夏目漱石「それから」本文と評論10-4
◇本文
三千代の顔は此前逢つた時よりは寧ろ蒼白かつた。代助に眼と顎で招かれて書斎の入口へ近寄つた時、代助は三千代の息を喘ましてゐることに気が付いた。
「何うかしましたか」と聞いた。
三千代は何にも答へずに室の中に這入つて来た。セルの単衣の下に襦袢を重ねて、手に大きな白い百合の花を三本許提げてゐた。其百合をいきなり洋卓の上に投げる様に置いて、其横にある椅子へ腰を卸した。さうして、結つた許の銀杏 返を、構はず、椅子の脊に押し付けて、
「あゝ苦しかつた」と云ひながら、代助の方を見て笑つた。代助は手を叩いて水を取り寄せ様とした。三千代は黙つて洋卓の上を指した。其所には代助の食後の嗽をする硝子の洋盃があつた。中に水が二口許残つてゐた。
「奇麗なんでせう」と三千代が聞いた。
「此奴は先刻僕が飲んだんだから」と云つて、洋盃を取り上げたが、躊躇した。代助の坐つてゐる所から、水を棄てやうとすると、障子の外に硝子戸が一枚邪魔をしてゐる。門野は毎朝椽側の硝子戸を一二枚宛開けないで、元の通りに放つて置く癖があつた。代助は席を立つて、椽へ出て、水を庭へ空けながら、門野を呼んだ。今ゐた門野は何処へ行つたか、容易に返事をしなかつた。代助は少しまごついて、又三千代の所へ帰つて来て、
「今すぐ持つて来て上げる」と云ひながら、折角空けた洋盃を其儘洋卓の上に置いたなり、勝手の方へ出て行つた。茶の間を通ると、門野は無細工な手をして錫(すゞ)の茶壺から玉露を撮み出してゐた。代助の姿を見て、
「先生、今 直です」と言訳をした。
「茶は後でも好い。水が要るんだ」と云つて、代助は自分で台所へ出た。
「はあ、左様ですか。上がるんですか」と茶壺を放り出して門野も付いて来た。二人で洋盃を探したが一寸見付からなかつた。婆さんはと聞くと、今御客さんの菓子を買ひに行つたといふ答であつた。
「菓子がなければ、早く買つて置けば可いのに」と代助は水道の栓を捩つて湯呑に水を溢らせながら云つた。
「つい、小母さんに、御客さんの呉る事を云つて置かなかつたものですからな」と門野は気の毒さうに頭を掻いた。
「ぢや、君が菓子を買ひに行けば可いのに」と代助は勝手を出ながら、門野に当たつた。門野はそれでも、まだ、返事をした。
「なに菓子の外にも、まだ色々買ひ物があるつて云ふもんですからな。足は悪し天気は好くないし、廃せば好いんですのに」
代助は振り向きもせず、書斎へ戻つた。敷居を跨いで、中へ這入るや否や三千代の顔を見ると、三千代は先刻代助の置いて行つた洋盃を膝の上に両手で持つてゐた。其洋盃コツプの中には、代助が庭へ空けたと同じ位に水が這入つてゐた。代助は湯呑を持つた儘(まゝ)、茫然として、三千代の前に立つた。
「何うしたんです」と聞いた。三千代は例の通り落ち付いた調子で、
「難有う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だつたから」と答へて、リリー、オフ、ゼ、バレーの漬けてある鉢を顧みた。代助は此大鉢の中に水を八分目程張つて置いた。妻楊枝位な細い茎の薄青い色が、水の中に揃つてゐる間から、陶器の模様が仄かに浮いて見えた。
「何故あんなものを飲んだんですか」と代助は呆れて聞いた。
「だつて毒ぢやないでせう」と三千代は手に持つた洋盃を代助の前へ出して、透かして見せた。
「毒でないつたつて、もし二日も三日も経つた水だつたら何うするんです」
「いえ、先刻来た時、あの傍迄顔を持つて行つて嗅いで見たの。其時、たつた今其鉢へ水を入れて、桶から移した許だつて、あの方が云つたんですもの。大丈夫だわ。好い香ね」
代助は黙つて椅子へ腰を卸した。果して詩の為に鉢の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促がされて飲んだのか、追窮する勇気も出なかつた。よし前者とした所で、詩を衒つて、小説の真似なぞをした受売りの所作とは認められなかつたからである。そこで、たゞ、
「気分はもう好くなりましたか」と聞いた。 (青空文庫より)
◇評論
「三千代の顔は此前逢つた時よりは寧ろ蒼白かつた」。
…好きな人のことはよく観察するし、よく覚えている。
「代助に眼と顎で招かれて」
…大学時代からの知人であるし、互いに気持ちが通じ合っている様子。ただ平岡がいないとはいえ、言葉であいさつを交わし、室内に導くのが一般的な礼儀だろう。相手は人妻なのだ。馴れ馴れしい対応ははばかられる。だから代助のこの様子は、三千代への親しみを表す。
「書斎の入口へ近寄つた時、代助は三千代の息を喘ましてゐることに気が付いた」。
…好きな相手だからよく観察する。異変には敏感になる。
改めてこの部分を丁寧に見ていく。
・「三千代の顔は此前逢つた時よりは寧ろ蒼白かつた」…代助の三千代の観察。
・「代助に眼と顎で招かれて書斎の入口へ近寄つた」…再会の挨拶を交わす必要のない二人。
・「代助は三千代の息を喘ましてゐることに気が付いた」…代助の観察と気づき。
・「何うかしましたか」…相手への心配・配慮。ここで初めて言葉が出た。
・「三千代は何にも答へずに室の中に這入つて来た」…これは、苦しいこともあるが、やはり言葉を発せずともよい関係性からだ。
・「セルの単衣の下に襦袢を重ねて、手に大きな白い百合の花を三本許提げてゐた。其百合をいきなり洋卓の上に投げる様に置いて、其横にある椅子へ腰を卸した」…このユリは後に代助へのプレゼントだと判明するが、三千代は何も言わずに「いきなり「洋卓の上に投げる様に置」くという無遠慮な行動に出る。馴れ馴れしさや無遠慮さを代助はむしろ好ましく思っているだろう。ふだんおとなしい三千代は、代助に対してときどきこのような行動を取る。その落差が代助には刺さるのだろう。
・「さうして、結つた許の銀杏 返を、構はず、椅子の脊に押し付けて、「あゝ苦しかつた」と云ひながら、代助の方を見て笑つた」…好きな女にこんな心を許した態度を取られたら、代助ならずともイチコロだ。
ここまでの二人の会話は、代助の「何うかしましたか」と三千代の「あゝ苦しかつた」の二つだけだ。それだけで気持ちが通じ合うふたり。
三千代が苦しいと言うのだから、代助はすぐにそれに応えねばなるまい。
・「代助は手を叩いて水を取り寄せ様とした」
・「三千代は黙つて洋卓の上を指した」…ここにも三千代の言葉は無い。子供っぽさや心を許す様子がうかがわれ、代助はそれがうれしい。一方それを分かった上でやっているとしたら、三千代は悪い女だ。恋の手管を承知している。「言わなくても分かるよね」という意味。
・「其所には代助の食後の嗽をする硝子の洋盃があつた。中に水が二口許残つてゐた。
「奇麗なんでせう」と三千代が聞いた。
「此奴は先刻僕が飲んだんだから」と云つて、洋盃を取り上げた」…中学生がこの場面に遭遇したら、「間接キス」と言ってはやし立てるだろう。三千代の気安い様子は、代助の胸の鼓動を高めただろう。しかも相手は人妻だ。甘い毒の匂いがする。
代助が口を付けたコップの水を飲むことをためらわない三千代。おそらく代助が口をつけたであろう水を「奇麗」と認める彼女に対し、代助は反応に困ったと思われる。素直に喜ぶこともできないし、無下に強く否定することもはばかられる微妙な心情。
「代助は席を立つて、椽へ出て、水を庭へ空けながら、門野を呼んだ」。しかし門野の返事は無い。早く水を飲ませたい。だから「代助は少しまごつい」たのだ。
代助は、「「今すぐ持つて来て上げる」と云ひながら、折角空けた洋盃を其儘洋卓の上に置いたなり、勝手の方へ出て行つた」。
愛する人の苦しみを取り去るために幸せの水を運ぼうとする代助。(カッコイイ)
この、コップをそのままテーブルの上に置いて台所に向かうという設定が、この後に小さな驚きを生む。
(ただこの設定は、やや無理に作った感が否めない。そのコップは普通、台所に持って行かないか? なぜテーブルに置き去りにしたのか。水差しを持ってきて、一緒に飲むという設定でもない。つまり、三千代に大鉢の水を飲ませるためには、空いたコップが置き去りにされる必要があったのだった。)
次の場面はまたまた愚鈍な門野の様子が描かれる。漱石はこういう人を描くのが上手だ。
・「茶の間を通ると、門野は無細工な手をして錫(すゞ)の茶壺から玉露を撮み出してゐた」
…気の利かない門野の手は、代助には「無細工」に見える。その手つきの悪さ。
・「代助の姿を見て、「先生、今 直です」と言訳をした」
…これではまるで代助の方が悪いような言い方だ。「先ほど私をお呼びのようでしたが、そんなに焦らないでも、今自分がちゃんとお茶の準備をしています」と言いたいのだ。
・「「茶は後でも好い。水が要るんだ」と云つて、代助は自分で台所へ出た」
…こんな鈍くてのろい男には頼れない。自分が動いた方が正確で速い、と代助は思っている。
・「「はあ、左様ですか。上がるんですか」と茶壺を放り出して門野も付いて来た」
…どうして門野はこうも鈍いのだろう。
・「婆さんはと聞くと、今御客さんの菓子を買ひに行つたといふ答であつた。「菓子がなければ、早く買つて置けば可いのに」と代助は水道の栓を捩つて湯呑に水を溢らせながら云つた」
…門野だけでなく、婆さんも気の利かない人だ。この家の者は、代助以外はみな愚鈍ということになる。焦る代助。
・「「つい、小母さんに、御客さんの呉る事を云つて置かなかつたものですからな」と門野は気の毒さうに頭を掻いた」
…門野に謝罪の言葉は無い。彼は言い訳ばかりだ。こんな人に頭を掻かれても、興ざめするしかない。
・「「ぢや、君が菓子を買ひに行けば可いのに」と代助は勝手を出ながら、門野に当たつた。門野はそれでも、まだ、返事をした。
「なに菓子の外にも、まだ色々買ひ物があるつて云ふもんですからな。足は悪し天気は好くないし、廃せば好いんですのに」」
…主人からの「君が菓子を買ひに行けば可いのに」という注意に対して書生は、「気が利かずに申し訳ありません」と短く謝罪すればいい。長々と返事をする必要はない。しかもその内容は、言い訳にもならないものだった。今必要なのは三千代をもてなす菓子であり、「まだ色々」ある「買ひ物」は、別に行えばよい。「足は悪し天気は好くないし、廃せば好いんですのに」と本当に思うのであれば、なおさら足が達者な門野が買いに行けばよかった。
こんな者の言い訳はまともに聞くと腹が立つだけで、聞くだけ無駄だ。だから「代助は振り向きもせず、書斎へ戻つた」のだった。
身体が動くだけが取り柄で、それを理由に置かれている門野がこのようでは、彼を書生として置く必要はない。早く実家に帰せばいいだろう。
ただ門野のような登場人物も必要で、彼がいるから、代助の神経の繊細さや、文化・芸術への志向が際立つことになる。門野をどう描くかが漱石の腕の見せ所であり、そうしてそれは成功している。
次はとても有名で印象的なシーン。
・「敷居を跨いで、中へ這入るや否や三千代の顔を見ると、三千代は先刻代助の置いて行つた洋盃を膝の上に両手で持つてゐた」
…まるで一枚の絵のような、三千代の姿。代助はこの時の三千代を忘れないだろう。
・「其洋盃コツプの中には、代助が庭へ空けたと同じ位に水が這入つてゐた。代助は湯呑を持つた儘(まゝ)、茫然として、三千代の前に立つた。
「何うしたんです」と聞いた」
…その水の由来を知らない代助は、「茫然と」するしかない。あっけにとられる代助。それに対し「三千代は例の通り落ち付いた調子」だ。
・「「難有う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だつたから」と答へて、リリー、オフ、ゼ、バレーの漬けてある鉢を顧みた」
…「見返り美人」という切手が有名だが、「顧み」ることでよじられた三千代の体とその横顔に、代助の目は引きつけられたはずだ。おまけに発せられた言葉は、「難有う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だつたから」と、とても短く区切られると同時に倒置が用いられ、強く印象付けるものとなっている。表現が幼く、端的で、だからこそ代助に心を許していることが感じられる。おまけに最後のセリフは、「あんまり奇麗だつたから」と、情に訴えるものだ。「あなたが活けた鈴蘭はとてもきれいね。私も気に入ったわ」という意味であり、こんなセリフを吐かれたら、男性は一発で恋に落ちるだろう。
しかも三千代はその水を飲んでいる。これは代助という存在全てを受け入れていることを表す。
このシーンの三千代からは、幼さ、素直さ、真率さ、無邪気さなどとともに、代助を受け入れるかすかな官能が感じられる。
「大鉢の中に」張られた水。そこには鈴蘭の「妻楊枝位な細い茎の薄青い色が、水の中に揃つて」おり、その「間から、陶器の模様が仄かに浮いて見えた」。これらの落ち着いた色調は、三千代のほてりと疲れをいやすのに最適だった。
「何故あんなものを飲んだんですか」と代助は呆れて聞く。「だつて毒ぢやないでせう」と「手に持つた洋盃を代助の前へ出して、透かして見せ」る三千代。これは、真に気を許した相手への動作だ。無邪気でかわいい。
「「毒でないつたつて、もし二日も三日も経つた水だつたら何うするんです」
「いえ、先刻来た時、あの傍迄顔を持つて行つて嗅いで見たの。其時、たつた今其鉢へ水を入れて、桶から移した許だつて、あの方が云つたんですもの。大丈夫だわ。好い香ね」」
…門野、初めてのグッジョブ。これだけでこの物語における門野の存在価値・意義があった。また、代助と読者は、三千代が大鉢の「傍迄顔を持つて行つて嗅いで見た」さまを想像する。そうして、「大丈夫だわ。好い香ね」に共感する。だから代助も、「黙つて椅子へ腰を卸した」のだ。
ところで、三千代と門野の会話は、寝入る代助のすぐそばで行われたことになる。ふだんは敏感な代助の眠りは、それだけ深かった。
「果して詩の為に鉢の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促がされて飲んだのか、追窮する勇気も出なかつた。よし前者とした所で、詩を衒つて、小説の真似なぞをした受売りの所作とは認められなかつたからである。そこで、たゞ、「気分はもう好くなりましたか」と聞いた」
…「詩の為」とは、大鉢に漬けてある鈴蘭の水を飲むという普通はしない洒落た・美的行動をすることで、自分を詩の中の・詩的人物とすること。自分を、芸術的・美的空間の登場人物にすること。普通はしないが美のためにわざとそのようなことをすること。「生理上の作用に促がされて」とは、のどの渇きや気持ちを落ち着かせるためということ。
代助は三千代の行動を素直に受け取り理解する。彼女は、自然に、思うがままに、ただ「あんまり奇麗」だと思った大鉢の水を飲んだのだと。だから代助は「追窮」もせず、「たゞ、「気分はもう好くなりましたか」と聞いた」のだった。
この場面の三千代の様子・行動は、代助の情調と趣向にぴったりマッチしている。美を美として認め、それを素直に楽しむ。このふたりはお似合いなのだということを感じさせる美しいシーンだった。
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