プロローグ ―白昼夢の始まり―
" もし " 、魔法が使えたのなら。
───そんなことを考えながら、僕は未だ果たせずにいる " 彼女 " との約束を思い返す。
薄いカーテンの隙間からは、春の木漏れ日。
照らされた原稿用紙には、「完」の一文字。
僕はぐっと伸びをして、それから携えたペンをそっと立てる。
それは、「魔法使い」の仕事に一区切りがついたという合図。真っ白の壁に掛かった時計の針は、まだ昼の12時を少し過ぎたところ。
何だか少し、昔話をしたい気分だ。
僕は瞼を下ろし、誰に聞かせるでもない独り言を口にする。
『もし、魔法が使えたのなら』
………………魔法、絶対使えるようになるから。
だから、そのときは君を迎えに行くよ。
───ありがとう。でも、ごめん。
なんで謝るんだよ。
───だって、君はもう、私と出会っちゃいけないから。
そんなの、一体誰が決めたんだよ。
───多分、君自身が。
僕はそんなこと思わないよ。これからもずっと、一緒にいたいと思ってるよ。
───ふふ、ありがとう。でも、だからこそ、私はもう行かなくちゃ。
あ、おい! ちょっと待ってよ。
───それじゃ、バイバイ。
絶対、絶対魔法使いになるから! だからそのときは、また一緒にいてくれるよね?
たしか、返事は無かった。
これは僕の、まだ幼かった頃の思い出。思い出と称するには、少し苦い。
友との別れか、あるいは単なる失恋か。そんな理由で、僕は魔法使いを目指すようになった。
幸いにも、(改めて考えると全然幸いなことじゃないのだけれど)僕にはそんなおかしな夢が「夢」にすぎないと諭してくれるような人はいなかった。
家に帰っても、出迎えるのは虚空の静。放課後を共にする友人の持ち合わせも、僕には無かった。
無論、最初から学友に恵まれていなかったわけではない。それこそ魔法使いを目指して間もない頃は、僕の掲げる大きすぎた夢に賛同してくれる同志はいたさ。
毎日魔法を使う練習に没頭し、我流すぎる魔力向上・魔術詠唱の研究も欠かさなかった。
そして、両隣にはいつも僕と同じ、一点の曇もないような瞳の少年少女が、杖やら剣やらを振っていた。
しかしそれも小学校高学年までの話。
中学に入る頃には、かつての同志はどこかへ散り、僕一人が出来損ないの魔法陣の上に残された。
人は僕を指差し「中二病」だと笑ったが、僕は至って健常だった。僕には、彼ら彼女らが何故僕を笑うのかが理解できなかった。
そんな3年間はあっという間に過ぎ去り、僕は高校生になった。未だ魔法使いにはなれず、 " 彼女 " との約束も果たせておらず。
「『魔法』ってさ、何も超能力の類だけが魔法じゃないと思うんだよね」
どこかの誰かがそう言った。
誰のセリフであったか。声の主と僕との関係すらも今となっては思い出せない。が、僕はその言葉に強く胸を打たれた。
結局、僕は絵本に出てくるような魔法使いになることは諦めた。今思うと馬鹿らしいが、そのときは断腸の思いだったはず。僕の人生で、涙を流したのはその時だけだ。
しかし僕は諦めない。
たとえ魔術適正が無かったとしても、僕は魔法使いへの道を自ら閉ざすことはしなかった。
僕自身に魔力が宿っていないなら、魔力を必要としない魔法使いになればいい。
僕には、「魔法を使わない魔法使い」に一人心当たりがあった。
「───あら、君、今日も来たのね」
それは僕よりも少し歳を重ねた、しかしまだまだ若い女の人だった。
その人は僕の数少ない知人の一人で、遡ること数年前。まだ下の毛も生え揃っていない頃だ。
例のごとく図書館で「魔術書」なるものを探していたとき。突然背後から声をかけられた。
「そんな難しい本、一体どうするの」
それが彼女の第一声。
そこから少し話すようになり、いつの間にか彼女は僕の先生だった。
読めない漢字や英語の読み方を僕に教え、訊いてもいないオススメの小説なんかも、彼女は僕に話すのだった。
そんな、僕にとっての先生であると共に、彼女は一人の絵本作家でもあった。
彼女の書いた本を何冊か読んだが、それは素晴らしい物語ばかりだったことを記憶している。
さらに彼女は絵本以外にも数冊、ファンタジー小説を出しており、これまたどっぷりと引き込まれた。
まるで " 魔法にかけられたように " 、彼女の創り出す世界に引き込まれてしまったことの意味を、僕はようやく理解した。
思い立ったが吉日、僕はその日のうちに彼女に弟子入りすることを決めた。
いつもの図書館で、僕は地に額を押し弟子入りを志願した。「僕を魔法使いにしてください」と。
最初は戸惑っていた彼女だったが、それでも最終的には快く引き受けてくれた。
それからというもの、僕は執筆活動に明け暮れる日々を過ごした。
唸るような暑い夏も、吐く息の白く染まる冬の日も。僕は部屋に籠もりひたすら書き綴った。
もし僕が作家として大成すれば、きっと「彼女」の目にも僕の名前が留まるはずだ。
そしてそれは、僕と彼女とを繋いでくれる「魔法」であると、そう信じるようになっていた。
それだけを目標に、僕は幾多もの世界を創り、そして壊し続けた。
「これじゃ魔法使いじゃなくて破壊神だな」と、ゴミ箱に屠られたぐしゃぐしゃの小宇宙群を目の前に、幾度となく懺悔を続けた。
───全ては、あの日の約束を果たすために。「魔法使い」になるために。
………何度目の春だろうか。
しかし僕にとっては初めての春。
「おめでとうございます。あなたの作品が選ばれました」
一本の電話の後、僕は晴れて魔法使いになったのだ。
作家としてのデビュー。しかし、そこに感動や達成感といったものは存在しなかった。
心にあるのは、安堵のみ。
これでやっと、約束を叶えることが、できる。
───そう思うと、なんだか息が詰まったような。
苦しいような、それでいてスーッと気が抜けていくような。
微睡みにも近いその感覚に流されるまま、僕は膝から崩れ落ちた。
徐々に光を失う視界。耳鳴り。覆い被さる倦怠感。
僕が目を醒ましたのは、それから数日が経ってからだった。
第1話へ続く。