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夏目漱石「それから」本文と評論8-1

◇本文

 代助が嫂に失敗して帰つた夜は、大分 ()けてゐた。彼は(から)うじて青山の通りで、最後の電車を(つら)まえた位である。それにも拘はらず彼の話してゐる間には、父も兄も帰つて来なかつた。尤も其間に梅子は電話口へ二返呼ばれた。然し、嫂の様子に別段変つた所もないので、代助は此方(こつち)から進んで何にも聞かなかつた。

 其夜は雨催(あめもよひ)の空が、地面と同じ様な色に見えた。停留所の赤い柱の(そば)に、たつた一人立つて電車を待ち合はしてゐると、遠い向ふから小さい火の玉があらはれて、それが一直線に暗い中を上下に揺れつつ代助の方に近づいて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗り込んで見ると、誰も居なかつた。黒い着物を着た車掌と運転手の間に挟まれて、一種の音に(うづ)まつて動いて行くと、動いてゐる車の外は真暗である。代助は一人明るい中に腰を掛けて、どこ迄も電車に乗つて、(つい)に下りる機会が来ない迄引つ張り(まは)される様な気がした。

 神楽坂へかゝると、(ひつそり)とした路が左右の二階家に挟まれて、細長く前を(ふさ)いでゐた。中途迄 (のぼ)つて来たら、それが急に鳴り出した。代助は風が家の棟に当る事と思つて、立ち留まつて暗い軒を見上げながら、屋根から空をぐるりと見廻すうちに、忽ち一種の恐怖に襲はれた。戸と障子と硝子の打ち合ふ音が、見る/\ (はげ)しくなつて、あゝ地震だと気が付いた時は、代助の足は立ちながら半ば(すく)んでゐた。其時代助は左右の二階家が坂を(うづ)むべく、双方から倒れて来る様に感じた。すると、突然右側の潜(くゞ)り戸をがらりと開けて、小供を抱いた一人の男が、地震だ/\、大きな地震だと云つて出て来た。代助は其男の声を聞いて漸く安心した。

 家へ着いたら、婆さんも門野も大いに地震の噂をした。けれども、代助は、二人とも自分程には感じなかつたらうと考へた。寐てから、又三千代の依頼をどう所置し(やう)かと思案して見た。然し分別を()らす迄には至らなかつた。父と兄の近来の多忙は何事だらうと推して見た。結婚は愚図々々にして置かうと了簡を()めた。さうして眠りに入つた。

 其明日(そのあくるひ)の新聞に始めて日糖事件なるものがあらはれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したと云ふ報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ々々々と評してゐたが、代助にはそれ程痛快にも思へなかつた。が、二三日するうちに取り調べを受けるものゝ数が大分多くなつて来て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立てる様になつた。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。其説明には、英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を(くだ)したのだとあつた。

 日糖事件の起る少し前、東洋汽船といふ会社は、壱割二分の配当をした後の半期に、八十万円の欠損を報告した事があつた。それを代助は記憶して居た。其時の新聞が此報告を評して信を置くに足らんと云つた事も記憶してゐた。

 代助は自分の父と兄の関係してゐる会社に就ては何事も知らなかつた。けれども、いつ()んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた。さうして、父も兄もあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜敷しい吟味をされたなら、両方共拘引に(あたひ)する資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた。それ程でなくつても、父と兄の財産が、彼等の脳力と手腕丈で、誰が見ても(もつとも)と認める様に、作り上げられたとは(うけが)はなかつた。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与へた事がある。其時たゞ(もら)つた地面の御蔭で、今は非常な金満家になつたものがある。けれども是は寧ろ天の与へた偶然である。父と兄の如きは、此自己にのみ幸福なる偶然を、人為的に且政略的に、暖室(むろ)を造つて、(こしら)え上げたんだらうと代助は鑑定してゐた。 (青空文庫より)


◇評論

今話は、当時実際にあった日糖事件が扱われ、最近の父と兄の忙しさはこれに関係しているのではないかとの疑いが描かれる。前半部分の不気味さ、不吉さは、それらを象徴する。


「代助が嫂に失敗して帰つた」とは、三千代をサポートするための借金の申し出を断られたこと。


「代助が嫂に失敗して帰つた夜は、大分 ()けて」おり、「彼は(から)うじて青山の通りで、最後の電車を(つら)まえた位である」「にも拘はらず彼の話してゐる間には、父も兄も帰つて来なかつた。尤も其間に梅子は電話口へ二返呼ばれた。然し、嫂の様子に別段変つた所もないので、代助は此方(こつち)から進んで何にも聞かなかつた」。父と兄が何かに忙殺される外形が描かれる。次の部分から、何か不吉でよくない事が起こりそうな雰囲気が醸し出される。父と兄は仕事上の困難を、家庭に持ち込まない。その意味では、嫂に余計な心配をさせないという配慮が感じられ、家族はふたりによって守られている。

雨催(あめもよひ)の空が、地面と同じ様な色に見えた」…この世が暗黒に包まれる。

「停留所の赤い柱の(そば)に、たつた一人立つて電車を待ち合はしてゐると、遠い向ふから小さい火の玉があらはれて、それが一直線に暗い中を上下に揺れつつ代助の方に近づいて来るのが非常に淋しく感ぜられた」…「赤」はこの物語において重要な色であり、代助の精神の錯乱・狂気、破滅につながる不吉な色だ。しかも「火の玉」がそれに輪をかける。(死んだ)人の魂があたりを浮遊し、代助に接近する。この魂は三千代、代助自身、父や兄、いずれのケースも考えられる。「暗い中」を「上下に揺れ」る魂。代助はそれに、恐怖ではなく「淋し」さを感じる。不思議な心象風景であり、またこのさまよう魂は、この後の登場人物たちの不幸や破滅を想像させる。

電車に「乗り込んで見」ても、「誰も居な」い。ひとりぽっちの感覚。孤独。「黒い着物を着た車掌と運転手の間に挟まれて、一種の音に(うづ)まつて動いて行くと、動いてゐる車の外は真暗である」。まるで葬送の棺の中に入ってしまったかのような代助。「黒い」喪服に包まれた「車掌と運転手」は死神だ。その「間に挟まれ」、代助は逃げることができない。「真暗」な「車の外」。暗黒なあの世。「どこ迄も電車に乗つて、(つい)に下りる機会が来ない迄引つ張り(まは)される様な気がした」。死の闇に連れていかれようとする代助。夜の闇は死の世界と隣り合う。

取り巻くものはすべて黒・闇なのに、なぜか代助だけが「一人明るい中に腰を掛けて」いる。代助だけにあたるスポットライト。非常に映像的・演劇的なシーンだ。


真夜中の地震の「恐怖」。

「神楽坂」は「(ひつそり)とした路が左右の二階家に挟まれて、細長く前を(ふさ)いで」いる。「中途迄 (のぼ)つて来たら、それが急に鳴り出した」。「戸と障子と硝子の打ち合ふ音が、見る/\ (はげ)しくなつて、あゝ地震だと気が付いた時は、代助の足は立ちながら半ば(すく)んでゐた。其時代助は左右の二階家が坂を(うづ)むべく、双方から倒れて来る様に感じた」。さらに地震が激しくなり、建物が倒壊し、押しつぶされるのではないかという恐怖。

「すると、突然右側の潜(くゞ)り戸をがらりと開けて、小供を抱いた一人の男が、地震だ/\、大きな地震だと云つて出て来た。代助は其男の声を聞いて漸く安心した」。

暗闇の中、ひとりぽっちだった代助はここで、生きている・命を持つ他者の存在を確認し、「安心」するのだった。まるで死へと(いざな)われているような自分と同じように恐怖を感じている他者がいる不思議な安心感。(皆さん地震にお気をつけください)

ところでこの地震のシーンも、この後に説明される父や兄の立場の危うさの暗示・導入となっている。すべての登場人物に暗雲が立ち込める。


「家へ着いたら」以降の部分には、寝入る前に今日一日の反省・整理と対策をする代助の様子が描かれる。「三千代の依頼」の「分別を()らす」とは、借金の見通しを立てる意。


「結婚は愚図々々にして置かうと了簡を()めた」

重要事項の先送りの態度は、「こころ」の先生もそうだったが、やがて重大事件を巻き起こす。結局自分の首を絞めることになる。


「日糖事件」…明治42年(1909) 4月に起こった大日本製糖株式会社の疑獄事件をさす。この前後の新聞には毎日のようにこの事件に関する記事が大きく取り扱われている。漱石の当時の日記にも、「日糖会社破綻。重役拘引、代議士拘引。天下に拘引になる資格のないものは人間になる資格のないようなものじゃないかしらん」(明治42年4月16日)、「日糖社長酒匂常明ピストルヲモッテ自殺ス。会社ノ都合ヲ自己ノ責任ト解したるなり。新聞紙同情ス」(同7月12日)とある。(角川文庫注釈)

「疑獄」…(大臣などの)高官が関係する、大がかりな汚職事件。(三省堂「新明解国語辞典」)


日糖事件が新聞ざたとなり、さらに「二三日するうちに取り調べを受けるものゝ数が大分多くなつて来て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立てる様になつた」。実際に収賄を受けた議員は、20名に上った。

「ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称し」、「英国大使が日糖株を買ひ込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を(くだ)した」とした。政治家の汚職事件は洋の東西も時代も問わない。昔も今も同じだ。これに対する代助の態度は、「重役や代議士の拘引される」様子にも「それ程痛快にも思へなかつた」というものであり、これは現代社会の人々にも通ずるだろう。


世に汚職は多く、漱石が言うように、「天下に拘引になる資格のないものは人間になる資格のないようなものじゃないかしらん」ということになるのかもしれない。

「代助は自分の父と兄の関係してゐる会社に就ては何事も知らなかつた」が、「いつ()んな事が起るまいものでもないとは常から考へてゐた」し、「父も兄もあらゆる点に於て神聖であるとは信じてゐなかつた。もし八釜敷しい吟味をされたなら、両方共拘引に(あたひ)する資格が出来はしまいかと迄疑つてゐた」。代助は、「父と兄の財産が、彼等の脳力と手腕丈で、誰が見ても(もつとも)と認める様に、作り上げられた」とは思っていない。そこには何らかの不正が潜んでいると代助は考える。それが罪に問われるか否かは別として。「父と兄の」財産は、「人為的に且政略的に、暖室(むろ)を造つて、(こしら)え上げたんだらうと代助は鑑定してゐた」。

冷めた目で世と父・兄を眺める代助だが、振り返ると、彼や家族の豊かで文化的な生活はそれによって成り立っている。父・兄の金を受け取り生きている代助は、自覚するしないにかかわらず、世の不正に組することになる。しかし彼はそのことにまるで目をつぶっているかのようだ。全くそのことに思い至らない。良く言って、知らんぷりの態度だ。

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