イロナ・アクチュエート
魔導車に乗って、俺たちは、第28区ウルフ・フォレストに移動する。
ハンドウラス湖群国立公園は、広すぎるが故に人気がなく、水鳥たちが優雅に七色の湖を泳いでいた。
「…………」
柵に肘を置いて、イロナは、千切ったパンを湖に落とす。寄ってきた水鳥が、パンをつまんで、彼女は静かに微笑んだ。
「よく来るのか?」
「ん? ん……ま、ね……たまに、かな」
金色の髪を掻き上げて、彼女は微笑する。
「で、アイツらは誰だ?」
「……薔薇十字団でしょ。銀の星の下部組織。
銀の星は、上位の銀の星団、中位の黄金の夜明け団、下位の薔薇十字団……三つの団に分かれてるの。魔術衣の色で見分けが付くようになってて、銅色が薔薇十字、銀色が銀の星、金色が黄金の夜明けに属してる。各団の中にも階級があるんだけど、学徒と仮入会者は最下位を示す位。
こんなことも知らないで、よく王都を歩けるね」
「随分と詳しいな。さっきの三人組は知り合いか?」
「いや、一般常識だから。知るわけないじゃん。急に襲われたし。まじ、なんなのって感じ。いきなり、治安悪くなって、ほんと王都もこわくなっちゃっ――」
「なら、なんで、あの日、廊下にいた?」
イロナの笑顔が、硬直する。柵に預けていた肘を浮かせて、彼女は、無意識に後退りをしていた。
「あの男に渡したのは、偽物だな? そんなことをして、タダで済むのか?」
「は? きゅ、急に、なんの話? い、意味わかんないけど」
「喫茶店だ。お前の後ろの席に、俺たちがいた。取引に夢中で、気が付かなかったか」
「…………」
「違うな。わかっていて、あの喫茶店に来た。
いざという時は、フロンになすりつける計画だったんだよな?」
「な、なんで、知ってるの!?」
「いや、カマをかけただけだ。お前の計画なんて知らん」
俺は挨拶をした時に、フロンのポケットから回収した紙袋を取り出す。
「中身はなんだ? 同級生を生贄に捧げるくらいだから、余程、大事な物が入っているんだろうな?」
イロナは、自嘲気に笑って、背中を柵に預ける。
「視てたんだ。
いえ」
彼女は、金色の髪を後ろにまとめて――表情を消した。
「視ていたんですか」
急に、人が変わる。ようやく、視えてきた本性。感情を宿していない両目の底には、殺意という名の澱が沈んでいる。恐らく、頭の中で、綿密に俺のことを殺害するシミュレーションをしている筈だ。
真っ暗な目玉で、彼女は、俺を睨めつける。
「恐ろしいですね。貴方は、私の前では、本性を隠していたわけだ」
ナイフを取り出した彼女は、風切り音を鳴らしながら手元で回転させる。
「自己紹介のつもりか?
別に、俺は、本性なんて隠してない。視たままだ」
「アレだけの力を持っておいて、ですか?」
「普通だろ」
鼻で笑って、イロナは空を見上げる。
「お前、銀の星の一員なんだろ?」
俺は、廊下で視た光景を思い出す。学内で魔術衣を纏った学生の胸元には、銀色の六芒星……つまり、銀の星の一員たる証が輝いていた。
笑って、イロナは、制服のポケットから銀色の六芒星を取り出した。
「正解」
「イロナ、お前、インクリウス魔術学院でなにをするつもりだ?」
「失礼ながら、ネタバレは厳禁なので。
コレでも、私は、銀の星の神殿の領主ですからね。魔術師において、秘密とは、秘匿するためにある」
「リエナ教員は、お前の存在に気づいてるぞ」
「…………」
彼女は、ぴたりと手を止める。
「誓約させられたからな。『銀の星に関することについては、絶対に、リエナ・ナシアロムに相談する』と……アレは、ただの口約束じゃない。あの時、床の魔法陣が輝いた。魔術による誓約だ。
まぁ、俺には効かんが」
「…………」
「意味は分かるだろ? リエナ教員は、俺から、銀の星の臭いを嗅ぎ取ったんだ。もちろん、警告の意味もあったんだろうが、それ以上に、俺と繋がる銀の星を突き止めようと思っていたんだろ」
「で?」
俺は、イロナの持っていたパンを千切って、自分の口に運ぶ。
「危険だから、学院からは手を引け。フロンにちょっかいをかけたのも見逃してやる。今のうちに、とっとと失せろ。
意味、わかるか?」
「わかりませんね」
俺は、もしゃもしゃと、パンを食べ続ける。
「……なぜ、私を助けようとするんですか?」
「言ったろ」
俺は、応える。
「構って欲しい娘は、直ぐに目に出る」
「…………」
「孤独は、身体から漏れるんだ。人間は、恐れを克服できない。
わざわざ、銀色の六芒星を付けて、学院内を呑気に散歩してたのも、自己顕示欲の現れだろ」
「……貴方は」
パンを食べる俺を視て、イロナは哀しそうに微笑む。
「愚者なのか賢者なのか……わからない」
「やめとけ。お前よりも、リエナ教員の方が格上だ。相手が生徒だからと言って、あの女性は手を緩めるような魔術師じゃないぞ。
ハッキリ、言った方が良いか?」
「どうぞ」
「お前は死ぬ」
公園内に風が吹いて、金色の髪の毛が舞い上がる。
微笑を浮かべた少女は、ナイフを片手に、揺れ動く髪の毛を押さえつけた。
「それでも良いと言ったら?」
「好きにしろ。後は、お前次第だ。警告はした。
だが、よく考えろ」
俺は、彼女に、中身のわからない紙袋を押し付ける。
「銀の星は、その本物を求めて、お前を殺しにかかるぞ。なにが目的かは知らんが、やめておけ。
楽しい学院生活を送った方が身のためだぞ」
後ろ手を振って、俺は、公園を後にする。
「まぁ、気が向いたら、散歩にでも誘ってくれ」
静かに、彼女は、俺を見送る。
立ち去る俺のことを、彼女が呼び止めることはなかった。




