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マリアンヌは馬車に揺られながら、ふと思う。
同じ乗り物なのに、御者や車体が変われば乗り心地はこんなにも違うものなのかと。
ここは王都で、馬車が走る道はすべてタイルが敷き詰められている。
遠方からこの街へ来る人間は、馬車の窓を開けていなくても目をつぶっていても、急に滑らかな走りになるのですぐにわかるらしい。
今、この馬車の窓は開いている。
そして、そこからは見慣れた景色が続き、もっと向こうにはお城も見える。でも、ガタガタとひどく乱暴に揺れるここにいると、まるで知らない場所に来てしまった錯覚を覚えてしまう。
「......まだ、走るの?」
本当は、どこに行くのと聞きたかったけれど、そんなことを尋ねてもきっと答えてくれはしないだろう。
向かいの席に座る男───レイドリックは、見るからに話しかけるなという雰囲気を出している。
そして、ムッとしているわけではないが、とても緊張しているのがひしひしと伝わってくる。
「あと少しさ。悪いけど、ちょっと黙ってて」
「......」
酷い言われように、さすがにマリアンヌは眉をひそめたが、それでも言われた通り口をつぐんだ。
でも、馬車の揺れで肩に流れてしまった横髪を耳にかけながら「自分から誘ったくせに」と心の中で呟いた。
マリアンヌはレイドリックの馬車で、どこかへ向かっている。
目的地はわからない。だが、目的はレイドリックから知らされている。
そしてマリアンヌは自分の意思で行くと言ってこの馬車に乗り込んだ、だからこれは、拉致でも誘拐でもない。
目的地も教えられないというのに、婚約破棄をした相手と同じ馬車に乗る。
これはあまりに無防備なこと。箱入り娘として育てられ、世間知らずだとしても、もう少し警戒心を持つべきだ。
なにせ婚約破棄をした相手は、他に恋人がいたのだ。それを隠してマリアンヌに求婚した経緯を持っている。それに、求婚した理由はマリアンヌが名門侯爵家だったから。
はっきり言って財力を求め求婚し、そしてまとまったお金を提示すればあっさりと婚約破棄に同意した最低な男でもある。
けれど、その男はかつての親友であった。
そしてマリアンヌが自ら馬車に乗った理由は、もう一人の親友エリーゼがとある場所で待っているから。それこそが目的でもある。
アンジェラの屋敷を出た後、マリアンヌは自分の馬車で真っ直ぐに帰宅する予定だった。
ただ自宅の門をくぐろうとしたその時、マリアンヌは馬車の小さな窓に映し出される流れる景色の中で、レイドリックの姿を見つけてしまったのだ。
そのまま無視すれば、良いことだった。
もし仮に何か用事があるのなら、きちんとした手順を踏んで会いに来れば良いだけのこと。
でもマリアンヌは、馬車を降りた後、レイドリックの元へ駆け寄った。
彼は遠目からでも、ただならぬ形相ではあったが、近くで見ると死神にでも取りつかれてしまったかのような顔をしていた。
そしてレイドリックはマリアンヌがどうしたの?と声をかける前に、こう言った。
『最後に、一度だけ3人で話をしよう。......腹を割って』
3人とは誰のこと?と、とぼけて聞き返せるほど、マリアンヌはまだ気持ちの整理がついていなかった。
そしてマリアンヌ自身も、これまでの友情にきちんと終止符を打ちたかったのもある。だからマリアンヌは、そのまま使用人に行き先も告げず、レイドリックの馬車に乗った。
そんなふうにマリアンヌがここに至った経緯を思い返していても、レイドリックは一言も口を開かない。ただずっと窓に視線を向けている。
その姿は一刻も早く、この場から逃げ出したいようにも見えて、マリアンヌは苦い気持ちになる。
正直なところ、自分だって多少の苦痛は感じている。でも、この機を逃せば、もう2人には会えないだろう。そんな予感がする。
ただ、目の前にいる男だけをじっと見続けているのは、そろそろ限界が近い。
だからマリアンヌはせめて景色でも見ようと視線を窓に向ける。が、すぐにカーテンが乱暴な音を立てて閉められてしまった。
「どうし───」
「君と一緒にいるのを見られたくないんだよ」
「......そう」
いろんな意味にとれるレイドリックの発言にマリアンヌは短い返事をする。心のなかで「誰に見られたら困るの?」と、意地の悪いことを尋ねてはみるけれど。
でも、マリアンヌは大人しくレイドリックの言うことを聞いた。
ここで諍いを起こしたところで、意味はない。
だからマリアンヌは、視線を膝の上に置いた自分の両手に固定して、ただひたすら目的地に到着するのを待った。
そしてレイドリックが、露骨な舌打ちを3回して、マリアンヌがこっそりため息を4回ついた後、やっと馬車は目的地に停車した。




