夏目漱石「それから」本文と評論6-4
◇本文
平岡の家は、此十数年来の物価騰貴に伴れて、中流社会が次第々々に切り詰められて行く有様を、住宅の上に善く代表してゐる、尤も粗悪な見苦しき構へである。とくに代助には左様見えた。
門と玄関の間が一間位しかない。勝手口も其通りである。さうして裏にも、横にも同じ様な窮屈な家が建てられてゐる。東京市の貧弱なる膨脹に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割乃至三割の高利に廻さうと目論で、あたぢけなく拵らへ上げた、生存競争の記念である。
今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所に此種の家が散点してゐる、のみならず、梅雨に入つた蚤の如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつゝある。代助はかつて、是を敗亡の発展と名づけた。さうして、之を目下の日本を代表する最好の象徴とした。
彼等のあるものは、石油缶の底を継ぎ合はせた四角な鱗で蔽はれてゐる。彼等の一つを借りて、夜中に柱の割れる音で眼を醒まさないものは一人もない。彼等の戸には必ず節穴がある。彼等の襖は必ず狂ひが出ると極つてゐる。資本を頭の中へ注ぎ込んで、月々頭から利息を取つて生活しやうと云ふ人間は、みんな斯ういふ所を借りて立て籠つてゐる。平岡も其 一人である。
代助は垣根の前を通るとき、先づ其屋根に眼が付いた。さうして、どす黒い瓦の色が妙に彼の心を刺激した。代助には此光のない土の板が、いくらでも水を吸ひ込む様に思はれた。玄関前に、此間引越のときに解いた菰包(こもづゝみ)の藁屑がまだ零れてゐた。座敷へ通ると、平岡は机の前へ坐つて、長い手紙を書き掛けてゐる所であつた。三千代は次の部屋で簟笥の環をかたかた鳴らしてゐた。傍に大きな行李が開けてあつて、中から奇麗な長繻絆の袖が半分出かかつてゐた。
平岡が、失敬だが鳥渡待つて呉れと云つた間に、代助は行李と長繻絆と、時々行李の中へ落ちる繊い手を見てゐた。襖は明けた儘 閉て切る様子もなかつた。が三千代の顔は陰になつて見えなかつた。
やがて、平岡は筆を机の上へ抛げ付ける様にして、座を直した。何だか込み入つた事を懸命に書いてゐたと見えて、耳を赤くしてゐた。眼も赤くしてゐた。
「何うだい。此間は色々難有う。其後 一寸礼に行かうと思つて、まだ行かない」
平岡の言葉は言訳と云はんより寧ろ挑戦せんの調子を帯びてゐる様に聞こえた。襯衣も股引(もゝひき)も着けずにすぐ胡坐をかいた。襟を正しく合はせないので、胸毛が少し出ゝゐる。
「まだ落ち付かないだらう」と代助が聞いた。
「落ち付く所か、此分ぢや生涯落ち付きさうもない」と、いそがしさうに烟草を吹かし出した。
代助は平岡が何故こんな態度で自分に応接するか能く心得てゐた。決して自分に中るのぢやない、つまり世間に中るんである、否 己に中つてゐるんだと思つて、却つて気の毒になつた。けれども代助の様な神経には、此調子が甚だ不愉快に響いた。たゞ腹が立たない丈である。
「宅の都合は、どうだい。間取りの具合は可ささうぢやないか」
「うん、まあ、悪くつても仕方がない。気に入つた家へ這入らうと思へば、株でも遣るより外に仕様がなからう。此頃東京に出来る立派な家はみんな株屋が拵へるんだつて云ふぢやないか」
「左様かも知れない。其代り、あゝ云ふ立派な家が一軒立つと、其 陰に、どの位沢山な家が潰れてゐるか知れやしない」
「だから猶住み好いだらう」
平岡は斯う云つて大いに笑つた。其所へ三千代が出て来た。先達てはと、軽く代助に挨拶をして、手に持つた赤いフランネルのくる/\と巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、代助に見せた。
「何ですか、それは」
「赤ん坊の着物なの。拵へた儘、つい、まだ、解かずにあつたのを、今 行李の底を見たら有つたから、出して来たんです」と云ひながら、附紐を解いて筒袖(つゝそで)を左右に開いた。
「こら」
「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊して雑巾にでもして仕舞へ」 (青空文庫より)
◇評論
今話でも代助の文明・社会批評が、舌鋒鋭く開陳される。平岡などからは批判されるのだが、それは確かに、働いておらず時間と学問のある代助だからこそできる仕業だ。
「此十数年来の物価騰貴に伴れて、中流社会が次第々々に切り詰められて行く有様」
まるで現在の日本のようだ。
それを「住宅の上に善く代表してゐる、尤も粗悪な見苦しき構へ」
これも現在の日本によく見る住宅だ。
「門と玄関の間が一間位しかない」。「勝手口も其通り」。「裏にも、横にも同じ様な窮屈な家が建てられてゐる」。「東京市の貧弱なる膨脹に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割乃至三割の高利に廻さうと目論で、あたぢけなく拵らへ上げた、生存競争の記念」。
「記念」に「かたみ」と言うルビが付されている(またはその逆か)ところが意味深い。そんな「かたみ」は残すべきではないし、ましてや良い「記念」にはなりえないという意味。
現代のワンルームマンションは、投機の対象にすらなりえない。わずかな儲けは建設・販売会社にしか入らない。そんな安普請がニョキニョキと隙間なく林立する現代東京。昔も今も変わらぬ風景が広がる。「貧弱なる膨脹」は今も同じだ。さらに現在は、虚構経済とでも呼ぶべき様々な投資に国までが顔を出す「見苦し」さ。「敗亡の発展」は今も続く。
「石油缶の底を継ぎ合はせた四角な鱗で蔽はれてゐる」。「夜中に柱の割れる音で眼を醒まさないものは一人もない」。「戸には必ず節穴がある」。「襖は必ず狂ひが出ると極つてゐる」。劣悪な住まい。
「資本を頭の中へ注ぎ込んで、月々頭から利息を取つて生活しやうと云ふ人間」とは、大学を出て官庁や会社で働く者たちだ。彼らは、日本の文化も西洋文明も完全に否定した「斯ういふ所を借りて立て籠つてゐる」。そのような場所にしか、彼らの居場所は設定されていないところを、「立て籠つてゐる」と表現しているのだろう。そんなところに立て籠もりたい人間はいない。しかし他に選択肢がない。
「貧弱なる膨脹」を続ける東京の、貧弱なる住まいに住む平岡。場所は、そこに住む人の精神をも表す。平岡の精神も「貧弱」だと代助は思っている。
「生存競争の記念」・「敗亡の発展」の「象徴」である東京の貧弱な住まい。そこに住む貧弱なる精神の人々。近代を迎えた明治もこの時すでに40年を過ぎている。その結果がこの惨状だった。
平岡の住む家の屋根には、「どす黒い瓦の色」が載っている。代助は色彩に敏感だ。彼の心はその色に「刺激」され、影響を受ける。
「光のない土の板が、いくらでも水を吸ひ込む様に思はれた」。
瓦は、生きるためには何でもしなければならない平岡の貪欲さを象徴している。平岡の腹も「どす黒い」。
「玄関前に、此間引越のときに解いた菰包(こもづゝみ)の藁屑がまだ零れてゐた」。
いつまでも片付かない、平岡の人生の象徴。
「座敷へ通ると、平岡は机の前へ坐つて、長い手紙を書き掛けてゐる所であつた」。
この手紙のあて名とその内容が、読者は気になるところであり、後の伏線となっている。
「三千代は次の部屋で簟笥の環をかたかた鳴らしてゐた。傍に大きな行李が開けてあつて、中から奇麗な長繻絆の袖が半分出かかつてゐた」。
タンスや行李は、その中身を他人には見せない私的空間であり所有物だ。だから、「中から奇麗な長繻絆の袖が半分出かかつてゐた」というのは、とてもエロティックな場面。当然これは、代助を、先ほどの瓦とは別の意味で「刺激」する。引っ越しの後片付けの場面とはいえ、まるで三千代本人の着崩れを盗み見てしまったような感応を、代助は得ただろう。好きな相手である。その肌着が半分出かかるさまを見てしまったら、ふつうは見て見ぬふりをするか、目をそらす場面だ。しかし代助はそうしない。意外に彼は大胆だ。前には夫がいる。
「平岡が、失敬だが鳥渡待つて呉れと云つた間に、代助は行李と長繻絆と、時々行李の中へ落ちる繊い手を見てゐた」。
これはぶしつけな行動だ。昔からの友人とはいえ、ちょっと待てと言われたことを言い訳に、人妻の襦袢と「繊い手」を眺め続ける代助。
一方、三千代は三千代で、こちらも恥じらいがない。
「襖は明けた儘 閉て切る様子もなかつた」。
隣室に代助がいることを三千代は承知している。だから彼女は、わかった上でわざとこうしている。罪な女であり、代助を巣に掛けるクモのようだ。三千代の側からの誘惑。
しかも彼女の表情をうかがうことはできない。「三千代の顔は陰になつて見えなかつた」。これもわざとそうしている。自分の表情を見せないことは、代助の想像と恋情を高めることを、彼女は知っている。案の定、代助は三千代のたくらみにやすやすと引っかかってしまった。
平岡が「懸命に書いてゐた」「込み入つた事」は、後に明らかにされる。その内容は、平岡の「耳を赤くし」、「眼も赤く」する。彼を興奮させる内容だ。そうしてそれは、平岡の次の言葉と態度につながる。
「「何うだい。此間は色々難有う。其後 一寸礼に行かうと思つて、まだ行かない」
平岡の言葉は言訳と云はんより寧ろ挑戦せんの調子を帯びてゐる様に聞こえた」。
世話になった礼を、社交上一応しておこうという言葉と態度。平岡は代助に「挑戦」的な何かを胸に持つ。
「まだ落ち付かないだらう」という友人としての代助の言葉に、「「落ち付く所か、此分ぢや生涯落ち付きさうもない」と、いそがしさうに烟草を吹かし出した」。
学生時代からの友人の交流の場面ともとれるが、まるで代助にあてつけるかのような平岡の態度は、代助の「神経」を逆なでしたろう。平岡が「生涯落ち付きさうもない」ことや、「いそがしさう」なのは、彼自身のせいだ。友人に向かってそれを吐き出しても仕方がない。
代助は、なぜ平岡が「こんな態度で自分に応接する」のかを「能く心得てゐた。決して自分に中るのぢやない、つまり世間に中るんである、否 己に中つてゐるんだと思つて、却つて気の毒になつた」。
随分友人思いの男だ。心の余裕をもって、相手のいら立ちを柔らかく受けとめようとする代助。
当然、「代助の様な神経には、此調子が甚だ不愉快に響いた」。しかし彼は、腹を立てない。友人の困難な状況を理解し、そのいらだちを受け流そうとする。
つい先ほどは三千代のエロに敏感に反応していた悪い奴だったが、次の瞬間には、荒れる友人を優しく包む良い奴になっている。代助の方も「いそがし」い。
「宅の都合は、どうだい。間取りの具合は可ささうぢやないか」
愛想のいい言葉。代助は全くそうは思っていない。しかし窮状にある今の平岡にはこのような住家しかなく、それを代助自身仕方なく受け入れた上での発言。
「うん、まあ、悪くつても仕方がない。気に入つた家へ這入らうと思へば、株でも遣るより外に仕様がなからう。此頃東京に出来る立派な家はみんな株屋が拵へるんだつて云ふぢやないか」
これがそのまま現在の日本に当てはまってしまうのが悲しい。
「左様かも知れない。其代り、あゝ云ふ立派な家が一軒立つと、其 陰に、どの位沢山な家が潰れてゐるか知れやしない」
株と物価ばかりが高騰し、庶民は貧困化。中間層は消え、二極化が進む。
「だから猶住み好いだらう」
随分ブラックな批評だ。「潰れてゐる」側の平岡の怨嗟の言葉。彼の大笑いは、空しく響く。
其所へ三千代が出て来た。先達てはと、軽く代助に挨拶をして、手に持つた赤いフランネルのくる/\と巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、代助に見せた。
「何ですか、それは」
「赤ん坊の着物なの。拵へた儘、つい、まだ、解かずにあつたのを、今 行李の底を見たら有つたから、出して来たんです」と云ひながら、附紐を解いて筒袖(つゝそで)を左右に開いた。
「こら」
「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊して雑巾にでもして仕舞へ」
死んだ「赤ん坊の着物」を突然目の前に出され、代助は大変戸惑っただろう。しかも三千代は、「附紐を解いて筒袖(つゝそで)を左右に開いた」。非常に対応に困る場面だ。その中に入るはずの赤子はいない。
三千代の行動と言葉は、とても無邪気だ。ふつうは、そのようなものを、いくら友人だからといって見せはしない。見せられた相手は困ってしまう。
そのように考えると、三千代のこの言葉と行動はとても不可思議だ。なぜ三千代は、わざわざこのようなことをしたのだろう。そこにある意図は何か。ということになる。
「付け紐」…(子供の)着物の胴に縫い付けてある紐。(三省堂「新明解国語辞典」)
画像
https://kimono-kirunara.com/yukata/kids-tukehimo.htmlより
以前代助が、「子供は惜しいことをしたね」と平岡に言い、平岡が「うん。可哀想なことをした。その節はまた御丁寧にありがとう。どうせ死ぬくらいなら生まれないほうがよかった。」と答える場面があった。
まるで良いものを見せびらかすように代助の前に広げる三千代。死んだ子供の遺品を見せびらかすという行動は、下品で眉を顰めたくなるだろう。この場面の三千代は、手柄を誇るような態度と言っても過言ではない。
これらから導き出される三千代の心理は、次のようなものになるだろう。
「子供の死という事実を、代助に示したかった。平岡とのきずなは断たれた。私の心はあなたにある。」
三千代の行動は、そうとしか読めないし、理解できない。
襦袢のチラ見せ。
自分には子供は無く、夫とのつながりが無くなったことのアピール。
しかし、隣に夫がいる前で、よくこんなことができるものだ。
怖い女だ。
「こら」…①
「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊して雑巾にでもして仕舞へ」…②
この二つのセリフは、普通に読むとふたりの人物の発言となる。そうすると、①と②はそれぞれ誰かということになる。
②は当然平岡なのだが、①がわからない。いくら昔からの友人だからといって、代助が人妻に「こら(そんなものを出すな)」とは言わないし言えないだろう。
したがってこの二つは、①も②も平岡のセリフということになる。それではなぜ分けて書かれているのかということになるが、三千代の意外な行動に平岡は、とっさに「こら」と強く叱り、その後でその理由を説明したと捉えるのがよいだろう。変わった表記の仕方だ。




