夏目漱石「それから」本文と評論5-2
◇本文
翌日、代助が朝食の膳に向つて、例の如く紅茶を呑んでゐると、門野が、洗ひ立ての顔を光らして茶の間へ這入つて来た。
「昨夕は何時御帰りでした。つい疲れちまつて、仮寐(うたゝね)をしてゐたものだから、些とも気が付きませんでした。――寐てゐる所を御覧になつたんですか、先生も随分人が悪いな。全体何時頃なんです、御帰りになつたのは。夫迄何所へ行つて居らしつた」と平生の調子で苦もなくしやべり立てた。代助は真面目で、
「君、すつかり片付迄居て呉れたんでせうね」と聞いた。
「えゝ、すつかり片付けちまいました。其代り、何うも骨が折れましたぜ。何しろ、我々の引越しと違つて、大きな物が色々あるんだから。奥さんが坐敷の真中へ立つて、茫然、斯う周囲を見回してゐた様子つたら、――随分 可笑しなもんでした」
「少し身体の具合が悪いんだからね」
「どうも左様らしいですね。色が何だか可くないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格は好いですね。昨夕一所に湯に入つて驚ろいた」
代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本書いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人宛で、先達つて送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿宛で、タナグラの安いのを見付けて呉れといふ依頼である。
昼過ぎ散歩の出掛に、門野の室を覗いたら又 引繰り返つて、ぐう/\寐てゐた。代助は門野の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた。実を云ふと、自分は昨夕寐つかれないで大変難義したのである。例に依つて、枕の傍へ置いた袂時計が、大変大きな音を出す。夫れが気になつたので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いて来る。其音を聞きながら、つい、うと/\する間に、凡ての外の意識は、全く暗窖の裡に降下した。が、たゞ独り夜を縫ふミシンの針丈が刻み足に頭の中を断えず通つてゐた事を自覚してゐた。所が其音が何時かりん/\といふ虫の音に変つて、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いてゐる様になつた。――代助は昨夕の夢を此所(こゝ)迄 辿つて来て、睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。
代助は、何事によらず一度気にかゝり出だすと、何処迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿気げさ加減の程度を明らかに見積もる丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方が猶 眼に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何にして夢に入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。夜、蒲団へ這入つて、好い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所だ、斯うして眠るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼が冴えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇を検査する為に蝋燭を点したり、独楽の運動を吟味する為に独楽を抑へる様なもので、生涯寐られつこない訳になる。と解つてゐるが晩になると又はつと思ふ。
此困難は約一年許りで何時つの間にか漸く遠退いた。代助は昨夕の夢と此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己の一部分を切り放して、其儘の姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡す方が趣があると思つたからである。同時に、此作用は気狂ひになる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂ひにはなれないと信じてゐたのである。 (青空文庫より)
◇評論
朝食に紅茶をたしなむ代助と、若さだけが取り柄の門野。彼はまたしても無遠慮に代助の領内に入り込む。しかも今回は、相手批判だ。
代助の昨夜の遅い帰宅は、門野には関係ない。「つい疲れちまつて、仮寐(うたゝね)をしてゐたものだから、些とも気が付きませんでした」とは、主人の友人の引っ越し手伝いを好意でしてあげた末の疲労と言わんばかりだ。門野は代助に養われる身だ。自分の過失を相手のせいにする愚。
「寐てゐる所を御覧になつたんですか、先生も随分人が悪いな」。代助の方こそ、だらしない門野の寝顔など見たくもないだろう。
「全体何時頃なんです、御帰りになつたのは」。それを知っても何の役にも立たないのに、あつかましいまでにしつこく帰宅時間を聞く。
「夫迄何所へ行つて居らしつた」。夫婦でもあるまいし、主人の行き先の詮索などする資格はないし、代助は門野からそんなことを聞かれて答える義理もない。
「平生の調子で苦もなくしやべり立て」る門野。こんな人間の言葉を真に受けていちいち返事していたら時間がいくらあっても足りない。だから代助は、すべての質問をスルーし、「君、すつかり片付迄居て呉れたんでせうね」と大事な用件だけを質問し返す。
「えゝ、すつかり片付けちまいました」で終わればいいものを、門野の余計な感想がだらだらと続く。
「其代り、何うも骨が折れましたぜ。何しろ、我々の引越しと違つて、大きな物が色々あるんだから。」
自分の働きにより皆が助かったのだと強調し、手柄を立てたと言いたいのだ。
「奥さんが坐敷の真中へ立つて、茫然、斯う周囲を見回してゐた様子つたら、――随分 可笑しなもんでした」
これはまったく「可笑し」くはない。このようなところを面白がるのが門野の愚を表している。体調不良の三千代は、どうにかこうにか片付けが済んだので、思わずボーっとしたのだ。だから代助は、門野が感じたらしいおかしみには全く触れずに、「少し身体の具合が悪いんだからね」と三千代をかばう。体調不良の者に対する反応・感想としてはこちらが普通であり、門野の感覚はズレている。
「どうも左様らしいですね。色が何だか可くないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格は好いですね。昨夕一所に湯に入つて驚ろいた」
夫婦・男女の健康や体力を単純に比較しても詮無いことだ。愚者は力や大きいものに反応・評価する。こんな者を相手にしなければならない代助は気の毒だ。
「代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本書いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人宛で、先達つて送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿宛で、タナグラの安いのを見付けて呉れといふ依頼である。」
美術への興味と造詣がある代助。前にあったのと同じように、ここも、愚な門野を相手した後に美的世界へと戻る代助の様子が描かれる。そうしないと、門野の悪影響は、無神経に代助の精神をかき回してしまうからだ。
もっとも代助には金が無いのであり、高麗焼は友人からのプレゼント(返礼はしなければなるまい)だし、安いタナグラ人形は、姉婿へねだっている。姉は西洋在住で、その夫は外交官であることは、以前示されている。
「昼過ぎ」に、門野は自室で「引繰り返つて、ぐう/\寐て」いる。「代助は門野の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた」。
愚者は何も考えない。先の憂いがないので安眠が可能だ。
それに対し代助は繊細な神経の持ち主だ。その様子が次に説明される。
代助は「昨夕寐つかれないで大変難義した」。「枕の傍へ置いた袂時計」の「大変大きな音」が「気になつた」。「枕の下へ押し込ん」でも、「音は依然として頭の中へ響いて来る」。「うと/\する間に、凡ての外の意識は、全く暗窖(あんこう・暗い洞窟)の裡に降下した」。しかしやはり「独り夜を縫ふミシンの針丈が刻み足に頭の中を断えず通つてゐた」。「其音が何時かりん/\といふ虫の音に変つて、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いてゐる様になつた」。「昨夕の夢を此所(こゝ)迄 辿つて来て、睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持がした」。
「睡眠と覚醒との間を」行き来する人は、十分・満足には眠れない。常に覚醒状態が続くためだ。寝ているようで寝ていない。真の深い眠りに落ちることができない。このような状態が続けば、睡眠不足になり、体にも心にも異常をきたす。
玄関脇の虫の音は、夜中にひどく響く。玄関がちょうどよい共鳴装置となり、音が拡張されて家中に響き渡る。大変厄介な隣人だ。
ところで、「夜を縫ふミシンの針」は、とても文学的で上手な比喩だが、漱石はあまりこのような表現を用いないので、とても珍しく興味深い。
また、「時計の音」は、作品初めの方にもあった、「血を盛る袋(心臓)が、時を盛る袋(寿命までの時計)を兼ねなかったら」からも分かる通り、代助にとっては、命の終わりにつながる音なのだ。それが刻むたびに、自分の寿命は縮んでいく。それを代助は恐れる。だからこの場面でも、時計の音は単なる騒音なのではなく、代助にとっては自分の命を想起させるものなのだ。
「代助は、何事によらず一度気にかゝり出だすと、何処迄も気にかゝる男である」。神経が繊細なのだ。「しかも自分で其馬鹿気げさ加減の程度を明らかに見積もる丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方が猶 眼に付いてならない」。繊細さに、頭脳の明瞭な働きが加わる。
「如何にして夢に入るかと云ふ問題」の「解決」は、無理だ。だから代助が、「夜、蒲団へ這入つて、好い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所だ、斯うして眠るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼が冴えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰り返した」ことは、精神の異常につながってしまう。当然、「仕舞には自分ながら辟易」することになる。
代助の「脳力」は確かだ。「自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇を検査する為に蝋燭を点したり、独楽の運動を吟味する為に独楽を抑へる様なもので、生涯寐られつこない訳になる」。そう自分でも確かに「解つてゐるが晩になると又はつと思ふ」。
心理学に、「強迫観念」というものがある。何かのイメージにとらわれ、繰り返し考えてしまうことだ。この「とらわれ」が強力で、日常生活に悪影響を及ぼす時もある。自分でもバカバカしいとわかっているのに、それを止めることができない。時計の時報を数えてしまう、目の前を通過する車両の数を数えてしまう、などがその例だ。これにより、最悪の場合、うつ状態に陥ることもある。
「正気の自己の一部分を切り放して、其儘の姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡す」とは、覚醒した意識を持ったままで夢を見ることはできないのだから、その境界を意識しとらえようとするのではなくて、そのまま・いつの間にか夢に入る方が「趣がある」ということだろう。代助が言うとおり、覚醒と夢の境を意識することは、「気狂ひになる時の状態と似て居」る。
私自身、覚醒と睡眠のはざまへの興味と、夢の不思議さとから、夏休みに夢の記録をつけたことがある。その時に感じたのは、代助の考えと同じで、睡眠の瞬間をとらえることはできないしそうしようとすることは無駄だということだ。また、人間とは、よくもまああれだけ様々な内容の夢を見ているものだと思った。夢は毎日見ており、夢を見ていないように思われる日は、ただ単にその記憶を失っただけだ。
そうして、1か月間の夢日記ができ上ったのだが、これは他人には勧めない。次第に気が変になってきたからだ。夢という無意識の世界に素人が手を入れることは大変危険で、興味本位でやってはいけない。
代助には、私のこの時の経験に近いものを感じる。だから彼はやがて、情動に突き動かされることになる。理性を感情が上回るのだ。
「代助は今迄、自分は激昂しないから気狂ひにはなれないと信じてゐたのである。」
「気狂ひ」になるためには、「激昂」が必要だと代助は考えていた。感情が極限まで高ぶったために「気狂ひ」になるという考えは一般的だろう。これに対しこの時の代助は、心臓や時計の音の捉え方や、覚醒と夢の境界などを考察する過程で、冷静で客観的な判断や思考の結果「気狂ひ」になることもあるということに気づく。頭脳の働きが、静かに人間を狂わせる。それは他者からはうかがうことが難しく、自分でも意識せずにいつの間にかそうなっているだろうから、対応・対策が厄介だ。現代人が、様々な要因で静かに病む過程に似ている。




