『太宰治の、『苦悩の年鑑』について』
『太宰治の、『苦悩の年鑑』について』
㈠
昔、太宰治の全集をよく読んでいたが、今でもふと、思い出す文章がある。太宰の、『苦悩の年鑑』の中に書かれた、或る一節である。
「十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。そうして、やはり歴史は繰り返すのであろうか。私は、歴史は繰り返してはならぬものだと思っている。」『苦悩の年鑑』
これは、人間が歳をとる度に、価値観が変容することを指しているが、これは太宰だけの価値観ではなく、人間普遍の価値観だと読んでいて、いつも思うのだ。若い頃の理想、大人になった頃の現実、そう言ったことだろう。太宰の作品の普遍性が表出している。
㈡
何をするにも、人間には価値観が付いてまわる。太宰も、心中などをするなど、過激なことをしていたが、かなり普通の価値観を持っていた、ということになる。寧ろ、普遍的過ぎるが故、価値観転倒で、破滅の方へ向かった、と言うべきか。
そうだとしたら、苦悩するのも、当たり前だっただろうと、推測が付く。オプティミストではなく、確実に太宰はペシミストだっただろうが、それ故、小説的には、オプティミスト的なものに、憧れたということだろう。奇しくも、未完の『グッド・バイ』が、遺構になっているのは、諧謔的にも映る訳である。
㈢
述べたいことは、沢山あるが、殆どの言いたいことを、太宰は小説の中で、既に述べてしまっている。何が苦悩だ、と言う人々も居るが、誠実に現実に生きれば生きるほど、苦悩は、増すばかりなんだろうと、太宰の小説を読んで、思うことが多々ある。破滅の原理である。
自己の消失によって、他者に依存する形体を取る場合、そこがかみ合えば、非常に、人間と人間は一致する。主体と客体の問題、自立と依存の問題、また、生きる上で、死を思考する問題、しかし、我々には、芸術がある、科学的に最も意味の無いように見えて、人間に最も価値を与えてくれる物、自分は、芸術を、そう信じている。