銀の星
「散らかっていて申し訳ないですが、適当に腰掛けて」
ツバの広い三角帽をかぶった同年代の少女……天才と自称するリエナ・ナシアロム教員は、自らの教員室に俺を招いた。
教員室は、学舎の一階にある。
基本的に、インクリウス魔術学院の教師は、自分専用の個室を持っている。そこで、次の授業の準備をしているらしいが、個室内を整理整頓している教員もいれば、私物で散らかしている人もいる。
リエナ教員は、どうやら、後者のようだった。
魂のような蒼い光が入っている鳥籠、折れたり曲がったりしている木の杖、七色に光り輝いている水晶、大量の魔導書が天井まで積み重なっている。
促された俺は、絶妙なバランスを保っている書類の横に座った。
「良い部屋だな」
「ありがとう。貴方の場合は、皮肉じゃないんでしょうね。もう少し片付けろと、マリーさんにも言われますが、私にとってはコレが最適なんです。
さて、ラウ、ホット・チョコレートでも飲みますか?」
汚れまくっているコップで、ドブ水みたいな飲み物を飲んでいるリエナ教員は、小首を傾げて聞いてくる。
「ふーふー、してくれるなら飲むが」
「ふふ、なぜか、私の部屋に来る人は、全員、お茶を出しても飲もうとしないんですよね」
断り文句だとでも思ったのか、苦笑しながら、リエナ教員は帽子をとった。髪の毛を掻き回してから、脱いだ帽子を魔導書の山の上に置く。
「ラウ、貴方は、平民の出ですね?」
「どちらかと言えば、山育ちだが」
「うん、なので、王都での世情に疎い。昨今の炎唱騒ぎについても、いまいちピンときてないでしょうし、安全教室でもしてあげようと思って」
炎唱騒ぎにリエナ教員も巻き込まれているのか、彼女の顔には疲労が滲んでいた。こんな状態でも、生徒のためを思って、時間を割いてくれるなんて教師の鑑だ。
「リエナ教員は、良い人だなぁ。マリー教員も好きだが、リエナ教員も好きだぞ」
「ふふ、ありがとう。あまり、人に好かれる性質ではないので嬉しいですよ。貴方の言葉には、裏表がないし素直に受け取れる」
両手でコップを包んだリエナ教員は、静かに微笑んだ。
「ラウ、私は、個人的に炎唱を危険視していません。秘術指定の魔術師は、基本的に、魔術を究めようとして社会を捨てた世捨て人。刺激しなければ、こちらに害を及ぼすことはないと思っている。
むしろ、危険なのは、そういった強大な力に怯える人の弱い心」
「もしかして、道徳の授業か?」
笑って、リエナ教員は椅子に座り直す。
「いいえ、ラウ、ここからが本日の安全教室の主題です。
銀の星、という言葉に聞き覚えは?」
――昨今の炎唱を騙った声明の件もあり、『銀の星』が動き始めているという情報もあるからな
最初に、ウェイド教授の授業を思い出した。
――銀の星の言うことも、あながち間違いじゃないかもな
次に、教室の噂話。
――むしろ、危険なのは銀の星
最後に、フロンが口にした言葉を回想する。
「何度かは」
「詳しいことは?」
俺は、首を振る。
リエナ教員は、手元のホット・チョコレートを見つめた。
「銀の星は、とある危険思想を抱いた魔術結社です。法の書と呼ばれる聖典を基にして、人々を魔術から解放することを目的として活動している」
「魔術からの解放?」
彼女は、頷く。
「彼らによれば、人間は、生まれ落ちた時から魔術に縛られている。
古来より、この世界は、魔術の才能の有無で人の格を決めていました。魔術の才能のある者は爵位を授けられ、良い職に付き、人生を謳歌出来る。その逆は、酷い扱いで、大概は田畑を耕して一生を終える。中には、貧民窟で、死と隣合わせの生活を送ることになる。
銀の星は、人間社会の不公平さは、魔術によって成り立っていると考えているんです」
世情には疎いが、なんとなく理解出来る。この魔術学院だってそうだ。徹頭徹尾、格で分けられている。授業も食堂も相棒も、なにもかも、格で分別されて、ある意味、不公平さを掲げている。
「魔力量の多寡は、血統や天与のものに偏向する。
家柄や才能に固執した魔術社会に対して、平民たちが立ち上げた組織こそが銀の星。彼らは、手段を選ばず、貴族や高名な魔術師を狙って事件を起こす。
殺人、拷問、陵辱、暴力、破壊……彼らのテロリズムは、常軌を逸していて手段を選ばない。当然、このインクリウス魔術学院、引いては、その生徒たちもその対象に入っている」
なるほど、確かに、リエナ教員が俺を呼び出したのも納得だ。世間知らずの生徒が、危険組織の予備知識を持たず、事件に巻き込まれてもおかしくはない。
「魔術社会から追放された犠牲者を称し、秘術指定の魔術師の名を借りて、厄介事を引き起こすことなんて日常茶飯事ですからね。
今回の炎唱騒ぎについても、十中八九、銀の星が絡んでいる。少なくとも、炎唱を名乗って声明を出したのは銀の星だ」
「そいつは、怖いなぁ」
「大丈夫ですよ」
微笑を浮かべて、リエナ教員はささやいた。
「貴方は、私の大事な生徒のひとりですから。私は、稀代の天才ですからね。銀の星如きには、指一本、触れさせません。絶対に」
彼女は、コップに張られた水面、自分の顔を見つめてささやいた。
「……そう、絶対に。今度こそ」
「リエナ教員?」
声をかけると、彼女は、慌てて顔を上げた。
「ともかく、王都を歩く時には注意するように。そろそろ、新入生にとって、初めての休息日ですからね。六芒星の紋章を付けた人には、付いていったらダメですよ」
「なんで、六芒星の紋章なんだ?」
俺の疑問に、リエナ教員は静かに返答する。
「銀の星の団員であることを示す証だからです」
「なるほどな。わかった、付いていかない」
「よろしい。
では、寮へと直帰するように。そろそろ、消灯時間ですから、他の先生方に怒られないうちに帰るんですよ」
返事をして、俺は、扉を開けようとし――
「ラウ」
声をかけられて、振り向く。
哀しそうに微笑んだリエナ教員は、そっと、俺にささやきかける。
「約束してください。銀の星に関することについては、絶対に、リエナ・ナシアロムに相談すると」
「……わかった、約束する」
ぼうっと、部屋の床に書かれた魔法陣が輝いた。
「ありがとう」
笑って、リエナ教員はつぶやく。
「おやすみなさい、ラウ」
「おやすみ、先生」
挨拶を交わしてから、俺は、寮への帰路を辿る。
その帰り道、ふと、気配を感じる。
振り向くと、真っ暗な廊下に誰かが立っていた。
「…………」
顔は視えない。真っ暗な黒衣で、全身を覆っている。
その胸元には――銀色の六芒星が輝いていた。
「お前、誰だ?」
問いかけると、身を翻して、廊下を駆け抜けていった。
黒衣の裾がまくれ上がって、その中身が、一瞬だけ目に入った。
インクリウス魔術学院の制服――俺は、逃げていくソイツの背を見つめて、ため息を吐いた。




