王帰の魔剣《アイオーン・グラディオ》
明くる日、授業は、魔法歴史学から始まった。
「……では、魔術歴史学の授業を始めよう」
全身を黒衣で包んでいる長身の男性……ウェイド・ボルクリア教授は、ボソボソとゆっくり喋った。
窓という窓に、黒い布が張られた教室は真っ暗で、光ひとつ差し込まない。
白いを通り越して青い肌をもつウェイド教授は、日光が大嫌いらしい。そのため、彼は、この特殊な加工が為された第13教室以外は使わない。
「本来であれば、歴史というものは、事の起こりから順を追って学ぶべきだ。なぜかと言えば、歴史というモノは、過去の積み重ねで成り立つからである。
しかし、この方法では、勉学にとって最も恐るべき敵に対抗できない……眠気だ」
前列でうとうとしていた生徒は、ウェイド教授に睨みつけられ、びくりと背筋を伸ばした。
「そのため、不本意ながら、まずは我が国の誇る英雄について話そう。英雄譚というモノは、どの時代、どの年代でも、永代に好まれる歴史である。
では、ミス・フロウ、我が国の誇る英雄とはなにか?」
起立したフロウは、綺麗な声で答える。
「はい、『王帰の魔剣』です」
「よろしい、座り給え。
英雄に相応しく、実に御大層な名前が付いている。王帰の魔剣は、約10年前に結成された組織であり、王直属の魔術騎士の中でも、生え抜きの実力者だけが名を連ねる人工英雄集団だ」
「人工英雄集団? 人工と言うのは、どういう意味なのでしょうか?」
「……質問がある場合は挙手」
慌てて、質問をした女子生徒は手を挙げる。
「人工とは、どういう意味でしょうかっ?」
「良い質問だ、ミス・カテドラル。
英雄は、英雄に導かれる……とある若き英雄は、その考えの下に、魔術をまともに知らない素人たちを集めて、直接、魔術の指導を行った。王帰の魔剣は、全員が全員、元々は平凡な魔術師だったのだ。
たった数年で、その平凡な魔術師たちは英雄と呼ばれる程の力を持つようになった。それが、人工英雄集団と言われる所以である」
言葉を失っていた女子生徒は、目線で促され、慌てて着席した。
「彼らの英雄譚は、留まるところを知らない。
曰く、一人に対して一国で対等。
曰く、唱えるだけで大陸が割れる。
曰く、千の朝を超えて、万の夜を迎え、億の魔物を討ち滅ぼした。
眉唾ものの逸話も多数あるが、共通しているのは、彼らは常に勝利してきているということで、彼ら以上に強い魔術師は存在しないということだ」
「あ? もしいたとしたら、どうするんだよ?」
挑みかかるようなゼンの言葉に、ウェイド教授は冷たい視線を投げかける。
「この世界は終わる」
「…………」
「秘術指定を受けた魔術師ですら、彼らには遠く及ばないだろう。
直近、秘術指定を受けた魔術師が一人、炎唱の下山が確認されていた。本日までろくな進捗はなかったようだが、昨日、王国魔術院から王帰の魔剣へ要求されていた討伐依頼が受理された」
わかりやすく、教室中がざわついた。
王国が誇る最強の魔術師集団と、王国が不安視する強大な魔術師の対決……年頃の男女であれば、誰でも、気にかかる出来事だろう。
「と、討伐に赴くのは誰ですか!? 『魔王』ですか!?」
「……挙手」
手を挙げた男子生徒は、興奮気味に、同じ質問を繰り返した。
「秘術指定程度に、『魔王』は動かんよ。かの英雄の相手は、常に、この国を討ち滅ぼしかねん存在のみだ。昨今の炎唱を騙った声明の件もあり、『銀の星』が動き始めているという情報もあるからな。
動くのは、『灼處』と『断章』だ」
「ふ、ふたりも……!?」
隣に座っていたフロンが、息を呑んで、ノートを取っていた手を止める。この驚きよう、ひとりに対して、ふたりも派遣されるのは異常事態らしい。
「え、炎唱って言うのは、そんなに強いんですか? 王帰の魔剣が、ふたりって、それこそ歴史上でも稀のことですよね?」
「……やはり、この題材は食いつきが良いな。眠気は覚めたらしい」
さっきまで、前列でうとうととしていた彼は顔を赤らめる。
「貴君の仰られる通り、歴史上でも稀のことだ。
そう、貴君らは、今まさに、歴史の渦中にいる。普段、何気なく過ごしている日常こそが、後に歴史書に刻まれる重要事だということを認識して欲しい。
英雄譚だけではなく、他の物事にも目に向けるべき、という下らん説教を終点にして、本日の講義を終えることにしよう」
手早く教材を片付けたウェイド教授は、ふと、顔を上げてからささやいた。
「いないとは思うが、貴君らの中で、近日中にアトロポス山に赴く予定があるものは延期するように。近々、王国中に触れが出されるであろうが、近づけば命の保証はないとのことだ。
では、また次回」
授業が終わって――数時間後、俺は、気配を察知する。
校門から外に出ようとしたところで、門前で待っていたファイが、静かに跪いてからささやき始める。
「わたしが行きます」
「いや、久しぶりに帰りたかったし、俺が行こうと思ってたんだが。それに、なんだか、強い奴らみたいだぞ。大丈夫か」
「問題ありません。わたしは、貴方様の火玉です。相手が誰であろうとも、敗北を喫することはありません」
「いや、戦うなよ。炎唱とか言うヤツに巻き込まれただけなんだから」
「……畏まりました。可能な限り、戦闘は避けます」
「うん、村の方に行って、悪さでもしないかだけ見張っててくれ。思ったより動きが早い。ついさっき、俺の監視用火玉が破壊されたってことは、それなりに血の気の多い連中みたいだからな。皆が心配だ」
「ご安心ください」
胸に手を当てたファイは、深々と頭を垂れる。
「貴方の剣は、折れることはありません」
「うん、信頼はしてる」
俺は、踵を返し、学院に戻ろうとして――振り返る。
「いや、やっぱり、心配だから俺が行――あれ」
ファイの姿は、跡形もなく消えていた。
突っ立っていた俺は、今からでも追いかけるかと踏み込んだが、それはそれでファイを信じてないみたいで嫌だなぁと思い直した。
「まぁ、いざとなったら、狙い撃つか」
俺は、ポケットに手を突っ込んで、学院へと戻っていった。




