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15

 レイドリックが手にしているのは、クリスがいつも腰に下げているそれに比べれば格段に小さいもの。


 でも人を傷つけることができるし、殺めることだってできる。そんな危険なものが自分に向けられている。


 マリアンヌは冷たく光る刃を見つめ、ごくりと唾を呑んだ。


 身体が震えているのは、自分の願いが完膚なきまでに打ち砕かれて失望しているからなのか、それとも身の危険からくる自然現象なのかわからなかった。


 ただ一つだけわかるのは、レイドリックが本気ということだけ。


「なぁ、痛い思いなんてしたくないよな?お前、転んだだけで泣くぐらい弱虫だもんなぁ。こんなもんで傷付けられたくなんてないだろ?」


 脅し文句を口にしながらレイドリックは、マリアンヌに一歩、また一歩と近づいてくる。


 彼の顔は相変わらず青白い。ナイフの切っ先も小刻みに揺れている。けれどその瞳は、狂気に満ちている。一線を超えてしまった人のそれだった。


 マリアンヌは、もうこれ以上説得を続けても無駄だということを知る。けれど、ここで予期せぬ事態がおこった。


「レイ、やめて」


 エリーゼが口を挟んだのだ。


 次いで、レイドリックが手にしているナイフを取り上げると、目を丸くしているマリアンヌに微笑みながら口を開く。


「ねぇマリー、もう一度聞くけど本当に協力はしてくれないの?」


 穏やかに、少し寂しさを滲ませて問うたエリーゼに向かって、マリアンヌは無言で首を横に振った。


 エリーゼは短く「そう」とだけ呟き、肩をすくめる。心底残念そうに。


 だが、これで終わりではなかった。瞬き一つの間の後、エリーゼは表情を変えた。


「なら、仕方がないわね。私、あなたの為を思って提案してあげたのに、こっちを選ばせるなんて。自業自得とはいえ……後で後悔しても遅いわよ」


 ───……何が?


 マリアンヌが純粋な疑問を口にしようとしたその時、エリーゼが視線をずらして小さく頷いた。それが合図となったかのように複数の荒々しい足音が建物内に響く。 

 

 気付けば、マリアンヌ達を取り囲むように、みすぼらしい服装の男たちが姿を現していた。


 彼らは剣を手にしてはいない。

 だがたとえ相手が女性でも子供に対してさえ何の躊躇いも無く拳を振り下ろせるような雰囲気を持っている。


 咄嗟に逃げ出そうとしたマリアンヌの足が止まる。今、動いてしまえば状況が更に悪くなる予感がして。


「これが例の女か?」


 その声は建物の奥───温室から響いてきた。


「そうですわ。アラバ様。ぜひ近くで見てください」


 見知らぬ男の問いに答えたのは、エリーゼだった。


 そしてエリーゼの誘いに応じるように、恰幅の良い中年男がゆっくりとこちらに歩いてくる。怖気が立つほど下品な笑みを浮かべて。


「はんっ。セレーヌディアの真珠と呼ばれるだけあるな。確かに美しい」

 

 下から上へと品定めするようにマリアンヌを眺めた男は、口元を歪めてそう言った。


「お気に召したようで何よりですわ。ただ少し、従順ではないところがあるので、お好みで躾をしてくださいな」

「ほう。それはまた面白い。侯爵家の娘を調教できるとなれば、客は喜んで金を落とすだろう」

「それは何よりでございます。もちろん生娘ですから……その……代金のほうも……」

「案ずるな。望みの額をくれてやろう」

「ありがとうございます」


 にこやかに笑うエリーゼとは対照的に、マリアンヌの顔はみるみるうちに強張っていく。


 エリーゼと男が何の会話をしているのか気付いてしまったから。


「……エリー」


 かすれた声でマリアンヌは、自分を売ろうとしている友の名を呼んだ。すぐに名を呼ばれた女性は、こちらに視線を向けた。


「言っとくけど、悪いのはあんたなんだからね。さっさと協力するって言わなかったから、こうなったのよ。何よ……恨むなら、ノロノロしている自分を恨みなさい。私を責めたりなんかしないでよね」


 下品な物言いは、恐ろしい程にエリーゼにしっくりときていた。


 そしてエリーゼは、その口調とそっくりな表情を浮かべマリアンヌの髪を掴んだ。


「この際だから言っておくけど、私、あんたのこと大っ嫌いなの。ずっとずっと不幸になれば良いって思ってた。ああ……あんたは私たちのことを親友って思ってるかもしれないけれど、違うから。あんたがそう錯覚するように、私達が仕向けたのよ」

「え?」


 力任せに髪を掴まれ、とても痛い。

 エリーゼの言葉に、心が見えない刃物で突き刺されたように激しく痛む。


 ただ、最後の一文を聞いた瞬間、マリアンヌは苦痛を訴えるより、間の抜けた声を出す方を選んでしまった。


 エリーゼが何を言っているのか急にわからなくなってしまったから。


 でも、すぐにわからないままでいたかったと強く後悔する。


「え?じゃないわよ。全然気づいてなかったようね。馬鹿な子。私達があんたに他の友達を作る時間を与えないようにしていたのよ。3日と置かず、つまらない茶会ごっこに付き合ってあげてね。時々、喧嘩の真似事もしたりして。あんたと仲良くしたい酔狂なヤツもいたけど、レイと協力して徹底的に排除していたのよ。……ぷっ、なに傷付いた顔しているの?あんた笑ってたじゃない。レイと私がいればそれで良いって言ってたじゃない。お望みどおりにしてあげてたのに、そんな顔をされたらたまったもんじゃないわ」


 最後は吐き捨てるような口調で言い終えたエリーゼを見て、マリアンヌは唐突に気付いた。


 結婚式の招待客リストを見せた時、明確な理由を告げることもせず、アンジェラを欠席にしろと言ったのかを。


 エリーゼは、アンジェラを嫌っているわけではなかった。ただ自分を孤立させたかっただけなのだ。


 そんなことに気付かず、一人鬱々と悩んでいた自分がひどく滑稽だった。あまりに可笑し過ぎて涙も出てこない。


 と、ここでアラバの低い笑い声が割って入って来た。


「はっははっ。女同士の諍いは、いつ見ても凄まじいものだな。そこらの芝居を見るより面白い。───……だが、エリーゼ殿、そろそろ商品から手を離して貰っても良いかな?見事なブロンドが痛んだら、価値が下がってしまうからな」

「あら、それはいけないですわね」


 商品という言葉に反応して、力任せに掴んでいた髪をあっさりと手放すエリーゼを見ても、マリアンヌはもう心は痛まなかった。


 ただただ乱れた髪を手櫛で整え、何かを探すように視線を彷徨わす。


 そしてはっと何かに気付いた途端、姿勢を正して口を開いた。


「エリー、レイ。あのね、私はあなた達の言う通りグズでのろまな存在かもしれないわ。でもね、」


 中途半端なところで言葉を止めたマリアンヌは、ここでふわりと笑った。見る者を魅了させる、セレーヌディアの真珠らしい笑みを。


 それからゆっくりと続きの言葉を紡ぐ。


「私の兄の護衛騎士は、とっても優秀なのよ」


 言い終えたと同時に、突如、マリアンヌの前に黒い何かが姿を現した。





 それは漆黒の騎士服を纏った青年───クリスだった。

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