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後編

何故よりにもよってこの人なのだろう。今だったら、口うるさい掃除長でも、野次馬職員でも本当に誰でもよかったのに。ミシャを驚いた顔で受け止めているのは、先日ひと悶着あったルイスだった。


一瞬間をおいて、ミシャは逆に冷静になった。ルイスに助けを求めることは絶対にないといったばかりである。こんなにすぐ手のひら返しをするわけにはいかない。それに、自分に何が起きたかをルイスに知られるのはなんだかとても恥ずかしかった。


「何でもないんです。ぶつかってしまい、大変申し訳ございません。では。」


とっさに取り繕ってその場を立ち去ろうとした。そんなミシャの腕をルイスは反射的につかんだ。


ルイスはミシャを自分の胸に引き寄せると、足元まである黒いマントですっぽりと覆い隠した。


そして近くの適当な部屋に入ると鍵を閉め、扉に背を預けて外の気配を伺った。部屋の中はカーテンを閉じていない窓から月明かりが差し込んでいた。


マントの中でルイスに抱きしめられる形になっていたミシャは、何が何だかわからず混乱していたが、段々とルイスが自分を助けてくれたことに気づき始めた。カイトから離れられた安心感と、あの高慢なルイスが助けてくれた驚きと、そんなルイスに安堵している自分への悔しさなどがないまぜになって、ミシャの感情はぐしゃぐしゃだ。とうとう顔を真っ赤にして泣き出してしまった。


ルイスにバレまいと必死に声を押し殺していたが泣いているのは明白である。そんなミシャを見てルイスはぎょっとしたが、はぁっと一息つくと白い手袋を着けた手でミシャの涙をぬぐい始めた。ミシャに何が起きたのか話を聞こうとしたが、とてもそれどころではなかったので、彼女を落ち着かせることから始めたのである。ミシャはびっくりしてルイスを見たが、ルイスの手は止まらなかった。両手で顔を包むと、優しい手つきで目元を、頬をなぞった。その優しさが余計に泣けてきて、ミシャはさらに大粒の涙をぼろぼろとこぼしてみっともない声を上げた。


「んぐっ、うぅ゙ぇ、ひっく、」


「おいおい……。」


ルイスは途方に暮れた表情を浮かべたが、ポケットからハンカチを取り出すと、片手でミシャの後頭部を支え、もう片方の手で涙を拭き始めた。ミシャはされるがままだった。ルイスのハンカチはとてもいいものなのだろう。肌触りがよく、清潔な香りがした。


心地のいいハンカチのおかげで少し落ち着いたミシャは、改めてルイスを見た。いつも嫌味を言ってくる憎き高慢ちきなルイスは、ミシャにとって人ではなくただの自然災害だったはずだ。しかし、ルイスの硬くて厚い胸から伝わる体温や、まとう香り、優しい指先に触れてしまえば、それをきっかけに、今まで見てきたルイスが嘘だったかのようにピントが合った。ミシャより頭一つ分以上は高い背。がっしりとした肩。硬く結ばれていて、意志の強さを感じさせる薄い唇。七三に分けてかき上げられたシルバーの髪。形のいい眉。そしてすべてを見透かすような緑の瞳。


今まで視野に入れていなかった情報が一気に入ってきて、ミシャはさっきとは別の理由で顔を赤らめた。ミシャにはもうルイスが精悍な美青年にしか見えなかった。


ふとルイスの緑の瞳が、ミシャの黒い瞳を見つめた。ミシャは体が熱くなるのを感じたが、ルイスの視線はすぐに離れて下に移動して、彼は顔をしかめた。ミシャも視線の先をたどると、自分が今どんな状態になっているのか思い出した。


「はっ……。やだ。」


ミシャは鮮明に脳裏によみがえるカイトの舌の感触が気持ち悪くて、ワンピースの裾でごしごしと首をこすり始めた。


「汚いっ。」

「おい、やめろ!」


ルイスはミシャの手首をつかんだ。せっかく落ち着きを取り戻し始めたミシャだったが、先ほど感じた恐怖とルイスに見られた恥ずかしさで小さく震えだした。


「何をされた。」

「ボタンを外されて……。首を舐められました。」


普段しっかりとボタンを閉じているミシャの首元だったが、今は胸元まではだけられていて、痕がいくつも残された首筋と胸元のふくらみが露わになっていた。ルイスは彼女がされたことを想像して胸糞が悪い気分になったが、それは顔に出さずに彼女のボタンを留めようとした。


「こんなの、洗ったって落ちない……。ひっく、気持ち悪い。」



絶望してそうこぼした彼女に、ルイスは思わず手を止めた。表面的には綺麗になるだろうが、きっとミシャにとっては本当の意味で綺麗にはならない。彼女にされたことの記憶が、これからも彼女を苛むのだろう。何とかしてやりたい。そう素直に思ったルイスは、ミシャをかき抱いて首筋に顔を寄せると、何を思ったのか舐め上げた。


「ひぁっ。」


突然の行動に思わず変な声を上げてしまったミシャだったが、不快感が全くないことに驚いた。ミシャから嫌悪の雰囲気を感じなかったルイスは、目を点にしている彼女に構わず白くて細い首を舐め続けた。


「る、ルイス様!?なにを」

「単なる医療行為だ。それ以上でも以下でもない。」


黙っていろとミシャをにらむと、ルイスは赤く残った痕に唇をつけ、吸った。


「んんぅ。はぁっ。」


くすぐったいけどそれだけではないような感覚がして、ミシャは上ずった声をこぼし続けた。これのどこが医療行為だ。こんなにはしたない医療行為があってたまるか。だが、皮肉にもミシャの中からカイトにされたことはすっかり吹き飛んでしまった。


「ルイス様……。んっ、もうっ大丈夫ですから。」


今まで恋人がいたことが無かったミシャはこんなことされたことが無い。カイトはノーカンだ。目の前の男が施す行為にただただ圧倒されて立っていられなくなった。そんなミシャをルイスは片手で支えた。


「あとは?」

「へっ?」

「あとは何をされたんだ。」


なおも首筋を舐め、吸い続けながら聞くルイスに、ミシャは息も絶え絶えになって答えた。


「全身を触られて、きっ……キスをされました。」


下半身を擦り付けられたとは言えなかった。自分で言って、ミシャはファーストキスをカイトに奪われたことに気づいて悲しくなった。心のどこかで初めては好きな人となんて思っていたのかもしれない。


「わかった。」


ルイスは鎖骨から顎まで舐め上げると、そのまま唇を重ねた。そしてただでさえ密着しているのに、その長い脚をミシャに絡ませてさらにきつく抱き寄せた。


「んっ、ルイス様、あっんむぅ。」


ミシャは超至近距離でルイスの瞳を見つめ、恥ずかしくなって目を閉じた。ルイスは手をミシャの髪に差し込んで、なだめるようにその地肌を撫でている。優しい手つきながらもミシャが離れることを許さない。


ルイスの舌はミシャの歯列を丁寧になぞり、すすった。流れ込む唾液を飲み込めず、ミシャの口の端からだらだらとこぼれてゆく。

ミシャは段々と意識がもうろうとしてきた。


「るいすさまっ……ルイスさま、もうほんとにっ大丈夫ですから、んっぅ」


ルイスの唇が離れた隙にすかさずミシャは言葉を発した。


「そうか。」


ルイスは治療完了とでもいうようにミシャの唇を親指で拭うと、ようやく解放したのだった。







その後のことはよく覚えていないが、ルイスは女性職員寮まで送ってくれた道すがら、誰に何をされたのか、どういう状況だったのかをミシャに聞いた。そして寮に着いて寮母に事情を説明すると、寮母はミシャを憐れみの目で見た。


「怖い思いをしたわね。今日はもう部屋に戻って休みなさい。」

「私、仕事がまだ」

「そんな状態で働けるか。おとなしく部屋に戻れ。」

「でも掃除長に報告しないと」

「いいから。あとのことはこちらで処理する。」


ミシャは1ミリも手をつけていない仕事のことで気が気ではなかったが、有無を言わせないルイスの鋭さに引き下がるしかなかった。

ルイスはミシャと寮母に騎士の礼をすると、マントを翻して去っていった。

その後ろ姿をミシャはしばらく見つめたのだった。



結果として、カイトは王宮で婦女暴行を働いたとして逮捕された。ルイスに寮まで送られた翌日、ミシャは宮廷騎士の事情聴取を受けることになった。平民の自分に非があるように扱われるのではないかと思っていたが、騎士たちの対応は驚くほど丁寧だった。

カイトは逮捕されたが、多額の金を支払って釈放された。しかし、彼にはミシャへの付きまとい禁止命令が出され、これを破ればより厳しい措置が取られるため、カイトも下手なことはしないだろう。

ミシャがカイトに襲われた日からたったの一週間で事件は収束してしまったのだ。

長年カイトのストーカーじみた行為に悩まされてきたミシャとしては、こうもあっさりと解決してしまって拍子抜けしていた。


事情を知った同僚たちからは気づかわし気な視線を浴びることになった。


「私たち、何も知らないで無神経なこと言っちゃって……。本当にごめんなさいね。」

「私からも謝るわ。」

「何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね。」

「は、はぁ。お気遣いありがとうございます。」


同僚たちは次々に謝罪すると、お詫びの品として流行りの菓子や化粧品をくれた。



そうしてミシャの平和な日常が戻ってきた。それもこれも、認めたくはないがルイスのおかげだろう。

事件がスピード解決されたのも、ミシャが職場に無事戻れたのも、おそらくルイスが各所で手を回してくれたのだろう。彼には感謝している。感謝しているが。

あの日から三週間。ミシャはルイスのことを避けまくっていた。


彼には本当に助けられた。ミシャは菓子折りを用意して、何度も彼に礼をしようとした。

しかし、いざ彼を目の前にすると心臓が早鐘を打ち、体が言うことを聞かなくなる。恩があるとはいえ、相手はあの大嫌いな高慢ちき騎士だ。さっさと礼をしてこの件を終わらせたいのに。


なかなか渡せずにいた菓子は賞味期限を迎え、一度買いなおしている。次こそは渡したい。

あれから担当場所が変更され、ミシャの担当は外廊下から中庭の広場になった。広場は王宮の内部に位置するため、外部の人間が通ることはほとんどない。ミシャを気遣った人事だろう。ありがたいことだ。

だが、ここは宮廷騎士の訓練場が近くにあり、騎士たちが剣をふるっている姿をまじまじと見ることができる。外廊下よりも非常に安全だと言えるが、ルイスの姿を一日に何度も見る羽目になっていた。

だからこそ礼を言うチャンスは何度もあったはずなのに、ルイスを見つけると中庭の大きな木の陰に隠れてしまうのだ。


この日もミシャが広場の掃除をしていると、遠くから訓練終わりのルイスが歩いてくるのが見えた。

今日こそは決着をつけたい。そう意気込んだミシャは隅に置いていた菓子折りをつかむと、ルイスに声をかけようとした。

その時、ルイスの切れ長な目がミシャを見た。その瞬間、気づけばミシャは逃げ出して木陰に隠れてしまった。


「もうっ、私の意気地なし、根性なし!

ただありがとうございましたって渡せばいいだけじゃない。」


ミシャは木に背中を預けて膝を抱えた。


「……もう自分で食べちゃおうかな、これ。」

「それは俺のだろう。さっさとよこせ。」

「ひぃっ。」


突然菓子折りの紙袋をひったくられ、あぜんとするミシャは目の前の人物をみて体をすくませた。


「ル、ルイス様……。」

「貴様、俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」


地面に座り込んだミシャを腕を組んだルイス立ったまま見下ろしていた。


「ルイス様には本当に、そのっ感謝しております。助けていただきありがとうございました!」

ミシャは立つのも忘れて座ったまま頭を下げた。


「くっ、ははっ、ちゃんと礼を言えるじゃないか。」

「お礼をするのが遅くなっていしまい、大変申し訳ございませんでした。」

「こっちは待ちくたびれていたんだ。あまりにも逃げ回るものだから、捕まえに来てやったんだ。」


ルイスは意地悪く笑うと、座り込むミシャの前に両膝をついた。

一気に距離が近づいて、ミシャは顔を赤らめた。


「ルイス様、」

「俺はな、貴様が大嫌いだ。その貧乏くさい顔も、控えめな態度も、地味な髪と目の色も。」


ルイスは両手でミシャの頬を包み込んだ。


「っ、私だって、あなたなんか大嫌いです!!」


ミシャは涙目になりながら反射的に口走った。


「ああ、知っているとも。そんな貴様を俺は助けてやったんだ。その礼がこんな菓子だけとは割に合わないだろう?」


ルイスはミシャの頬を愛おしそうに撫でた。白い手袋を着けた大きな手に撫でられて、ミシャは罵られているのに心地よさに思わず目を細めた。


「だから貴様には嫌がらせをしてやる。」

「これ以上何をするんですか。」


今まで彼には散々いびられてきた。今更嫌がらせといわれても。

そう思っているミシャの唇を親指でなぞると、ルイスはミシャの頭を抱き寄せた。


「貴様が俺の恋人だと言いふらしてやる。」

「はっ!?んうっ」

この男は何を言っているんだ、抗議の声を上げようとしたミシャの口をルイスの形の整った唇がふさいだ。


「んっ、ちゅ、どうだ、嫌いな俺の恋人だと認識されるのは、貴様にとって屈辱的なことだろう。」

「ルイス様、ん、はぁ、何を言って、」

「ははっ、悔しいだろう、ちゅっ、ぢゅぅ。

平気な顔したって無駄だ。いつも俺の言ったことで貴様が泣くのを我慢しているのを知っているんだからな。んっ、」


ルイスの左手はミシャの背中に回され、右手は頬を撫で続けている。

訓練後で汗をかいているだろうに、ルイスからは品のいい香りがした。香水だろうか。ミシャは無意識にうっとりした。


私の恋人だって思われてルイス様のほうこそ屈辱じゃないの?

ふとミシャは疑問に思ったが、なかなか終わりそうにないキスを前に考えることをやめたのであった。







ルイスは気になる子を気になっているという自覚がないままいじめてしまうタイプです!!



誤字報告ありがとうございます!なんて便利なんだ……。


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