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親友に裏切られた侯爵令嬢は、兄の護衛騎士から熱烈な愛を押し付けられる③

 一ヶ月前の貧民街での事件の後、ろくに会話も出来ぬまま馬車に押し込まれ、そのまま別れてしまった愛しい人が目の前にいる。


 もう二度と会うことは無いと思っていた。

 彼に向かう想いすら捨てなければならないと決意していた。


 なのにクリスは、こうして出会うことが当然だというふうに、落ち着き払っている。 


 何一つ拒絶の意を見せないクリスに対して、今すぐ触れたいと強く望んでしてしまうのに、お前にそんな資格など無いと強く責める自分がいる。


 気付けばマリアンヌはクリスから目を逸らし、顔を俯かせていた。


 ずっと会いたかった。けれど現実はあまりに無情で。溢れそうになる涙をマリアンヌはぐっと堪える。


 二つの感情がせめぎ合い、心の中で暴れ回る。


 今、クリスが何を考えているのかわからなくて、そして知ろうとする勇気がもてない自分が情けなくて……とうとうマリアンヌは両手で顔を覆って、その場にしゃがみ込んでしまった。


「……マリアンヌさま?」


 慌てた様子で自分と同じくその場にしゃがみ込んだクリスに、マリアンヌは小刻みに何度も首を横に振る。


「み、見ないで……ください。お、お願い……します」


 違う、違う。こんな言葉を彼に向けるのは間違っている。


 もっと違う言葉を紡がなければいけない。裏切ってしまったことを謝らなければ。軽々しく、あなたへの想いを天秤にかけてしまったことを謝罪しなければ。


 でも、思うだけで、言葉が出ない。思考だけが空回る。


 マリアンヌは暗闇に覆われた視界の中、更に強く目を瞑った。


 会いたかった。本当に、本当にクリスに会いたかった。

 今の自分がそんなことを彼に伝える資格がないのはわかっている。でも、この気持ちは本物で一番強くて、一番伝えたいもの。


「マリアンヌさま、顔を上げてください。あなたに伝えたいことが」

「ごめんなさい。無理……無理です」


 クリスの言葉を遮って、マリアンヌは先ほどより大きく首を振る。


 そうすれば、小さな溜息が指先に触れた。


「マリアンヌさま、わたくしはあなたにクリストファーとして命令したくありません。だから今すぐ顔を上げて下さい」


 一見、非道な要求にも聞こえるが、これはマリアンヌの気持ちを尊重しての発言だった。


 そして、クリスの最大の譲歩でもあることは言われなくてもわかっていた。


「……は、い」


 だからマリアンヌは、ぎしぎしと音がしそうなほどぎこちなく顔を上げた。


 そうすればクリスは待ってましたと言わんばかりに、手にしていた書類を持ち上げて口を開く。


「あの二人は、無事ティフル国へ出立しました」 

「え?」


 突然事務的に告げられた内容に、マリアンヌは思考がついていけなかった。


「兄の婚約者であるサリタナ王女の母国です。これからあの国とは交易も盛んになります。見知らぬ土地で一から生活を始めるよりは、過ごしやすいでしょう……と思って、兄に提案させてもらったのですが、余計なお節介でしたでしょうか」

「い、いいえ。とんでもないです。ありがとうございます」 


 時間遅れでクリスの言葉を理解したマリアンヌは、咄嗟にお礼の言葉を紡いだ。


 だが、その心境はとても複雑だった。


 さんざん酷いことをされたはずの元婚約者と友人を救った代価が、クリスとの恋を捨てることだったのだ。


 そして、想いを捨てるはずだったその本人が目の前にいるのだ。


 あからさまに安堵の表情を浮かべるわけにもいかないし、かといって、わざわざ伝えてくれたのにそっけない態度なんて取りたくない。

  

 マリアンヌは自分でもわかるほど、妙な表情を浮かべてしまった。






 そんなマリアンヌを見て、クリスは小さく笑う。そんな愚かさすら愛しいと言いたげに。


 けれど実際のところ、クリスはこうなることがわかっていた。

 いや、言葉を選ばずに言うなら、そうなるようにクリスが仕向けたのだ。 

 

 長い間ずっとクリスはマリアンヌを見てきたのだ。

 だから、どんなに警告しても、酷い仕打ちを受けたとしてもエリーゼとレイドリックのことを簡単に切り捨てられるわけがないことは承知の上だった。


 だから敢えて利用した。


 エリーゼとレイドリックは、マリアンヌを妻に迎える完璧な大義名分を得るため駒の一つとして使うことをクリスは選んだのだ。


 兄であり、次期国王となるガーウィンも、中途半端に野心を持つ女性のような妻を娶るよりは……という思惑もあった。


 それに何よりクリスはマリアンヌだけを求めている。言い換えるなら、彼女さえ手に入れることができれば、これまで通りに、いやそれ以上に忠誠を誓い手足となって動いてくれるだろう。


 そんな様々な思惑が入り交じった結果、クリスの読み通り、マリアンヌは二人の命を救うことを選んだ。


 その報告を兄のガーウィンから聞いても、クリスは嫉妬に駆られることも、傷付くこともなかった。


 気が狂うほどの嫉妬は、レイドリックと婚約した報せを聞いた時に既に味わっている。

 それに、あの二人は二度とこの国の土地を踏むことはないのだから。居なくなったのも同然だ。


 レイドリックとエリーゼは、ティフル国へ追放となった。ただそこで二人を待ち受けているのは質素ながらも平穏な暮らしではない。


 送られる先は北の最果て。極寒の地。別名”罪人の地”と呼ばれるところ。ここでレイドリックとエリーゼは、過酷な労働を強いられることになる。


 麻薬の栽培は重罪だ。どんな理由で手を染めたとしても。犯した罪は償わなければならない。 


 けれど馬鹿正直に、それをマリアンヌに伝えるかどうかは別問題だ。


 そして、今クリスにとって大問題なのは、マリアンヌが囚われている罪悪感をどう消せば良いか、だった。


「マリアンヌさま、過ぎたことです。わたくしは何とも思っていません。ですから、もう自分を責めることはしないでください」

「……無理……です」

「困りましたね。でも聞いてください。わたくしとて身分を偽り、長い期間あなたを欺いていたのですよ。同罪です」

「……でも、それは仕方がないことなのでは」

「いいえ。あなたのことを信用していなかったとも捉えることができます」

 

 かなり無理矢理なこじつけをした自覚があるクリスは、マリアンヌが何か言う前にすぐに口を開く。


「要は、罪の重さなど関係ないと言いたかったんです。実際、あなたはわたくしの罪を聞いても責めたりするどころか、逆に庇うようなことを言ってくれました。わたくしも同じ気持ちなのです。───……ああ、もし気に病んで仕方がないというなら、あなたのリボンを下さい。それでチャラにしましょう」


 口を挟む間もなく一気に語ったクリスは、最後に茶目っ気のある笑みを浮かべてくれた。


 そんなクリスの髪は、襟足のところでリボンで括くくれるほど伸びていた。


 そこでようやっとマリアンヌは気付いた。

 クリスが未だに自分と交わした約束を守り続けてくれていることを。


 長い髪は邪魔になるから困ると言っていた。だから自分を軽蔑して、短く切っても良いはずなのに。


「……リボンは薄桃色でも良いかしら?」


 深い愛を感じさせる提案に同意する代わりに、マリアンヌも茶目っ気のある問いを返せす。すぐにクリスは苦笑する。


「できれば他の色でお願いします。なにせ毎日それで結ぶことになりますから。ああ、でも、あなたが毎朝結んでくれるのなら、何色でも良いかもしれません」


 さらりと口にしたクリスの発言に、マリアンヌの頬が熱くなる。


 それをしっかりと目にしたクリスは、真剣な表情に変え口を開く。


「マリアンヌさま、わたくしは以前あなたに好きだと伝えました。ですが、あなたの気持ちを敢えてこれまで聞くことはしませんでした」

「はい」

「でも今、知りたいのです。教えて頂けますか?」

「……っ」


 なんて直球な物言いをするのだろう。


 マリアンヌは恥ずかしさのあまり、泣きたくなった。

 けれど、ありったけの勇気をかき集めて小さな声で「好き」だと伝える。


 そうすればクリスは、マリアンヌの手を取った。次いで、その小さくほっそりとした指先に口づけを落として、たった一つの願いを口にした。


「どうか私の妻になってください。マリアンヌさま」


 命を差し出すかのような覚悟を持ったその言葉に、マリアンヌは自分が彼の熱で溶けてしまいそうな錯覚を覚えてしまう。


 指先に感じる彼の手は、直接心を触れているかのようだった。切なくて、嬉しくて、その激しい感情が怖いとすら感じてしまう。


 マリアンヌは、あまりの息苦しさに今すぐ距離を取りたいとすら思ってしまった。でも、離れがたくて、もっと近づきたくて。


 多分自分はこの先ずっと、こんな気持ちを抱えていくのだろう。


 クリスの愛は自分が思っていたより、強く、激しく、大きい。犯した罪すら受け入れてしまうほど。


 そんな目に見えぬ熱いものを一身に受けるとなると、それは見知らぬ男と結婚をするより、はるかに覚悟がいることなのかもしれない。


 でもそれを喜びと感じてしまう自分を、マリアンヌは確かに認めていた。だから今度は、彼の目をしっかりと見つめて気持ちを伝えることができた。


「ええ、クリス。どうか私の夫になってください」






 親友に裏切られた侯爵令嬢は、兄の護衛騎士─── ではなく、第二王子から押し付けられた熱烈な愛を自分の意思で受け取った。


 花が咲いたような笑みを浮かべて。  



◇◆◇◆ おわり ◆◇◆◇

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