ジェラルドのいたずらなゲーム
「――あれっ?! ここ、どこなんだろう……?!!」
ナラノが目を開くと、見知らぬ場所に立っていた。
その場所には、淡い黄色やピンク、青、赤、と言った具合に様々な色で大きさの何か大きくて丸いシャボン玉のような物が浮かんでいる幻想的な空間だった――
(おかしい……ナラノはこんな場所にきた記憶なんてない。 一体、ここはどこ? こんな場所、私は知らない……)
―――――
アロイスに家まで馬車で送ってもらったナラノは、気遣わし気な家族の対応に戸惑っていた。
兄ホワイトがアロイスへの対応がおかしかったのは気がついていたが、兄以外のベネット公爵家のみんなの様子がいつもとは違った。
(どうしたんだろう?)
アロイスが帰った後、唐突に兄ホワイトは「よく耐えたな。偉かったぞ」、とナラノに頭を撫でたのだ。
「…………?」
(ありえないけど、兄は私がフランツに失恋したことを知ってるみたいだ……ま、ありえないか。)
そんなこと、私が話していないのだから、あり得るわけがないけど。 まるで兄ホワイトはフランツとの失恋に敗れた私を慰めてくれてるようだった。
「お兄様、……いきなり、どうしたの?」
「――いんやぁ、なぁんにもないよ。」
「え?」
「まぁ、そうだな。敢えて言うなら、可愛い妹を甘やかしたいって言う兄のわがままだな!」
兄はそう言って、私を撫で続けた。
いつもなら、『髪の毛が崩れるのでやめてよ〜』と、ペリクレス貴族学院に入学してからの私は身だしなみにこだわって、フランツに会う時に髪型が乱れないように、兄に注意していた。
でも、今は――――もう、いいや。なんだか、ナラノは兄に甘えたい気分だった……
都合がいいことに、今日はもうフランツとマリアの結婚式以外にナラノの予定はない。
(別に……もうフランツにも会わないし、ベネット公爵家の人間以外の人にもう会う予定がないのなら、髪型が崩れてもまぁいいよね)
優しいけどやや不器用な手で私の頭をなでる兄の手が、今は無性に心地よかった。
(けど、聡い兄のことだ。私がフランツに失恋したことはわからなくても、いつもと様子が違うことぐらいきっと気づいてるんだ。それで、私のことを慰めてくれるのかもしれない……)
それでも兄は何も聞いてこない。けど、そんなわかりにくい兄の優しさが嬉しくて、ナラノは兄の気がすむまで、不器用な兄の優しさを感じていたのだった。
そして、なんとなくおかしいのは兄ホワイトだけじゃなかった。
私の頭を思う存分撫でて満足した兄のエスコートを受けて、ベネット公爵家の屋敷に帰ると、いつもはいない父と母がナラノを出迎えてくれた。
(おかしい……いつもは私の出迎えなどしないで書斎で仕事をしているはずの父ストーンや、部屋で刺繍をしているはずの母のキャサリンまでもが出迎えてくれるなんて……)
母キャサリンは、キラキラと輝く美しい髪を揺らしながら、私に駆け寄ってきた。
「わたくしのナリィ、きっと辛かったのでしょうね……」と、私をふんわりと抱きしめた。
ふわりとお母様がお気に入りで使っている香水の香りがした。
――優しい、お母様の香りだ。
「お母様、私途中でフランツの結婚式、抜け出しちゃった……」
「えぇ、聞いてるわ」
「けど、辛かったけど、フランツとマリアの誓いのキスまではちゃんと結婚式に参加したの」
「えぇ、ナリィ、よく頑張ったわね。そこまで参加したのなら、もう充分だわ。」
「……そうかな? 途中で抜けちゃったんだけど……」
(そうだ。やっぱり、そのあとの食事会で直接フランツとマリアにお祝いを言えなかったことが、申し訳なくて気にかかる。とはいえ、あれ以上いるのは、いまだにフランツが好きな私には耐えられなかったんだけれど……)
ナラノは、優しく抱きしめてくれる母キャサリンに思っていた本音を漏らした。
「気にしなくていいのよ。あなたは、わたくしや、ストーンやホワイトと違ってロバーツ公爵家からの招待じゃなかったんだから。
リバース男爵令嬢からの招待だったでしょう? ペリクレス貴族学院では身分が関係ない友達にもなれるでしょうけど、ベネット公爵家のあなたが気を遣わなくていいの。
それに、ベネット公爵家としては、わたくし達が最後まで参加したのだから、何も問題はないはずだわ。」
「……うん」
本当は、やっぱり結婚式には最後まで参加した方がいい。それは母もわかってるはずだ。
けど、母は私を気遣ってあえてそう言ってくれてるだけなんだとわかる。
「――それにね。優しいあなたは否定するかもしれないけど、本当に友達なら、わかりやすいあなたの気持ちに配慮してくれると思うわ。あなたが傷ついたのなんて、友達なのなら気づいているはずだわ。
リバース男爵令嬢からの招待客としてベネット公爵家のナリィが断らずに参加してくれるだけで、感謝してもらないといけないくらいなのよ。
――――だからね、ナリィが気にする必要はないのよ。」
きっと母は、私を慰めるためにこんなことを言ってくれてるんだ。母キャサリンの優しさが嬉しかった。
「……うん。お母様、ありがとう……」
我慢していた感情が溢れ出て、空色の私の青い瞳から涙が落ちるのがわかった。
(……ごめんない。泣きたくなかったのに、やっぱり結局、私は我慢できなかった。)
あぁ、いやだ、認めたくない。けど、本当に今日、私とフランツの恋は終わったんだ。それが、ナラノの胸を痛めた。
なのに。諦めたはずなのに、いまだにナラノは往生際悪くフランツのことをまだ諦めきれない気持ちがあって。その気持ちを無視しようとする度に、胸が苦しくてたまらなかった。
でも、ナラノはベネット公爵家の公爵令嬢だ。
ナラノのフランツへの気持ちがどうだろうと、きっと誰か決められた人に嫁ぐことになるんだろう……
そして、そんな時ほど、考えたくないことばかりが思い浮かぶ。
――きっと、結婚式がすべて終わった今、フランツとマリアは『床入り』を2人でしているんだろう、と。
フランツとマリアの夜のあれこれ。
結婚式の晩なのだし、必ず熱い夜を過ごしていることだろう。
(考えたくない。けど……ペリクレス国の伝統だし、きっとそうだよね。)
結婚式後に、新郎新婦は用意されたベットで初めて一緒に初夜をすることになるのだ。
フランツもマリアだって、そうだ。
運が良ければ、その初夜だけで新婦は妊娠することもある。
私の大好きなフランツが、もう私には向けてくれなくなった優しい金の瞳で、今マリアを見つめているんだと思うとどうしようもなく辛かった。
フランツの低くて綺麗な声が、『マリア』と私ではない名前を呼んでいるのを想像するだけで、私はもうどうしようもなく胸が張り裂けそうになるのだった。
――そんな資格はもう私にはないのに。
でも私が泣き終わるまで、母はずっと抱きしめてくれていた。
――それがすごく助かった。
フランツとマリアの誓いのキスを見た時も辛かったけど、『床入り』は想像するだけで頭がおかしくないそうなくらい、耐えられなかった。
往生際が悪いのはわかってるけど、私はまだフランツを好きでたまらない。良い加減に、フランツのことを忘れられたらいいのに。
でも。
(――できるなら、今マリアがいる場所に立ちたかった……マリアが、羨ましくてたまらなかった)
私が泣いてる間、兄と父は何も言わずに黙って受け入れてくれていた。
そして、私が落ち着いたあとでいつも通り家族で夕食を食べた。
その日の夕食は私の好きな物だらけのオンパレードだった。エビのパスタに、エビのサラダ、エビの甘辛炒め、エビの煮物など……私の大好きなエビをふんだんに使った料理だった。
(こんなに、私の好きな物ばかりなんて。まるで、ベネット公爵家の料理人ですら、私を励ましてくれてるみたいだ。……ま、そんなことないだろうし、自惚れすぎかもしれないけど。)
「ナラノお嬢様の大好きなものを準備しましたの!」とメイドのカロルが自信あり気に言ってくれて、なんだか心が温かくなった。
「わぁ、ありがとう、カロル! 私の好きな料理ばかりね! とっても嬉しくて、元気が出てきたわ!」
私は、私を愛してくれるカロルにできる限り嬉しいとアピールして、感謝の気持ちを伝えた。
「えへへ。お嬢様に喜んでいただけたのなら、よかったです!」
カロルは照れたように、はにかんだ。
カロルが準備してくれた私の大好きなエビ料理は、失恋したこんな最悪な日でも、私のお腹を幸せで満たしてくれた。
(こんなときまで食べ物で喜ぶなんて、私って単純だなぁ……)
「――……ナリィ、当分好きなことをして気分転換をしなさい」
家族での夕食が終わりに近づいた時、それまで気遣わし気に黙っていた父が私に言った。
――――――
そう。そうして、私の記憶では、その夕食の後は普通に寝たはずなんだけど……
なんで私、こんな場所にいるんだろう。
ふと、私は夢かもしれないと思って自分のほっぺを摘んでみる。
(っ、い、いたい!感覚がある………ということは、夢じゃない……?)
「うん、そうだよ〜! これは紛れもなく、現 実さ!」
誰もいないと思っていたのに、私の後ろから呑気な声がする。
(〜〜‼︎ 誰……何者なの……?)
私は現れた男から距離を取ろうと、後ろに後ずさった。
「わぁ〜、僕ったらすごい警戒されちゃってるよ〜。ねね、そんなに怯えないで? 僕は優しい神様なんだよ?」
黒目で黒髪の優し気な少年は、大袈裟な身振りをつけて話しかけてきた。
(神様……? 見るからに怪しい……顔は整っているようだけど、一体何者なの……?)
「うっわー。僕って信用ない〜。これも、あんまり地上に僕が地上に降りて行かないからなのかな〜。ぐすん。」
自称神様は、明らかに嘘泣きとわかる泣きまねをした。
それよりも、ナラノには気になることがあった。
(……もしかして、私の心を読まれてる……?)
「あったりぃ〜!! お見事〜! いや〜、そうなんだよ! 僕には君の心の声は筒抜けなんだよ? いや〜、さすが僕!」
「っ!!」
(心を読まれてる?!なにそれ、こわいっ!!)
「あー……大丈夫、大丈夫。君たち人間はみーんなそんなものだからっ!君の考えが見えたって、僕は気にしないよ?」
「……」
「それよりもさっ。君、人生をやり直してみたいって思わない?」
「!」
なんてことないように、自称神様は私に人生のやり直しを提案してきた。
こんな怪しい自称神様の提案は危険かもしれない。――いや、見るからに怪しすぎる。
でも、ナラノにはどうしてもやり直したいことがあった。
そう、フランツのことだ。
――だから自称神様の提案、それはナラノが喉から手が出るくらい、欲しくて欲しくてたまらなかった物だったのだ。
(……危険かもしれない。でも、何もしないよりは……)
「――やり直したい!」
「そっ! 良かった〜! 君なら、そう言ってくれるって思ってたっ。
じゃ、これから君には人生をやり直してもらうね!」
「!!」
ナラノの返事に両手をバンザイして大袈裟に喜ぶ自称神様。
指をパチン!と鳴らして、ナラノの身体が透けていってるのがわかる。
(……え、あ、ちょっと待って!せめて説明をしてほしい!!)
ナラノは心の中で大声で叫んだ。
「ん、なに?……説明?
んー、まぁ、それもそうか。僕はそう言うことはしないたちなんだけど……あー、でも、あの子なら優しく教えてあげるかもしれないな……」
いつのまにか自称神様は、椅子に優雅に座ってブツブツと1人で独り言を呟いていた。
しかも、どこから出てきたのかわからないが、豪華な椅子と机、そして、飲み物が入ったコップやお菓子が準備された椅子に、自称神様は座ってくつろぎ出していた。
まるで、もう私がここにいないかのように……
(うそ……私をロクな説明もなくやり直しに送り出そうとされていた?! そんなのだめ! なんでもいいからちゃんと説明してほしいです!)
「ふぅ……仕方ないねぇ、気は乗らないけど僕もあの子にならうとするか」
いかにも渋々といった様子で肩をすくめながら、自称神様は私の方へ視線を向けた。
「えーっと、じゃあもう時間もないし、簡単に説明するね〜!
まず、君は今から、君のやり直しに適した場所にタイムスリップする。で、その過去の世界で、やり直しをしてもらうってわけ!
……あ、これは大事だからよく覚えておいてね!君がもしそのやり直しに失敗したら、もちろん罰はあるからね?」
「!??」
(え……罰?……聞いてないよ)
「そっ、罰だよ!まぁ、見方によっては罰じゃないかもだけどねぇ。もし君がやり直しの世界でフランツって奴と一緒になれなかったら、慈悲深い僕が選んであげた男と結ばれるようにしてあげるからね!」
(――え、いやだ。何言ってるんだよ、この自称神様は……)
「っ!そんなの、嫌です!」
私は精一杯、大きな声で叫んだ。
「だーめっ! もう、君は了承しちゃってるの!
それに、僕もそう決めてゲームを始めちゃってるんだからね!
もう今更やめらんないよ〜!」
方をすくめてやれやれ、といった仕草をする自称神様。
「え、ちょっと、待って下さっ――」
「はい、頑張ってね〜!ここから見てるから。いってら〜!」
「え、えぇぇええええええええっ?!!」
ヘラヘラと笑いながら手を振る自称神様。
その顔を見て思った。
失敗した!!
(……私、なんで説明も聞かずにすぐに了承してしまったんだー!!)
そして、私の身体は完全に薄れて、その世界から消えた。
自称神様の言うところのやり直しの世界へ飛ばされたのだ。
ナラノが飛ばされた後の世界で、自称神様の
『――君は僕を楽しませてくれるのかなぁ……』
という、なんとも不気味な呟きが響いていた。
ナラノの失恋は、ベネット公爵家の全員と、幼馴染のアロイスにバレています。もちろん、父ストーンや母キャサリンや兄ホワイトは当然把握していますし、メイドのカロルだってわかっています。
ナラノだけがバレていないと思っていますが、みんな気づいています。ナラノの演技なんて下手くそなので、バレバレでわかりやすいからです。
母キャサリンは、ナラノがフランツに失恋したことをわかった上で結婚式に招待した男爵令嬢のマリアを好いていません。ですが、ナラノがマリアを友達だと思っており、幸せになってほしいと思っている気持ちを慮り、何もしていないだけです。母キャサリンなりに、公爵令嬢として、ナラノの成長を見守っています。