第六話「傀儡」後編
第六話「傀儡」後編
少女らしい華奢な両肩、そしてそれを覆う白い絹から伝わる体温……
――あれれ?
どれもが想像していたよりもずっと繊細な感触で、そしてなにより……
――この手触りというか……違和感?
「…………え……と」
男の意地というか、くだらない嫉妬というか、彼女にも少しくらい怖い思いをさせてやろうと意気込んだ俺だが、既の所で衣越しにも感じる”頼りなさ”にその手が止まる。
――あくまで感覚的なモノだが……”なんだか嫌な予感”が……する
「えと……あの」
「…………」
気づいた時には俺は、相変わらず動じていない少女に情けない視線を向けていた。
「ええ、着けていません」
ポツリと、けれどしっかりと!
華遙 沙穂利は簡潔に宣言する。
「…………」
――着けてない?
――着けてないって……ええと……
――こ、この場合”あれ”だよねぇ?
俺はかなり混乱した頭で目の前の白い絹地に包まれた少女の身体を無作法に見る。
――”下着”?……ブラ?orパン……あれれぇ??
「和装ですから」
――忠実っ!!
――お嬢様!基本に忠実すぎぃっ!!
「おおおぅっ!?」
俺はババッと両手を万歳し、奇襲をかけられた猫の様に咄嗟に後方へと飛び退く。
――いやいやいやいやいやっ!!
――無理!そこまでムリ!俺には無理ゲーっ!!
俺はちょっとだけ、相手にもされていない事に対する腹いせというか、
こっちの事情に聞く耳を持たないお嬢様をちょびっとだけ懲らしめてやろうというか、
そんな感じで少し恥ずかしい目に遭わせてやろうと、
やろうと……
――だって”寝衣”を脱がそうものなら、彼女は一糸も纏ってないってことだろぉっ!?
俺は既に彼女から距離を置いた場所で背を向けて蹲っていた。
「う……うぅ」
プルプルと震えるその背は”ビビり猫”改め”負け犬”そのものだった。
「途中で泣いても止めてくれないのでは?」
「うっ!うるさぁぁいい!!」
機先を制され”泣きたい”のは俺の方!
対して冷静すぎる彼女の一言に俺は……泣く、鳴く、
「うわぁぁぁぁん!!」
”負け犬の遠吠え”宜しく叫んだのだった。
――う……く……このままではせっかく腹をくくった”悪の威厳”が……
――ご希望通り悪に徹して脅かしてやろうとした悪の……いや、男の威厳が……
「……」
超余裕な美少女の視線に晒されながら、俺は……
――はっ!
「あ、あれだ!そうそう!今日はどうしようも無い理由がっ!」
「…………理由?」
「そうそう!決して”悪ぶってみたけど、予想外の事態に急にビビった訳じゃないからなっ!」
――阿久津 正道は虚勢を吐くには馬鹿すぎた
「どのような訳でしょう」
――そして華遙 沙穂利は意外と容赦が無い
「あ、あれだ……あの……あれ……」
「あれとは?」
完全に追い詰められた半泣き馬鹿は……
「”あの日”なんだっ!!そうそうっ!今日は”あの日”だから仕方が無いっ!ああ、残念無念!」
――って……”どの日”だぁぁっ!!
「…………」
これって倦怠期の奥さんが言う常套句?
”男”としては聞いたことも無い言い訳の内容に、少女はすっかり呆れているのだろうか?黙ったままだった。
「う……」
――くっ!言うに事欠いて“あの日”だと!?
――男が?なんで?おおおおおおっ!!
――馬鹿か!?馬鹿なのか俺っ!?
「と、とにかく!今夜のところはこれで終わりだ!てか明日は学校サボって華遙さんの実家に……華遙グループ会長に会いに行くぞ!」
「え?」
そして俺はすっかり話題を転換し見事に誤魔化す。
「だからぁ!やっぱ誤解を解いておきたい。というかこう言う事態で当主同士で話を通さないのはおかしいだろ?」
「そ……それはそうですが」
そしてその方法は覿面だったらしく、華遙 沙穂利の顔は今までとは打って変わり、見事に曇っていた。
――おお、やっぱりこうでないと……な
そう、仕事だろうが男女の関係だろうが主導権を持つ事が最重要なのだ!
「そうですが……お爺さ……会長は海外にある系列会社の総会で明日からイタリアへと聞いてま……」
「もう面会の約束は取った。明日は一日、屋敷に居るそうだ」
「…………」
彼女は驚いただろうが、現在の阿久津 正道の権力を以てすれば造作も無い。
そして彼女は、その事実に結構な抵抗を感じている様子でもある。
それは華遙 沙穂利の表情を見ればわかるが……
それは果たして、
”悪屑”の権力を過小評価していた事に驚いたものだろうか、
それとも彼女の言う”お爺さま”つまり華遙グループ会長になにか特別な苦手意識があるのか……
「兎に角だ、明日はちょっと早いから今夜はもう寝るといい」
ピシャン!
有無を言わせず俺は颯爽と襖を閉めて部屋を後にする。
――勝ち逃げというやつだ!
「…………」
しょ、勝負は最後に勝った者が勝者なのだ!!
――べ、別に、童貞だからビビった訳じゃないからねっ!!
誰にも聞かれてもいないのに、心中で時代後れのツンデレキャラっぽく自分に言い訳しながら俺はその夜を終え――
室内の人工的な光を”てらてら”と反射して輝く薄く白い着物姿……
至高の絹よりも白く輝く理肌細やかな肌の美少女と露出した華奢な首元……
上絹と美少女の眩しくも蕩ける様な”純白の共艶”、光が蕩けるほどの純白が艶やかな黒髪にメチャクチャ似合う華遙 沙穂利の……
「…………」
――ふっ……今日は長い夜になりそうだぜ!
意味不明で下世話な言葉を残し、俺は自室へと消えたのだった。
――
―
一方、部屋に残された件の美少女。
「………………何も変わらない、本当に……くだらない」
夜着である白装束に身を包んだ少女はスッと伸びた綺麗な正座のまま、独り呟く。
「傀儡……だわ」
そして希な程に美しい”銀光の流路”の双瞳を失意のままにスッと閉じる。
――沙穂利の言う”傀儡”とは”なに”を指すのか……
幼少時と変わらず、憧れの瞳で自分を眺めているだけの、身の程を弁えて萎縮した馬鹿男を見下した言葉なのか……
それとも
一見、華やかに見えて、過去も現在も華遙グループの駒の一つにしか過ぎない”華遙 沙穂利”という存在への鬱屈した自虐の言葉なのか……
過去も現在も、全ては華遙 沙穂利にとってどうでも良い些末事に過ぎなかった。
第六話「傀儡」後編 END