ファイアボール、いじめられる
インクリウス魔術学院には、学院寮が備わっている。
驚くべきは、その敷地面積だ。なんと、学院の敷地内に、学院寮が丸ごと入っているらしい。俺の暮らしていた村よりも大きい。大講堂が5つもあって、食堂が2つもあるというのだから、その規模は想像以上だ。
本日の業務を終えたマリー教員が、寮まで案内してくれると言うので、ご厚意に甘えることにした。
「ラウ君は、礼儀正しくて良い子だねぇ」
俺の前を歩く彼女は、当然のように、壁を歩いていた。
なんらかの魔術なのだろうが、仙術で言うところの『翔り』に似ている。宙を浮いたり、速く駆けるために、丹田に籠めた気を四肢に回す翔りは、マリー教員のように壁を歩くことも可能だ。
「そうか? 普通、教員には、敬語を用いるのが礼儀なんじゃないのか?」
「それを踏まえて、敬語を使ってないんでしょ?
いやさぁ、持論を語って申し訳ないけど、敬語を使ってても相手を舐め腐ってるガキなんて幾らでもいんのよ。ただの言葉だからね。目的と手段がごっちゃになってんのさ。敬語を使ってても、相手を敬ってないと意味ねーつうの。
ラウ君は、所作振る舞いで、相手を尊重してることが伝わって来んのよ。今だって、私に道案内させてやってるなんて思ってないでしょ?」
「火球への感謝の気持ちが、全人類に届いてしまっているのかもしれんな」
「ハッハッハ、ナイスジョーク!」
冗談を言ったつもりはないが、マリー教員は大声で笑う。
「いやさぁ、貴族連中なんて、慇懃無礼が服着て歩いてるようなもんよ? 本当に気をつけてね、アイツら、血統第一、実力第一、自分第一だから。
ラウ君、いじめられたら、先生にちゃんと言うんだよ?」
「うん、わかった」
「素直で良い子だねぇ~!」
圧倒的年下の女性に、頭を撫でられる。なんとも言えない気分だった。
学院寮は、3階建ての建物だ。収容人数は120名。1階には、談話室と大浴場、簡易的な図書室が備わっている。
俺の部屋は、3階だ。
ふたり部屋とのことで、相方は、既に部屋の中にいるとのことだった。
「じゃあ、先生は、ココまで」
部屋の前まで、案内してくれたマリー教員は片手を挙げる。
「同室の子の機嫌、損ねないように気をつけてね。アイシクル家の人だから。下手したら、殺されちゃうかもよ」
「それは困るな。まだ、他の魔術を習ってないのに」
「うん、なら、気をつけるように。いつでも、相談にのるから、困ったら先生のところに来るんだぞ」
そう言って、マリー教員は、ひらりと窓から飛んだ。
ふわっ――魔術衣がはためいて、背中に背負っている魔法陣が光り輝く。着地の瞬間、地面の中心に円状の渦が立った。受け身ひとつとらずに、彼女は、当然のように1階に下り立って手を振ってくる。
彼女を見送ってから、改めて、扉を開き――目の前には、宙に浮いている少女がいた。
「…………」
制服姿の彼女は、座禅を組んで、大量の魔術教本と一緒に浮いている。
銀色の長い髪は、重力に従って、床へと伸びている。片耳にだけ付けているピアスが、青白く輝いていた。色素の薄い純白の肌は、魔力を蓄えることで、燐光を帯びながらうっすらと光っている。
ゆっくりと、彼女は目を開く。
銀色の髪と対になる金色の瞳と、目が合った。
「扉、閉めて」
俺は、ゆっくりと、扉を閉める。
静かに反転した彼女は、ふわりと着地して、俺のことを睨めつけた。
「フロン・ユアート・アイシクル」
「ラウだ」
片手を差し出すと、彼女は、ため息を吐いてベッドに腰を下ろした。
「私はS、キミは?」
「Eだが」
「なら、握手する価値はない。手が汚れる」
部屋を出た俺は、手を洗ってから戻ってくる。
そして、もう一度、彼女に片手を差し出した。
「……バカにしてる?」
「ん? いや、手が汚れるのが嫌らしいから、きちんと洗ってきたんだ。新陳代謝は、止めてあるから、不浄は溜めていないつもりだが」
再度、彼女は、嘆息を吐いた。
「キミと握手するつもりは一切ない。私は、アイシクル家の人間でSランクの主席、キミはEランクの底辺でそこらの馬の骨。
違い、わかる?」
「実は、馬の骨は視たことがないんだ」
一瞬、彼女の目に殺意が宿る。
俺への敵意――察知したファイが、彼女を殺そうとした気配が伝わった瞬間、彼方からの攻撃に対して、反転場を展開し打ち消す。
「ファイ、手出しするな」
数キロメートル先から、開いた窓を通り抜けて、フロンの頭の横まで飛んできた火槍を分解する。
「なに? 急に、なにを言ってるの?」
俺の意思は伝わったのか、ファイからの殺意が消え失せた。
俺は、フロンを包んでいた反転場を解除する。
「格の違いを理解したなら、部屋、出てってくれる?」
「うん、俺も、年頃の娘と同室で寝るつもりはなかったから出ていくのは構わないが……そもそも、なぜ、男女で同室なんだ?」
足を組んだ彼女は、鼻で笑った。
「インクリウス魔術学院は、二人一組で点数付けされるの。優秀な人間は、将来的に、キミみたいな劣った人間をフォローする羽目になる。だから、その予行練習として、優秀な人間と劣った人間で組まされるようになってるの。そこに、男女の縛りなんて存在しない。
劣った男は優れた女を襲えないし、劣った女は優れた男を拒めない」
「それは、あまり良くないな。将来有望な若人が、辛い目に遭うようなシステムは是正すべきだと思うが」
「嫌だと思うなら、Eランクのハンコを押した嘆願状でも出したら?」
肩を竦めた彼女に、頷きを返す。
「うん、そうだな、マリー教員に相談してみるか。
解決するまでの間に、無抵抗の相手を襲うような輩がいれば、俺の方で腕を消し飛ばすことにしておこう」
「お好きに。
ほら、出てって。キミに、この部屋を使う資格はないから」
「うん、なにか困ったら呼んでくれ。お前は、俺の相棒だしな。全力で助けになろう」
「怒りを通り越して……呆れる」
扉を開いて、俺は、フロンの部屋から退出する。
外に出た俺は、一気に高山へと上っていって、いつものように朝まで火球を撃ち続けていた。