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夏目漱石「それから」本文と評論8-6

◇本文

 平岡の帰りを玄関迄見送つた時、代助はしばらく、障子に()を寄せて、敷居の上に立つてゐた。門野も御 附合(つきあひ)に平岡の後姿を眺めてゐた。が、すぐ口を出した。

「平岡さんは思つたよりハイカラですな。あの服装(なり)ぢや、少し(うち)の方が御粗末過ぎる様です」

左様(さう)でもないさ。近頃はみんな、あんなものだらう」と代助は立ちながら答へた。

(まつた)く、服装(なり)丈ぢや分からない世の中になりましたからね。何処(どこ)の紳士かと思ふと、どうも変ちきりんな家へ這入(はい)つてますからね」と門野はすぐあとを付けた。

 代助は返事も()ずに書斎へ引き返した。椽側に垂れた君子蘭の緑の滴(したゝ)りがどろ/\になつて、干上(ひあ)がり掛つてゐた。代助はわざと、書斎と座敷の仕切りを立て切つて、一人 (へや)のうちへ這入(はい)つた。来客に接した後しばらくは、独坐(どくざ)()けるが代助の癖であつた。ことに今日の様に調子の狂ふ時は、格別その必要を感じた。

 平岡はとう/\自分と離れて仕舞つた。()ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする。実を云ふと、平岡ばかりではない。誰に逢つても()んな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかつた。大地は自然に続いてゐるけれども、其上に家を建てたら、忽ち切れ/\ぎれになつて仕舞つた。家の中にゐる人間も亦切れ切れになつて仕舞つた。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。

 代助と接近してゐた時分の平岡は、人に泣いて(もら)ふ事を喜ぶ人であつた。今でも左様(さう)かも知れない。が、(ちつ)ともそんな顔をしないから、解らない。否、(つと)めて、人の同情を(しりぞけ)る様に振舞つてゐる。孤立しても世は渡つて見せるといふ我慢か、又は是が現代社会に本来の面目だと云ふ悟りか、何方(どつち)かに帰着する。

 平岡に接近してゐた時分の代助は、人の(ため)に泣く事の好きな男であつた。それが次第々々に泣けなくなつた。泣かない方が現代的だからと云ふのではなかつた。事実は(むし)(これ)を逆にして、泣かないから現代的だと言ひたかつた。泰西の文明の圧迫を受けて、其重荷の下に(うな)る、劇烈な生存競争場裏に立つ人で、(しん)によく人の(ため)に泣き得るものに、代助は(いま)(かつ)出逢(であ)はなかつた。

 代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪の念を催ふした。さうして向ふにも自己同様の念が(きざ)してゐると判じた。昔しの代助も、時々わが胸のうちに、斯う云ふ影を認めて驚ろいた事があつた。其時は非常に悲しかつた。今は其悲しみも殆んど薄く(はが)れて仕舞つた。だから自分で黒い影を(じつ)と見詰めて見る。さうして、これが(まこと)だと思ふ。()むを得ないと思ふ。たゞそれ丈になつた。

 ()う云ふ意味の孤独の底に陥つて煩悶するには、代助の頭はあまりに判然(はつきり)し過ぎてゐた。彼はこの境遇を以て、現代人の踏むべき必然の運命と考へたからである。従つて、自分と平岡の隔離は、今の自分の(まなこ)に訴へて見て、尋常一般の径路を、ある点迄進行した結果に過ぎないと見傚した。けれども、同時に、両人(ふたり)の間に横たはる一種の特別な事情の為、此隔離が世間並よりも早く到着したと云ふ事を自覚せずにはゐられなかつた。それは三千代の結婚であつた。三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であつた。それを当時に悔ゆる様な薄弱な頭脳ではなかつた。今日に至つて振り返つて見ても、自分の所作は、過去を照らす鮮やかな名誉であつた。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人(ににん)の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前に(あたま)を下げなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故(なぜ)三千代を(もら)つたかと思ふ様になつた。代助は何処(どこ)かしらで、何故(なぜ)三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた。

 代助は書斎に閉ぢ籠つて一日考へに沈んでゐた。晩食の時、門野が、

「先生今日は一日御勉強ですな。どうです、()と御散歩になりませんか。今夜は寅毘沙(とらびしや)ですぜ。演芸館で支那人(ちやん)の留学生が芝居を()つてます。どんな事を()る積ですか、行つて御覧なすつたら()うです。支那人(ちやん)てえ奴は、臆面がないから、何でも()る気だから呑気なもんだ。……」と一人で喋舌(しやべ)つた。 (青空文庫より)


◇評論

(まつた)く、服装(なり)丈ぢや分からない世の中になりましたからね。何処(どこ)の紳士かと思ふと、どうも変ちきりんな家へ這入(はい)つてますからね」という門野の言葉に、「近頃はみんな、あんなものだらう」と考える代助は、「返事も()ずに書斎へ引き返した」。これは、一等国に追いつくために虚勢を張っているこの時の日本と同じだ。


「代助はわざと、書斎と座敷の仕切りを立て切つて、一人 (へや)のうちへ這入(はい)つた。来客に接した後しばらくは、独坐(どくざ)()けるが代助の癖であつた。ことに今日の様に調子の狂ふ時は、格別その必要を感じた」。

…考えの違う他者とのコミュニケーションが不調に終わることの多い代助には、自己の考えと精神世界を落ち着かせ整えるため、ひとりの空間と時間が必要だった。心の整理の時間。友人であったはずの平岡との今日の懇談は、彼との隔絶を明確化しただけだった。代助は、「平岡はとう/\自分と離れて仕舞つた」という感を強くする。


「平岡はとう/\自分と離れて仕舞つた。()ふたんびに、遠くにゐて応対する様な気がする」という、決定的な隔絶の認識。この感覚は、「実を云ふと、平岡ばかりではない。誰に逢つても()んな気がする」と続く。

「代助は解釈」する。「現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎな」い。他者とも家族とも「切れ/\ぎれになつて仕舞つた」。「文明は我等をして孤立せしむるものだ」。近代社会の人間関係の断絶は、文明論に及ぶ。文明の発展は、人間関係を切り離してしまうと、代助は認識する。


続く部分は、まず「代助と接近してゐた時分の平岡」について、次に「平岡に接近してゐた時分の代助」について、さらに「今の平岡に対して」、どう考えるか、という構造になっている。


「代助と接近してゐた時分の平岡」=「人に泣いて(もら)ふ事を喜ぶ人であつた」

他者による共感に価値を置いていた平岡。

「今でも左様(さう)かも知れない。が、(ちつ)ともそんな顔をしないから、解らない。否、(つと)めて、人の同情を(しりぞけ)る様に振舞つてゐる。孤立しても世は渡つて見せるといふ我慢か、又は是が現代社会に本来の面目だと云ふ悟りか、何方(どつち)かに帰着する」。

やせ我慢か、現代社会に生きる者として「孤立」はあるべき姿だと思っているからか。


「平岡に接近してゐた時分の代助」=「人の(ため)に泣く事の好きな男であつた」

「それが次第々々に泣けなくなつた」。「泣かないから現代的だと言ひたかつた」。

「泣かない方が現代的だから」無理をして泣かないのではなくて、そもそも泣く気がない・起きない自分は現代的だということ。人のために泣くという感情を抱くことがない人間に、代助は変化した。


「泰西の文明の圧迫を受けて、其重荷の下に(うな)る、劇烈な生存競争場裏に立つ人で、(しん)によく人の(ため)に泣き得るものに、代助は(いま)(かつ)出逢(であ)はなかつた」

…「(しん)によく人の(ため)に泣」くことができなくなったのは、現代人が、「泰西の文明の圧迫」と「重荷の下に(うな)る、劇烈な生存競争場裏に立」っているからだと、代助は考える。西洋の先進文化文明に追いつくことに汲々とする圧迫感から、現代日本人は呻吟(しんぎん)しており、「人の(ため)に泣」く感覚が無い状態だということ。

「泰西」…(日本から見て)先進国としての西洋。欧米。(三省堂「新明解国語辞典」)


「代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪の念を催ふした。さうして向ふにも自己同様の念が(きざ)してゐると判じた」

…代助と平岡は、考え方が「隔絶」したというよりも、互いを「嫌悪」していると思い至る。ここには勿論、ふたりの間に存在する三千代が絡んでいる。思考ではなく感情として、相手が嫌なのだ。代助はいま、平岡への嫌悪という「黒い影を(じつ)と見詰めて見る。さうして、これが(まこと)だと思ふ。()むを得ないと思ふ」。そうして「たゞそれ丈になつた」という諦念に至る。ふたりの関係は既に終わっている。生理的嫌悪は拭い難い。


現代人の「孤独の底に陥つて煩悶するには、代助の頭はあまりに判然(はつきり)し過ぎてゐた」。なぜなら彼は孤独を、「現代人の踏むべき必然の運命と考へたからである」。「従つて、自分と平岡の隔離は」、「尋常一般の径路を、ある点迄進行した結果に過ぎない」。現代人はすべからく孤独に陥ると代助は考える。


さらに、「両人(ふたり)の間に横たはる一種の特別な事情」は「三千代の結婚」であり、それがふたりの隔絶と孤独を促進した。

「三千代を平岡に周旋したものは元来が」代助であり、それを堅固な「頭脳」で行った。「今日に至つて振り返つて見ても、自分の所作は、過去を照らす鮮やかな名誉であつた」。


「けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人(ににん)の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てゝ、其前に(あたま)を下げなければならなかつた。さうして平岡は、ちらり/\と何故(なぜ)三千代を(もら)つたかと思ふ様になつた。代助は何処(どこ)かしらで、何故(なぜ)三千代を周旋したかと云ふ声を聞いた」

…ここで初めて明確に、当時のそれぞれの心情が説明される。この部分をまとめると、ふたりの「自然」は、

平岡…三千代と結婚すべきではなかった。

代助…三千代を平岡に周旋したのは間違いだったし、自分は三千代を愛していた。

ということになる。

代助は三千代への愛を隠して友人に彼女を周旋し、平岡は三千代との結婚を後悔する。代助の後悔は過去から現在まで続いているもので、平岡は、過去に選択を誤ったことへの後悔だ。そうすると、代助の偽りの友情の道具に使われた形の三千代が哀れだ。彼女はその時、どのような気持ちだったのだろう。三千代の気持ちの説明が待たれるところだ。


最後の場面には、懊悩する代助の気も知らず、勝手で浅薄な推測で判断する門野の愚な様子が描かれ、その対照が際立つ形になっている。



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