親友に裏切られた侯爵令嬢は、兄の護衛騎士から熱烈な愛を押し付けられる①
マリアンヌが茨の塔から出ることができたのは、ガーウィンと取引を交わしてから10日後だった。
ピカピカに磨き上げられた馬車がカラカラと車輪の軽快な音を立てて、とある敷地内を進んでいく。
窓越しにすれちがう人々は皆、冬の装いに変わっていて、ファー素材の帽子や暖色系のお仕着せが冬の凍てつく空気をほんの少し和らげているようだった。
かく言うマリアンヌも、本日は濃いオレンジ色のドレスを身にまとって、馬車の座席に腰かけている。
一見、シンプルなウール地のドレスだけれど、袖口と裾には淡いブラウン色のレースをあしらっており、片側の胸元には同じレースで造られたコサージュが縫い付けられている。
普段着にしては豪華で、夜会に参加するには露出が少ないそれは、同じ馬車の中で向かいの席に座っているジルの見立てだった。
ずっと侍女を付けずに茨の塔で軟禁生活を受け入れていたマリアンヌだけれど、本日は、どうしてもジルの手を借りなければならなかった。
その為早朝からジルを塔まで呼びつける羽目になり、とても心苦しかった。けれどジルは嫌な顔をすることなどせず、再会できたことだけを心から喜んでくれた。
そして、優秀な侍女は慣れた手つきでマリアンヌのドレスを着つけてくれて、髪を結ってくれて、薄く化粧までしてくれた。
その間ジルは、これから向かう先のことについて一言も触れなかった。
口に出した言葉は愛猫のノノが相変わらず出窓に寝転んでいることや、最近、メイドが使うホウキがお気に入りになったこと。
庭の花壇にあるスノーボールが可愛らしい花をつけていること。
異国のチャイという名のお茶の淹れ方を覚えてさっそくメイド仲間に試飲を頼んだけれど、スパイスの味に馴染めなくて不評だったこと。
そんな取り留めも無い日常を、面白おかしく伝えてくれただけ。
マリアンヌは簡易的な鏡台に腰かけながら、ジルの話ににこにこと笑みを浮かべて相槌を打った。けれど、絶対に鏡越しにジルと目を合わさないようにしていた。
ジルはマリアンヌがクリスに恋をしていることを知っている。
そして別荘にいた時も、レイドリックと婚約破棄をした日も、クリスと過ごす時間を容認してくれた。
言葉にしてきちんと聞いてはいないけれど、きっとこの恋を応援してくれていたのだ。
……なのに、自らの手でこの恋を終わらせてしまった。裏切りと呼んでも過言ではないやり方で。
きっとジルは何もかも知っているのだろう。知っていて、あえてそこに触れないのだ。
その優しさが嬉しくて申し訳なくて、とてつもなく苦しかった。
「───……マリアンヌさま、そろそろ到着のようですね」
ぼぅっと外の景色を見つめていたマリアンヌに、向かいの席に座っているジルが控えめな声でそう告げる。
「ええ。あっという間だったわね」
「そうですね。塔からはさほど離れた場所ではありませんからね」
窓に向けていた顔を元に戻しながら本音を零してしまったマリアンヌに、ジルは返答しながら苦笑を浮かべた。
ジルの言う通り、目的地はわざわざ馬車を使わなくても……と思う程、近い距離だった。
王宮という巨大な敷地に寄り添うように茨の塔は建っていた。そしてマリアンヌ達が向かっていたのは、王宮内のとある場所。
ちなみに王宮内を馬車で移動することができるのは限られた人間だけ。宰相とて城門で馬車から降りて歩くことを義務付けられている。
でも今回は特別にマリアンヌは馬車での移動を許可された。
なぜならマリアンヌは、今から婚約者であるクリストファーと会う予定となっているから。
これはお見合いではない。互いに拒否権は無い、式の前の顔合わせ。
そして第二王子にきちんと挨拶を終えたら、マリアンヌはようやっと自分の屋敷に戻ることが許されるのだ。
……といっても、屋敷で過ごすことができる時間はごくわずか。
式は2ヶ月後と決定しており、マリアンヌはそれより前に王宮へ入ることが決まっている。
ガーウィンはマリアンヌとの約束通り、エリーゼとレイドリックに恩赦を与えてくれた。
それをマリアンヌは、ガーウィンの直筆の署名が入った書面で確認した。そして二人が国外追放になったことは兄のウィレイムが教えてくれた。
もちろん第二王子とマリアンヌの婚約は、ガーウィンと取引をした翌日に大々的に発表された。
実際目にしたわけではないが、街は引きこもりの王子が婚約すると知って、お祭り騒ぎになったらしい。
そのおかげか、貴族令嬢と令息が麻薬栽培に手を染めていたというスキャンダルは、社交界ではさほど噂になることはなく、ひっそりと二つの爵位が国王に返却された。
そう。全てマリアンヌが望んだ通りになった。
だからマリアンヌは、感謝の気持ちを持ち、これから婚約者である第二王子と会わなければならなかった。
けれど、そうしなければならないと思えば思う程、気持ちは重かった。




