夏目漱石「それから」本文と評論6-7
◇本文
平岡は膳の上の肴を二口三口、箸で突ついて、下を向いた儘、むしや/\云はしてゐたが、やがて、どろんとした眼を上げて、云つた。――
「今日は久し振ぶりに好い心持に酔つた。なあ君。――君はあんまり好い心持にならないね。何うも怪しからん。僕が昔の平岡常次郎になつてるのに、君が昔の長井代助にならないのは怪しからん。是非なり給へ。さうして、大いに遣つて呉れ給へ。僕も是から遣る。から君も遣つて呉れ給へ」
代助は此言葉のうちに、今の自己を昔に返さうとする真卒な又無邪気な一種の努力を認めた。さうして、それに動かされた。けれども一方では、一昨日、食つた麺麭を今返せと強請られる様な気がした。
「君は酒を呑むと、言葉丈酔払つても、頭は大抵確かな男だから、僕も云ふがね」
「それだ。それでこそ長井君だ」
代助は急に云のが厭になつた。
「君、頭は確かかい」と聞いた。
「確かだとも。君さへ確かなら此方は何時でも確かだ」と云つて、ちやんと代助の顔を見た。実際自分の云ふ通りの男である。そこで代助が云つた。――
「君はさつきから、働らかない/\と云つて、大分僕を攻撃したが、僕は黙つてゐた。攻撃される通り僕は働らかない積だから黙つてゐた」
「何故働らかない」
「何故働らかないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働らかないのだ。第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許が借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴つてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所どこを見渡したつて、輝やいてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其間に立つて僕一人が、何と云つたつて、何を為たつて、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂有りの儘の世界を、有の儘で受取つて、其中僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外の人を、此方の考へ通りにするなんて、到底出来た話ぢやありやしないもの――」
代助は一寸息を継いだ。さうして、一寸窮屈さうに控えてゐる三千代の方を見て、御世辞を遣つた。
「三千代さん。どうです、私の考へは。随分呑気で宜いでせう。賛成しませんか」
「何だか厭世の様な呑気の様な妙なのね。私よく分らないわ。けれども、少し胡麻化して入らつしやる様よ」
「へええ。何処ん所を」
「何処ん所つて、ねえ貴方」と三千代は夫を見た。平岡は股の上へ肱を乗せて、肱の上へ顎を載せて黙つてゐたが、何にも云はずに盃を代助の前に出した。代助も黙つて受けた。三千代は又酌をした。 (青空文庫より)
◇評論
酔っ払いの論理につきあうのは、三千代ならずとも嫌気がさすが、仕方がない。そこに本音・真実が述べられると期待して読み進めることにする。
酔いのうちに、「真卒な又無邪気な一種の努力」をする平岡に対し、代助はあくまでも冷ややかだ。相手が正気であることを確認した後、代助は長々と自説を述べる。
「僕は働らかない積だ」。その理由は、「世の中が悪」く、「日本対西洋の関係が駄目だから」。日本は大変な借金をしており、またそう「でもしなければ、到底立ち行かない国」なのに、「一等国を以て任じてゐる」。「無理にも一等国の仲間入をしやうとする」。そのために、「あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた」。「其影響はみんな我々個人の上に反射してゐる」。「西洋の圧迫を受け」「頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない」。「悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ」。「話をして」も「大抵は馬鹿だ」。「自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない」。「考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない」。「精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴つてゐる」だけでなく、「道徳の敗退も一所に来てゐる」。日本は「悉く暗黒」であり、「僕一人が、何と云つたつて、何を為たつて、仕様がない」。
自分は「元来怠けもの」だ。しかし「日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望」であり、「さうなれば遣る事はいくらでもある」。「僕の怠惰性に打ち勝つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来るだらう」。
今の日本の状態では、「僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂有りの儘の世界を、有の儘で受取つて、其中僕に尤も適したものに接触を保つて満足する」。なぜかというと、「進んで外の人を、此方の考へ通りにするなんて、到底出来た話ぢやありやしない」からだ。
以上の「働かない」論理をまとめる。
結論…自分は決して働かない
理由…世の中が悪い。日本対西洋の関係が駄目。
説明…日本は大変な借金をしているのに無理に一等国の仲間入をしようとしている。切り詰めた教育で、目の廻る程こき使われるから、神経衰弱や道徳の敗退が生じている。そのような日本において自分ひとりが何を言っても何をしても仕方がない。
日本が精神的、徳義的、身体的に健全なら、遣る事はいくらでもある。
しかし今の状態では、自分ひとりの世界におり、世の中で自分にもっとも適したものに接触を保って満足する。
汚れた愚鈍な外界から自分の身を守るため、代助は貝になりたいようだ。
自分が働かない理由を世間のせいにしてまくしたてる代助の論法に、三千代は「一寸窮屈さうに控えてゐる」。
その様子を見て代助は、いわば慌てて「御世辞を遣つた」。
「三千代さん。どうです、私の考へは。随分呑気で宜いでせう。賛成しませんか」
こんなことをいきなり聞かれても、三千代にしてみればいい迷惑だ。ここでも先ほどと同じく、三千代がいいだしに使われている。だから三千代はまた、先の丸い錐で、代助を的確に突く。
「何だか厭世の様な呑気の様な妙なのね。私よく分らないわ。けれども、少し胡麻化して入らつしやる様よ」
代助はこの言葉で降参すればよかったのだ。しかし彼は「へええ。何処ん所を」と論理・事理を極めようとする。
仕方なく三千代は「何処ん所つて、ねえ貴方」と夫を見たが、平岡は何かを考えるそぶりで「何にも云はずに盃を代助の前に出した」。既に会話とコミュニケーションは成立していない。平岡はこうとでもするしか代助に対応するすべがないのだ。「代助も黙つて受けた。三千代は又酌をした」。
それなのに次話でもふたりの会話は続く。




