夏目漱石「それから」本文と評論4-3
◇本文
代助は椅子に腰を掛けた儘、新しく二度の世帯を東京に持つ、夫婦の未来を考へた。平岡は三年前新橋で分れた時とは、もう大分変つてゐる。彼の経歴は処世の階子段を一二段で踏み外したと同じ事である。まだ高い所へ上つてゐなかつた丈が、幸と云へば云ふ様なものゝ、世間の眼に映ずる程、身体に打撲を受けてゐないのみで、其実精神状態には既に狂ひが出来てゐる。始めて逢つた時、代助はすぐ左様思つた。けれども、三年間に起つた自分の方の変化を打算して見て、或は此方の心(こゝろ)が向ふに反響を起したのではなからうかと訂正した。が、其後平岡の旅宿へ尋ねて行つて、座敷へも這入らないで一所に外へ出た時の、容子から言語動作を眼の前に浮べて見ると、どうしても又最初の判断に戻らなければならなくなつた。平岡は其時顔の中心に一種の神経を寄せてゐた。風が吹いても、砂が飛んでも、強い刺激を受けさうな眉と眉の継目を、憚(はゞか)らず、ぴくつかせてゐた。さうして、口にする事が、内容の如何に関はらず、如何にも急しなく、且つ切なさうに、代助の耳に響いた。代助には、平岡の凡てが、恰も肺の強くない人の、重苦しい葛湯の中を片息で泳いでゐる様に取れた。
「あんなに、焦つて」と、電車へ乗つて飛んで行く平岡の姿を見送つた代助は、口の内でつぶやいだ。さうして旅宿に残されてゐる細君の事を考へた。
代助は此細君を捕まへて、かつて奥さんと云つた事がない。何時でも三千代さん/\と、結婚しない前の通りに、本名を呼んでゐる。代助は平岡に分れてから又引き返して、旅宿へ行つて、三千代さんに逢つて話をしやうかと思つた。けれども、何だか行けなかつた。足を停めて思案しても、今の自分には、行くのが悪いと云ふ意味はちつとも見出だせなかつた。けれども、気が咎めて行かれなかつた。勇気を出せば行かれると思つた。たゞ代助には是丈の勇気を出すのが苦痛であつた。夫で家へ帰つた。其代り帰つても、落ち付かない様な、物足らない様な、妙な心持がした。ので、又外へ出て酒を飲んだ。代助は酒をいくらでも飲む男である。ことに其晩はしたゝかに飲んだ。
「あの時は、何うかしてゐたんだ」と代助は椅子に倚りながら、比較的冷ややかな自己で、自己の影を批判した。
「何か御用ですか」と門野が又出て来た。袴を脱いで、足袋を脱いで、団子の様な素足を出してゐる。代助は黙つて門野の顔を見た。門野も代助の顔を見て、一寸の間突立つてゐた。
「おや、御呼びになつたんぢやないですか。おや、おや」と云つて引込んで行つた。代助は別段 可笑しいとも思はなかつた。
「小母さん、御呼びになつたんぢやないとさ。何うも変だと思つた。だから手も何も鳴らないつて云ふのに」といふ言葉が茶の間の方で聞こえた。夫から門野と婆さんの笑ふ声がした。
其時、待ち設けてゐる御客が来た。取次ぎに出た門野は意外な顔をして這入つて来た。さうして、其顔を代助の傍迄持つて来て、先生、奥さんですと囁(さゝや)く様に云つた。代助は黙つて椅子を離れて坐敷へ這入つた。 (青空文庫より)
◇評論
「新しく二度の世帯を東京に持つ」とは、東京で結婚し、その1年後に京阪地方の支店に転勤となった平岡夫婦の事。帰京し再び東京で一家を構えることになったのでこう言った。代助は平岡夫婦とは「三年前新橋で分れた」。見送りに行ったのだ。その「時とは、もう大分変」り、「彼の経歴は処世の階子段を一二段で踏み外したと同じ事である」。「其実精神状態には既に狂ひが出来てゐる」。代助の方もこの「三年間」で「変化」している。「平岡は其時顔の中心に一種の神経を寄せて」おり、「眉と眉の継目を、憚(はゞか)らず、ぴくつかせてゐた」。また、「口にする事が」、「如何にも急しなく、且つ切なさうに、代助の耳に響いた」。その様子は、「恰も肺の強くない人の、重苦しい葛湯の中を片息で泳いでゐる様に取れた」。
片息…今にも絶えそうで、苦しそうな息。(三省堂「新明解国語辞典」第6版)
息も絶え絶えに毎日の暮らしを何とか過ごす平岡。その様子は代助には、「あんなに、焦つて」と感じられる。「さうして旅宿に残されてゐる細君の事」を考える。代助は、平岡よりもその妻三千代が心配なのだ。
実はこの「あんなに、焦つて」というセリフはやがて代助自身に当てはまる・返ってくることになる。
「電車へ乗つて飛んで行く平岡」と、「旅宿に残されてゐる細君」との対比。二人の心のすれ違いは、決定的だ。
「代助は此細君を捕まへて、かつて奥さんと云つた事がない。何時でも三千代さん/\と、結婚しない前の通りに、本名を呼んでゐる」。
この部分は、代助の心の深層では三千代を平岡の妻だとは認めたくない心理が働いていることによる。代助にとって三千代は、「奥さん」でもなく「結婚」したことも前提とはなっていない。心理的には結婚前と同じ存在なのだ。
しかし人妻であることは厳然たる事実であり、それゆえ、「引き返して、旅宿へ行つて、三千代さんに逢つて話をしやうかと」思っても、「何だか行けなかつた」のだ。「今の自分には、行くのが悪いと云ふ意味はちつとも見出だせ」なくても、「気が咎めて行かれなかつた」。確かに「勇気を出せば行かれる」だろう。しかし「代助には是丈の勇気を出すのが苦痛であつた」。代助の三千代への無自覚の執心は、「家へ帰つた」後も、「落ち付かない様な、物足らない様な、妙な心持」をもたらす。少しでも心を落ち着かせるために、代助は「又外へ出て」「ことに其晩はしたゝかに飲んだ」。自分でも心のざわめきの意味とその良い対処法が思い浮かばない。比較的冷ややかな・冷静な目で、自己の影(自分の心の深層)を、批判する(振り返る)。しかし、「あの時は、何うかしてゐた」としか言いようがない代助だった。
そこに愚な門野が「何か御用ですか」と姿を現す。
「袴」と「足袋を脱いで、団子の様な素足を出してゐる」、間抜けな格好だ。「代助は黙つて門野の顔を見た」。いちいちその間抜けさを批判してもしようがないからだ。
門野は門野で、「代助の顔を見て、一寸の間突立つてゐた」。自分を呼んだように聞こえたが、それにしては何も言わずに黙っている。この主人はいったい何を考えているのだろうという気持ち。しかしどうやら主人は自分を呼んでいないようだ。それならば先ほどの声は何だったのだろうという気持ちから、「おや、御呼びになつたんぢやないですか。おや、おや」と言い、退場する。「おや」が3度繰り返されることで、代助に対し、「困った人だ」と揶揄・批判する気持ちが現れる。暇人につきあわされるこっちの身にもなれとでも言いたげだ。門野は代助を蔑視している。当然「代助は別段 可笑しいとも思はな」い。
ただ、このふたりのやり取りから、「あの時は、何うかしてゐたんだ」という代助の自己「批判」は、声となって思わず外に吐き出されたことがわかる。しかもその音量は、「茶の間」に控えている門野と婆さんの耳にも届くほどのものだった。代助の真情が、我知らず吐露された言葉だ。
茶の間に帰った門野は、代助のつぶやきを「何うも変だ」と婆さんとともに笑う。この笑いは、門野が代助を馬鹿にしていることを表す。
其時、待ち設けてゐる御客が来た。取次ぎに出た門野は意外な顔をして這入つて来た。さうして、其顔を代助の傍迄持つて来て、先生、奥さんですと囁(さゝや)く様に云つた。代助は黙つて椅子を離れて坐敷へ這入つた。
いよいよ三千代がやって来る。愚で俗な世界から代助を離してくれる存在だ。
門野は、男女の関係については敏感な、下衆な男だ。門野は平岡が来ると勝手に思っていたようだが、「意外な顔」を彼がする必要はない。それは独身の主人を訪問する若い女性ということで、ふたりへの批評を暗に含む態度になる。しかしその権利は彼にはない。「其顔を代助の傍迄持つて来て」や、「先生、奥さんですと囁(さゝや)く様に云つた」というのもいやらしい行動だ。これでは主人のもとにひそかに女性が通ってきたということになる。自分はその秘密を洩らさないという態度。主人に言われずともわかっています、秘密はちゃんと守ります、とでも言いたげだ。この部屋には門野と代助しかおらず、「囁(さゝや)く様に云」う必要もない。
このような下衆な人を相手に発すべき言葉はない。「代助は黙つて椅子を離れて坐敷へ這入つた」。卑から聖なる存在へと、心と体を移すのだ。




