夏目漱石「それから」本文と評論6-3
◇本文
午過になつてから、代助は自分が落ち付いてゐないと云ふ事を、漸く自覚し出した。腹のなかに小さな皺が無数に出来て、其皺が絶えず、相互の位地と、形状とを変かへて、一面に揺いてゐる様な気持がする。代助は時々斯う云ふ情調の支配を受ける事がある。さうして、此種の経験を、今日迄、単なる生理上の現象としてのみ取り扱つて居つた。代助は昨日兄と一所に鰻を食くつたのを少し後悔した。散歩がてらに、平岡の所へ行て見やうかと思ひ出したが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかつた。婆さんに着物を出さして、着換へやうとしてゐる所へ、甥の誠太郎が来た。帽子を手に持つた儘、恰好の好い円い頭を、代助の頭へ出して、腰を掛けた。
「もう学校は引けたのかい。早過ぎるぢやないか」
「ちつとも早かない」と云つて、笑ひながら、代助の顔を見てゐる。代助は手を敲(たゝ)いて婆さんを呼んで、
「誠太郎、チヨコレートを飲むかい」と聞いた。
「飲む」
代助はチヨコレートを二杯命じて置いて誠太郎に調戯ひだした。
「誠太郎、御前はベースボール許遣るもんだから、此頃手が大変大きくなつたよ。頭より手の方が大きいよ」
誠太郎はにこ/\して、右の手で、円い頭をぐる/″\ 撫でた。実際大きな手を持つてゐる。
「叔父さんは、昨日御父さんから奢つて貰つたんですつてね」
「あゝ、御馳走になつたよ。御蔭で今日は腹具合が悪くつて不可ない」
「又神経だ」
「神経ぢやない本当だよ。全たく兄さんの所為だ」
「だつて御父さんは左様云つてましたよ」
「何て」
「明日学校の帰りに代助の所へ廻つて何か御馳走して貰へつて」
「へえゝ、昨日の御礼にかい」
「えゝ、今日は己が奢つたから、明日が向ふの番だつて」
「それで、わざ/\遣つて来たのかい」
「えゝ」
「兄の子丈あつて、中々(なかなか)抜けないな。だから今チヨコレートを飲まして遣るから可いぢやないか」
「チヨコレートなんぞ」
「飲まないかい」
「飲む事は飲むけれども」
誠太郎の注文を能く聞いて見ると、相撲が始まつたら、回向院へ連れて行つて、正面の最上等の所で見物させろといふのであつた。代助は快(こゝろよ)く引き受けた。すると誠太郎は嬉しさうな顔をして、突然、
「叔父さんはのらくらして居るけれども実際偉いんですつてね」と云つた。代助も是には一寸呆れた。仕方なしに、
「偉いのは知れ切つてるぢやないか」と答へた。
「だつて、僕は昨夕始めて御父さんから聞いたんですもの」と云ふ弁解があつた。
誠太郎の云ふ所によると、昨夕兄が宅へ帰つてから、父と嫂と三人して、代助の合評をしたらしい。小供のいふ事だから、能く分からないが、比較的頭が可いので、能く断片的に其時の言葉を覚えてゐる。父は代助を、どうも見込がなささうだと評したのださうだ。兄は之に対して、あゝ遣つてゐても、あれで中々解つた所がある。当分 放つて置くが可い。放つて置いても大丈夫だ、間違はない。いづれ其内に何か遣るだらうと弁護したのださうだ。すると嫂がそれに賛成して、一週間許り前 占者に見てもらつたら、此人は屹度人の上に立つに違ないと判断したから大丈夫だと主張したのださうだ。
代助はうん、それから、と云つて、始終面白さうに聞いて居たが、占者の所へ来たら、本当に可笑しくなつた。やがて着物を着換へて、誠太郎を送りながら表へ出て、自分は平岡の家を訪ねた。 (青空文庫より)
◇評論
前回は堅苦しい文明批評だったが、今回は甥の誠太郎のおかげで、読者も涼むことができる。このあたりの漱石の呼吸が巧みだ。
代助が「落ち付いてゐない」原因は三千代であり、彼女への「誠の愛」をどう扱うかに、やがて代助は苦悩することになる。ここはまだそれは表面化・現象化していない。ただ、わずかな「自覚」が顔を出し始めている。「腹のなかに小さな皺が無数に出来て、其皺が絶えず、相互の位地と、形状とを変かへて、一面に揺いてゐる様な気持がする」。この「情調の支配」についてこれまでは「単なる生理上の現象としてのみ取り扱つて居つた」代助だったが、そうではないことを彼は自覚し始める。腹の中のムズムズは「昨日兄と一所に鰻を食くつた」のが理由なのではなく、「平岡の所」にいる三千代が原因なのだ。だから代助は、「散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかつた」ということになる。
三千代という目的物へ向かおうとする代助のもとに、甥の誠太郎がひょっこり顔を出す。甥の子供らしいいたずらな受け答えにより、物語に水入りの感がある。しかし子供はトリックスターであり、物語の展開に意外な影響を及ぼす。
「帽子を手に持つた儘、恰好の好い円い頭を、代助の頭へ出して、腰を掛けた」。
カワイイ。ちなみに誠太郎は15歳であることは、前に示されている。
「「もう学校は引けたのかい。早過ぎるぢやないか」
「ちつとも早かない」と云つて、笑ひながら、代助の顔を見てゐる。」
子供のくせに生意気な態度と言葉だ。代助はそれを柔らかく受けとめる。
「代助は手を敲(たゝ)いて婆さんを呼んで、
「誠太郎、チヨコレートを飲むかい」と聞いた。
「飲む」」
子供には甘いものを与えるのが、一番の機嫌取りであり懐柔策だ。「飲む」という返事が、ふたりの関係性を表す。
代助は、年少者相手にちょっかいを出すような「調戯ひ」方をする。ベースボールばかりやっているから、頭より手の方が大きいという代助の言葉に対し、誠太郎も「にこ/\して、右の手で、円い頭をぐる/″\ 撫でた」。誠太郎はわざとこのような行動をすることで、代助のからかいを楽しんでいるのだ。
甥も負けてはいない。
「叔父さんは、昨日御父さんから奢つて貰つたんですつてね」
これを理由に、誠太郎も代助に何かをねだろうとしている。
しかし代助は、「あゝ、御馳走になつたよ。御蔭で今日は腹具合が悪くつて不可ない」と、話題を変える。
それに対し誠太郎は、新たに、「又神経だ」と、代助の「神経」に矛先を向ける。
代助は、「神経ぢやない本当だよ。全たく兄さんの所為だ」と、腹具合が悪いのは、自分に鰻を食わせたせいだと、こちらも批判対象を兄に変化させる。
誠太郎は、「だつて御父さんは左様云つてましたよ」、と言うことで、「明日学校の帰りに代助の所へ廻つて何か御馳走して貰へつて」と、話題を無理やり元に戻す。子供ながらも頭が働く。
これには代助も、「へえゝ、昨日の御礼にかい」と言わざるを得ない。この後の話題は、これをテーマに進む。
「今日は己が奢つたから、明日が向ふの番だつて」というダメ押しに、「それで、わざ/\遣つて来たのかい」と責める口調の代助だが、誠太郎は、単簡に「えゝ」と答える。代助が言うとおり、「兄の子丈あつて、中々(なかなか)抜けない」甥だ。兄貴と甥の両者を同時批判。
チヨコレートで我慢しろと言うが、「チヨコレートなんぞ」と不満顔。
わざと「飲まないかい」と言うと、「飲む事は飲むけれども」と煮え切らない返事だが、結局飲むのだ。さらに、その上にねだりたいものを上乗せする。
代助は、「誠太郎の注文を能く聞いて」あげる。甥の要求は、相撲を回向院の「正面の最上等の所で見物させろといふのであつた」。
「快(こゝろよ)く引き受けた」代助に、「嬉しさうな顔」の誠太郎。
彼は「突然」、「叔父さんはのらくらして居るけれども実際偉いんですつてね」と言う。子供ながらも、相手のこころをくすぐり喜ばせる手管を知っている。
甥のこの言葉は突然で、「偉い」の真意を測りかねた「代助も是には一寸呆れた」。それで「仕方なしに、「偉いのは知れ切つてるぢやないか」」と偉そうに答える。
「僕は昨夕始めて御父さんから(偉いと)聞いた」からは、これまで兄が代助のことをどう評価していたかがうかがわれる。
どうやら代助の知らぬ間に、代助の品評会が行われたようだ。
「昨夕兄が宅へ帰つてから、父と嫂と三人して、代助の合評をしたらしい」。父は、「どうも見込がなささうだと評した」。兄は「あゝ遣つてゐても、あれで中々解つた所がある。当分 放つて置くが可い。放つて置いても大丈夫だ、間違はない。いづれ其内に何か遣るだらうと弁護した」。「すると嫂がそれに賛成して、一週間許り前 占者に見てもらつたら、此人は屹度人の上に立つに違ないと判断したから大丈夫だと主張したのださうだ。」
父の見込みが一番正当だし合っている。兄の、「放つて置いても大丈夫だ、間違はない」という評価は、やがて裏切られることになる。「いづれ其内に何か遣るだらう」というのは、やがて逆の意味に作用するのだ。これに対し、占い師に代助を見立てさせるところは、いかにも嫂らしいふるまいだ。また、このエピソードから、普段から嫂は代助のことを気にかけていることがわかる。しかも彼女は占い師の判断に賛成のようだ。「屹度人の上に立つに違ない」という「判断」を、嫂もしていることになる。
自分に対するこれらの評定を、代助は「面白さうに聞いて居た」。「占者の所へ来たら、本当に可笑しくなつた」。自分の知らないところで、家族たちがこんな会話をし、しかも自分への本音が垣間見られたので、面白かったのだ。父はあいかわらず自分に厳しいが、兄と嫂は自分を肯定してくれていることがわかった。その愉快さもあっただろう。
心の軽さを感じた代助は、誠太郎を送りつつ平岡の家に向かう。心のムズムズの原因となっている相手を訪ねるのだ。その意味では甥の来訪・存在が、「散歩がてらに、平岡の所へ行て見やうかと思ひ出したが、散歩が目的か、平岡が目的か、自分には判然たる区別がなかつた」と躊躇する代助を三千代へと向かわせる動機づけとなったと言える。これがトリックスターの持つ力だ。




