夏目漱石「それから」本文と評論4-5
◇本文
代助は烟草へ火を点けて、吸口を啣へた儘、椅子の脊に頭を持たせて、寛いだ様に、
「久し振りだから、何か御馳走しませうか」と聞いた。さうして心のうちで、自分の斯う云ふ態度が、幾分か此女の慰藉になる様に感じた。三千代は、
「今日は沢山。さう緩りしちやゐられないの」と云つて、昔の金歯を一寸と見せた。
「まあ、可いでせう」
代助は両手を頭の後ろへ持つて行つて、指と指を組み合せて三千代を見た。三千代はこゞんで帯の間から小さな時計を出した。代助が真珠の指輪を此女に贈りものにする時、平岡は此時計を妻に買つて遣つたのである。代助は、一つ店で別々の品物を買つた後、平岡と連れ立つて其所の敷居を跨ぎながら互に顔を見合せて笑つた事を記憶してゐる。
「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思つてたら。――少し寄り道をしてゐたものだから」
と独り言の様に説明を加へた。
「そんなに急ぐんですか」
「えゝ、成り丈早く帰りたいの」
代助は頭から手を放して、烟草の灰をはたき落した。
「三年のうちに大分 世帯染みちまつた。仕方がない」
代助は笑つて斯う云つた。けれども其調子には何処かに苦い所があつた。
「あら、だつて、明日引越すんぢやありませんか」
三千代の声は、此時急に生々と聞きこえた。代助は引越しの事を丸で忘れてゐた。
「ぢや引越してから緩り来れば可いのに」
代助は相手の快ささうな調子に釣り込まれて、此方からも他愛なく追窮した。
「でも」と云つた、三千代は少し挨拶に困つた色を、額の所へあらはして、一寸下を見たが、やがて頬を上げた。それが薄赤く染まつて居た。
「実は私少し御願ひがあつて上つたの」
疳の鋭どい代助は、三千代の言葉を聞くや否や、すぐ其用事の何であるかを悟つた。実は平岡が東京へ着いた時から、いつか此問題に出逢ふ事だらうと思つて、半意識の下で覚悟してゐたのである。
「何ですか、遠慮なく仰しやい」
「少し御金の工面が出来なくつて?」
三千代の言葉は丸で子供の様に無邪気であるけれども、両方の頬は矢つ張り赤くなつてゐる。代助は、此女に斯んな気恥づかしい思ひをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思つた。
段々聞いて見ると、明日引越をする費用や、新らしく世帯を持つ為の金が入用なのではなかつた。支店の方を引き上げる時、向ふへ置き去りにして来た借金が三口とかあるうちで、其一口を是非片付けなくてはならないのださうである。東京へ着いたら一週間うちに、どうでもすると云ふ堅い約束をして来た上に、少し訳があつて、他の様に放つて置けない性質のものだから、平岡も着いた明日から心配して、所々奔走してゐるけれども、まだ出来さうな様子が見えないので、已を得ず三千代に云ひ付けて代助の所に頼みに寄こしたと云ふ事が分つた。
「支店長から借りたと云ふ奴ですか」
「いゝえ。其方は何時迄延ばして置いても構はないんですが、此方の方を何うかしないと困るのよ。東京で運動する方に響いて来るんだから」
代助は成程そんな事があるのかと思つた。金高を聞くと五百円と少し許である。代助はなんだ其位と腹の中で考へたが、実際自分は一文もない。代助は、自分が金に不自由しない様でゐて、其実大いに不自由してゐる男だと気が付いた。
「何でまた、そんなに借金をしたんですか」
「だから私考へると厭になるのよ。私も病気をしたのが、悪いには悪いけれども」
「病気の時の費用なんですか」
「ぢやないのよ。薬代なんか知れたもんですわ」
三千代は夫れ以上を語らなかつた。代助も夫れ以上を聞く勇気がなかつた。たゞ蒼白い三千代の顔を眺めて、その中に、漠然たる未来の不安を感じた。 (青空文庫より)
◇評論
煙草は間をもたせるのに都合のいい小道具。夫婦喧嘩に気付かれぬよう取り繕う三千代の「愛嬌」が「いたましく聞えた」代助は、タバコを吸うことでいったん三千代自身とこの場を落ち着かせようとしている。だから、そのことに全く気付いていない風を装うために、代助はわざと「吸口を啣へた儘、椅子の脊に頭を持たせて、寛いだ様」を三千代に見せたのだ。自分の心と態度の余裕を示し、三千代にも安心と昔に戻った感を抱かせようとしている。知らぬ仲ではない。二人はあっという間に昔に返った。
また代助は、実際に心の安寧を三千代に対して抱いている。東京と関西で離れている間に、三千代には不幸が訪れたようだ。だが、今目の前にいる彼女は、心身の衰弱は感じられるものの、それでもまだ多少の元気は残っている。その姿と会話とでそのことを感じ、代助は安心したのだ。
弱っている人には、おいしいものを食べさせたくなる。「久し振りだから、何か御馳走しませうか」という代助の言葉には、三千代への慰藉だけでなく、もっと三千代と二人でいろいろなことを話したいという気持ちも含まれる。食事の場はよいコミュニケーションの場となる。好きな人だから「御馳走」するのだ。
「さうして心のうちで、自分の斯う云ふ態度が、幾分か此女の慰藉になる様に感じた」というのは、ずいぶん自信過剰に思われるが、ふたりは実際、こうだったのだろう。読者にそう思わせる、三千代の態度であり、代助のふるまいだ。
代助という存在が、三千代の「慰藉」となる。これは逆に、代助にとっても同じだろう。心の慰めになる相手は、得難い存在だ。
代助の勧誘に、三千代は、「今日は沢山。さう緩りしちやゐられないの」とつれない返事をする。ゆっくりしたい代助に対し、ゆっくりできない三千代。せっかく誘った代助は残念な思いだったろう。
「昔の金歯を一寸と見せた。」
ここは少し滑稽な部分だ。なぜこのようなエピソードを挟んだのだろう。
金歯は富の象徴か。三千代は以前は裕福だったが、今は貧乏だということの対照のためか。
ちなみに、明治時代の歯科治療について検索していたら、下記資料があった。
「明治期における歯科治療の変遷」(日本歯科大学生命歯学部客員教授 昭和大学歯学部客員教授 神奈川県歯科医師会・歯の博物館 館長 大野粛英) を見ると、「金冠」は「8円乃至15円」とある。様々な換算法があるが、当時の1円は2万円程度だったとすると、結構な額ということになる。
(「明治時代は小学校の教員の初任給が1ヶ月で8~9円だったといわれています。現在の初任給はおよそ20万円程度であることを考えると、1円は2万円もの価値があったとも考えられます」昔の「1円」は今のいくら?明治・大正・昭和・現在、貨幣価値(お金の価値)の推移|気になるお金のアレコレ〜老後の資産形成・相続に向けて〜三菱UFJ信託銀行 (mufg.jp))
今だと、好きな女性の口元から金歯がこぼれるというのは、互いに避けたい出来事かもしれない。以前は金属でかぶせていたものだが、最近では、奥歯も白い詰め物が保険適用になっている。
この時代は、口元から金歯がちらりと見えることはアリだったということか。今とは美意識がだいぶ違いますね。
(「明治時代後半から大正時代にかけて、男女を問わず、成金やセレブの間で金歯を入れるのが流行したのです。金を使ったメガネや指輪、帯留めなどと同じように、口元でキラリと光る金歯は豊かさの印! 中にはわざわざ健康な歯を抜いて、金歯の入れ歯をつくった女性もいたとか」)
(既婚の証しのお歯黒、お金持ちの象徴金歯、そして白い歯へ。歯の美意識は時代によってこんなに違う! | .&cosme|キレイに差がつく知的美容マガジン アンドコスメ (andcosme.net))
久しぶりにゆっくり話をしたいと考えた代助だったが、その誘いはすげなく断られてしまう。だから代助は、「まあ、可いでせう」と落胆をあたかも余裕のある態度と言葉でやり過ごす。そうして、「両手を頭の後ろへ持つて行つて、指と指を組み合せて三千代を見た。」 あくまでも余裕を気取る代助だが、好きな人を見ていたいのだ。
三千代はこゞんで帯の間から小さな時計を出した。代助が真珠の指輪を此女に贈りものにする時、平岡は此時計を妻に買つて遣つたのである。代助は、一つ店で別々の品物を買つた後、平岡と連れ立つて其所の敷居を跨ぎながら互に顔を見合せて笑つた事を記憶してゐる。
三千代によって、思い出の品物がいくつも示される。この時計を見て代助は、当時を思い出すとともに平岡の存在を強く意識しただろう。代助が贈った美的装飾品である指輪に対し、平岡が送ったのは実用的な時計という対比。また、当時は三人とも無邪気に笑いあえたのに対し、今は変わってしまったことも表す。
「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思つてたら。――少し寄り道をしてゐたものだから」
と独り言の様に説明を加へた。
「そんなに急ぐんですか」
「えゝ、成り丈早く帰りたいの」
代助は頭から手を放して、烟草の灰をはたき落した。
「三年のうちに大分 世帯染みちまつた。仕方がない」
代助は笑つて斯う云つた。けれども其調子には何処かに苦い所があつた。
「おや、もう三時過ぎね。まだ二時位かと思つてたら。――少し寄り道をしてゐたものだから」
この「独り言」は、代助に寂しさをもたらしただろう。彼はもう少しゆっくり話したいのだし、三千代との時間を大切に考えている。
「と独り言の様に説明を加へた。」
帰らなければならない事実をそのまま代助に伝えるのでは角が立つ。三千代はこう「独り言の様に」つぶやくことで、やわらかな別れを演出する(ことができる)。とても上手な帰宅の意思表明だ。
ところで、三千代の「寄り道」は、この後の彼女の言葉から推測すると、金策だったろうと思われる。平岡家は、金に困っている。
「そんなに急ぐんですか」
「えゝ、成り丈早く帰りたいの」
この「成り丈早く帰りたい」は、代助をさらにがっかりさせただろう。先ほどの「と独り言の様に説明を加へた」に対し、この言い方は直接的だ。
「代助は頭から手を放して、烟草の灰をはたき落した。
「三年のうちに大分 世帯染みちまつた。仕方がない」
代助は笑つて斯う云つた。けれども其調子には何処かに苦い所があつた。」
冗談めかして言うことでオブラートに包んでいるが、これが代助の本音だ。
ところで、代助の指にはタバコが挟まれ、その両手は頭の後ろで組まれている。代助の後ろからタバコの煙が立ち上っている。また、この部屋はタバコの煙とにおいで充満しているだろう。
「烟草の灰をはたき落した」という行為に、代助のやるせなさが現れる。「三年のうちに大分 世帯染みちまつた」のは悔しい。でも、「仕方がない」と吐き捨てるしかない。「笑」いながらの冗談は、「何処かに苦い所」が含まれる。
「「あら、だつて、明日引越すんぢやありませんか」
三千代の声は、此時急に生々と聞きこえた。代助は引越しの事を丸で忘れてゐた。」
三千代が早く帰らねばならない理由は、代助が嫌いなわけでも、平岡が待つからでもない。翌日の引っ越しの作業をしなければならないからだ。三千代に神経が集中している代助には、このあたりの事情を冷静に判断することができなくなっている。それだけ三千代が好きなのだ。
三千代の「生々」とした声は、結婚前の彼女を思い出させただろう。今は少し弱ってはいるが、まだ三千代は若く、はつらつとしている。これが本来の彼女の持ち味なのだろう。
「三年のうちに大分 世帯染みちまつた。仕方がない」という苦言に対し、「あら、だつて、明日引越すんぢやありませんか」と「生々と」答える三千代。この返事には、「まだまだ私は「世帯染み」てなんかいませんよ」という意味と思いも込められており、当意即妙な受け答えができるかわいらしい人だ。漱石による三千代の人物形成は成功している。以前にも触れたが、漱石は、ちゃんと女性を描き出している。
「あら、だつて、明日引越すんぢやありませんか」と、自分の失点を鋭く突いた「快ささうな調子」の言葉に対し、代助は、「ぢや引越してから緩り来れば可いのに」と、「此方からも他愛なく追窮した」。昔のざっくばらんな関係の再現。
しかし三千代の様子はおかしい。「でも」と言った後、「少し挨拶に困つた色を、額の所へあらはして、一寸下を見たが、やがて頬を上げた。それが薄赤く染まつて居た」。この描写はとても分かりやすく三千代の心情を表している。金の無心という恥ずかしい依頼を言いだしずらい様子は、「困った色」や「一寸下を見た」に表れ、やがて決心したように「頬を上げ」る。ここで「頬」と言ったのは、「それが薄赤く染まつて居た」からだった。かつて愛した人に借金の依頼をすることは、平岡家の零落を意味する。本当はそのようなことはしたくないのだが、今、彼女が頼れる人は代助しかいないのだ。先にも述べたが、代助宅訪問前に三千代は金策に走っていたのだろう。以前は金の貸し借りなどをする仲ではなかった。それが今は変化してしまった。
三千代の「御願ひ」は、「御金の工面」であることを、「疳の鋭どい代助は」、「すぐ」に「悟」る。彼は、「平岡が東京へ着いた時から、いつか此問題に出逢ふ事だらうと思つて、半意識の下で覚悟してゐた」。代助にこう想像させることが、平岡にはあった。平岡との再開後、その様子を「あんなに、あせって」と代助は感じている。京阪での失敗。突然の帰京。夫婦のいさかい。職探しの依頼。それらはすべて、金策に困る平岡を表している。
借金の申し出を予測しながらも代助は、「何ですか、遠慮なく仰しやい」と言う。三千代の答えは、案の定、「少し御金の工面が出来なくつて?」というものだった。
「三千代の言葉は丸で子供の様に無邪気」だった。それは彼女の照れ隠しや、ことを大げさなものにしないように考えたからだが、「両方の頬は矢つ張り赤くなつてゐる」。それを代助は見逃さない。「代助は、此女に斯んな気恥づかしい思ひをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思つた」。
ここで代助が「甚だ気の毒に思つた」相手は、三千代ではなく平岡であることに注意すべきだ。この場面で代助の同情・憐憫の情は、まだ平岡に向いている。代助にとって三千代は、平岡の付帯物である。平岡の置かれた環境が良くなれば、自然、三千代も幸せになる。ここで代助はそう考えている。
これは後に変化することになる。
三千代は重い口を開き始める。「段々聞いて見ると、明日引越をする費用や、新らしく世帯を持つ為の金が入用なのではなかつた」。しかしその説明の内容は、代助に疑念を抱かせるものだった。
「支店の方を引き上げる時、向ふへ置き去りにして来た借金が三口」あり、「其一口を是非片付けなくてはならない」。それは、「東京へ着いたら一週間うちに、どうでもすると云ふ堅い約束をして来た上に、少し訳があつて、他の様に放つて置けない性質のもの」で、「だから、平岡も着いた明日から心配して、所々奔走してゐる」が、「まだ出来さうな様子が見えない」。それで「已を得ず三千代に云ひ付けて代助の所に頼みに寄こした」。
つまり三千代は、自分の意志ではなく、平岡の依頼で借金の申し込みに訪れたことになる。しかもそれは、数日中に返済しなければならない。
三千代の説明はまだ続く。
「支店長から借りた」「方は何時迄延ばして置いても構はない」。しかし、「此方の方を何うかしないと困る」。なぜかというと、「東京で運動する方に響いて来る」からだ。「代助は成程そんな事があるのかと思つた」ようだが、容易には理解しがたい部分がある。
一つは、至急返済しなければならない借金は、まだ京阪にいるうちに何とか金策し、返済すべきだったのではないか。その金を借りる相手や方法がなかったのか。帰京すれば借りるあてがあったのか。しかしそれがなかなか思うようにいかず、かなわないということか。
二つは、京阪での借金が、なぜ帰京後の「運動」に関係するのか。「運動」とは具体的に何なのか。
などである。
「金高」は「五百円と少し許」だった。「代助はなんだ其位と腹の中で考へたが、実際自分は一文もない。代助は、自分が金に不自由しない様でゐて、其実大いに不自由してゐる男だと気が付いた」。
ここから次のようなことがわかる。
一つは「五百円」(1円が今の2万円だとすると、1000万円)を、「なんだ其位」と感じる代助の金銭感覚だということ。
二つはその金を返済する力が平岡にはないこと。
三つは1000万円をそれほどの大金と考えない代助には、実際にそれを用立てる金が無いこと。
などだ。
「何でまた、そんなに借金をしたんですか」という当然の質問に対し、「だから私考へると厭になるのよ。私も病気をしたのが、悪いには悪いけれども」と、三千代はぼかした返答をする。借金の原因には自分の「病気」が関わっていることを暗示する。自分の病気が借金の原因になっていることの不快を述べる三千代。
代助はさらに、「病気の時の費用なんですか」と、これもごく自然な問いかけをする。しかしそれに対する三千代の返答は、またもぼかした形で終わってしまう。
「「ぢやないのよ。薬代なんか知れたもんですわ」
三千代は夫れ以上を語らなかつた。代助も夫れ以上を聞く勇気がなかつた。」
これでは借金の理由も金額も借りた先も全くわからないままだ。
代助は、「たゞ蒼白い三千代の顔を眺めて、その中に、漠然たる未来の不安を感じた」。代助が追及をしなかったのは、真実を聞くことは三千代を傷つけると考えたからだ。
三千代の体調回復のための医療費はそれほどの額ではない。だから、三千代には借金の原因と責任は無い。そうであるならば、平岡が何かの理由で作ってしまった借金ということになる。それはいったい何なのか? 代助はそう考えただろう。
三千代は確かに病気をした。しかしそれは借金の主な原因ではない。そうすると、平岡が三千代の病気中になにかへまをしでかしたということになる。想像をたくましくすると、弱っている妻の他に女ができたとか、賭け事に走ったとかが考えられる。だから三千代は借金の理由を明言できないのだ。
「疳の鋭どい代助は」、それらの暗い背景を三千代の後ろに見、「夫れ以上を聞く勇気がなかつた」のだ。
「蒼白い三千代の顔」「の中に、漠然たる未来の不安を感じた」の部分について。普通であれば三千代の体調の悪化を心配したというような表現になるのだろう。それが、「漠然たる未来の不安」となっているところが注目される。これは、代助にとって、平岡の借金が三千代の体調に悪影響を及ぼしており、それがさらには自分の「未来」にとっても「不安」材料となっているということを表している。つまり、自分にもその塁が及ぶ予感が、この時の代助にはあったということだ。
この悪い予感は、のちに的中することになる。




