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人間とは、経験を重ねて知恵をつけていく。
叱られることが多い人間ほど、咄嗟の言い訳が上手くなるというもの。
マリアンヌは残念ながら、聞き分けが好い部類の人間だった。
だから、過保護な兄から、うんざりするほど小言を受けることは多かったけれど、叱られるということが滅多に無かった。
そんな自分を”良い子”と評価するつもりはないけれど、今回ばかりは、そんな自分を恨みたくなる。
マリアンヌはあらぬ方向に目を泳がしながら、頭をフル回転させる。けれど言葉が何一つ浮かんではこない。
せめて時間が一分でも止まってくれれば良いのにと、奇跡に近いことを祈ってしまう。
「マリアンヌ様、今日はどうしてこちらに?ウィレイム様はあなたが街に出ることを知っておられるのですか?」
── ああ、一番聞かれたくないことを聞かれてしまった。
マリアンヌは手のひらにじわりと汗がにじむのを感じた。
頭上から強い視線も感じる。見なくてもわかる。彼はきっと今、ものすごく厳しい顔をしているのだろう。
「あの……えっと……」
しどろもどろに口を開いたマリアンヌだけれど、続きの言葉が見つからない。
クリスはマリアンヌを急くことはしないが、不信感を増しているのが肌でわかる。早く何か言わないと。
そう焦れば焦る程、頭の中が真っ白になってしまう。
「もしかして黙って、こちらに?」
刃物で切り付けられたような鋭い言葉に、マリアンヌは最悪の事態を覚悟した。
けれど、ここでジルが横から口を挟んだ。
「マリー様は、最近、ウィレイム様のお仕事が忙しいことに心を痛めておられます。何か甘いものでも贈りたいと仰っていたので、わたくしが街にお連れしました」
ジルのきっぱりとした物言いに、クリスは「なるほど」と言って、表情をやわらげた。
それを見たマリアンヌは、慌てて言葉を繋ぐ。
「お願いです。どうか兄には内緒にしてください」
「わかりました。そういうことなら、ウィレイム様の耳に入れない方が良いでしょう」
すぐに要求を呑んでくれたクリスに、マリアンヌは深く頭を下げた。ジルも続いて腰を折る。
けれど、ほっとしたのも束の間、マリアンヌはそのままの姿勢で固まってしまった。
「とはいえ、女性二人ではなにかと物騒ですから。わたくしも、お買い物にお付き合いさせていただきます」
「……え?」
なんと嬉しくない提案なのだろう。
マリアンヌは、顔を引きつらせながら、断る理由を探す。
「有難いのですが……兄の護衛は……大丈夫なんでしょうか?」
マリアンヌは悩んだ挙句、顔を上げながら暗にサボるなと伝えてみた。
これで、彼が居心地が悪くしてくれれば、それを理由に立ち去ることができる。
そう思ったのだが、クリスは予想に反して声を上げて笑った。屈託のない笑みだった。
「……っ」
寡黙な彼がこんなふうに笑うのは初めてで、マリアンヌは心底驚いた。
氷のような清廉な騎士が、急にどこにでもいる青年に見えてしまったから。
でも、クリスはマリアンヌの心情に気付いてはいない。
表情を崩してしまったことに、しまったと言いたげに一瞬だけ顔を逸らしただけだった。
それからいつも通りの感情を消した表情に戻り、マリアンヌの問いに答える。
「大丈夫ですよ。王宮内には、他にも護衛騎士がおりますから。わたくしは、今は休憩中なのです」
「……そうですか。でも、休憩をされているなら、なおさら」
「さ、お買い物を再開しましょう。どちらに行けば?」
ごにょごにょと同意を拒む言葉を紡いでいたら、クリスにすっぱりと遮られてしまった。
しかも、丁寧な口調と物腰の中にも「四の五のうるさい。さっさと行くぞ」というニュアンスがしっかり含まれていた。
混乱のあまり気付けずにいたが、もしかしたら、偶然見つけた護衛対象の妹の警護も、彼にとっては仕事の一環なのかもしれない。
そう思った途端、マリアンヌは妙に納得した。強引な彼の行動が、ストンと胸に落ちた。
「ここからすぐ近くの東の通りにある”ロワゾー・ブリュ”という名前のチョコレート専門店に行きたいんです」
唯一知っている店の名前を口に出せば、クリスは顎に手を当てしばしの間、考える。頭に記憶された地図を広げているのだろう。
「ああ、あそこですね。かしこまりました。ご案内します」
クリスはマリアンヌの言葉に頷くと、慇懃に礼を取る。
そして姿勢を真っすぐに戻すと、綺麗な所作でマリアンヌを促した。