第五話「面従腹背な彼女(ライアー・ガール)」前編
第五話「面従腹背な彼女」前編
ガサッガサッ……
超富豪でナイスな二枚目、阿久津 正道は、頼りの殆どが月明かりという中々に田舎な夜道を歩いていた。
「……」
街灯から街灯への間隔はかなり遠く、そして道自体の舗装はされてはいるが、普通車一台分の道幅という……都浦伏市街から車で数十分離れただけで我が自宅周りはこの有様だ。
――まぁなぁ、日本の地方都市なんて大概こんな感じだろうけど
ガサッガサッ……
虫の音さえ無い静寂の暗中で、ガサガサと耳障りな音を奏でているのは――
ガサッ
俺の指先から吊され、歩行の上下運動でリズミカルに踊る……価格三円ほどの有料コンビニ袋さんである。
少し遅い夕食の買い出しへと徒歩で十分ほど離れた全国チェーンの牛丼屋へと赴き、そして飲み物とちょっとした日常品を買い足す為に道中コンビニに寄った帰りだ。
「……」
やがて俺は我が居城の門前まで辿り着き、そして立ち止まってやや上方を見る。
――ピピッ
閉ざされた門扉の上部分、三メートル程の高さに掲げられた”阿久津”の木札を見上げた俺に反応し、数瞬遅れで聞こえるか聞こえないかという電子音が鳴った。
ヴォォーーン!ヴォォーーン!
続いて純和風で木造な門扉が、その古風さには似合わない機械音を響かせながら内側へ向けてゆっくりと観音開きに開門される。
「なんか……なぁ、出来の悪いSFみたいで趣味悪いよなぁ」
阿久津屋敷の正門は予め登録された人間の瞳による虹彩認証と言うやつらしく、ぱっと見の純和風な見た目とは大いなる違和感であった。
”この”無粋な代物は――
我が有能な秘書であるところの”錦嗣 直子”が、頼みもしないのに……っていうか!勝手に改造させた最新鋭警備システムの一部ということらしい。
「俺の立場的に解らんでもないが……さすがに”高圧電流”とかはやり過ぎだって」
”はぁ”と、溜息交じりに門を潜る俺は、その際に屋敷の敷地を囲む高い高い塀をチラリと見やってから帰宅したのだった。
――
「帰られたのですね、正道様」
居間に入った俺が、手にぶら下げていたビニール袋を座卓に置いたと同時くらいだったろうか、襖越しになんとも透き通った可愛い声をかけられる。
「ああ、ちょっと今夜は食事の用意が無かったからそこらで買って来…………」
背後で襖の引かれる音を確認しながら、ゆっくり声の方へと振り向いた俺は、言いかけたまま固まっていた。
「そうなんですね、お申し付け頂ければ私が用意しましたのに」
応えて部屋に入ってきた件の少女の姿は――
「…………」
室内の人工的な光を”てらてら”と反射して輝く薄く白い着物姿……
解り易く言うならば、時代劇などで女性が就寝時に身に着けているアレだ。
「”梅屋”……あ、識ってます!これは確か”牛丼”という庶民の食卓を彩る料理ですね」
彼女は俺の置いた袋に書かれた店名ロゴを興味深げに注視した後、嬉しそうに白い手を胸の前で軽く打つが……
――俺はそれどころじゃ無い!
純和風の寝衣の光沢と滑らかそうな質感から寝衣は恐らくかなり上等な絹製で、そしてその至高の絹よりも白く輝く理肌細やかな肌の美少女。
「……あ、ああ」
その身に纏いし高貴な装束がしっとりと馴染む露出した華奢な首元……
不意に目に飛び込んで来た、上絹と美少女の眩しくも蕩ける様な”純白の共艶”に俺は振り向いた体勢のまま固まってしまったのだ!
「………………………………ゴクリ」
そして……思わず緊張で渇いた咽を鳴らしてしまう。
――いやいや!コレは反則だってっ!!
光が蕩けるほどの純白って!華遙 沙穂利の艶やかな黒髪にメチャクチャ似合うだろっ!!
というか……
テレビで見た時代劇とかではタダの白い着物という印象だったけど、
――こうして生で見ると、なんていうか……
実際はそんなに露出の多い恰好では無いし、身体の線が際立てて強調されている訳でもない。
それに女性特有の冷え性対策だろうか?
彼女はその上にニットのカーディガンを羽織っているのだ。
露出自体は低いのだ……低いんだけども……
――そこはかとなくエロいっ!!てかドキドキするぅぅ!
そんな不埒な妄想に、一瞬にして頭の中を制圧されてしまった俺だが、そこは根が紳士な俺だ!
今夜の個人的有効活用?のために、ガン見してしっかり網膜に焼き付けるだけで……
「あの……正道様?」
「おおうっ!?ふ、二人分買って来たから!少し遅くなったけど、ゆ、夕食にしよう」
「は……はい」
少しだけ怪訝そうな彼女にバレないように、俺はサッサと袋から食料を……
「…………」
と、そう思いながらも未だ彼女をチラ見してしまう残念な俺。
「あ……もしかして、少しミスコーデな感じだったでしょうか?」
「へ?」
「すみません。寝室が洋室、和室どちらでも対応できるように夜着は用意したのですが、防寒まで考えが至らなくて……」
――いやいや!”卑しい男の性的”な理由です!ごめんなさい!!
俺は不埒な自分に対して謝罪する少女に大変申し訳なくなり、心中で土下座していた。
「そ、それより食べよう、詳しい話もそれからだ」
なんとか取り繕った俺に促され、和装の美少女は素直に対面に腰を下ろす。
「……」
「……」
座敷の卓上に梅屋の牛丼とコンビニ袋、そしてそれを挟んで対面で座る俺とお嬢様。
――と、取りあえずは飯だ!
古来より”腹が減っては戦はできぬ”と言うしな……話し合いはそれか……
そう思いながらも、俺は未だに目前で割り箸に手を着ける美少女の身体を視線で追って……
「あ!」
ビクゥッ!!
「す、すみませんっ!!つい出来心でっ!後で夜のお供とかにはしないですからっ!!マ、マジでっ!!」
俺は少女の声に過剰に反応して座ったまま飛び退き、素早く土下座していた。
「……お供?」
その光景にお嬢様はポカンと意味が解らないという視線を……
――しまったぁぁっ!!早とちりで謝罪を!!
疚しさからだろう、俺の土下座は世界記録に匹敵するスピードだったのだ。
「?……あの、お言葉に甘えてお風呂を先に使わせて頂きました。当主の正道様より先に申し訳ありません」
――そっちかぁぁぁぁーー
お嬢様はその育ちの良さを思わせる綺麗な所作で頭を下げる。
「い、いや、俺はいつも遅い時間だから気にしなくていいよ」
彼女の言うとおり、俺は先に彼女に入浴を勧めてからその間に夕食を買い出しに行っていたのだ。
――理由は……わかるだろう?
”良家の子女”という、ただでさえ無敵の肩書きの前に”超”が幾つも陳列されるような輝く黒髪で純情可憐な美少女様と!
一つ屋根の下という神展開で”お風呂イベント”なんて起こった日には”もう覗くしか……
い、いや!!それは流石にこの状況では……
と言うわけで、落ち着かないから俺は外出ついでに買い出しに行っていたのだ。
「大きなお風呂で驚きました、檜の良い香りも心地よくて」
なんだかとても愉しそうに話す実に可愛いらしい生き物は、少し前の、心中に刃を仕込んでいるように感じた少女と同一とは信じ難い。
きっと”箱入り”だった彼女にとって、状況は兎も角も興味を引く出来事が多いのだろう。
「温泉とかもこんな感じなんでしょうか?」
――しかし
こんなに愉しそうな表情を見せられては、俺もつい毒気を抜かれる。
「そうなんだよ!日本の温泉宿を参考にして、一応風呂には力を入れて改装したんだ!やっぱり疲れは大きな風呂に浸かって取ってなんぼだよなぁ……」
「けど、華遙さんはお嬢様なのに旅行とか行かないのか?意外だな」
「華遙家はお爺……会長が、食事や睡眠などは簡素に時間を掛けず、勉学や仕事に専念するようにと、家訓みたいなものです」
一瞬、曇った表情を見せる華遙 沙穂利は誤魔化すように笑って答える。
「”時は金なり”ってかぁ……なるほど日本人らしいなぁ」
俺はそれを……態と気づかないようにして、そしてあくまで楽しい会話として続けた。
「俺はどんなに忙しくても風呂と食事は出来るだけ妥協しないようにしてるよ、一応俺の恩人……というかその国、いや民族か?ともかく海外では、生きる糧になる楽しみは豊かな人生を送る必須アイテムで、人間の三大欲求なんてのはその最たるものだから疎かにすると逆に仕事とか”出来ない奴”ってレッテル貼られる」
「そうなんですね、所変わればでしょうか」
興味深げに俺の顔を見る”銀光の流路”の瞳は、今は裏表の無い純粋なお嬢様の気がした。
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