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 妹が、ヤバイ。

 最近常々思っていることだ。


「こういう自然型のダンジョンの怖いところは、トラップも生態の一部に溶け込んでてわかりにくいことなんだ。例えばここ、ほら、地面に見えるでしょ? でもこうやってしてあげるとね。クラーラちゃん」


「はい!」


 水の鞭でクラーラが地面を叩くと、その地面がベロッと崩れて、溶液に満ちた壺が下に見えた。鼻に付く異臭……さっきまで感じなかったが、明らかに毒性のものだった。


「ボケツカズラっていう魔物でね。こうやって地面と一体化して獲物を待つの。夜行性で昼は動かないけど、夜になったら植物人間みたいな見た目で動くよ。あ、これ溶液、半日あれば人間も骨だけになるし、成分が速効性の麻痺毒で酷く粘液質で落ちたら自力復帰は難しいよ」


 と、エルフさんが教えてくれるのを、武器を腰ににふむふむと頷いて、いそいそとメモに取るクラーラ。ここまでなら真面目で良い妹、自慢のクラーラだけど……


「これ、他の魔物が落ちても平気なんですか?」


「ううん。他の魔物も平気で食べるよ。自然型のダンジョンは中に生態系あるからね」


「じゃあ、他の魔物を誘導して落としたりもできるんですね」


「そうそう! 自然は敵じゃない。脅威であるけれど、どこまでも中立なんだ」


 なんか、凄い、冒険者をしている。

 見た目も、髪の毛が視界の妨げにならないよう頭飾り(サークレット)で止めて、人と目を合わせるのが不安だった頃の面影はもう無い。

 服装は青く染めた厚めのレザーで胸や腹、太ももなんかを重点的に覆いながら、間接部は薄く柔らかい素材でカバーし、上から防寒着や雨避けをかねたマントを羽織っている、旅人風の衣装。

 重さを最低限に、致命的な部位だけを保護する仕様。青染めは、妹本人が寝る前なんかににやにやしながら磨いているメダルに合わせたらしい。

 兄としては、石にしか見えない物を恋人にでも向けてそうな惚けた笑みで磨いている様相に不安しか覚えないけれど……と言うかメダルだとしてもあの表情で磨くんだろうか。


「冒険者としての小技だけど、この中覗くとたまに金属装備の類いが残ってるから、引き上げて売ると最低でも鉄屑程度のお金にはなるよ。ハマった時の抜け方は……今度外で教えるね」


「「はい」」


 どうやって教えてくれるんだろうか。沼に落とされるんだろうか。フリードさんの指導なら絶対にそうだ。底無し沼に落とされて、死にかけない限り引き上げてもらえない。

 …………妹曰く、エルフさんの指導はそういうことはないらしい。やり方を教えて、実際にやりながらピンポイントで指摘する。最終的に何も言われずにできるようになるまで根気強く。

 羨ましい反面、それぞれに合った教え方をするんだろうと、諦めはついている。エルフさんも自分に指導する時は基本、谷に突き落としていく方針だった。


「でも、地面だけに気を取られちゃ駄目だよ? ほら、ああやって樹上に魔物がいたり、草影に隠れていたりするから」


 樹上の魔物と聞いた瞬間、妹は一歩下がって武器を抜き、メダルを軽く撫でた後、左手を何かを握るように軽く開いて中段に構える。

 視線は鋭く樹上に向いていて、たまにチラリと草影に警戒を向けていた。


「ライド、お前は前に出ろ」


「はい!」


 後ろに控えたフリードさんの声に押されて、武器を背から外して一歩踏み出した。クラーラと場所が入れ替わる。


「お兄ちゃん、足元に気をつけてね。もしぶつかり合いになったら回る位置取りで反対方向に下がる感じで、押し込めるなら相手を穴に落としても良いかも」


「あ、ああ!」


 地形利用に余念がない。

 日に日に逞しくなっているのは知っていた。こっそり泣いていた日も知っている。自分が守ると決意した日だからだ。

 けれど、いつの間にか……自分より広くものを見ている。エルフさん曰く、中衛後衛の仕事、魔法使いの必須技能……だかららしい。

 遠くなった気がして、寂しくもある……


「ちょうど良いね。じゃああの魔物を二人でやってみよう」


「行けライド!」


「お兄ちゃん! 穴より前でぶつかって立ち位置入れ換えて! わたしが落とすから!」


「おうっっ!!」


 余計な考えは、捨てろ。

 自分は蟻だ。妹が女王蟻だ。自分より後ろの女王蟻を守れ。だが、自分も死んじゃいけない。次は女王蟻が殺されてしまう。

 何も聞くな。聞くのは女王の号令だけで良い。俺は蟻、虫は恐怖を感じない。臆して退かない。進め、潰せ、喰らえ、殺せ……!


「っっっああああああああ!!!」


 ドンッと地を蹴り、穴を越えて、樹上の敵を()め付ける。

 樹上の敵は待ち構えていたが、正面衝突は嫌ったのか、木を伝って逃げようとするが、その瞬間にブーメランが横腹に突き刺さり、動きを止めた隙に水球がぶつかって体勢を崩し、駄目押しに放たれた水の鞭で枝から打ち落とされた。

 狂戦士は考えない……訳じゃない。むしろ、油を泳ぐような濃密な時間の中で、敵だけを見て、考える。敵を、殺すことだけを。


 落ちてきた敵は……蜘蛛だった。大きさは人間の子供ほどあるだろうか。膨らんだ腹からブーメランが抜け落ち、体液を溢しながら落ちてくる。

 武器はなんだ。あの両手の鎌か。鋭い。草葉も、人肌も簡単に裂いてしまいそうだ。口許の粘液は毒かもしれない。噛まれたら死んでしまうかもしれない。その前に……叩き潰す……!


 敵は素早く尻から糸を放ち木に付着させる。そのまま落下の勢いで激しくスイングし、ふわりと舞い上がった。その八本足には粘液で皮膜が生み出され、尻から霧を吐き出しながら滑空する。

 高い。届くか? 剣を投げて……外したら無手だ。後がない。なら……!


 腰のポーチから鉄粒を取り出す。そして、大剣を捨てて、全力でそれを宙に逃げる蜘蛛に向かって投げ付ける。鋭い角が付いた礫は、空中の蜘蛛の皮膜を貫き、柔らかい体にドスドスと突き刺さった。

 だが、落ちない。虫は痛みを感じない。穴が空いただけでは空からは落ちない。よく見れば、ブーメランが刺さった痕も既に体液は止まっている。小さな刺突は、すぐにでも塞げるのかも知れない。


 その時、蜘蛛が下から放たれた水球を浴びた。

 広がっていた皮膜はそれをモロに受け止め、空中でぐわんとひっくり返る。

 落ちる。落ちてくる。剣が届くなら、殺せる……!


「っうぉおおおおおおおおお!!」


 走る、走る。剣を拾い、刃先を地面に擦りながら。


「お兄ちゃんジャンプ!」


 飛ぶ。下に穴があった。位置取りをする前だったから、自分の背後にあったのを忘れていた。

 そんな分析も刹那に消えていって、また景色が歪む。敵だけが克明に映って、踏み込み、構え、一撃を……!


 その瞬間に、蜘蛛は自分めがけて毒液を放ってきた。

 液体、剣で受けても受けきれない。吸わなきゃ平気か? いや、もしあの穴に満ちていたのと同じ溶解液なら、浴びるだけでも危険だ。

 なら、防がない。受けきり、叩き潰す……!


 蜘蛛に背を向けるように、大剣を振り抜く。背中に毒液を浴びて、悪臭が鼻に付く。だが、痛みはない。溶解作用は無かったのか、無事に浴びきったのか。

 関係無い。そのまま遠心力で剣を振り抜き──


「チェストォオオオオオオオオオッ」


 フルスイングで、蜘蛛に叩きつけた。潰した果実のように蜘蛛が四散する。毒液、粘液が飛び散り、べたりと濡れた白い液が剣に付着する。

 酷い悪臭だ。でも、死んだ。もう、動かない。

 風が吹き、悪臭を流して──


「っはっ! はぁ……っ!」


 呼吸を思い出して、息を吸う。その瞬間ごつりと拳を浴びた。


「あぎっ!? フリードさん!?」


「なんのための口布だ。こいつに毒があんのはわかってんだ。今エルフが咄嗟に風で毒を流したが、殺してから最後っ屁で毒浴びてどうするよ馬鹿」


 フリードさんに言われて、首もとの余った布を思い出す。伸縮性のある特殊な布で、鼻まで上げることでマスクの役割を果たす。毒を使う敵も多いから、突撃する前にとりあえず付けろと言われていたのを今さら思い出した。


「すみません!」


「お兄ちゃん背中! 流すから動かないで!」


「ああ、すまんクラーラ!」


 俺の鎧は、特殊だ。軽量のレザーアーマーだが、背面の革は分厚く、その上からさらに鉄板を被せ、特殊な樹脂で腐食に強くなっている。腰回りの防具もそんな感じで、前面と背面の防御力の差が著しい。

 これは、狂戦士の特性に合わせたもので、見えている範囲は押しきれるのだから前面防御は薄く、背面は奇襲や、さっきのような防御に転じるために分厚く作られている。

 同期……と言っても僅かに先輩の、歳の近い冒険者の人いわく、E級の身でここまで厚待遇の防具や武器を揃えてもらえるのは環境に恵まれているとしか言いようがないそうだ。その先輩の武器や防具も、引退した冒険者やさらに上の先輩のお下がりだという。


「後追いはいなさそう。あの蜘蛛、メスが卵持つ時期だけ小規模な群れを形成するから伏兵とか追撃には警戒しようね」


「あ、すみませんエルフさん!」


「気を付けようねクラーラちゃん。今日は僕がポーターやってるから後続警戒とかは僕の仕事だけど、丸投げは危険だよ。こういうのは中衛後衛の共通の仕事、くらいに思わないと」


「はい!」


 あくまでも、にこやかに。注意するだけみたいな。エルフさんの優しさが滲み出てる。言葉はしも丸い。

 だけどこっちは……


「お前あの蜘蛛二匹いたらどうするつもりだったよ。一匹飛んだな? で、前に一匹いたらどうする? 突っ込むよなあ? 突っ込んでぶっ殺そうとするよな? じゃあお前は死んでる。あれ見ろ」


 フリードさんが指した方を見ると、俺が元々いた落とし穴のあった辺りから悪臭が漂い、よく見れば霧みたいなものが浮いているのが見える。

 あれは……


「蜘蛛の、毒液……?」


「そうだ。ケツから吹きながら飛ぶんだが、あの毒は霧状になってゆっくり落ちていく。その間にあの場で粘られたらお前はあの霧吸い込んで麻痺して、そのうち噛まれて動けなくなる。だから口布があるんだ。今日一死な」


 それを聞いて見渡せば、クラーラも含めて全体が後退している。霧の範囲から逃れるみたいに。


「でもクラーラちゃんの指示はちゃんと聞けたから、そこは偉いね。クラーラちゃんが下がれって言えば下がれただろうし。クラーラちゃんも距離管理上手だったよ。はいこれブーメラン」


「ありがとうございます」


 ポーターの役割らしい、武器拾い。エルフさんは気づかない間にあの毒霧の中からクラーラのブーメランを拾い上げ、蜘蛛の死骸からめり込んだままの鉄粒を回収していた。

 毒霧も本人が風の魔法で押し流せるし、なんなら解毒の魔法を使えるので特に心配は無いという。


「消耗は少ない戦いだったし、怪我もないから合格点だよ。最後のだけやっぱりちょっといただけないけど。クラーラちゃんもああいう時はライド君ごとぶっ飛ばすつもりで水を放っても良いんだよ? 毒も流し取れるし」


「はい!」


「けど余計な消耗にはなるからライド君が気を付けるように。フィニッシュの直後にバックして周辺警戒。そこから一息までの動きは覚えようね」


「はい……」


 狂戦士は、難しい……

 頭で理解していても、体で覚えてなきゃ動いてくれない。まるで、戦ってる最中は別人になったような気分になる。

 だからこそフリードさんがああいうやり方をしているとはエルフさんの話だ。恐怖と痛みで体に覚えさせて、実戦で素早く引き出せるようにと。

 それを言われると、その通りすぎてぐうの音もでない。実際、戦い方だってそのやり方だったからこそ上手くやれてるわけで、キツいとは思っても意味があるのだから否定はできない。


「さて、今はこうやってるけど、あんまり戦後処理に時間かけたら駄目だよ。時間だって消耗するものだから」


「はい!」


 そうやって、すぐに隊列に戻るクラーラに、誇らしいけれど複雑な気分になってくる。

 自分よりも三つも幼い、自分よりよくでき、よく育っていく妹。このままじゃ、いつかおいてけぼりにされそうだ。


「強くならねえとな、ライド」


「……はい!」


「お前が妹に負けると俺がエルフに負けたみてえだから死んでも負けんなよ。負けさせねえために殺すからな」


「……は、はい!」


 フリードさんは、負けず嫌いだ。

 エルフさんの前だと精神的に負けたくないのか余裕を見せているけれど、こっそりめちゃくちゃ対抗心を燃やしている。

 負けられない……負けたら本当に殺されかねない。


「クラーラ、あまり先に行きすぎるなよ!」


「うん! 気を付けるー!」


 自分は、クラーラの背を追って、進みだした。

蜘蛛

 正式名称はあるらしいが、ギルド職員も含めてみんなが蜘蛛と呼んでいる。実際見た目はでかい(でかい)蜘蛛。

 二種類の毒を持ち、お尻から出すのは吸うと衰弱する速効性の高い毒。皮膚呼吸でも体内に侵入するため、浴びるだけでも笑えない。

 もう片方は口から流し込む溶解液とミックスされた神経毒。麻痺させて動けない相手を溶かしてちゅるちゅる啜る。

 ラスボス。

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