愛はどうなるのだと。彼は作品冒頭部から何度も「心臓」に手を当てる。それが確かに打っているのか。そうしていつまで打ち続けるのか。次の瞬間には止まってしまうのではないかという恐れ。
代助の三千代への愛は、なかなか確信には至らない。三千代への不変の愛を貫くのであれば、代助は自分の論理を否定し捨て去らなければならない。これまでの人生の変革が必要だ。




