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夏目漱石「それから」本文と評論10-1

◇本文

 (あり)の座敷へ上がる時候になつた。代助は大きな鉢へ水を張つて、其中に真白なリリー、オフ、ゼ、バレーを(くき)ごと()けた。(むらが)る細かい花が、濃い模様の(ふち)を隠した。鉢を動かすと、花が(こぼ)れる。代助はそれを大きな字引の上に載せた。さうして、其傍に枕を置いて仰向けに倒れた。黒い頭が丁度鉢の陰になつて、花から出る(にほ)ひが、好い具合に鼻に(かよ)つた。代助は其香ひを嗅ぎながら仮寐(うたゝね)をした。

 代助は時々尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。それが(はげ)しくなると、晴天から来る日光の反射にさへ堪へ難くなる事があつた。さう云ふ時には、成る可く世間との交渉を稀薄にして、朝でも(ひる)でも構はず寐る工夫をした。其手段には、極めて淡い、甘味の軽い、花の香をよく用ひた。(まぶた)を閉ぢて、瞳に落ちる光線を謝絶して、静かに鼻の穴丈で呼吸してゐるうちに、枕元の花が、次第に夢の方へ、(さわ)ぐ意識を吹いて行く。是が成功すると、代助の神経が生まれ(かは)つた様に落ち付いて、世間との連絡が、前よりは比較的楽に取れる。

 代助は父に呼ばれてから二三日の間、庭の隅に咲いた薔薇の花の赤いのを見るたびに、それが点々として眼を刺してならなかつた。其時は、いつでも、手水鉢(てみづばち)の傍にある、擬宝珠(ぎぼしゆ)の葉に眼を移した。其葉には、放肆(ほうし)な白い(しま)が、三筋(みすぢ)四筋(よすぢ)、長く乱れてゐた。代助が見るたびに、擬宝珠の葉は延びて行く様に思はれた。さうして、それと共に白い縞も、自由に拘束なく、延びる様な気がした。柘榴(ざくろ)の花は、薔薇よりも派出に且つ重苦しく見えた。緑の間にちらり/\と光つて見える位、強い色を出してゐた。従つて(これ)も代助の今の気分には相応(うつ)らなかつた。

 彼の今の気分は、彼に時々起こる如く、総体の上に一種の暗調を帯びてゐた。だから余りに明る過ぎるものに接すると、其矛盾に堪えがたかつた。擬宝珠の葉も長く見詰めてゐると、すぐ(いや)になる位であつた。

 其上(そのうへ)彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲はれ出した。其不安は人と人との間に信仰がない源因から起こる野蛮程度の現象であつた。彼は此心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であつた。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質(たち)であつた。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じてゐた。相互が疑ひ合ふときの苦しみを解脱(げだつ)する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈してゐた。だから、神のある国では、人が嘘を()くものと()めた。然し今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄(くにがら)であるといふ事を発見した。さうして、彼は之を(いつ)に日本の経済事情に帰着せしめた。

 四五日前、彼は掏摸(すり)と結託して悪事を働らいた刑事巡査の話を新聞で読んだ。それが一人や二人ではなかつた。他の新聞の記す所によれば、もし厳重に、それからそれへと、手を延ばしたら、東京は一時殆んど無警察の有様に陥るかも知れないさうである。代助は其記事を読んだとき、たゞ苦笑した丈であつた。さうして、生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだと思つた。 

 代助が父に()つて、結婚の相談を受けた時も、少し是と同様の気がした。が、これはたゞ父に信仰がない所から起る、代助に取つて不幸な暗示に過ぎなかつた。さうして代助は自分の心のうちに、かゝる忌はしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じ得なかつた。それが事実となつて眼前にあらはれても、矢張り父を尤もだと(うけが)ふ積りだつたからである。

 だから、非常な神経質であるにも拘はらず、不安の念に襲はれる事は少なかつた。さうして、自分でもそれを自覚してゐた。(それ)が、()う云ふ具合か急に(うご)き出した。代助は之を生理上の変化から起るのだらうと察した。そこである人が北海道から()つて来たと云つて呉れたリリー、オフ、ゼ、バレーの(たば)()いて、それを悉く水の中に(ひた)して、其下(そのした)に寐たのである。 (青空文庫より)


◇評論

(あり)の座敷へ上がる時候になつた」

…とても印象深く、記憶に残る表現だ。その季節になると、このフレーズを思い出す。これは、この後に続く三千代とのシーンが美しく印象的だからということもあるだろう。

この表現に導かれ、今話は文学的な表現が続く。


「リリー、オフ、ゼ、バレー」…鈴蘭。


「英名のリリー・オブ・ザ・バリーlily of the valleyは、『旧訳聖書』のソロモンの雅歌に載る谷のユリshoshannahから由来したが、本来パレスチナ地方にスズランはなく、これはアネモネの一種Anemone coronaria L.か、マドンナリリーLilium candidum L.、あるいはカミツレの類Anthemis palaestina Reut.などと考えられている。スズランのもっとも古い歴史は、聖レオナール(英名レオナード)がフランスのリモージュ近くの谷(一説ではベルギーのルーバンの森、イギリスにも別説あり)で、ドラゴンと闘い、流した血から生じたという伝説である。ドイツスズランはヨーロッパの中北部に広く分布し、古くから各国の伝説、民話に取り入れられた春の歳時植物である。フランスでは5月1日がスズランの日で、各地でスズラン祭りが開かれ、その日スズランの花束が贈られると、幸福が訪れるといわれてきた。ヨーロッパでは薬草としても使われ、11世紀にプラトニクス・アプレウスが、手の傷や()れ物に効くと書き留めている。花をはじめ全草にコンバラトキシンなどの強心性配糖体を含み有毒だが、微量は強心剤に使われる。

 日本では江戸時代の園芸書には顔をみせず、松平秀雲(しゅううん)君山(くんざん))が『本草正譌(ほんぞうせいか)』(1776)に君懸(きみかけ)草、八千代草を取り上げたのが古く、飯沼慾斎(いいぬまよくさい)の『草木図説』(1856)には正確な図が載る。一般に知られるようになったのは明治の終わりごろからである。北海道にはとくに多くみられるが、アイヌの人々はセタプクサ(イヌのギョウジャニンニク)とか、チロンヌプキナ(キツネのギョウジャニンニク)とよび、利用はしなかった。[湯浅浩史 2019年3月20日]」(日本大百科全書(ニッポニカ))(スズラン(すずらん)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp) より)


「毒性

全草、特に根茎に毒成分が多く、誤食すると嘔吐、頭痛、眩暈、血圧低下、心臓麻痺などの症状を起こし、重傷の場合、心不全から死亡に至ることもある。強心配糖体のコンバラトキシン(convallatoxin)、コンバラマリン (convallamarin)、コンバロシド (convalloside) などを含む有毒植物。有毒物質は全草に持つが、特に花や根に多く含まれる。花壇などに植えられているドイツスズランも有毒である。

北海道などで山菜として珍重されるギョウジャニンニクと外見が似ていることもあり、誤って摂取し中毒症状を起こす例が見られる。スズランを活けた水を飲んでも中毒を起こすことがあり、上野正彦著「死体は語る」には、五歳の子どもが枕元に置いてあったスズランの活けられた花瓶の水を飲み死亡した例が書かれている。

生薬

強心作用や利尿作用があることから生薬や製薬の原料とされる。

文化

花言葉は「清浄」「幸福」。イギリスなどでは5月1日にスズランを贈ると幸福が来るという風習がある。

一方で有毒植物であることからアイヌでは「毒の花」として親しまれなかった。」(スズラン - Wikipedia より)


次話に鈴蘭を漬けた水を三千代が飲んでしまうシーンがある。その後の三千代に体調変化は見られないのだが、上記に、「五歳の子どもが枕元に置いてあったスズランの活けられた花瓶の水を飲み死亡した例が書かれている」とあることから、三千代は危険な行動をとったことになる。この行動には、三千代の、死と再生が含意されているのかもしれない。鈴蘭の漬けてある水を飲むことで一度死に・精神的に平岡と別れ、生まれ変わり、代助とともに歩むということだ。また上記にあるこの花にまつわる様々な物語は、三千代と代助の運命を象徴しているのかもしれない。鈴蘭の花言葉は「幸福の再来」、「純潔」、「再会」であり、まさにこの場面にぴったりだ。


それにしても、花の香を嗅ぎながらの午睡は贅沢であり、その環境にある代助だからこそできることだ。

繊細な神経の持ち主である「代助は時々尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける」。「さう云ふ時には、成る可く世間との交渉を稀薄にして、朝でも(ひる)でも構はず寐る工夫をした」。寝ることで現実世界と別れ、無意識の世界に逃避することができる。


(まぶた)を閉ぢて、瞳に落ちる光線を謝絶して、静かに鼻の穴丈で呼吸してゐるうちに、枕元の花が、次第に夢の方へ、(さわ)ぐ意識を吹いて行く」

…睡眠に至る段階・過程が丁寧に述べられる。「枕元の花が、次第に夢の方へ、(さわ)ぐ意識を吹いて行く」とは、枕元の花の良い香りが、現実の意識の世界での気分の高揚を落ち着かせ、徐々に夢の世界へと(いざな)う様子。「是が成功すると」、覚醒後も「代助の神経が生まれ(かは)つた様に落ち付いて、世間との連絡が、前よりは比較的楽に取れる」ようになる。質の良い仮眠は、体力と気力を回復させてくれる。


「手水鉢」…てみずばち。ちょうずばち。手洗い水を入れておく鉢。


「代助は父に呼ばれてから二三日の間」からの部分は、繊細な代助の感覚を強く刺激する「庭の隅に咲いた薔薇の花の赤いの」や「柘榴(ざくろ)の花」の「派出」さと「重苦し」さ、「緑の間にちらり/\と光つて見える位、強い色」「を見るたびに、それが点々として眼を刺してならなかつた」さまを述べる。今の彼には、「擬宝珠(ぎぼしゆ)の葉」の、「放肆(ほうし)」さや「自由に拘束なく、延びる」さまがうらやましい。この物語において植物は、代助の心理や物語のテーマとリンクしている。


「彼の今の気分は、彼に時々起こる如く、総体の上に一種の暗調を帯びてゐた。だから余りに明る過ぎるものに接すると、其矛盾に堪えがたかつた」

…代助は今、父親から結婚の圧迫を受けて暗鬱とした気持ちになっている。それは、あまりに明る過ぎるものとは同時に存在しえなかったことを、「矛盾」と述べている。


其上(そのうへ)彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲はれ出した。其不安は人と人との間に信仰がない源因から起こる野蛮程度の現象であつた。彼は此心的現象のために甚しき動揺を感じた。彼は神に信仰を置く事を喜ばぬ人であつた。又頭脳の人として、神に信仰を置く事の出来ぬ性質(たち)であつた。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じてゐた。相互が疑ひ合ふときの苦しみを解脱(げだつ)する為めに、神は始めて存在の権利を有するものと解釈してゐた。だから、神のある国では、人が嘘を()くものと()めた。然し今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄(くにがら)であるといふ事を発見した。さうして、彼は之を(いつ)に日本の経済事情に帰着せしめた。」


・現代日本特有の不安…人と人との間に信仰がないから起こる

・代助=神への信仰がない

・相互信仰があれば、神に頼る必要がない

・神の存在意義…相互が疑い合う苦しみの解脱のため

・現在の日本=神にも人にも信仰がない←日本の経済事情のため


これらをまとめると、

「現代日本の経済状況により、日本人は人・神への信仰を放棄し、それが不安を生じさせている。」

ということ。これは現在の日本にもそのまま当てはまるだろう。


次にはその例が述べられる。「掏摸(すり)と結託して悪事を働らいた刑事巡査の話」は、「生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤もだ」ということになる。苦から逃れるために神を信仰する者は、悪事を働かない。この刑事巡査たちには、悪事は神に罰せられるという観念が無い。


 「代助が父に()つて、結婚の相談を受けた時も、少し是と同様の気がした。が、これはたゞ父に信仰がない所から起る、代助に取つて不幸な暗示に過ぎなかつた。さうして代助は自分の心のうちに、かゝる忌はしい暗示を受けたのを、不徳義とは感じ得なかつた。それが事実となつて眼前にあらはれても、矢張り父を尤もだと(うけが)ふ積りだつたからである。」


父親は「経済事情」のために自分に結婚を強く勧めているのではないかという「不幸な暗示」・「忌はしい暗示」を代助は受ける。しかし彼はそれが現実に明確化しても、父も現代日本人のひとりであり、そのようなこともあるだろうと受け入れるということ。


「代助は平岡に対しても同様の感じを抱いてゐた。然し平岡に取つては、それが当然な事であると許してゐた。たゞ平岡を好く気になれない丈であつた。代助は兄を愛してゐた。けれども其兄に対しても矢張り信仰は()ち得なかつた。嫂は実意のある女であつた。然し嫂は、直接生活の難関に当らない丈、それ丈兄よりも近付き(やす)いのだと考へてゐた。」


現在の日本の経済状況の波を受ける平岡も兄もまた同じということ。

代助にとって「愛」と「信仰」は違うもので、「信仰」の方がより深く厳しい概念のようだ。

「生活の難関」の主たるものは経済事情のことであり、嫂は直接それに煩わされることが少ないので、彼女の代助への対応は、父・兄・平岡とは違い、代助は「不安」にならずに済んでいる。

これらをまとめると、父・兄・平岡は、日本の経済事情に直面しており、それゆえに自分の利益のために代助と対応している、ということ。


「生活の大難に対抗せねばならぬ薄給の刑事が、悪い事をするのは、実際尤も」であり、また、「父に()つて、結婚の相談を受けた時も、少し是と同様の気がし」、「それが事実となつて眼前にあらはれても、矢張り父を尤もだと(うけが)ふ積りだつた」。すべては日本の経済事情のなせる業である。日々の経済的困難の解消のためには利己的になり、他者を自己の利益のために誘導する悪事も仕方のないことだと代助は考える。それが日本の「経済事情」なのだと。


 「代助は平生から、此位に世の中を打遣(うちや)つてゐた。だから、非常な神経質であるにも拘はらず、不安の念に襲はれる事は少なかつた。さうして、自分でもそれを自覚してゐた。(それ)が、()う云ふ具合か急に(うご)き出した。代助は之を生理上の変化から起るのだらうと察した。そこである人が北海道から()つて来たと云つて呉れたリリー、オフ、ゼ、バレーの(たば)()いて、それを悉く水の中に(ひた)して、其下(そのした)に寐たのである。」


「此位に世の中を打遣(うちや)つてゐた」とは、他者を自己の利益のために誘導する悪事は、日本の「経済事情」のせいであり仕方がないと考えていたということ。すべての日本人がこうなのだから、それに対していちいち腹を立てたり不安になったりしてもしようがない。このようにして代助の精神は一応の平穏を保っていたのだが、「(それ)が、()う云ふ具合か急に(うご)き出した」。代助自身は「生理上の変化から起こ」ったとするが、この原因は三千代だ。彼女の存在自体と、彼女のための金策が、代助の精神を乱れさせる。そこで精神安定剤として用いられたのが、鈴蘭だった。

彼は洒落た方法で鈴蘭とその香りを楽しむ。「リリー、オフ、ゼ、バレーの(たば)()」き、「それを悉く水の中に(ひた)し」、「其下(そのした)に寐たのである」。鈴蘭のかすかで甘美な香りは、代助を夢の世界へと誘う。

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