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 エリーゼが言った遠出とは、マリアンヌ達が知り合って2度目の夏が来たばかりの頃だった。


 まだウィレイムは家督を継ぐ前で、屋敷には両親が居た。

 なので、その日は家族全員とエリーゼとレイドリックの両親も参加して、大人数での遠出となった。


 目的地までは別々の馬車で移動したけれど、到着してしまえばマリアンヌはずっとエリーゼとレイドリックと共に過ごしていた。


 天気に恵まれていたが、日差しは強かった。だから、すぐ近くの湖と呼んで良いほどの大きな池では、何艘ものボートが浮かび、そこで釣りを楽しむ紳士やパラソルを手にして水面の風で涼をとる婦人たちもいた。


 もちろん遊び盛りの子供なら、ボートに興味を持つのは当然だった。

 けれど、危ないと言う理由でそれは却下され、マリアンヌ達は木陰でお菓子を食べたり、かくれんぼをしたりと、思い付くまま遊び、そして帰宅した。


 マリアンヌにとって、思い出せる限りそれが全てだった。ただただ楽しく、何のしこりも覚えることがないもの。


 けれど、エリーゼとレイドリックにとっては、まったく別の思い出だった。






「あの日ね、朝からひどく両親はピリピリとしていたわ。行きの馬車の中ではずっと私は、小言を聞かされていたの。”言葉遣いには気を付けなさい”、”礼儀正しくしなさい”、”失礼な態度は絶対に取っちゃ駄目”って。まるで壊れた蓄音機みたいにずっとずっとそればかりを両親は繰り返し私に言っていたの。......正直、鬱陶しいと思ったわ。だって、これから遊びに行くというのに、そんなことばかり言うんだもの。でも、私は素直に聞いていたわ。......てっきり、良い子でいないといけないのは、マリーのお父様がそこにいるからだと思っていたから。......でも違ったみたい」


 一気に言い切ったエリーゼは、こちらの反応を窺うように首をかしげた。


 対してマリアンヌは、何も言わなかった。ただ顔色はひどく悪かった。


 エリーゼが今、語ったのは序章でしかない。でも、もう十分に衝撃を受けている。そしてきっと続く話は、もっと酷い内容なのだろう。


 ......でも、聞かなければならない。

 マリアンヌは覚悟を決めるようにぎゅっと両手を握りしめると、続きを促すように小さく頷いた。


 そうすれば、エリーゼは再び語り出す。


「マリー、あなたのお父様は端から見てもあなたを深く愛しているのはわかっていたわ。そしてあなたには優しかった。私やレイドリックに対しては、ちょっと違ったけれどね。でも、他人の親だもん。別に気にはしなかったわ。だから私は、あなたのお父様が近くにいる間は、良い子を心がけたわ。きっと両親も帰りの馬車で誉めてくれるだろう。そんな確信が持てるほど、我ながら頑張ったと思うわ」


 再び言葉を止めたエリーゼは、マリアンヌから視線をずらして水面を見つめる。


 辛いことを思い出しているのだろうか、眉間には皺が寄っている。よく見れば、唇は震えている。泣くのを必死に堪えているようだった。


 ─── 泣かないで。


 そう言ってマリアンヌが手を伸ばそうとした瞬間、エリーゼは拒絶するように口を開いた。


「帰りの馬車に乗り込んだ途端、母は私の頬を思いっきり引っ叩いたの。……ものすごく痛かった。それに、びっくりしたわ。だって叩かれる理由なんて思い当たらないんだもん。だから怖かった。なのに母は怯え切った私に更に手を挙げながらこんなことを言ったのよ。”エリー、あれだけ言ったのに、どうしてあなたは私の言いつけを守れないの!”って。父も続けてこう言ったわ。”どうしてボート遊びをしたいなんて言ったんだ。()()()に何かあったら、援助のお願いをすることができないだろう”って。……そこでやっとわかったわ。行きの馬車の中で聞いた小言は、マリーのお父さんに向けてのことじゃない。……マリー、あなたに対してのものだったのよ」

 

 最後の一分はとても静かな口調だったのにもかかわらず、マリアンヌはぞっとした。


 自分が呑気に過ごしていた頃、エリーゼがそんな仕打ちを受けていたなんて、まったく知らなかった。


 でもエリーゼが嘘を吐いているわけではない。

 苦しそうに言葉を紡ぐその様は、まるで血を吐いているようだった。


 謝らないといけない。

 無知だったゆえに、きっと無自覚にエリーゼを傷付けてしまったことが沢山あるはずだ。


 そう思って口を開きかけたマリアンヌだったけれど、エリーゼの言葉に遮られてしまった。 


「子供の私だって、うちが没落寸前だというのは、なんとなくわかっていた。うちは領地など持ってないから誰かに縋らないとどうすることもできないのもわかっていた。でも、すごく恥ずかしかった。自分より小さな女の子の顔色を気にする大人が自分の親だなんて、こんなこと誰にも知られたくないって思った。でもね、そんなふうに思っていたのは、私だけじゃなかったのよ───そうでしょ?レイ」


 エリーゼから問いかけられたレイドリックは苦笑を浮かべながら肩をすくめた。


「ああ、そうさ。でも、僕は平手じゃなくて拳で殴られたけどね」


 おちゃらけた言い方に反して、レイドリックは憎々し気にマリアンヌを睨んでいた。エリーゼも同じ表情を浮かべ、マリアンヌを見つめている。


 二人の視線を受けたマリアンヌは、小さく「ごめんなさい」と呟いた。


 

 でも、謝らなければいけないことが多すぎて、今言った”ごめんなさい”は何に対してのそれなのか、マリアンヌは自分でもわからなくなっていた。

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