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夏目漱石「それから」本文と評論4-4

◇本文

 平岡の細君は、色の白い割に髪の黒い、細面(ほそおもて)眉毛(まみへ)判然(はつきり)(うつ)る女である。一寸(ちよつと)見ると何所(どこ)となく(さみ)しい感じの起る所が、古版(こはん)の浮世絵に似てゐる。帰京後は色光沢(いろつや)がことに()くないやうだ。始めて旅宿で逢つた時、代助は少し驚ろいた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思つて、聞いて見たら、左様(さう)ぢやない、始終 ()うなんだと云はれた時は、気の毒になつた。

 三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶら/\してゐたが、()うしても、はか/″\しく癒らないので、仕舞に医者に見て(もら)つたら、()くは()からないが、ことに()ると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた。もし左様(さう)だとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しづゝ、後戻(あともど)りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来る丈養生に手を尽した所為(せゐ)か、一年許りするうちに、()案排(あんばい)に、元気が滅切(めつきり)よくなつた。色光沢(いろつや)も殆んど(もと)の様に冴々(さえ/″\)して見える日が多いので、当人も(よろこ)んでゐると、帰る一ヶ月ばかり前から、又 血色(けつしよく)が悪くなり出した。然し医者の話によると、今度のは心臓の(ため)ではない。心臓は、夫程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなつてゐない。(べん)の作用に故障があるものとは、今は決して認められないといふ診断であつた。――是は三千代が(ぢか)に代助に話した所である。代助は其時三千代の顔を見て、矢っ張り何か心配の(ため)ぢやないかしらと思つた。

 三千代は美しい線を奇麗に重ねた鮮やかな二重瞼(ふたへまぶた)を持つてゐる。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据ゑて(じつ)と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼の働らきと判断してゐた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代の()う云ふ眼遣(めづか)ひを見た。さうして今でも()く覚えてゐる。三千代の顔を頭の中に浮かべやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、此黒い、湿(うる)んだ様に(ぼか)された眼が、ぽつと出て来る。

 廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代は今代助の前に腰を掛けた。さうして奇麗な手を膝の上に(かさ)ねた。下にした手にも指輪を穿()めてゐる。上にした手にも指輪を穿めてゐる。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を()つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。

 三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思はず瞬(またゝ)きを一つした。

 汽車で着いた明日(あくるひ)平岡と一所に来る筈であつたけれども、つい気分が悪いので、来損(きそく)なつて仕舞つて、それからは一人でなくつては来る機会がないので、つい出ずにゐたが、今日は丁度、と云ひかけて、句を切つて、それから急に思ひ出した様に、此間来て呉れた時は、平岡が出掛際(でかけぎは)だつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様な(わび)をして、

「待つてゐらつしやれば()かつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた。けれども其調子は沈んでゐた。尤も是は此女の持ち調子で、代助は却つて其昔を(おも)ひ出した。

「だつて、大変忙しさうだつたから」

「えゝ、忙しい事は忙しいんですけれども――()いぢやありませんか。居らしつたつて。あんまり他人行儀ですわ」

 代助は、あの時、夫婦の間に何があつたか聞いて見様と思つたけれども、まづ已めにした。(いつも)なら調戯(からか)ひ半分に、あなたは何か叱られて、顔を赤くしてゐましたね、どんな悪い事をしたんですか位言ひかねない間柄(あひだがら)なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後から其場を取り繕ふ様に、いたましく聞えたので、冗談を云ひ募る元気も一寸(ちよつと)出なかつた。 (青空文庫より)


◇評論

 前話で代助は、「かつて奥さんと言ったことがない」と説明されていたことに対して、今話の「平岡の細君」というのは、わざとそのように表現されている。話者の第三者の客観的な立場から、また、世間から見れば明らかに、という物言い。


 これまでは暗示ばかりだったが、読者はついに三千代と対面する。

・「色の白い割に髪の黒い、細面(ほそおもて)眉毛(まみへ)判然(はつきり)(うつ)る女」…三千代の意志の強さを感じさせる。

・「一寸(ちよつと)見ると何所(どこ)となく(さみ)しい感じの起る所が、古版(こはん)の浮世絵に似てゐる」…翳りのある女は美しい

・「帰京後は色光沢(いろつや)がことに()くないやうだ。始めて旅宿で逢つた時、代助は少し驚ろいた位である」…もともと三千代の「色光沢」は悪いが、今はそれが増している。

・「汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思つて、聞いて見たら、左様(さう)ぢやない、始終 ()うなんだと云はれた時は、気の毒になつた」…体調不良が如実に感じられる顔色の悪さ。それは命の灯が細く短くなっているようで、代助はとても心配なのだ。「気の毒」と言う同情心も起こしている。


次に、三千代の体調不良の理由が説明される。

・「三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい」…初めて授かった愛する子の喪失は、自分の命を失ったかと思うほどの心痛を母親に与えただろう。三千代の場合には、それが心臓の不調につながってしまった。

・「医者に見て(もら)つたら、()くは()からないが、ことに()ると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた」。「難症だから、根治は覚束ないと宣告され」「出来る丈養生に手を尽した所為(せゐ)か、一年許りするうちに、()案排(あんばい)に、元気が滅切(めつきり)よくなつた」。

・それが、「帰る一ヶ月ばかり前から、又 血色(けつしよく)が悪くなり出した」。「医者の話によると、今度のは心臓の(ため)ではない」「といふ診断であつた」。三千代から直接その話を聞いた代助は、三千代の体調不良の原因を、「矢っ張り何か心配の(ため)ぢやないかしら」と疑う。


 顔色はひどく悪いが、その目の表情は以前と変わらない。「美しい線を奇麗に重ねた鮮やかな二重瞼」、「眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据ゑて(じつ)と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える」。黒目がちの女性。「三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代の()う云ふ眼遣(めづか)ひを見た」とは、他のものを見ているときも、自分が彼女のまなざしを受ける時も、そのように強く感じたのだろう。代助は「さうして今でも()く覚えてゐる」。

 「三千代の顔を頭の中に浮かべやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、此黒い、湿(うる)んだ様に(ぼか)された眼が、ぽつと出て来る」。

 代助は三千代の特徴のある目のまなざしの対象だった。


「廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代は今代助の前に腰を掛けた」

この「今」は、物語を現在進行形にすることで、読者も物語の時間の経過とともに体験しているような感覚にさせる効果があり、臨場感が増す。


「さうして奇麗な手を膝の上に(かさ)ねた。下にした手にも指輪を穿()めてゐる。上にした手にも指輪を穿めてゐる。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を()つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである」。

この時代の主婦は、水仕事をはじめとして、家事によって手が荒れることが多かっただろう。これに対し三千代の「手」は未だに「奇麗」さを保っている。結婚前のまだ若い思い出の時間と変わっていない三千代を、代助は好ましく思っただろう。

代助の目がいきなり人妻の手に注がれるこの場面は、代助の三千代への関心の高さ、三千代の女性性の表れとそれに気づく代助、三千代のしとやかさ、その手にはめている指輪の顕在化とそれに気づく代助、などの様々な要素を含んでいる。

ここに登場する「指輪」は、様々なことを想像させる。

「上」に置かれた指輪は、下のものよりも大事であることと、それを代助にはっきりと示し、気付かせる意図を持っている。「細い金の枠に比較的大きな真珠を()つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである」からだ。代助の「三年前」の贈り物を今でも大切に持っていることは、とりもなおさず代助への感謝やそれ以上の感情を三千代が抱いていることを表す。「あなたにいただいた指輪は、今でも大切な宝物なの」という意味だ。久しぶりに再会する代助に示すため、三千代はこの指輪をわざわざ指にはめ、わざとその方の手を上に置いたのだ。この三千代の様子を代助は好ましく思っただろうし、三千代には代助に対するある思いが今でもあることを表す。実際三千代の指輪は、代助を喜ばせている。彼女はまだ自分を忘れていないし、感謝だけでなく他の感情も持っているのではないかと、代助は期待しただろう。「細い金の枠に比較的大きな真珠を()つた当世風の」指輪は、普段使いには適さない。こんなものをはめていたら、日常生活に支障が出る。だから特別な時にはめる指輪なのだ。そうして今がその特別な時なのだ。

当然、下の指輪は平岡からもらった結婚指輪だろう。


「三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思はず瞬(またゝ)きを一つした」

三千代は代助の前でうつむき、手をきれいに重ねていた。しとやかさや控えめさ、久しぶりの再会に恥じらうさまがうかがわれる。

彼女は顔を上げる。代助に自分をさらすのだ。そうして、「例の眼」を代助に向け、代助に「思はず瞬(またゝ)きを一つ」させる。

ここに三千代の演技を感じることも可能だろう。指輪の効果もそうだったが、この女性は、こういうしぐさや目遣い、演出をすることができるのだ。これがもし我知らず自然に行っていたとしたら、恐るべき女性ということになる。男性はイチコロだ。従って、代助も同じだろう。三千代の一瞥(いちべつ)で、代助の心は完全につかまれてしまった。「思は」ぬ「一つ」の「瞬(またゝ)き」には、昔の三千代の面影の想起と、改めてその美しさに心がひきつけられたことを表す。しかも相手は人妻だ。いくら昔好きだったとはいえ、恋の炎を再び燃やすことは倫理に反することになる。(だからこそよけい燃え上がるということにもなるのだろうか)

別件だが、この「思はず瞬(またゝ)きを一つした」というのは、やや誇張したマンガ的な表現であり、漱石がこのようなありがちな表現を用いるのは珍しい。これは、代助が三千代の目遣いに寄って思わずそのような反応を取った、取ることしかできなかった、ということを表す。三千代の前で代助は、子供なのだ。


「顔を上げた」後は、三千代の独壇場だ。彼女の言葉は関を切ったようにあふれ出て、代助に注がれる。代助はそれを受けとめるのに精いっぱいの感がある。代助に対する思いが自分でも押えられないかのようだ。


「汽車で着いた明日(あくるひ)平岡と一所に来る筈であつたけれども、つい気分が悪いので、来損(きそく)なつて仕舞つて、それからは一人でなくつては来る機会がないので、つい出ずにゐたが、今日は丁度、と云ひかけて、句を切つて、それから急に思ひ出した様に、此間来て呉れた時は、平岡が出掛際(でかけぎは)だつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様な(わび)をして、

「待つてゐらつしやれば()かつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた。」


途中に少しの間が入るが、これがひとかたまりの三千代の長セリフとなっている。彼女は、息を継ぐのも惜しいのだ。それだけ代助が好きなのだ。こんな女性の姿を前に、男がときめかないわけがない。かわいらしくいじらしいと感じること必定。

昔と変わらぬざっくばらんでくだけた言葉と態度。時間と距離の隔りを感じさせない三千代。しかも、焦りながら一気に話した後には、「待つてゐらつしやれば()かつたのに」という「女らし」い「愛想」までおまけとして「つけ加」えられている。「ゆっぱりこの人かわいい」と、代助も心躍っただろう。

つまり、三千代の代助への好意は明らかであり、代助もまだ三千代が好きなわけだから(時々写真を眺めてる)、相思相愛なのだ。


ここは漱石によってとても興味深く描かれている場面なので、もう一度詳しく見ていきたい。

・「汽車で着いた明日(あくるひ)平岡と一所に来る筈であつた」……代助にとっては、三千代は帰京後すぐに自分に会いたいと思ってくれていたのだということがはっきりし、うれしかっただろう。

・「けれども、つい気分が悪いので、来損(きそく)なつて仕舞つて」……代助は三千代の体調不良が心配になる

・「それからは一人でなくつては来る機会がないので、つい出ずにゐた」……その理由は何なのだろうという疑問が浮かぶ。平岡はそれほど忙しいのか。

・「今日は丁度」……今日はちょうど出ることができた理由は何なのだろう。

・「と云ひかけて、句を切つて」……話の内容と三千代の様子が気になる

・「それから急に思ひ出した様に」……一旦停止した言葉と時間が、再び猛烈な勢いで動き出す。

・「此間来て呉れた時は、平岡が出掛際(でかけぎは)だつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様な(わび)をして」……やはりあの時夫婦に何かトラブルがあったのか、しかしそれをそのま告げることはできないので、三千代はオブラートに包んだ言い方をしているのだろう。

・「「待つてゐらつしやれば()かつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた」……最後のダメ押し。こんな人は、光の速さで好きになってしまうだろう。


この部分の三千代の様子と言葉は、代助に対する押し引きがとても激しく、代助の心を揺さぶるものだった。恋の手練手管に秀でた者の手法だ。

しかも三千代は、ただ明るく冗談を言うのではない。彼女の「其調子は沈んで」いる。沈んだ落ち着き・寂寥を感じさせる人がそのようであったから、なおさらそのコントラストが代助の心を強くひきつける。「是は此女の持ち調子」であり、「代助は却つて其昔を(おも)ひ出した」。彼女の寂しげな様子は、若かった昔を思い出させる。


「だつて、大変忙しさうだつたから」

夫婦間のトラブルを知っている代助は、ぼかした言い方をした。


「えゝ、忙しい事は忙しいんですけれども――()いぢやありませんか。居らしつたつて。あんまり他人行儀ですわ」

三千代は代助が、自分たちのいさかいを知らないと思ってこのような言い方をした。少しすねた言い方がかわいい。


「代助は、あの時、夫婦の間に何があつたか聞いて見様と思つたけれども、まづ已めにした。(いつも)なら調戯(からか)ひ半分に、あなたは何か叱られて、顔を赤くしてゐましたね、どんな悪い事をしたんですか位言ひかねない間柄(あひだがら)なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後から其場を取り繕ふ様に、いたましく聞えたので、冗談を云ひ募る元気も一寸(ちよつと)出なかつた」

代助は、このような細やかな心の働きを持っている人だ。ここはその相手が三千代であるから、さらに気遣いが感じられる。代助は三千代を大切に思っている。だからこそちょっかいを出してからかう時もあるし、「三千代の愛嬌」の裏側を推し量ることもできるのだ。愛する人の「いたまし」さが心配で、口をつぐむ代助。


互いに相手を思い、気づかい、冗談も言い合える関係。まるで恋人か夫婦のようなふたり。従ってこの物語はこの後、3人の「昔」(過去)へと(さかのぼ)ることになる。そのとき何があったのか、それが現在と未来にどうつながるのか。そこに読者の興味はひかれるだろう。

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