夏目漱石「それから」本文と評論7-1
◇本文
代助は風呂へ這入つた。
「先生、何うです、御燗は。もう少し燃させませうか」と門野が突然入り口から顔を出した。門野は斯う云ふ事には能く気の付く男である。代助は、凝つと湯に浸つた儘、
「結構」と答へた。すると、門野が、
「ですか」と云ひ棄てゝ、茶の間の方へ引き返した。代助は門野の返事のし具合に、いたく興味を有つて、独りにや/\と笑つた。代助には人の感じ得ない事を感じる神経がある。それが為時々苦しい思ひもする。ある時、友達の御親爺さんが死んで、葬式の供に立つたが、不図其友達が装束を着て、青竹を突いて、柩のあとへ付いて行く姿を見て可笑しくなつて困つた事がある。又ある時は、自分の父から御談義を聞いてゐる最中に、何の気なく父の顔を見たら、急に吹き出したくなつて弱り抜いた事がある。自宅に風呂を買はない時分には、つい近所の銭湯に行つたが、其所に一人の骨骼の逞ましい三助がゐた。是が行くたんびに、奥から飛び出して来て、流しませうと云つては脊中を擦る。代助は其奴に体をごし/\遣られる度に、どうしても、埃及人に遣られてゐる様な気がした。いくら思ひ返しても日本人とは思へなかつた。
まだ不思議な事がある。此間、ある書物を読んだら、ウエーバーと云ふ生理学者は自分の心臓の鼓動を、増したり、減らしたり、随意に変化さしたと書いてあつたので、平生から鼓動を試験する癖のある代助は、ためしに遣つて見たくなつて、一日に二三回位怖々ながら試してゐるうちに、何うやら、ウエーバーと同じ様になりさうなので、急に驚ろいて已めにした。
湯のなかに、静かに浸つてゐた代助は、何の気なしに右の手を左の胸の上へ持つて行つたが、どん/\と云ふ命の音を二三度聞くや否や、忽ちウエーバーを思ひ出だして、すぐ流しへ下りた。さうして、其所に胡坐をかいた儘、茫然と、自分の足を見詰めてゐた。すると其足が変になり始めた。どうも自分の胴から生えてゐるんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所に無作法に横たはつてゐる様に思はれて来た。さうなると、今迄は気が付かなかつたが、実に見るに堪えない程醜くいものである。毛が不揃に延びて、青い筋が所々に蔓つて、如何にも不思議な動物である。
代助は又湯に這入つて、平岡の云つた通り、全たく暇があり過ぎるので、こんな事迄考へるのかと思つた。湯から出て、鏡に自分の姿を写した時、又平岡の言葉を思ひ出した。幅の厚い西洋 髪剃で、顎と頬を剃る段になつて、其鋭い刃が、鏡の裏で閃めく色が、一種むづ痒い様な気持を起こさした。是が烈敷くなると、高い塔の上から、遥かの下を見下ろすのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃り終つた。
茶の間を抜け様とする拍子に、
「何うも先生は旨いよ」と門野が婆さんに話してゐた。
「何が旨いんだ」と代助は立ちながら、門野を見た。門野は、
「やあ、もう御上がりですか。早いですな」と答へた。此挨拶では、もう一遍、何が旨いんだと聞かれもしなくなつたので、其儘書斎へ帰つて、椅子に腰を掛けて休息してゐた。
休息しながら、斯う頭が妙な方面に鋭どく働らき出しちや、身体の毒だから、些と旅行でもしやうかと思つて見た。一つは近来持ち上がつた結婚問題を避けるに都合が好いとも考へた。すると又平岡の事が妙に気に掛ゝつて、転地する計画をすぐ打ち消して仕舞つた。それを能く煎じ詰めて見ると、平岡の事が気に掛るのではない、矢っ張り三千代の事が気にかかるのである。代助は其所迄押して来ても、別段不徳義とは感じなかつた。寧ろ愉快な心持がした。 (青空文庫より)
◇評論
平岡との討論の後、「代助は風呂へ這入つた」。酔い覚ましもあるだろう。身体と心をきれいに洗い流す代助。
門野の、「先生、何うです、御燗は。もう少し燃させませうか」と言う言葉は、作者がすぐ前の飲み会の話題を承けたものだ。
門野はいつも「突然」で衝動的な行動をする。しかし今回の場合はそれが「斯う云ふ事には能く気の付く男である」という評価を得る。
「凝つと湯に浸つた」代助は、先ほどの討論の反省会を一人でしていただろう。そこに「突然」門野が顔を出したから、多少の驚きがあったはずだ。主人の入浴を覗いても何とも思わない門野。
代助の「結構」という単簡な答えは、主人であり年長である代助の位置からの返事であるとともに、代助が門野をその程度の存在としてしか考えていないことも表す。また、門野の無作法をとがめる意図もある。
これに対し門野の方も、「「ですか」と云ひ棄てゝ、茶の間の方へ引き返した」。養われている身としては、主人に失礼な言葉と態度だ。この場面に限らず、門野の代助への敬意は薄い。彼は代助を、自分と同類と考えている。
だから普通であれば代助が立腹してもおかしくないのだが、彼はそのようなことにあまりこだわらない。それどころか、「門野の返事のし具合に、いたく興味を有つて、独りにや/\と笑つた」。心の余裕とも取れるが、門野などどうでもいいし、いちいち腹を立てるのは面倒だと思っているのだろう。
このように「代助には人の感じ得ない事を感じる神経がある。それが為時々苦しい思ひもする」。神経が繊細・敏感なのだ。この後その説明が続く。
「友達の御親爺さんが死ん」だ「葬式」で、「不図其友達が装束を着て、青竹を突いて、柩のあとへ付いて行く姿を見て可笑しくなつて困つた事がある」。友人の父親の葬式で、その友人が儀式のために普段と違う姿で真面目な様子でいることに滑稽を感じる。不謹慎であるがゆえになおさらそのおかしさが募るのだろう。
「自分の父から御談義を聞いてゐる最中に、何の気なく父の顔を見たら、急に吹き出したくなつて弱り抜いた事がある」。代助は、その場の実際・現実ではなく、それとは関係のないことに興味がそそられる人だ。
「近所の銭湯」の「骨骼の逞ましい三助」が、「どうしても、埃及人に」感じられたのは、相手の荒々しい行動と様子からだろうが、これを神経過敏の例に持ち出すのは、やや相手を侮蔑する感がある。例としてあまり適切ではないように思う。
それで次に高級な例を続けたのだろう。
「不思議な事」の例。
「ウエーバーと云ふ生理学者は自分の心臓の鼓動を、増したり、減らしたり、随意に変化さしたと書いてあ」り、代助も「ためしに遣つて見たくなつて、一日に二三回位怖々ながら試してゐるうちに、何うやら、ウエーバーと同じ様になりさうなので、急に驚ろいて已めにした」。
心臓の鼓動は不随意であるはずなのに、それが自分の意志で随意に働きをコントロールすることができる。そのことに代助は驚きと不思議さを感じる。
物語の冒頭部分に、代助が胸の上に手を当てる場面がある。「鼓動のもと」に「温かい紅の血潮のゆるく流れるさまを想像し」、「これが命であると考え」る。「自分は今流れる命を掌でおさえているんだと考え」る。そうして、「この掌にこたえる、時計の針に似た響きは、自分を死に誘う警鐘のようなものであると考えた」。この後に有名な、「血を盛る袋が、時を盛る袋の用をかねなかったなら、いかに自分は気楽だろう。いかに自分は絶対に生を味わいうるだろう」という文言が続く。
この代助の考え方によれば、もし心臓の鼓動を自由にコントロールすることができれば、時間の流れもコントロールすることができるかもしれない、ということになる。しかしそれは神をも恐れぬ仕業だ。神の領域に人間が立ち入ることへの恐怖が、代助を「驚ろ」かせ、心臓を随意に動かす企みを「已め」させたのだ。
この場面でも「代助は、何の気なしに右の手を左の胸の上へ持つて行つたが、どん/\と云ふ命の音を二三度聞くや否や、忽ちウエーバーを思ひ出だして、すぐ流しへ下りた」。考えてみると、勝手に動くことによって自分の大切な命を存続させてくれる心臓・鼓動は「不思議」なものだ。その動きは自分の意志とは関わらないところが、不思議であり、またそこに恐怖も感じさせる。いつ勝手に突然止まるかもしれないからだ。
「不思議」な例が続く。
「自分の足」を「見詰めて」いると、「其足が変になり始めた」。「自分の胴から生えてゐるんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所に無作法に横たはつてゐる様に思はれて来」て、「見るに堪えない程醜く」さや、「不思議」さを感じる。自分とは関係のない「動物」がそこにあるという、いつも見慣れた自分の足への異質感・異物感。
代助の違和感は、初めの3つは他者から受ける感覚・感想だが、あとの2つは自身の身体に対する異物感だ。特に最後の、足に関する考察は、自身の身体に誇りを持つ代助には珍しく、「自分とは全く無関係」、「無作法に横たはつてゐる」、「見るに堪えない程醜くい」「不思議な動物」と感じる。
〇copilotに質問してみた
質問「からだが自分のものではない感覚」
解答「それはとても不安な感覚ですね。もしかして、解離性障害やストレスが原因かもしれません。最近、特にストレスを感じる出来事がありましたか? また、他にどのような症状がありますか? 話すことで少しでも気持ちが楽になるかもしれません。」
質問「からだが自分のものじゃない感覚」
解答「それはとても不安な感覚ですね。もしかして、離人感や現実感喪失と呼ばれる状態かもしれません。これらは、ストレスや不安、疲労などが原因で起こることがあります。この感覚が頻繁に起こる場合や、日常生活に支障をきたしている場合は、専門家に相談することをお勧めします。心の健康はとても大切ですので、無理をせずにサポートを求めてくださいね。何か他にお手伝いできることがあれば教えてください。」
代助は専門医の診察・治療が必要なようだ。
代助は「平岡の云つた通り、全たく暇があり過ぎるので、こんな事迄考へるのかと思つた」。
「幅の厚い西洋 髪剃で、顎と頬を剃る段になつて、其鋭い刃が、鏡の裏で閃めく色が、一種むづ痒い様な気持を起こさした。是が烈敷くなると、高い塔の上から、遥かの下を見下ろすのと同じになるのだと意識しながら、漸く剃り終つた」。
この「一種むづ痒い様な気持」は、「高い塔の上から、遥かの下を見下ろすのと同じ」気持ちであり、少しの誤りですぐにでも簡単に命を落としてしまうという恐怖。さらには、自らそうしてしまう誘惑に駆られる気持ちも含むかもしれない。
湯から上がり、茶の間を抜けようとすると、「「何うも先生は旨いよ」と門野が婆さんに話してゐた」。この言葉に代助をほめる気持ちは感じられない。逆に、「うまくやりやがって」という批判の意味が込められているように聞こえる。だから代助は、「何が旨いんだ」と、立ったまま門野を見る。門野は、「やあ、もう御上がりですか。早いですな」とごまかす。代助はこだわらずにやり過ごし、「其儘書斎へ帰つて、椅子に腰を掛けて休息してゐた」。
「斯う頭が妙な方面に鋭どく働らき出しちや、身体の毒だから、些と旅行でもしやうかと思つて見た。一つは近来持ち上がつた結婚問題を避けるに都合が好いとも考へた」。しかし「三千代の事が気にかか」り、「転地する計画をすぐ打ち消して仕舞つた」。
「代助は其所迄押して来ても、別段不徳義とは感じなかつた。寧ろ愉快な心持がした」。
この代助の考え方と態度について、まだ実際の行動には出ていないながらも「不徳義」だとする人も多いだろう。人妻への横恋慕・不倫。この気持ちを現実化すると、平岡から慰謝料請求を受けることになる。いけない遊びに「愉快」を感じる危険な代助。やはり暇ゆえか。
「不徳義」…徳義にそむくこと。
「徳義」…社会生活上、互いに守るべき義務。(三省堂「新明解国語辞典」)
「社会生活」において愛を成就させるには、「徳義」を守ることが求められる。代助と平岡と三千代には、「互いに守るべき義務」があるのだが、平岡は既に破り、やがて代助と三千代にも破られる。




