お給仕フロンちゃん
「……しくじった」
正体を隠すことを諦めたフロンは、ため息を吐いて銀盆を下げる。
銀色の髪をツインテールにした彼女は、黒と白のエプロンドレスにフリルをかぶって、愛らしい衣装に変身していた。普段とは髪型も違うこともあって、その姿は新鮮に映る。
「なんだ、可愛いじゃないか。どうして、隠すんだ。浮かれて出て行ったということは、ココで、働くのが楽しいんだろ?」
「うっさい、ばか」
頬を染めたフロンは、銀盆で胸元を隠しながらつぶやく。
「この制服、可愛いんだけど胸のガードが緩いから、知り合いに視られるの嫌だったの。というか、アイシクル家の人間が、こんなところで働いてたら、陰でなに言われるかわかんないし……お父様にバレたら、強制的に、家に連れ戻されちゃうもの」
「大丈夫だ、安心しろ! 俺たちは、ロングスカートしか視てなかった!」
「……マニア?」
フロンは、不意に、グールとラインに目を向ける。やさぐれていたふたりは、びくりと身じろぎをして、気まずそうに目線を逸らした。
「で、三馬鹿は、この店になにしに来たの?」
「ははは! ラウ、ライン、言われてるぞ!」
「貴様、数も数えられんのか?」
くすりと笑って、フロンは、俺の前にコップを置いた。
「ま、なんでもいいけど……ラウのこと、よろしくね。色々と世間知らずなのに、物怖じしないから、時々、不安になるの。
キミたちが、傍にいてくれると安心するから。よろしく」
そう言って、フロンは、華麗にウィンクをする。
「それじゃ、注文決まったら呼んでね、お客様」
「おう、仕事の邪魔して悪かったな」
さすがは、貴族というか、美しい姿勢で去っていくフロンを見送る。ぽかんとしていたふたりは、顔を見合わせてからささやく。
「なんだ、フロン・ユアート・アイシクル、すごい良い子じゃないか」
「うむ。びっくりしたぞ。かつて、社交界で会った時とは大違いだ。暗い目をしていて、操り人形のように踊っていたのに」
「元々、良い子だぞ、あの娘は。ただ、怯えていただけだ。たまに、人との関わり方がわからない娘もいる。恐怖が口から出るから、勘違いされやすいんだ」
俺は、微笑して、生き生きと働いているフロンを見つめる。
「ああいう娘が、幸せに生きて、幸せに死ねる世界であって欲しいと思うよ」
「なるほど……君たちは、良い関係だね」
微笑んで、グールは、俺の水を飲んだ。
「まるで、ボクとラインみたいだ」
コップを受け取って、残りの半分をラインが飲み干す。
「あぁ、そうだな」
「会話の流れにノッて、俺の水を飲むな。返せ」
「おげぇ~!!」
「ひいっ! 人の手で、人が絞られる光景を、おれは人生で初めて目にしている!!」
グールの腹を両手で絞っていると、背後から会話が耳に入った。
「……例のブツは?」
「……ちゃんと、返すって。ベツヘレムの星を護る番犬の封印は解除したから。
ね、それよりも」
「……わかってる。良いから、とっとと出せ」
真っ黒な魔術衣を着たふたり組が、密談を交わしていた。彼らのように、魔術衣を着ている客は、それなりにいるので目立ってはいない。だが、その声に、聞き覚えがあった。
「いらっしゃいませ」
二人組のテーブルに、フロンが水を運んでいった。会話を止めたふたりは、フロンが去ったのを確認してから再開する。
「……早く出せ」
素早く、片方が、紙袋をテーブルに置いた。もうひとりが、無言で回収する。
二人組は、立ち上がって、通りへと消えていく。
「……グール、ライン」
「あっぶねえっ!! 九死に一生を得た!! 最期に視たのが、ロングスカートじゃなくて、ラインの怯えきってる顔になるところだった!!」
「先に帰っててくれ。用事を思い出した」
「ん、用事ってな――おい、ラウ!!」
俺は、店の奥へと入っていって、フロンを見つけ出す。
「ん? どうしたの、ラ――へぇっ!?」
思い切り、俺は、フロンを抱き締める。
店内が騒然となって、女性店員たちが黄色い悲鳴を上げた。
「こ、こここら!! 急になにすんの!? キミ、勘違いしてるんじゃないよね!? は、離れなさい!!
い、言っとくけど、私は、別にキミのこと――」
「ただの挨拶だ。
じゃあな、頑張れよ」
「あ、ちょっと、ラウ!?」
俺は、通りへと飛び出し、翔りを用いて建物の壁を蹴り上がる。三角屋根の頂点に到達し、周囲を見回して、先程の二人組を探す。
「いたな」
そのまま、跳んで――ふたり組の前に、勢い良く着地した。
「うおっ!?」
驚愕の声を上げて、衝撃で、男の方がよろめいた。咄嗟の反応で、得物は抜いたのか、抜身のナイフが煌めく。
「よう」
ポケットに手を突っ込んだまま、俺は、無造作に二人組に寄った。
「テメェ、急になんだ!? 近づくんじゃねぇ!? 殺すぞ!?」
「第一声が、脅迫の時点で、お前は闘争を避けている。悪いことは言わないから、とっとと失せろ。暇じゃないから、腕くらいは折るぞ」
「ふ、ふざけんなっ!! 舐めんじゃねぇッ!!」
男は、腰に溜めたナイフを突き出し――俺は、人差し指で、それを止める。
「……は?」
「普通のナイフじゃないな。魔導技術というヤツか。まぁ、なまくらには相違ないが」
「ぐっ……おっ……うぉ……!!」
俺の指先に吸い付いているナイフを引き抜こうとして、男は四苦八苦していたが、ついには諦めてナイフを捨てる。
男は、手のひらを構えた。
「『来――」
ボグッと音がして、俺が、絡め取った男の右腕が折れる。
「ぐぉお……おっ、おっ……ぉおお……!?」
「この場面で、火球の詠唱を選んだお前の感覚の良さに免じて、折るのは片腕だけにしてやった」
俺は、微笑を浮かべる。
「三度目はない。とっとと失せろ」
綺麗に折ったから、治療には苦労しないだろう。泣きながら、腕を押さえた男は、全身を引きずるようにして逃げていった。
逃走の機会を逸したもうひとりは、意を決したかのように手のひらを構える。
「ち、近づいたら、上級魔術を撃つ……!」
「良いな、上級魔術。視てみたかったんだ」
俺は、歩み寄って、彼女はじりじりと後ろに下がる。顔を隠しているフードの下で、冷や汗が流れていった。
一瞬、彼女の動作は止まって――同時、周囲の空気が変わる。
「『来た――」
口が止まる。
刹那の間で、自分の背後に回った俺の気配を感じたのか。
どっと、彼女は、一瞬で滝のように汗を流した。
「さっきの男よりは速いな、訓練の賜物か?」
手のひらを構えた彼女の後ろで、俺は、ぽんぽんと頭を叩いた。
「こんなところでなにしてる」
手をかけて、フードを剥ぎ取る。
「イロナ」
素顔を晒したイロナ・アクチュエートは、悔しそうに歯噛みしていた。




