飯くらいひとりで食えない
「ラウ……ラウ……起きて……起きなさいって……」
寝ぼけ眼を擦ると、視界にフロンが映る。
銀色の髪を下ろした彼女は、陽光を浴びて煌めいていた。無防備なパジャマ姿で、こちらを見下ろしている。
「そろそろ起きないと、朝食、食べ損ねちゃうよ。ほら、支度して。
キミと私のベッドの間に、カーテンを引いておいたから、コレ閉めてそっちで着替え――」
「案ずるな、フロン」
俺は、制服姿のままで起き上がる。
「俺は、常に準備万端の男だ」
「……キミ、もしかして、昨日から着替えてない?」
「うん」
フロンは、項垂れて、銀色の長髪で顔が隠れる。
「まぁ、男の子だからわかるけど……ちゃんと、着替えて寝た方が良い。その制服だと、寝づらいし、夜に汗をかくから汚くなるよ?」
「贄の娘たちも同じことを言ってたが」
俺は、つぶやく。
「残念ながら、俺は、ひとりで着替えられない」
「は?」
ぽかんと、口を開けたフロンは、恐る恐る問いかけてくる。
「ど、どういう意味……?」
「そのままの意味だが。俺は、ひとりで、着替えたことがないんだ。そんな時間があるなら、火球を撃つからな。
目下、勉強中だが、難しくて憶えられない」
「…………」
「まぁ、大丈夫だ、そのうち憶えるから」
そう言って、立ち上がろうとすると、フロンに肩を押さえつけられる。
「一緒に、新しい制服に、着替えよ? 私が、手伝うから。何回かやってるうちに、憶えるでしょ」
「良いのか?」
「良くはない……良くはないけど……命の恩人だから……」
そう言って、跪いたフロンは、顔を背けてベルトに手を伸ばした。
彼女は、ベルトに手をかけて、赤い顔をして固まる。
「な、なんか、ダメじゃないコレ!? い、いやらしくない!? わ、わたし、アイシクル家の人間なんだけど!?」
「よくわからんが、嫌ならやめておいた方が良い。相棒に迷惑をかけるのは、俺も嫌だなぁ」
「い、いいよ……や、やるから……」
顔を背けたまま、フロンは、俺のズボンのベルトを外した。
腰を浮かせと言われたので、腰を浮かせ――
「えっ、ちょっ、嘘でしょ!? いやぁああああああああああああ!! きゃぁああああああああああああああああ!!」
突然、フロンが騒ぎ始める。
「どうした、急に楽しそうに」
「だ、誰が楽しんでるかっ!!
な、なんで、キミ、パンツ履いてないのよ!? も、もろに視ちゃったんだけど!? ちょっと、もぉ!! いやぁ!!」
耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆ったフロンに、俺は申し訳無さを感じる。
「本当にすまんな、今度から、パンツとやらは履いておくから」
「……は、履き方、わかるの?」
「下腹部に着ける装備ということはわかる。
たぶん、太もも辺りに必要だったんだろうな」
ため息を吐いたフロンは、顔を真っ赤にしたままで、俺のズボンを脱がし切る。
「…………」
「フロン」
「…………」
「今日は、寒いな」
「…………」
「特に下半身が」
「ちょ、ちょっと待ってよ……は、履かせる時に、たぶん目に入っちゃうし……か、覚悟がいるから……」
「フロン、パンツがなくても、太ももはお前を噛んだりしないぞ」
「うるせーっ!! 黙ってろっ!!」
どうにかこうにか、フロンは、俺に服を着せる。それから、カーテンを引いて、手早く自分の準備を済ませる。
彼女は、ひとりで、部屋を出ていこうとして――ぴたりと、止まる。
「……ご飯、ひとりで食べれるよね?」
「当然」
俺は、腕を組む。
「食べられないが」
「ちくしょう……」
フロンに連れられて、俺は、食堂へと足を運んだ。
食堂内には、数十人は座れそうな長テーブルが5個並べられている。テーブル上の空中には、視えるものの、触れられない蒼線が備わっていた。
席に着席するなり、皿やフォークや鍋やらが線をなぞって飛んできた。あっという間に、朝食が用意される。
「おい、アイシクル家の長女だ……パートナーと一緒だぜ……一緒に食うのかな……まだ、二日目なのに仲が良いな……」
「あの女性のパートナーって、Eランクの落ちこぼれだよな……貴族様なのに、差別意識とかないのは意外だな……普通、一緒に、行動したりしないと思うが……」
頬杖を突いたフロンは、そっぽを向いたまま、頬を赤く染めていた。
俺は、腹が空いたので、ひとりで食事してみることにする。普段から、贄の娘たちに食べさせてもらっていたので、食器の扱い方がいまいちわからない。
スプーンを逆手に握って、ミートパイを掬おうとすると――隣から手が伸びてきて、手早く、ナイフとフォークで切り分けてくれる。
隣を視ると、フロンは、俺の他の料理も小分けにしてくれていた。
「放っておいて良いぞ、自分の食事を済ませられないだろ」
「そう言われても、放っておけないから。キミは、命の恩人だしパートナーなんだから、日常生活から助け合うのは当然でしょ」
俺は、フロンの横顔を見つめながら、しみじみとつぶやく。
「お前、とても、良いヤツだなぁ。
火球、好きだろ?」
「良いから、とっとと食べて」
俺は、切り分けてもらったミートパイをスプーンですくった。
ぽとりと、落ちる。また、拾う。ぽとりと、落ちる。また、拾う。ぽとりと、落ちる。また、拾――
「あー、もうっ!!」
横から、スプーンが伸びてきて、俺が拾おうとしていたパイをすくった。
「あ! フロン、それは、俺のだぞ!」
「知っとるわ!!
ほら、良いから、口開けて」
俺の口元まで、スプーンが伸ばされる。もう片方の手のひらを皿にして、フロンは、お手本みたいに自分の口を開けた。
「はい、あ~ん! あ~んして!」
「贄の娘と同じことを言うなぁ。
あ~んと言うのは、なんの呪文なん――」
「良いから、とっとと、口開けろ!!」
俺は、口を開ける。熱々のパイが飛び込んできて、軽く火傷したのか痛みを感じ、思わず顔をしかめる。
「あ、ご、ごめんね。
はい、あ~ん! ふ~ふ~!!」
「ふーふー」
フロンに習って、自分の口で冷ましたパイが口が転がり込む。味が染みていて、なかなか、美味しい。
「はい、次、あ~ん! ふ~ふ~!!
ほら、次、次! 急かして悪いけど、遅れたら減点だから! よく噛んで、手早く食べて!」
合間に、自分の口にも食べ物を入れて、ひょいひょいと俺の口に料理を放り込む。コツを掴んできたのか、大して、手間にも思っていないようだ。
「お、おい、アイシクル家の長女が、Eランクの落ちこぼれに『あ~ん!』してるぞ……もしかして、婚約者か……?」
「よし、終わり! 口、拭うから、いーっ! よし! はい、立って! キビキビ、歩く!
こら! ラウ、スプーンは置いていく!」
「このスプーン、欲しいんだが……」
「ダメ! 欲しいなら、後で買ってあげるから! ほら、走って!」
「婚約者と言うか、母親じゃないか……?」
俺とフロンは、走って、大講堂へと向かった。