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夏目漱石「それから」本文と評論5-1

◇本文

 翌日朝早く門野は荷車を三台雇つて、新橋の停車場迄平岡の荷物を受取りに行つた。実は()うから着いて居たのであるけれども、(うち)がまだ(きま)らないので、今日迄其儘にしてあつたのである。往復の時間と、向ふで荷物を積み込む時間を勘定して見ると、()うしても半日仕事である。早く行かなけりや、間に合はないよと代助は寐床を出るとすぐ注意した。門野は例の調子で、なに訳はありませんと答へた。此男は、時間の考などは、あまりない方だから、斯う簡便な返事が出来たんだが、代助から説明を聞いて始めて成程と云ふ顔をした。それから荷物を平岡の(うち)へ届けた上に、万事奇麗に片付く迄手伝をするんだと云はれた時は、えゝ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行つた。

 それから十一時過ぎ迄代助は読書してゐた。が不図ダヌンチオと云ふ人が、自分の家の部屋を、青色と赤色に()かつて装飾してゐると云ふ話を思ひ出した。ダヌンチオの主意は、生活の二大情調の発現は、此二色に(ほか)ならんと云ふ点に存するらしい。だから何でも興奮を要する部屋、即ち音楽室とか書斎とか云ふものは、成るべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする。と云ふのが、心理学者の説を応用した、詩人の好奇心の満足と見える。

 代助は何故ダヌンチオの様な刺激を受け易い人に、奮興色とも見傚し得べき程強烈な赤の必要があるだらうと不思議に感じた。代助自身は稲荷の鳥居を見ても余り好い心持はしない。出来得るならば、自分の頭丈でも()いから、緑のなかに漂はして安らかに眠りたい位である。いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる脊の高い女を()いた。代助は多くの出品のうちで、あれ丈が好い気持に出来てゐると思つた。つまり、自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつたからである。

 代助は縁側へ出て、庭から先にはびこる一面の青いものを見た。花はいつしか散つて、今は新芽若葉の初期である。はなやかな緑がぱつと顔に吹き付けた様な心持ちがした。眼を()ます刺激の底に何所(どこ)か沈んだ調子のあるのを嬉しく思ひながら、鳥打(とりうち)帽を(かむ)つて、銘仙(めいせん)の不断着の儘門を出た。

 平岡の新宅へ来て見ると、門が()いて、がらんとしてゐる丈で、荷物の着いた様子もなければ、平岡夫婦の来てゐる気色も見えない。たゞ車夫体の男が一人縁側に腰を()けて烟草を呑んでゐた。聞いて見ると、先刻(さつき)一返 御出(おい)でになりましたが、此案排ぢや、どうせ午過(ひるすぎ)だらうつて又御帰りになりましたといふ答である。

「旦那と奥さんと一所に来たかい」

「えゝ御一所です」

「さうして一所に帰つたかい」

「えゝ御一所に御帰りになりました」

「荷物もそのうち着くだらう。御苦労さま」と云つて、又通りへ出た。

 神田へ来たが、平岡の旅館へ寄る気はしなかつた。けれども二人の事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸(ちょつと)顔を出した。夫婦は(ぜん)を並べて(めし)を食つてゐた。下女が盆を持つて、敷居に尻を向けてゐる。其 後ろから、声を懸けた。

 平岡は驚ろいた様に代助を見た。其眼が血ばしつてゐる。二三日能く眠むらない所為(せゐ)だと云ふ。三千代は仰山なものゝ云ひ方だと云つて笑つた。代助は気の毒にも思つたが、又安心もした。留めるのを外へ出て、飯を食つて、髪を刈つて、九段の上へ一寸(ちょつと)寄つて、又帰りに新 (たく)へ行つて見た。三千代は手拭を(ねえ)さん(かぶ)りにして、友禅の長繻絆をさらりと出して、(たすき)がけで荷物の世話を焼いてゐた。旅宿で世話をして呉れたと云ふ下女も来てゐる。平岡は縁側で行李の紐を解いてゐたが、代助を見て、笑ひながら、少し手伝はないかと云つた。門野は袴を脱いで、尻を端折つて、重ね箪笥を車夫と一所に坐敷へ抱(かゝ)へ込みながら、先生どうです、此 服装(なり)は、笑つちや不可(いけ)ませんよと云つた。 (青空文庫より)


◇評論

門野の愚鈍さが初めに示される。

身体は丈夫でよく動くが、いかんせん頭は回らない。平岡の引っ越し荷物の時間がルーズで、「なに訳はありません」と相変わらずのんき。余計な口出しは不要だし、自分はちゃんとわかっているという態度。代助に丁寧に急かされてやっと気が付き動き出す始末。「時間の考などは、あまりない」者は、他者から疎まれる。間に合わないのではと、他者の方が気が気でならないのに、そう焦るなとくる。代助に、「荷物を平岡の(うち)へ届けた上に、万事奇麗に片付く迄手伝をするんだと云はれた時は、えゝ承知しました、なに大丈夫ですと気軽に引き受けて出て行つた」が、まったく大丈夫ではないのだ。何とも扱いに困る男。


愚か者の退場の後、代助は高尚な美的世界に逍遥する。ダヌンチオによると、「生活の二大情調の発現は」、「青色と赤色」の「二色」に(ほか)ならない。だから「興奮を要する部屋、即ち音楽室とか書斎とか云ふものは、成るべく赤く塗り立てる。又寝室とか、休息室とか、凡て精神の安静を要する所は青に近い色で飾り付をする」。

この説に対して、代助はこう考える。

「赤」は、「奮興色とも見傚し得べき程強烈な」色であり、「自身は稲荷の鳥居を見ても余り好い心持はしない。出来得るならば、自分の頭丈でも()いから、緑のなかに漂はして安らかに眠りたい位である」。そうして、「いつかの展覧会」で見た「海の底に立つてゐる脊の高い女」の絵が「好い気持に出来てゐると思つた」。代助は、「自分もああ云ふ沈んだ落ち付いた情調に居りたかつた」のだ。

『それから』における「赤」は、テーマにつながる重要な色だ。作品冒頭の「八重の椿」、結末部の「赤」の洪水。代助のものの考え方、物事の捉え方、感情の変化、運命の転変、など様々な要素と場面に深く関わるのが「赤」だ。ここで「赤」は、「奮興色」、「強烈」な色とされ、「稲荷の鳥居」の赤も「余り好い心持はしない」とされる。

これに対して「緑」や「海の底」の「沈んだ落ち付いた情調」は、その「なかに漂はして安らかに眠りたい位」であり、「好い気持」・「沈んだ落ち付いた情調」と評される。赤の興奮と緑や「沈んだ落ち付いた情調」の鎮静。これらは、一般的に誰もがそのように感じる色調だろうが、特に代助はそれを強調する。


ところで、「いつかの展覧会に青木と云ふ人が海の底に立つてゐる脊の高い女を()いた」とあるのは、洋画家の青木繁が描いた、明治40・1907年の東京府勧業博覧会に出品して三等賞を受けた「わだつみのいろこの宮」をさす。

アーティゾン美術館ホームページの説明を参考として載せる。

「読書家だった青木繁は内外の神話を広く読みあさり、その中から特に日本神話に取材した作品をいくつも残しました。この作品も『古事記』から取られています。兄の海幸彦から借りた釣針をなくした山幸彦は、それを探し求めて海底に下りていきます。すると「魚鱗のごとく造れる」海神綿津見の宮殿があり、その入り口に井戸を見つけました。水を汲みに宮殿から出て来た侍女が桂樹にすわる山幸彦に気づき、海神の娘、豊玉姫を呼びます。山幸彦と視線を交わす左の赤い衣が豊玉姫、右の白い衣が侍女です。やがて山幸彦と豊玉姫は結ばれて、2人の間に生まれた男児が天皇家の祖となります。

縦に細長い画面に3人の人物を配した構図には、青木が日本に舶載された印刷物などを通じて学んだ、イギリスのラファエル前派の影響が見て取れます。また、ギュスターヴ・モローの色づかいにも感化されていることを青木は語っています。青木は、日本にいて遠く離れた西洋の世紀末美術の特質を鋭敏に感じ取っていました。この作品は1907(明治40)年春に開かれた東京勧業博覧会に出品するために制作され、未完成作品の多い青木の中では完成度の高いものです。会場でこれを見た夏目漱石は、2年後の小説『それから』の中で、「いつかの展覧会に青木という人が海の底に立っている背の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持に出来ていると思った」と書いています。」


これらを踏まえると当然、山幸彦は代助、豊玉姫は三千代ということだろう。その風貌も画中の人物と重なる部分がある。ふたりはやがて結ばれる運命にある。それが幸福かどうかは別として。


落ち着いた情調の絵画を想起した後、「代助は縁側へ出て、庭から先にはびこる一面の青いものを見た」。「花は」散り、「今は新芽若葉の初期」。「はなやかな緑がぱつと顔に吹き付けた様な心持ちがした」は、鮮烈なイメージだ。その「眼を()ます刺激」は、その「底に何所(どこ)か沈んだ調子」がある。それが代助には「嬉し」い。

代助はそのまま「鳥打(とりうち)帽を(かむ)つて、銘仙(めいせん)の不断着の儘門を出た」。平岡宅の訪問のためだ。門野の手際が心配なのと、三千代のその後が心配なのだ。


「平岡の新宅へ来て見ると、門が()いて、がらんとしてゐる丈で、荷物の着いた様子もなければ、平岡夫婦の来てゐる気色も見えない」。代助の心配が肩透かしにあった形。そこに「一人縁側に腰を()けて烟草を呑んでゐた」「車夫体の男」に「聞いて見ると、先刻(さつき)一返 御出(おい)でになりましたが、此案排ぢや、どうせ午過(ひるすぎ)だらうつて又御帰りになりましたといふ答」だった。三千代の動向が気になる代助は、「旦那と奥さんと一所に来たかい」と尋ねる。

代助は、「又通りへ出」、「神田へ来たが、平岡の旅館へ寄る気はしなかつた。けれども二人の事が何だか気に掛る。ことに細君の事が気に掛る。ので一寸(ちょつと)顔を出した。夫婦は(ぜん)を並べて(めし)を食つてゐた」。このあたりの代助は、好きな人の動向が気になって気になってしょうがない様子だ。だから新宅を訪ねたり、旅館へ押しかけたりする。だから突然の来訪に、「平岡は驚ろいた様に代助を見」る。

平岡の「眼」は「血ばしつてゐる。二三日能く眠むらない所為(せゐ)だと云ふ。三千代は仰山なものゝ云ひ方だと云つて笑つた」。代助は「気の毒」と「安心」の両方の感情を抱く。

この後の代助も落ち着かない。平岡が「留めるのを外へ出て、飯を食つて、髪を刈つて、九段の上へ一寸(ちょつと)寄つて、又帰りに新宅(たく)へ行つて見た」。すると今度は平岡夫婦と門野がいた。三千代は「手拭を(ねえ)さん(かぶ)りにして、友禅の長繻絆をさらりと出して、(たすき)がけで荷物の世話を焼いてゐた」。「(ねえ)さん(かぶ)り」も「長繻絆」も「さらりと」描かれているが、代助の心には刺さっただろう。

「平岡は縁側で行李の紐を解いてゐたが、代助を見て、笑ひながら、少し手伝はないかと云つた」。昔を思い出させる気のおけない様子。

「門野は袴を脱いで、尻を端折つて、重ね箪笥を車夫と一所に坐敷へ抱(かゝ)へ込みながら、先生どうです、此 服装(なり)は、笑つちや不可(いけ)ませんよと云つた」。あいかわらずつまらぬことを面白がる愚かさ全開である。愚者のふざけは白けるだけだ。

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