夏目漱石「それから」本文と評論6-2
◇本文
紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へ腰を懸けて、茫然庭を眺めてゐると、瘤だらけの柘榴の枯枝と、灰色の幹の根方に、暗緑と暗紅を混ぜ合はした様な若い芽が、一面に吹き出だしてゐる。代助の眼には夫がぱつと映じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。
代助の頭には今具体的な何物をも留めてゐない。恰かも戸外の天気の様に、それが静かに凝と働らいてゐる。が、其底には微塵の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪の中で、いくら虫が動いても、乾酪が元の位置にある間は、気が付かないと同じ事で、代助も此 微震には殆んど自覚を有してゐなかつた。たゞ、それが生理的に反射して来る度に、椅子の上で、少し宛(づゝ)身体の位置を変へなければならなかつた。
代助は近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉を、あまり口にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐると考へたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである。
代助は露西亜文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈してゐる。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見てゐる。ダヌンチオによつて代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断してゐる。だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見傚してゐる。
理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、有つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりと留つて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石を抛げた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければ可かつたと思つてゐる。禅坊さんの所謂 大疑現前抔と云ふ境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国である。代助は、斯う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口に生れ過ぎた男である。
代助は門野の賞めた「煤烟」を読んでゐる。今日は紅茶々碗の傍に新聞を置いたなり、開けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金に不自由のない男だから、贅沢の結果あゝ云ふ悪戯をしても無理とは思へないが、「煤烟」の主人公に至つては、そんな余地のない程に貧しい人である。それを彼所迄押して行くには、全く情愛の力でなくつちや出来る筈のものでない。所が、要吉といふ人物にも、朋子といふ女にも、誠の愛で、已むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動かす内面の力は何であらうと考へると、代助は不審である。あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ。代助は独りで考へるたびに、自分は特殊人だと思ふ。けれども要吉の特殊人たるに至つては、自分より遥かに上手であると承認した。それで此間迄は好奇心に駆られて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、眼を通さない事がよくある。
代助は椅子の上で、時々身を動かした。さうして、自分では飽く迄落ち付いて居ると思つてゐた。やがて、紅茶を呑んで仕舞つて、例の通り読書に取りかゝつた。約二時間ばかりは故障なく進行したが、ある頁の中頃まで来て急に休めて頬杖を突いた。さうして、傍にあつた新聞を取つて、「煤烟」を読んだ。呼吸の合はない事は同じ事である。それから外の雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつゝある生徒側の味方をしてゐる。それが中々強い言葉で出てゐる。代助は斯う云ふ記事を読むと、是は大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出した。 (青空文庫より)
◇評論
「紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へ腰を懸けて、茫然庭を眺めてゐると」
緩やかなしぐさと動線が目に浮かぶ。茶碗に満たされた紅茶の揺らめき、ぼんやり庭を眺める代助の横顔。これらが、ごく当たり前の描写から思い浮かぶ。
「瘤だらけの柘榴の枯枝と、灰色の幹の根方に、暗緑と暗紅を混ぜ合はした様な若い芽が、一面に吹き出だしてゐる。代助の眼には夫がぱつと映じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。」
この物語は色彩が豊かであるとともにそれがテーマにかかわってくるのだが、ここでも、「暗緑と暗紅を混ぜ合はした様な」色彩が描かれる。しかしここでの色彩は、「ぱつと映じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞」う。「刺激」の効果は瞬間的なものにすぎなかった。
「代助の頭には今具体的な何物をも留めてゐない」。「それが静かに凝と働らいてゐる。が、其底には微塵の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪の中で、いくら虫が動いても、乾酪が元の位置にある間は、気が付かないと同じ事で、代助も此 微震には殆んど自覚を有してゐなかつた。」
特にこの「微塵の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた」や「虫が動いて」の部分は、ザクロの果実を想起させる。小さな粒粒が、ぎっしりとつまっている。そうしてそれが、うごめいているようにも見える不気味さ・不快さ。
画像
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pomegranate02_edit.jpg
しかしそれには「気が付かない」・「殆んど自覚を有してゐなかつた」。「たゞ、それが生理的に反射して来る度に、椅子の上で、少し宛(づゝ)身体の位置を変へなければならなかつた。」
表面には表れない、何とも捉えがたい体の中の不快なうごめきを代助は感じている。
続いて、代助の文明批評・社会批評が述べられる。
「近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉」は、まがい物だ。「自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐる」し、「現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである」。「現代的」は、流行ではなく、既にそうである。また、「現代的」ゆえに「不安」になる必要はない、ということ。
「露西亜文学に出て来る不安」は、「天候の具合と、政治の圧迫」のため。「仏蘭西文学に出てくる不安」は、「有夫姦の多いため」。「以太利文学の不安」は、「無制限の堕落から出る自己欠損」のため。「だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見傚してゐる」。「不安」は、それぞれの国の事情によってその原因が異なっており、「現代的」な日本にも、それゆえの理由があるということになる。それをまったく顧慮せずに、ただ流行として「現代的」や「不安」という語を用いて文学を創作するのは似非ということになる。それは「現代的」のようなもの、「不安」のようなものだ、と代助は考えている。外国の思想を無批判にそのま日本に導入することはできない。
「理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、有つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりと留つて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石を抛げた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければ可かつたと思つてゐる。禅坊さんの所謂 大疑現前抔と云ふ境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国である。代助は、斯う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口に生れ過ぎた男である。」
「理智的に物を疑ふ方の不安」は、「学校時代に」「ある所迄進行して、ぴたりと留つて、夫から逆戻りをして仕舞つた」。理知的にものを疑うと不安になる。しかしそれも最近ではしなくなった。なまじそのような経験があるために、現在、その反射を受けているということ。
「大疑現前」……現象的な事柄をすべて仮象に過ぎないとみなし疑う禅の思想。(角川文庫「それから」注釈) バーチャルリアリティーの裏返しw
「代助は、斯う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口に生れ過ぎた男である」。全てについて疑問を抱くことを代助はしない。それは代助が生来利口だからかだ、という説明だが、知識や知恵が備わっている彼にとっては、世のおよそのことは既に理解しているということだろう。だからあまり驚かないし、不思議に思ったりもしない。対象への疑問を抱かない。その意味では悟りに近いともいえるが、しかし代助は「禅坊さんの所謂 大疑現前抔と云ふ境界は」、「まだ踏み込んだ事のない未知国である」と、それを遠ざける。これは、語り手の代助批判とも、代助自身、そこに至らずとも構わないと思っているとも読める。
繰り返しになるが、代助は、「現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居た」。疑問がなければ、不安にもならないだろう。
門野は「賞め」る「煤烟」だが、「今日」の代助は「開けて見る気にならない」。「貧しい」「「煤烟」の主人公」は、「悪戯」をする「余地」がない。「それを彼所迄押して行くには、全く情愛の力でなくつちや出来る筈のものでない」。「彼所」とは、端的には「社会の外」だが、「要吉といふ人物にも、朋子といふ女にも、誠の愛で、已むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない」。そこに至る過程と要素が不足しているという疑義を抱く。
普段、およそのことには疑問を抱かない代助だが、ここでは違う。「彼等を動かす内面の力は何であらうと考へる」。そうして「不審」に思う。「あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ」。これは、代助の、自身に対する疑義だ。社会の外に押し流されることを不安に思うはずの「煤烟」の主人公たちはそうは思わず、普段は不安を感じない自分の方がかえってその様子を不安に思う。
「代助は独りで考へる」。「自分は特殊人だと」。「けれども要吉の特殊人たるに至つては、自分より遥かに上手であると承認した」。「それで此間迄は好奇心に駆られて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、眼を通さない事がよくある」。
漱石の門下生の一人である森田草平による「煤煙」は、二人の男女の心中未遂事件を描いたものだが、これは草平と平塚らいてうとの実話がもとになっている。「煤煙」の男女の関係は、そのまま「それから」の代助と三千代との関係にリンクする。要吉と朋子には、「誠の愛で、已むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない」し、そこには「不安」がない。それに対して代助は、三千代への愛に苦悩しているし、不安ばかりだ。自分にも確かに三千代への「誠の愛」はある。同じものがありながら、片方には不安がなく、もう片方は不安でいっぱいだ。そのあまりの「懸隔」に、代助の「好奇心」はしぼむのだった。
漱石は、「それから」によって、男女の「誠の愛」とその「不安」を描こうとしている。そうして代助と三千代は、当然、「社会の外に押し流されて行く」ことになる。
「代助は椅子の上で、時々身を動かした。さうして、自分では飽く迄落ち付いて居ると思つてゐた」。三千代への愛に、穏やかに悶えるのだ。
読書も進まない。新聞を引き寄せ、自分と同じ「誠の愛」を描いているはずの「煤烟」を読んでみても、「呼吸の合はない事は同じ事である」。「大隈伯が高等商業の紛擾(ふんじょう・もめごと、紛争)に関して、大いに騒動しつゝある生徒側の味方をしてゐる」「記事」にも世の偽りの姿が描かれているだけだった。とうとう「代助は新聞を放り出した」。
「高等商業の紛擾」について代助は、「大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為の方便」だとする。生徒たちに賛同する論調の裏には、学生をより多く募集したいという利己的・利益誘導的たくらみが隠されているということ。
学校騒動については、1-1の部分で既に述べられていた。
学校騒動…東京帝国大学内に商科を設置するという文部省の意向に反対して、東京高等商業学校(一橋大学の前身)の学生、卒業生および教授が一体となってストライキなどで抗議した事件をさす。明治42年(1909)4月前後、この反対運動は最高潮に達し、諸新聞は毎日のように関係記事を載せている。(角川文庫「それから」注釈)




