夏目漱石「それから」1-2
◇本文
約三十分の後彼は食卓に就いた。熱い紅茶を啜(すゝ)りながら焼麺麭に牛酪を付けてゐると、門野と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。四つ折りにしたのを座布団の傍へ置きながら、
「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかけた。此書生は代助を捕まへては、先生先生と敬語を使ふ。代助も、はじめ一二度は苦笑して抗議を申し込んだが、えへゝゝ、だつて先生と、すぐ先生にして仕舞ふので、已を得ず其儘にして置いたのが、いつか習慣になつて、今では、此男に限つて、平気に先生として通してゐる。実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云ふことを、書生を置いて見て、代助も始めて悟つたのである。
「学校騒動の事ぢやないか」と代助は落付いた顔をして麺麭を食つて居た。
「だつて痛快ぢやありませんか」
「校長排斥がですか」
「えゝ、到底辞職もんでせう」と嬉しがつてゐる。
「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事でもあるんですか」
「冗談云つちや不可(いけ(ません。さう損得づくで、痛快がられやしません」
代助は矢つ張り麺麭を食つてゐた。
「君、あれは本当に校長が悪らしくつて排斥するのか、他に損得問題があつて排斥するのか知つてますか」と云ひながら鉄瓶の湯を紅茶々碗の中へ注した。
「知りませんな。何ですか、先生は御存じなんですか」
「僕も知らないさ。知らないけれども、今の人間が、得にならないと思つて、あんな騒動をやるもんかね。ありや方便だよ、君」
「へえ、左様なもんですかな」と門野は稍真面目な顔をした。代助はそれぎり黙つて仕舞つた。門野は是より以上通じない男である。是より以上は、いくら行つても、へえ左様なもんですかなで押し通して澄ましてゐる。此方の云ふことが応へるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない。代助は、其所が漠然として、刺激が要らなくつて好いと思つて書生に使つてゐるのである。其代り、学校へも行かず、勉強もせず、一日ごろ/\してゐる。君、ちつと、外国語でも研究しちやどうだなどゝ云ふ事がある。すると門野は何時でも、左様でせうか、とか、左様なもんでせうか、とか答へる丈である。決して為ませうといふ事は口にしない。又かう、怠惰ものでは、さう判然した答へが出来ないのである。代助の方でも、門野を教育しに生まれて来た訳でもないから、好加減(いゝかげん)にして放つて置く。幸ひ頭と違つて、身体の方は善く動くので、代助はそこを大いに重宝がつてゐる。代助ばかりではない、従来からゐる婆さんも門野の御蔭で此頃は大変助かる様になつた。その原因で婆さんと門野とは頗る仲が好い。主人の留守などには、よく二人で話をする。
「先生は一体何を為る気なんだらうね。小母さん」
「あの位になつて入らつしやれば、何でも出来ますよ。心配するがものはない」
「心配はせんがね。何か為たら好ささうなもんだと思ふんだが」
「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探しなさる御積りなんでせうよ」
「いゝ積りだなあ。僕も、あんな風に一日本を読んだり、音楽を聞きに行つたりして暮らして居たいな」
「御前さんが?」
「本は読まんでも好いがね。あゝ云ふ具合に遊んで居たいね」
「夫はみんな、前世からの約束だから仕方がない」
「左様なものかな」
まづ斯う云ふ調子である。門野が代助の所へ引き移る二週間前には、此若い独身の主人と、此 食客との間に下の様な会話があつた。 (青空文庫より)
◇評論
ここもとてもスムーズに物語が語られ流れている場面。「門野」という書生と、もう一人の同居人である「婆さん」の人となりがわかりやすく描かれている。ふたりの会話によって、代助という人物についての読者の理解も進む。
起床から「約三十分の後」代助は食卓に就く。「熱い紅茶」、「焼麺麭に牛酪」と、ハイカラな朝食だ。
次に、「門野と云ふ書生」が登場。先ほど代助が読んでいた新聞を手にし(代助の布団を畳んだか)、「先生、大変な事が始まりましたな」と仰山な声で話しかける。代助は書生から、「先生」と呼ばれる。「已を得ず其儘にして置いたのが、いつか習慣になつて」しまった。「実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云ふことを、書生を置いて見て、代助も始めて悟つたのである」。
代助は、書生と婆さんの二人を養うことが可能な環境にある。
「こころ」の青年も、鎌倉で出会った相手を「先生」と呼んだことが想起される。「こころ」は、次のように語り始められる。
「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。」
青年の場合は先生を「人生の師」と仰いでいるため、「先生」という呼称と、そう呼びたくなるという気持ちは、読者も首肯できる。
これに対して門野の場合は、この後の婆さんとの会話からもうかがわれるように、代助に対する尊敬の気持ちは薄い。従って、「先生」という呼称は、相手と自分の立場・関係性から、そうとしか呼びようがないということになる。代助自身が、「実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がない」と認識している通りだ。この「先生」という呼称は、関係としての意味と役割しか果たしていない。門野は代助を尊敬していない。だから彼の言う「先生」という呼称には、尊敬の意味は薄い。
門野は、「痛快」だと「嬉しがつてゐる」が、「学校騒動」に代助の興味はない。彼は「落付いた顔をして麺麭を食つて居た」。そうして門野を、「校長が辞職でもすれば、君は何か儲かる事でもあるんですか」と皮肉る。「学校騒動」について代助は、「他に損得問題があつて排斥する」「方便」と考える。
「騒動」は人の興味を引く。読者はその内容が知りたくなるのに加え、代助の関心の薄さが何に由来するのかにも興味がわく。
「へえ、左様なもんですかな」という門野の返事と様子は、代助の思考内容を全く理解していない・できていないことを表す。愚鈍な男なのだ。顔つきは「真面目」だが、理解が伴っていない。だから「代助はそれぎり黙つて仕舞」うしかない。門野の「通じな」さ、理解できないことをそのままにして「澄ましてゐる」態度は、ともすれば相手に怒りを抱かせるだろう。しかしこれに対しては代助の方も慣れたもので、「此方の云ふことが応へるのだか、応へないのだか丸で要領を得ない」が、かえって「其所が漠然として、刺激が要らなくつて好いと思つて書生に使つてゐる」のだった。
門野は、「学校へも行かず、勉強もせず、一日ごろ/\してゐる」。「外国語でも研究しちやどうだなどゝ」言われても、「何時でも、左様でせうか、とか、左様なもんでせうか、とか答へる丈」で、「決して為ませうといふ事は口にしない」。彼は、「怠惰もの」であり、「さう判然した答へ」をすることも「出来ない」のだった。
これに対する代助の態度も、「門野を教育しに生まれて来た訳でもないから、好加減(いゝかげん)にして放つて置く」というものだった。「身体の方は善く動くので」、代助も婆さんも、「そこを」「重宝」に使っている。
「従来からゐる婆さんも門野の御蔭で此頃は大変助かる様になつた」とあるから、門野は婆さんよりも後に同居するようになったことがわかる。
婆さんの手助けをすることから、「婆さんと門野とは頗る仲が好い」。
次に、「主人の留守」の間の二人の会話が描かれる。初めに述べたが、この会話により、三人の関係がわかるように工夫されている。
門野「先生は一体何を為る気なんだらうね。小母さん」…先生は何もしていなさそうだ。
婆さん「あの位になつて入らつしやれば、何でも出来ますよ。心配するがものはない」…読者は「あの位」の内容が知りたくなる。婆さんは先生を認めている。
門野「心配はせんがね。何か為たら好ささうなもんだと思ふんだが」…先生への関心の薄さと、自分を棚に上げて代助の批判をする門野の様子。
婆さん「まあ奥様でも御貰ひになつてから、緩つくり、御役でも御探しなさる御積りなんでせうよ」…先生は未婚で無職であることがわかる。
門野「いゝ積りだなあ。僕も、あんな風に一日本を読んだり、音楽を聞きに行つたりして暮らして居たいな」…代助の優雅な暮らしぶりと、それをうらやむ門野。
婆さん「御前さんが?」
門野「本は読まんでも好いがね。あゝ云ふ具合に遊んで居たいね」…怠惰な門野
婆さん「夫はみんな、前世からの約束だから仕方がない」…素性の違いの認識
門野「左様なものかな」
とてものんびりとしたふたりの会話から、門野の愚鈍さと、婆さんが代助を認めている様子がうかがわれる。
次回は、「門野が代助の所へ引き移る二週間前に」あった、「此若い独身の主人と、此 食客との間」の「会話」が描かれる。会話によって、それぞれの登場人物の人物像・心情が明らかになるだろう。読者の興味をそそる今回の週末部の書き方になっており、新聞連載小説の手法が用いられている。