夏目漱石「それから」本文と評論10-5「ぢや、買つて来なくつても好かつたのに。詰らないわ、回り路をして。御負(おまけ)に雨に降られ損なつて、息を切らして」
◇本文
三千代の頬に漸やく色が出て来た。袂から手帛を取り出して、口の辺を拭きながら話を始めた。――大抵は伝通院前から電車へ乗つて本郷迄買物に出るんだが、人に聞いて見ると、本郷の方は神楽坂に比べて、何うしても一割か二割物が高いと云ふので、此間から一二度 此方の方へ出て来て見た。此前も寄る筈であつたが、つい遅くなつたので急いで帰つた。今日は其積りで早く宅を出た。が、御息み中だつたので、又通り迄行つて買物を済まして帰り掛けに寄る事にした。所が天気模様が悪くなつて、藁店を上がり掛けるとぽつ/\降り出した。傘を持つて来なかつたので、濡れまいと思つて、つい急ぎ過ぎたものだから、すぐ身体に障つて、息が苦しくなつて困つた。――
「けれども、慣れつこに為つてるんだから、驚きやしません」と云つて、代助を見て淋しい笑ひ方をした。
「心臓の方は、まだ悉皆善くないんですか」と代助は気の毒さうな顔で尋ねた。
「悉皆善くなるなんて、生涯駄目ですわ」
意味の絶望な程、三千代の言葉は沈んでゐなかつた。繊い指を反らして穿めてゐる指環を見た。それから、手帛を丸めて、又 袂へ入れた。代助は眼を俯せた女の額の、髪に連なる所を眺めてゐた。
すると、三千代は急に思ひ出した様に、此間の小切手の礼を述べ出した。其時何だか少し頬を赤くした様に思はれた。視感の鋭敏な代助にはそれが善く分かつた。彼はそれを、貸借に関係した羞恥の血潮とのみ解釈した。そこで話をすぐ他所へ外した。
先刻三千代が提げて這入つて来た百合の花が、依然として洋卓の上に載つてゐる。甘たるい強い香が二人の間に立ちつゝあつた。代助は此重苦しい刺激を鼻の先に置くに堪へなかつた。けれども無断で、取り除ける程、三千代に対して思ひ切つた振舞が出来なかつた。
「此花は何うしたんです。買つて来たんですか」と聞いた。三千代は黙つて首肯いた。さうして、
「好い香でせう」と云つて、自分の鼻を、瓣の傍迄持つて来て、ふんと嗅いで見せた。代助は思はず足を真直に踏ん張つて、身を後の方へ反らした。
「さう傍で嗅いぢや不可ない」
「あら何故」
「何故つて理由もないんだが、不可ない」
代助は少し眉をひそめた。三千代は顔をもとの位地に戻した。
「貴方、此花、御嫌らひなの?」
代助は椅子の足を斜めに立てゝ、身体を後へ伸ばした儘、答へをせずに、微笑して見せた。
「ぢや、買つて来なくつても好かつたのに。詰らないわ、回り路をして。御負に雨に降られ損なつて、息を切らして」
雨は本当に降つて来た。雨滴が樋に集まつて、流れる音がざあと聞こえた。代助は椅子から立ち上がつた。眼の前にある百合の束を取り上げて、根元を括(くゝ)つた濡藁をむしり切つた。
「僕に呉れたのか。そんなら早く活けやう」と云ひながら、すぐ先刻の大鉢の中に投げ込んだ。茎が長すぎるので、根が水を跳ねて、飛び出しさうになる。代助は滴(したゝ)る茎を又鉢から抜いた。さうして洋卓の引出しから西洋 鋏を出して、ぷつり/\と半分程の長さに剪り詰めた。さうして、大きな花を、リリー、オフ、ゼ、バレーの簇がる上に浮かした。
「さあ是で好い」と代助は鋏を洋卓の上に置いた。三千代は此不思議に無作法に活けられた百合を、しばらく見てゐたが、突然、
「あなた、何時から此花が御嫌ひになつたの」と妙な質問をかけた。
昔し三千代の兄がまだ生きてゐる時分、ある日何かのはづみに、長い百合を買つて、代助が谷中の家を訪ねた事があつた。其時彼は三千代に危しげな花瓶の掃除をさして、自分で、大事さうに買つて来た花を活けて、三千代にも、三千代の兄にも、床へ向直つて眺めさした事があつた。三千代はそれを覚えてゐたのである。
「貴方だつて、鼻を着けて嗅いで入らしつたぢやありませんか」と云つた。代助はそんな事があつた様にも思つて、仕方なしに苦笑した。 (青空文庫より)
◇評論
水を飲み、「三千代の頬に漸やく色が出て来た。袂から手帛を取り出して、口の辺を拭きながら話を始めた。」
「大抵は伝通院前から電車へ乗つて本郷迄買物に出るんだが、人に聞いて見ると、本郷の方は神楽坂に比べて、何うしても一割か二割物が高いと云ふので、此間から一二度 此方の方へ出て来て見た。此前も寄る筈であつたが、つい遅くなつたので急いで帰つた」
…本郷は伝通院の東南にある。代助と平岡の母校である東京大学もそこに位置する。物価の違いから、代助の住む神楽坂へと買い物に出るようになったという三千代。しかしそれはやはり代助の近くに自然と体が動く様子だろう。
以前寄ろうとしたが時間が遅くなりそれが果たせなかった。それで、「今日は其積りで早く宅を出た」。「其積り」とは、代助のもとを訪れるつもりということ。しかし代助が「御息み中だつたので、又通り迄行つて買物を済まして帰り掛けに寄る事にした」。
「所が天気模様が悪くなつて、藁店を上がり掛けるとぽつ/\降り出した」
「藁店」…いまの新宿区神楽坂にあった小路の通称で藁を売る店が古くからあったためという。そこに和良店亭という寄席があった。(角川文庫注釈)
「地蔵坂・藁店
地蔵坂は別名を「藁店」や「藁坂」と呼びます。地蔵坂は子安地蔵があったことに由来し、藁店は「わら」を扱うお店の事で、その藁店が多いから藁坂なのかと想像しています。(中略) 夏目漱石は、『それから』や『吾輩は猫である』等の作品に、この藁店の地名を登場させています。また、落語好きの漱石が通っていた、和良店亭もこの辺りにあったそうです。(中略)
(地蔵坂解説柱に)
「この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。それにちなんで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。」(わらだな横丁(地蔵坂)|東京 神楽坂 ガイド (fc2.com) より)
子安地蔵は、安産守護の地蔵であり、その姿は子を抱いている。子安地蔵のある藁店は、三千代が幼い子を失ったことと関連しているだろう。
「傘を持つて来なかつたので、濡れまいと思つて、つい急ぎ過ぎたものだから、すぐ身体に障つて、息が苦しくなつて困つた。――
「けれども、慣れつこに為つてるんだから、驚きやしません」と云つて、代助を見て淋しい笑ひ方をした。
「心臓の方は、まだ悉皆善くないんですか」と代助は気の毒さうな顔で尋ねた。
「悉皆善くなるなんて、生涯駄目ですわ」」
…三千代の体調不良・心臓の不調は絶望的だ。回復の見込みがない。そうしてそれは、平岡の放蕩のためだった。
「三千代は東京を出て一年目に産をした。生まれた子供はじき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、とかく具合がわるい」。「なんとかいうむずかしい名の心臓病かもしれない」「難症」。東京に「帰る一か月ばかり前から、また血色が悪くなりだした。しかし医者の話によると、今度のは心臓のためではない」。「弁の作用に故障があるものとは、今はけっしてみとめられないという診断であった」(角川文庫P56)
翳りある女はきれいに見える。三千代の「淋しい笑ひ」は、代助の庇護の思いを掻き立てる。
「意味の絶望な程、三千代の言葉は沈んでゐなかつた。繊い指を反らして穿めてゐる指環を見た。それから、手帛を丸めて、又 袂へ入れた。代助は眼を俯せた女の額の、髪に連なる所を眺めてゐた」
…代助に気を遣わせまいと、けなげに振舞う三千代は、またしても指輪を見る。以前三千代は、代助に借金の申し出をした時にも、指輪を見る場面があった。指輪やハンカチという小道具と、それを扱うしぐさは、三千代の女性性の象徴。
「廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代は今代助の前に腰を掛けた。さうして奇麗な手を膝の上に畳ねた。下にした手にも指輪を穿めてゐる。上にした手にも指輪を穿めてゐる。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を盛つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。」(4-4)
今回の場面に登場する指輪は、そのどちらなのかということになるが、4-4の場面は、久しぶりの再会に合わせて代助にわざと見せるために右手にはめた真珠の指輪であり、今話の指輪は普段から左手にはめている結婚指輪だろう。夫の放蕩による自分の心臓の不調の話題の後に結婚指輪を見る意味は、やはり平岡との結婚は誤りだったという気持ちをあらわし、またそれを代助に伝える意図がある。代助は三千代のしぐさをじっと見つめており、そのまなざしを受ける三千代は、代助の視線を確かに感じている。従って彼女のしぐさは、十分に意図的なものなのだ。
しかも三千代はこの時、わざと代助から視線を外している。「手帛を丸めて、又 袂へ入れ」、「眼を俯せ」、「額の、髪に連なる所」を眺めさせる。このように、三千代の様々な意図が感じられるシーンだ。
「すると、三千代は急に思ひ出した様に、此間の小切手の礼を述べ出した。其時何だか少し頬を赤くした様に思はれた。視感の鋭敏な代助にはそれが善く分かつた。彼はそれを、貸借に関係した羞恥の血潮とのみ解釈した。そこで話をすぐ他所へ外した。」
…唐突な三千代の様子は、代助を少し驚かせる。彼女の頬の赤みは、代助という男性に対する恥じらいではなく、代助から金を借りること自体への羞恥だと代助は解釈する。巧妙に自らを演出する三千代と、それを敏感に感じ取る代助。恋の火花は、静かに散っている。
「先刻三千代が提げて這入つて来た百合の花が、依然として洋卓の上に載つてゐる。甘たるい強い香が二人の間に立ちつゝあつた。代助は此重苦しい刺激を鼻の先に置くに堪へなかつた。けれども無断で、取り除ける程、三千代に対して思ひ切つた振舞が出来なかつた」
…愛する三千代が運んできた百合の花から立ち上る「甘たるい強い香」がふたりを妖艶に包む。
「「此花は何うしたんです。買つて来たんですか」と聞いた。三千代は黙つて首肯いた。」
…忘れ去られたかのような百合に話題が戻る。ここでも三千代は言葉を発しない。言わなくても彼女の動作で、その意思は理解できる。むしろ黙っている方がいい。ふたりに余計な言葉はいらない。
「さうして、「好い香でせう」と云つて、自分の鼻を、瓣の傍迄持つて来て、ふんと嗅いで見せた」
…三千代の行動はいつも代助を刺激する。恋の甘い世界に誘うように、代助を魅惑する。だから「代助は思はず足を真直に踏ん張つて、身を後の方へ反らした」。
「「さう傍で嗅いぢや不可ない」
「あら何故」
「何故つて理由もないんだが、不可ない」」
…ふたりの会話は稚拙で感情を直接的に伝える。そこがいい。まさに愛に「理由」はないのだから。
「「貴方、此花、御嫌らひなの?」
代助は椅子の足を斜めに立てゝ、身体を後へ伸ばした儘、答へをせずに、微笑して見せた。
「ぢや、買つて来なくつても好かつたのに。詰らないわ、回り路をして。御負に雨に降られ損なつて、息を切らして」」
…以前もあったが、三千代の言葉は簡潔で明瞭だ。細かく区切られ、倒置が多用される。助詞の省略は、まるで子供が話しているかのようだが、その素直な言葉遣いが逆に代助に刺さる。自分の弱みを隠さずにそのままさらけ出しているようであり、自分がかばわなければならないとか、抱きしめたいとかいう気持ちがわくだろう。率直でかわいらしい言葉遣いは、文章を正確に綴らないところが、自分にすっかり気を許していると感じる要因だ。(男性のこの心情を理解したうえでの三千代の様子と言葉遣いだとしたら、三千代は怖い女だ)
「雨は本当に降つて来た」
…先ほどの三千代の説明は、代助を責めたり拗ねたりするための無理な創作ではなく、「本当」だったことを表す。
「雨滴が樋に集まつて、流れる音がざあと聞こえた。代助は椅子から立ち上がつた。眼の前にある百合の束を取り上げて、根元を括(くゝ)つた濡藁をむしり切つた」
…雨に降り込められ、ふたりの世界が確立する。雨とその音による外界からの遮断。まずはじめに代助が立ち上がり、テーブル上の百合を取り上げる。
代助が大鉢に投げ込んだ鈴蘭とそのほのかな香りは、三千代が持ち込んだ百合の存在とその強い香りによって包含される。鈴蘭も「リリー(百合)」であり、色彩も同じことから、この二つの花は互いに呼応し合っている。ふたりは花とその香によって祝福されている。
「ぢや、買つて来なくつても好かつたのに。詰らないわ、回り路をして。御負に雨に降られ損なつて、息を切らして」と、かわいく拗ねる三千代に、代助は、「「僕に呉れたのか。そんなら早く活けやう」と云ひながら、すぐ先刻の大鉢の中に投げ込んだ」。「茎が長すぎるので」、「洋卓の引出しから西洋 鋏を出して、ぷつり/\と半分程の長さに剪り詰めた。さうして、大きな花を、リリー、オフ、ゼ、バレーの簇がる上に浮かした」。
愛する人から贈られたものは大切に扱わなければならない。この白百合は、三千代からの愛情表現だ。百合を美的に整え、「「さあ是で好い」と代助は鋏を洋卓の上に置いた」。
白百合の花言葉は、「純潔」、「無垢」と同時に、「死」、「嫉妬」という正反対の怖い意味も持つ。白百合はよく墓前や仏壇に供える花として用いられ、「死」や「死者」のイメージが濃い。従って、白百合は、贈り物としては避けるのが一般的であり、以前に代助がこの花を三千代兄妹に送った事情ははっきりしないが、その理由が知りたいところだ。この後すぐに述べられるが、今回三千代が白百合を持参したのは、昔代助から贈られた花だからだった。
白い花は縁起の良い花ではない。従って、それがこの場面で登場することには理由があり、将来への暗い暗示となる。
もう一度前の場面を見てみると、三千代は「「好い香でせう」と云つて、自分の鼻を、瓣の傍迄持つて来て、ふんと嗅いで見せた」。これに対して「代助は思はず足を真直に踏ん張つて、身を後の方へ反らし」、「さう傍で嗅いぢや不可ない」とする。三千代の、「あら何故」という質問に、「何故つて理由もないんだが、不可ない」と答える。白い花という「死」をイメージさせるものへの三千代の接近・接触を、代助は本能的・瞬間的に避けさせようとしたと読むことも可能だろう。
「死」へと近づく三千代と、世の倫理を破壊しようとする代助。
「三千代は此不思議に無作法に活けられた百合を、しばらく見てゐたが、突然、「あなた、何時から此花が御嫌ひになつたの」と妙な質問をかけた。昔し三千代の兄がまだ生きてゐる時分、ある日何かのはづみに、長い百合を買つて、代助が谷中の家を訪ねた事があつた」。
…「谷中の家」は、三千代兄妹が住んでいた家。先ほども述べたが、この「何かのはづみ」は本来、重要な意味を持つはずだ。しかしここでの説明では、以前代助が百合を買ってきて、「自分で、大事さうに買つて来た花を活けて、三千代にも、三千代の兄にも、床へ向直つて眺めさした事があつた」というだけ。三千代へとも兄妹へともつかないプレゼントだが、もちろんそれは三千代の歓心を買うためのものだ。男が女に花を贈る理由は一つだ。
だから「三千代はそれを覚えてゐたのである」。「代助はそんな事があつた様にも思つて、仕方なしに苦笑した」。
昔の出来事を、しかも花を贈るという大切な記憶を、代助は忘れ三千代は覚えているという設定は、かえって三千代の方が強く代助を愛しているのだということを表す。三千代にとっては代助との大切な思い出なのだ。
ところで、「貴方だつて、鼻を着けて嗅いで入らしつたぢやありませんか」という千代の言葉から、その時からすでに彼らには死のイメージがまとわりついていたことになる。それは三千代の子の死という現実となって現れ、また3人の今後に暗い影を投げかける。
代助の「苦笑」は、大切な記憶の喪失と今後の彼らの展開に対するものだ。




