夏目漱石「それから」本文と評論11-7
◇本文
代助は風を恐れて鳥打ち帽を被つてゐた。風は漸く歇んで、強い日ひが雲の隙間から頭の上を照らした。先へ行く梅子と縫子は傘を広げた。代助は時々手の甲を額の前に翳した。
芝居の中では、嫂も縫子も非常に熱心な観客であつた。代助は二返目の所為といひ、此三四日来の脳の状態からと云ひ、左様一図に舞台ばかりに気を取られてゐる訳にも行かなかつた。堪えず精神に重苦しい暑さを感ずるので、屡団扇を手にして、風を襟から頭へ送つてゐた。
幕の合間に縫子が代助の方を向いて時々妙な事を聞いた。何故あの人は盥で酒を飲むんだとか、何故坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであつた。梅子はそれを聞くたんびに笑つてゐた。代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思ひ出した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋に富んでゐるので、楽に見物が出来ないと書いてあつた。代助は其時、役者の立場から考へて、何もそんな人に見て貰ふ必要はあるまいと思つた。作者に云ふべき小言を、役者の方へ持つてくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠理が聴きたいと云ふ愚物と同じ事だと云つて門野に話した。門野は依然として、左様なもんでせうかなと云つてゐた。
小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であつた。さうして舞台に於ける芸術の意味を、役者の手腕に就てのみ用ひべきものと狭義に解釈してゐた。だから梅子とは大いに話が合つた。時々顔を見合はして、黒人の様な批評を加へて、互に感心してゐた。けれども、大体に於て、舞台にはもう厭が来てゐた。幕の途中でも、双眼鏡で、彼方を見たり、此方を見たりしてゐた。双眼鏡の向ふ所には芸者が沢山ゐた。そのあるものは、先方でも眼鏡の先を此方へ向けてゐた。
代助の右隣りには自分と同年輩の男が丸髷に結つた美くしい細君を連れて来てゐた。代助は其細君の横顔を見て、自分の近付きのある芸者によく似てゐると思つた。左隣には男連れが四人許ゐた。さうして、それが、悉く博士であつた。代助は其顔を一々覚えてゐた。其又隣に、広い所を、たつた二人で専領してゐるものがあつた。その一人は、兄と同じ位な年恰好で、正しい洋服を着てゐた。さうして金縁の眼鏡を掛けて、物を見るときには、顎を前へ出して、心持ち仰向く癖があつた。代助は此の男を見たとき、何所か見覚えのある様な気がした。が、ついに思ひ出さうと力めても見なかつた。其 伴侶は若い女であつた。代助はまだ廿になるまいと判定した。羽織を着ないで、普通よりは大きく廂を出して、多くは顎を襟元へぴたりと着けて坐つてゐた。
代助は苦しいので、何返も席を立つて、後ろの廊下へ出て、狭い空を仰いだ。兄が来たら、嫂と縫子を引き渡して早く帰りたい位に思つた。一遍は縫子を連れて、其所等をぐる/\運動して歩いた。仕舞には些と酒でも取り寄せて飲まうかと思つた。
兄は日暮れとすれ/\に来た。大変遅かつたぢやありませんかと云つた時、帯の間から、金時計を出して見せた。実際六時少し回つた許であつた。兄は例の如く、平気な顔をして、方々見回はしてゐた。が、飯を食ふ時、立つて廊下へ出たぎり、中々帰つて来なかつた。しばらくして、代助は不図振り返つたら、一軒置いて隣の金縁の眼鏡を掛けた男の所へ這入つて、話をしてゐた。若い女にも時々話しかける様であつた。然し女の方では笑ひ顔を一寸見せる丈で、すぐ舞台の方へ真面目に向き直つた。代助は嫂に其人の名を聞かうと思つたが、兄は人の集まる所へさへ出れば、何所へでも斯くの如く平気に這入り込む程、世間の広い、又世間を自分の家の様に心得てゐる男であるから、気にも掛けずに黙つてゐた。
すると幕の切れ目に、兄が入口迄帰つて来て、代助 一寸来いと云ひながら、代助を其金縁の男の席へ連れて行つて、愚弟だと紹介した。それから代助には、是が神戸の高木さんだと云つて引合はした。金縁の紳士は、若い女を顧みて、私の姪ですと云つた。女はしとやかに御辞義をした。其時兄が、佐川さんの令嬢だと口を添へた。代助は女の名を聞いたとき、旨く掛けられたと腹の中で思つた。が何事も知らぬものゝ如く装つて、好加減(いゝかげん)に話してゐた。すると嫂が一寸と自分の方を振り向いた。 (青空文庫より)
◇評論
・「あの人は盥で酒を飲む」…明治42年(1909)歌舞伎座の皐月狂言で上演された「当時今桔梗旗揚」の中で武智光秀が春永(信長)の面前で、馬盥についだ酒を飲まされる場面をさす。(角川文庫注釈)
・「坊さんが急に大将になれる」…同じく「絵本太功記」十段目で、僧に変装した真柴久吉(羽柴秀吉)が正体をあらわす場面をさす。(角川文庫注釈)
「代助は不図二三日前新聞で見た、ある文学者の劇評を思ひ出した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋に富んでゐるので、楽に見物が出来ないと書いてあつた。代助は其時、役者の立場から考へて、何もそんな人に見て貰ふ必要はあるまいと思つた。作者に云ふべき小言を、役者の方へ持つてくるのは、近松の作を知るために、越路の浄瑠理が聴きたいと云ふ愚物と同じ事だと云つて門野に話した」
…「漱石自身の劇評「明治座の所感を虚子君に問れて」(明治42年5月15日・国民新聞)および「虚子君へ」(同年6月15・6日、同紙)のことで、前者に「彼等のやっていることは、とうてい今日の開明に伴った筋を演じていない」、後者に「私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でない」などと書いている」(角川文庫注釈)
これによれば、漱石は自身に対する批判を代助の口を借りて述べたことになる。
芝居に飽いた代助の興味は、場内の客の観察に移る。特に、「芸者」や「美くしい細君」に目が引かれる。人間の女性に対しても、彼の基準は美にある。
代助は、自分の「右隣り」にいる「細君」に対しては「美くしい」と評するが、「金縁の眼鏡」の男の「伴侶」の「若い女」に対しては何の感想も漏らさない。ただ、「代助はまだ廿になるまいと判定した」だけだった。そうして、「羽織を着ないで、普通よりは大きく廂を出して、多くは顎を襟元へぴたりと着けて坐つて」いると観察する。彼の美意識は、この女性に対して何の反応もしない。彼はただ、観劇の「苦し」さを感じるだけだった。
なお代助は30歳くらいなので、彼女とは10歳ほど離れている。
「日暮れとすれ/\に」「遅」く来た兄は、「代助を其金縁の男の席へ連れて行つて、愚弟だと紹介した」。眼鏡の男は「神戸の高木」であり、隣の「若い女」は「佐川さんの令嬢」だということが判明する。
今回の観劇は代助に佐川の娘を引き合わせるのが目的だった。そのために兄夫婦は事前に計画し、有無を言わさぬ形で突然代助を誘い出した。「代助は女の名を聞いたとき、旨く掛けられたと腹の中で思つた」。
兄夫婦に謀られたと気づく代助だったが、「何事も知らぬものゝ如く装つて、好加減(いゝかげん)に話してゐた」。せめてもの抵抗の様子。そのような平気顔の代助の様子をうかがうために、「嫂が一寸と自分の方を振り向いた」。嫂は、代助がこの謀にどう反応するかを観察する、心理戦の様相を呈する。




