人間としての決着
ベツヘレムの星へと、放った火球が掻き消される。
「まいったな」
赤渇海から、生え伸びてきた触手が襲いかかってくる。伸び縮みしながら、四方八方からの打擲。翔りで水面を滑りながら、俺は、天井に着地して思案する。
以前、師匠と一緒に深淵旅行へ行った時と同じだ。生半可な攻撃では、深淵生物の特殊体質には通用しない。体表に触れた瞬間に、術式を分解されるか、エネルギーに変換されて吸い込まれる。
コイツらの対魔術を参考にして、練り上げたのが、俺の反転場であるし……暗号化した術式で火球を撃つか、二割程度の力で火球を撃つ力技かの二択だが……前者は、傀儡の持つ復号術式で対策されるし、後者はこの国ごと全員吹き飛ぶしな……。
「さて、どうしたものか」
イロナを盾にしたベツヘレムの星は、ニヤニヤと眼で嘲笑った。
「リエナ教員も、そろそろ来るな。クラウス教員も一緒か。ふたりを敵に回したくないし、そろそろ、あのヒトデを殺しておきたいところだが」
俺は、千里眼を開いて、学院内を覗き込む。
「グールたちは、心配要らないな……学内もマリー教員たちで十分だ……リエナ教員は、銀の星と交戦中だが、もう片がつく……フロンは、格上が相手か……少し、マズイな……ファイ、いるか」
「はい、ココに」
俺の前に跪いて、赫色の少女が頭を垂れる。
「フロンの補助に入ってもらえるか? 俺は、ヒトデの相手をしなければならないから、多少は時間がとられる」
「承知いたしました」
ファイが消えて、俺は、ヒトデに向き直る。
「イロナ、生きてるか」
「わ、私なんかで時間をとっていないで……早く、殺してください……宿主を殺すのが、一番、手っ取り早いって知ってるでしょ……貴方の実力があれば、一瞬で、終わりに出来る筈……」
「まぁな。お前が盾にされていなければ、手で引きちぎって終わりだったんだが。寄生されている状態で、ベツヘレムの星を無理に剥がすと、宿主が死んでしまうから。ちょっと、思案中だ」
「貴方の……警告に従わなかったのは、私だ……」
彼女の両目から、赤い涙が流れる。
「殺して……殺して、よ……なんで、私が、のうのうと生きてるの……妹を守れなかった私が……どうして……あの子は、いつも、お姉ちゃんお姉ちゃんって……私のこと、頼ってくれてたのに……なにも……なにも、出来なかった……」
悔恨の涙を流し続ける彼女に、俺はささやく。
「イロナ、人は無力だよ」
「力をもつ貴方が……貴方が、そんなことを言うの……!? 私には、力なんてなかった……あの子は、魔術を唱えられなかった……貴方ほどの魔術師が、そんなことを言う資格は……」
「俺は、火球しか唱えられなかった」
ゆっくりと、イロナは顔を上げる。
「村の連中には、バカにされてな。魔術の才はないと、石を投げられたよ。王国から危険指定される地だけあって、周りには優秀な奴らばかりでな。中級魔術なんて、あっという間に身につけていった。
そんな中で、俺だけが、火球を唱え続けた」
「…………」
「火球を唱え続けていると、ふと、嫌な考えが頭をよぎる。『俺は、ココでなにをしてる。なんで、生きてる。才能もないのに、なにを続けている』……どんどん、齢を重ねていくうちに、自分の感覚が鈍っていって、残された時間の短さに焦燥だけが募っていくんだ」
俺は、皺ひとつない己の手のひらを俯瞰する。
「俺は、この学園に通えて良かった。学びを得られた。火球だけを続けていれば、フロンやお前たちに出逢うこともなかったし、自分で服が着られるようにもならなかった」
俺は、自身を包んでいた反転場を解いて――床に下りる。
「でも、やはり、火球は最高で、続けて良かったと思えることもある。
例えば――俺は、お前の妹を救える」
「……は?」
ぽかんと、口を開けたイロナの前で、俺は不死鳥を広げた。
狭苦しそうに、俺の手の上で翼を広げた火炎鳥は、凄まじい勢いで熱波を放つ。ベツヘレムの星が、甲高い悲鳴を上げた。その強烈な拒否反応を前に、尾と翼を広げた紫炎の飛禽は、嘲笑いを浮かべて羽ばたく。
紫の火の粉が、煌めきながら、イロナの眼前を漂った。
唖然。
その神々しい姿に見惚れたイロナの前で、俺は一生懸命に羽と尾と嘴を押し込んで丸める。
ぎゅむぎゅむ、ぎゅむぎゅむ、ぎゅむぎゅむ。
必死に、その不死鳥を火球の形にしてから笑った。
「不死鳥だ」
「絶対に違うッ!!」
死にかけのイロナは、命懸けで叫んで、俺は腕を組む。
「でも、丸いからな……不死鳥だ」
「無理矢理、丸めたんでしょ!? 絶対に読み方を間違えてる!! なんなんですか、あなたは!?」
「不死鳥は、俺が編み出した火球変形の一種だ。術式を上方修正しまくったからな、この不死鳥で燃やせば、大体の病や怪我は治る。薬漬けにされた廃人も治療したことがあるから、お前の妹も助けられると思うぞ」
「嘘だ……そんなの……信じられない……どうせ、魔術師は裏切るんだ……妹を害したヤツと同種を信じられるわけない……」
「まぁ、そうだろうな」
不死鳥を仕舞って。
ゆっくりと、俺は、イロナに近寄った。
瞬間、攻撃が始まった。
海から伸びる触手が鋭利に尖って、俺の腹や肩に突き刺さる。激痛と共に、大量の血が噴き出して、赤色の海に混じっていった。肺を傷つけているのか、口端から血が漏れて、両足の動きが鈍くなる。
「な、なにやってるんですか……あ、貴方なら、避けられるでしょ……死にますよ……!?」
「なぁ、イロナ、お前の眼に俺はどう映ってる」
「防御してっ!! 死んじゃうから!! ねぇ、なんでっ!?」
「俺は」
大量の触手が突き刺さり、俺は、床に喀血し――笑う。
「お前と同じ血が流れる人間だよ」
「違う……あ、貴方は、私とは……妹とは……違う……あんな、無茶苦茶なことをしておいて……!」
「あぁ、だから、お前の重荷くらいは余裕で背負えるな」
俺は、微笑して、彼女に手を伸ばす。
「復讐するなとは言わない。綺麗事は嫌いだ。お前が納得するなら、幾らでも、この世界を恨んでも良い。お前の妹は、こんなことを望まないなんて言わない。綺麗事は嫌いだ。きっと、お前の妹は、世を恨んで壊れていった。妹の分も頑張って生き続けろなんて言わない。綺麗事は嫌いだ。死にたいなら死んで良い。
だがな」
真っ赤に濡れた俺の手を、彼女は、震えながら見つめる。
「まずは、俺と一緒に考えよう。信じろ。俺は、俺の火球を、俺が正しいと思うことに使いたい。だから、もう、楽になって良い。その先にある未来を、この学院で学んで、一緒に考えよう」
「嫌だ……あ、貴方は、他人だ……私と妹のことには、なんの関係もない……」
「だったら、まずは友達になろう」
笑って、再度、俺はイロナに手を伸ばす。
「友人として、握手だ」
「嫌だ……私は……妹の敵を……!」
「手をとれ、イロナ」
全身に触手が突き刺さり、俺の視界が、赤色で染まっていく。
「俺と友達になろう」
「わ、私……私は……わ、わたしぃ……やだよぉ……あの子は……あの子は、辛い目に遭ったのに……お姉ちゃんだったのに……なんで……なんで、生きていかなきゃ……やだ……やだぁ……!」
手の甲で、何度も、彼女は自分の涙を拭った。過去の悔恨を拭い去るように、幾度も、幾度も、拭い続ける。
「イロナ」
「やだぁ……いやだ……いやだいやだいやだぁ……!!」
俺は、笑う。
「手をとれ」
「ぐっ……うっ……うぁ……ぁあ……!」
彼女は、踏み出す。
きっと、彼女は初めて、イロナ・アクチュエートとして――人の手をとった。
瞬間、俺は、纏わりついていた触手を焼き焦がす。
「もう良いぞ」
倒れ込んできた彼女を抱き抱えて、俺は、つぶやく。
「もう」
俺は、ベツヘレムの星を見上げる。
「お前は、消えて良い」
ベツヘレムの星の周囲を、反転場で囲い込む。
反転場の内部に、最大火力の火球を生み出し――悲鳴を上げながら、ベツヘレムの星は溶けていった。
「そんなに考えることもなかったな。無理に剥がすことなく魔術も使わず、単純に、熱で溶かせば良いだけか」
どろどろに溶け落ちた星から、ぽろりと、八つの目玉が床に落ちる。
「きたないお星さまだ」
安らかに眠るイロナを抱えて、俺は、その場を後にした。




