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夏目漱石「それから」本文と評論11-1「何時(いつ)の間にか、人が絽(ろ)の羽織を着て歩く様になつた」

◇本文

 何時(いつ)の間にか、人が()の羽織を着て歩く様になつた。二三日、(うち)調物(しらべもの)をして庭先より(ほか)に眺めなかつた代助は、冬帽を(かぶ)つて表へ出て見て、急に暑さを感じた。自分もセルを脱がなければならないと思つて、五六町歩くうちに、(あはせ)を着た人に二人出逢つた。左様(さう)かと思ふと新らしい氷屋で書生が洋盃(コツプ)を手にして、冷たさうなものを飲んでゐた。代助は其時誠太郎を思ひ出した。

 近頃代助は(もと)よりも誠太郎が好きになつた。(ほか)の人間と話してゐると、人間の皮と話す様で歯痒(はがゆ)くつてならなかつた。けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、尤も相手を歯痒がらせる様に(こしら)えられてゐた。是も長年生存競争の因果に(さら)された(ばち)かと思ふと余り難有い心持はしなかつた。

 此頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがつてゐるが、それは、全く此間浅草の奥山へ一所に連れて行つた結果である。あの一図な所はよく、嫂の気性を受け継いでゐる。然し兄の子丈あつて、一図なうちに、何処か(せま)らない鷹揚(おほよう)な気象がある。誠太郎の相手をしてゐると、向ふの魂が遠慮なく此方(こつち)へ流れ込んで来るから愉快である。実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いた事のない精神に、包囲されるのが苦痛であつた。

 誠太郎は此春から中学校へ行き出した。すると急に脊丈が延びて来る様に思はれた。もう一二年すると声が変はる。それから先何んな径路を取つて、生長するか分からないが、到底人間として、生存する為には、人間から嫌はれると云ふ運命に到着するに違ひない。其時、彼は穏やかに人の目に着かない服装(なり)をして、乞食の如く、何物をか求めつゝ、人の(いち)をうろついて歩くだらう。

 代助は堀端へ出た。此間迄向ふの土手にむら躑躅(つゝぢ)が、団団(だんだん)と紅白の模様を青い中に印してゐたのが、丸で跡形もなくなつて、のべつに草が生い茂つてゐる高い傾斜の上に、大きな松が何十本となく並んで、何処迄もつゞいてゐる。空は奇麗に晴れた。代助は電車に乗つて、(うち)へ行つて、嫂に調戯(からか)つて、誠太郎と遊ばうと思つたが、急に(いや)になつて、此松を見ながら、草臥(くたびれ)る所迄堀端を伝つて行く気になつた。

 新見付(しんみつけ)へ来ると、向ふから来たり、此方(こつち)から行つたりする電車が()になり出したので、堀を横切つて、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐる/\回つて歩いてゐるうちに、かく目的なしに歩いてゐる事が、不意に馬鹿らしく思はれた。目的があつて歩くものは賤民だと、彼は平生から信じてゐたのであるけれども、此場合に限つて、其賤民の方が偉い様な気がした。全く、又アンニユイに襲はれたと悟つて、帰りだした。神楽坂へかゝると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしてゐた。其音が甚しく金属性の刺激を帯びてゐて、大いに代助の頭に(こた)へた。

 家の門を這入(はい)ると、今度は門野が、主人の留守を幸ひと、大きな声で琵琶歌をうたつてゐた。()れでも代助の足音を聞いて、ぴたりと()めた。

「いや、御早うがしたな」と云つて玄関へ出て来た。代助は何にも答へずに、帽子を其所(そこ)へ掛けた儘、椽側から書斎へ這入つた。さうして、わざ/\障子を締め切つた。つゞいて湯呑みに茶を()いで持つて来た門野が、

「締めときますか。暑かありませんか」と聞いた。代助は(たもと)から手帛(ハンケチ)を出して額を拭いてゐたが、矢っ張り、

「締めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締めて出て行つた。代助は暗くした室のなかに、十分 (ばかり)ぽかんとしてゐた。

 彼は人の(うらや)む程 光沢(つや)()い皮膚と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を()つた男であつた。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかつた位、健康に於て幸福を()けてゐた。彼はこれでこそ、生甲斐があると信じてゐたのだから、彼の健康は、彼に取つて、他人の倍以上に価値を有つてゐた。彼の頭は、彼の肉体と同じく確かであつた。たゞ始終論理に苦しめられてゐたのは事実である。それから時々、頭の中心が、大弓(だいきう)(まと)の様に、二重もしくは三重にかさなる様に感ずる事があつた。ことに、今日は朝から左様(そん)な心持がした。

(青空文庫より)


◇評論

何時(いつ)の間にか、人が()の羽織を着て歩く様になつた」

「絽」…一定間隔を置き、すきまを作るようにして織った絹織物。夏の和服に使う。(三省堂「新明解国語辞典」)


「二三日、(うち)調物(しらべもの)をして庭先より(ほか)に眺めなかつた代助は、冬帽を(かぶ)つて表へ出て見て、急に暑さを感じた」

…働かない代助の、「二三日、(うち)で」する「調物(しらべもの)」の内容が知りたいところだが、彼のことなので芸術や文化に関するものだろう。その関心は、日本にとどまらない。


「自分もセルを脱がなければならないと思つて、五六町歩くうちに、(あはせ)を着た人に二人出逢つた。左様(さう)かと思ふと新らしい氷屋で書生が洋盃(コツプ)を手にして、冷たさうなものを飲んでゐた」

…「一町」は109m。×5町=545mで、徒歩7分程度の距離。

「袷」…裏をつけた着物。(三省堂「新明解国語辞典」)

季節の変わり目の寒暖の体感には個人差がある。


「代助は其時誠太郎を思ひ出した」

…以前代助は、誠太郎にチョコレートを飲ませ、相撲見物をねだられたことがあった。若者が冷たいものを飲む様子から、15歳の食べ盛りの甥を想起した。


「近頃代助は(もと)よりも誠太郎が好きになつた。(ほか)の人間と話してゐると、人間の皮と話す様で歯痒(はがゆ)くつてならなかつた。けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、尤も相手を歯痒がらせる様に(こしら)えられてゐた。是も長年生存競争の因果に(さら)された(ばち)かと思ふと余り難有い心持はしなかつた」

…誠太郎は、けれんみがなく、如才ない。代助を取り巻く者たちとは違い、素直に自分をぶつけてくる。そこが代助は気に入っている。「人間の皮と話すよう」とは、外見は人間だが、その中には人の真心が無いこと。自然で素直なやり取りができない社会や人々への批判。その理由は、「長年生存競争の因果に(さら)された」結果であり、それは自身も同じであり、自分にも「罰」が当たっているとする。


「此頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古をしたがつてゐるが、それは、全く此間浅草の奥山へ一所に連れて行つた結果である」

…15歳男子が「しきりに玉乗りの稽古をしたがつてゐる」とは、やや幼稚な感がある。しかし甥のこの無邪気さを、代助は批判しない。

「浅草の奥山」…東京の浅草公園観音堂裏の俗称。そこに「花屋敷」という娯楽場があり、その中に動物園もあった。(角川文庫注釈)


「江戸時代、浅草寺本堂の北西一帯は「奥山」と呼ばれた。地名というよりも本堂の裏手をおおまかに指した俗称で、その範囲も明確ではなかった。その名の由来も定かではないが、浅草寺の山号である「金龍山」の「奥」にちなむと推定される。奥山は江戸きっての庶民娯楽の場であった。参拝者が休息する水茶屋が並び、芝居、見世物、独楽回し、猿芝居、居合、軽業、手妻(奇術)などの大道芸人が人びとを楽しませた。また、水茶屋や楊枝屋の看板娘はいわば当時のアイドルで、鈴木春信や喜多川歌麿などの美人画の題材となって評判となった。」(新奥山 - 浅草寺 (senso-ji.jp) より)


甥の「一図な所はよく、嫂の気性を受け継いで」おり、「兄の子丈あつて、一図なうちに、何処か(せま)らない鷹揚(おほよう)な気象がある」。「誠太郎の相手をしてゐると、向ふの魂が遠慮なく此方(こつち)へ流れ込んで来るから愉快である」。

次には代助の率直な心情が説明される。「実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いた事のない精神に、包囲されるのが苦痛であつた」。「長年生存競争の因果に(さら)された(ばち)」はすべての人に当たっている。自分が生き残るためには相手を蹴落とすという獣の論理が頭脳を伴っているところが、人間界の「因果」なのだろう。


中学生になった甥の今後の成長過程において、彼も同じく「到底人間として、生存する為には、人間から嫌はれると云ふ運命に到着するに違ひない」と、代助は想像する。人はみな「生存競争」に生き残るために「武装」している。甥もやがてそうなる。「其時、彼は穏やかに人の目に着かない服装(なり)をして、乞食の如く、何物をか求めつゝ、人の(いち)をうろついて歩くだらう」。現在の自分と同じように、心に満たされぬものを感じつつ生きていくことになる。それが残念でもあり、諦念でもある。


「代助は堀端へ出た。此間迄向ふの土手にむら躑躅(つゝぢ)が、団団(だんだん)と紅白の模様を青い中に印してゐたのが、丸で跡形もなくなつて、のべつに草が生い茂つてゐる高い傾斜の上に、大きな松が何十本となく並んで、何処迄もつゞいてゐる。空は奇麗に晴れた」

「代助は電車に乗つて、(うち)へ行つて、嫂に調戯(からか)つて、誠太郎と遊ばうと思つたが、急に(いや)になつて、此松を見ながら、草臥(くたびれ)る所迄堀端を伝つて行く気になつた」。

…今は無邪気な誠太郎も、やがては自分と同じになる。他者との自然で素直な交渉は望むべくもなく、満たされぬものを胸に抱えながら生きていく。それが明治近代の必然だ。代助はそう考え、気晴らし・気分転換に誠太郎や嫂と戯れようかとも思ったが、それでは心やりにはならないことに気づき、体に疲労を感じるために堀端を歩いていく。

「堀端」…もとの江戸城の外堀のことで、ここは牛込見附から市谷見附に至る付近をさしている。(角川文庫注釈)

「江戸城には80前後の城門(見附)があり、見附は街道の分岐点などの交通の要所におかれた見張り所です。36見附は城門のめぼしい個所を称してました。積み上げられた石垣が400万個以上といわれています」(特別史跡等・歴史建造物 | 江戸東京の歴史文化資源等 | 一般財団法人 江戸東京歴史文化ルネッサンス (zaidan-edojo.or.jp) より)


新見付(しんみつけ)へ来ると、向ふから来たり、此方(こつち)から行つたりする電車が()になり出したので、堀を横切つて、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐる/\回つて歩いてゐるうちに、かく目的なしに歩いてゐる事が、不意に馬鹿らしく思はれた。目的があつて歩くものは賤民だと、彼は平生から信じてゐたのであるけれども、此場合に限つて、其賤民の方が偉い様な気がした。全く、又アンニユイに襲はれたと悟つて、帰りだした」


「新見附の新設[明治の市区改正](明治26年)

牛込見附と市ヶ谷見附の中間にある新見附は、明治期の新しい橋(土橋)から生まれた地名です。旧江戸城の三十六見附ではないため知名度が低く、資料も少ないようです。見附といっても門も桝形もないので、橋全体が「新見附」と呼ばれることもあります。」(新見附の新設[明治の市区改正](明治26年) | てくてく 牛込神楽坂 (yamamogura.com) より)


「招魂社」…千代田区九段にある靖国神社の旧称。(角川文庫注釈)


家への帰り道、「神楽坂」の「ある商店で大きな蓄音器を吹かしてゐた。其音が甚しく金属性の刺激を帯びてゐて、大いに代助の頭に(こた)へた」。「家の門を這入(はい)ると、今度は門野が、主人の留守を幸ひと、大きな声で琵琶歌をうたつてゐた」。ともに代助の神経に障る音だ。


「「いや、御早うがしたな」と云つて玄関へ出て来た。代助は何にも答へずに、帽子を其所(そこ)へ掛けた儘、椽側から書斎へ這入つた」

…帰宅の早い遅いを書生に論評されるいわれはない。ましてやその隙に、大声で歌うという好き勝手なふるまいをしていたのは門野の方であり、自分の帰宅を悟った瞬間にぴたりとそれをやめるずるがしこさ。まるで自分は今まで無聊を慰めてなどいなかったという態度。だから「代助は何にも答へずに、帽子を其所(そこ)へ掛けた儘、椽側から書斎へ這入つた」だ。主人の留守に好き勝手なふるまいをしていたのに、それをごまかし、まるで何もなかったかのように出迎える書生に対しては、取り合わないことが一番だ。相手にするほど不快になる。


「さうして、わざ/\障子を締め切つた」

…不快な外界から、自身を遮断しようとする代助。しかしその目論見は外れる。門野が平静を犯す。「つゞいて湯呑みに茶を()いで持つて来た門野が、「締めときますか。暑かありませんか」と聞いた」。


「代助は(たもと)から手帛(ハンケチ)を出して額を拭いてゐたが、矢っ張り、「締めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締めて出て行つた」

…ハンカチで額をぬぐいながらも障子を閉めることを要求する様子に、門野は不審を抱いた。


「代助は暗くした室のなかに、十分 (ばかり)ぽかんとしてゐた」

…外界の音と存在をシャットアウトし、代助は心と体を整える。


「彼は人の(うらや)む程 光沢(つや)()い皮膚と、労働者に見出しがたい様に柔かな筋肉を()つた男であつた」

…上品な皮膚の色艶を誇る代助。彼に「労働者」は似合わないということの暗示。

「彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかつた位、健康に於て幸福を()けてゐた。彼はこれでこそ、生甲斐があると信じてゐたのだから、彼の健康は、彼に取つて、他人の倍以上に価値を有つてゐた」

…健康への自信は、自己肯定感のもととなる。

「彼の頭は、彼の肉体と同じく確かであつた」

…皮膚の色艶、柔らかな筋肉、健康な体。それらに続き、頭脳・思考への自信。

「たゞ始終論理に苦しめられてゐたのは事実である。それから時々、頭の中心が、大弓(だいきう)(まと)の様に、二重もしくは三重にかさなる様に感ずる事があつた」

…自身の肉体と思考に自信を持つ代助は、しかしさまざまな外界との軋轢から、調整のための「論理」に悩む。なかなかピントを絞ることができない。外界という相手があるために、自分の考え思った通りに処断することができない苦悩が、正解の的を絞らせない。代助の苦悩はそこにあった。


「ことに、今日は朝から左様(そん)な心持がした」

…平岡の放蕩が原因の、さまざまな三千代の不幸。その遠因は過去の自分にあること。三千代への愛情と、それをこれからどう扱うか。これらの課題は複雑に絡み合っており、これと決意することを許さない。そのような不安定な状況に、この時の代助はあった。

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