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6

 目の前に座っている騎士を見つめ、マリアンヌは思う。

 この人は、何も変わっていないと。


 人を寄せ付けないアイスブルーの瞳は自分を見つめておらず、何かを確認するように窓へと向けている。

 少し開いた窓から入る風が、漆黒の髪をなびかせている。

 すらりとした体躯も、首まできっちり止めた襟の詰まった黒の騎士服も、あの夏に見た彼と何も変わっていない。


 ……自分は、こんなにも変わってしまったというのに。


 マリアンヌは、じれったいようなもどかしい思いを抱えて、ぎゅっとスカートの裾を握った。


 馬車はカラカラと車輪が軽快な音を立てて、どこかへと向かっている。

 行き先はわからない。


 けれども、こうしてまたクリスと会えただけで、マリアンヌは嬉しかった。

 

 別荘で別れてからずっと顔を見ることができなかったから、心のどこかで避けられているのではと思っていた。


 でも、また会えた。

 約束通り髪が伸びていた。


 顎まで伸びた前髪が、クリスのシャープな顎の線を隠してしまっているけれど、よく似合っている。


 ただクリスは鬱陶しいのだろう。時折、前髪をかき上げている仕草に申し訳なさを感じてしまう。が、やっぱり嬉しかった。


 そして自分が贈ったリボンで後ろ髪を結う彼の姿を想像してしまえば、もう駄目だった。堪えきれずマリアンヌは、ふふっと小さく笑ってしまう。


 その声はしっかりとクリスに届いていたようで、彼はすぐに窓から視線を外し、こちらを向いた。


「───……一気に朝晩の冷え込みが強くなりましたが、体調など崩されてはおりませんか?」

「……っ」


 マリアンヌは、すぐにクリスの問いに答えることができなかった。自分を見つめる彼の瞳があまりに柔らかかったから。


 変わったのは自分だけではないことに気付いて、マリアンヌは胸の高鳴りを抑えることができない。


 スカートの裾を握りしめていた手は、いつの間にか胸元に移動していた。


 だがその仕草は、クリスの目には違うものに映ってしまったようだった。


「……風邪でも召してしまわれましたか?」

「いいえっ。だ、大丈夫です。見ての通り元気です」


 心配そうに眉を寄せるクリスに向かって、マリアンヌは慌てて首を横に振った。


 でも、クリスの眉間の皺は更に深くなる。


「見ての通り、元気?さすがに今、そんなことを言われても信じられるわけないでしょう」

 

 呆れた口調でそう言われ、マリアンヌは苦笑を浮かべる。


 確かにクリスの言う通りだった。

 自分は婚約を破棄したばっかりなのだ。それどころか、大切な友人まで失ったのだ。心底落ち込んで、めそめそと泣いても良いはずだ。


 でも不思議と凪いだ気持ちでいる。

 それに、いま自分の心を占めているのは、この人だ。


「あなたに会えたから元気になったって言えば、信じてもらえるかしら?」


 さらっと言おうとしてみたけれど、やっぱり頬が赤くなってしまった。咄嗟に両手で顔を覆ってしまう。


 自分からこんな大胆なことを口にするのは、思っていた以上に恥ずかしかった。


 でも、そんな言葉を向けられた相手はもっと恥ずかしかったのだろう。


 マリアンヌほどではないけれど、クリスは片手で顔を覆っている。その太い首筋はほんのりと赤い。


「……ったく、今日はとことん甘やかしてやろうと思ったのに。随分、元気そうだ」


 だんだん耳に馴染むようになったその口調は自分に向けたものではないが、聞き捨てならない部分があった。 


 思わずマリアンヌは、独り言だとわかっているのに口を挟んでしまう。


「元気だと、甘やかしてはくれないの?」


 思ったより拗ねた口調になってしまったが、それが本心なので訂正することはせずマリアンヌはじっと上目遣いでクリスを見つめた。


 彼はまだ片手で顔を覆ってはいたが、指の隙間からしっかりこちらを見ていたようで、ばっちりと目が合った。


「随分と煽るのが上手になりましたね。マリアンヌさま」


 顔から手を離したクリスは、まったくもうと言いたげ肩をすくめて見せた。


 でも嬉しさを前面に出して、マリアンヌの腕を強く自分の方へと引いた。


「……えっ?!」


 マリアンヌが驚いて声を上げた時には、もう身体が座席から浮いていた。


 でも、よろめく間も無く、今度は太い腕が腰に絡みついて反対側へと着席させられた。ただ座った場所は、馬車の座席ではなくクリスの膝の上。


「ク、クリス。降ろしてっ……」

「はいはい、危ないから動かないでください」


 まるでやんちゃな子供を宥めるような言い方に、マリアンヌは身体を捻って、クリスを軽く睨んだ。


 でも返ってきたのは、触れるだけの優しい口付けで。


 その結果、マリアンヌは不本意ながらクリスの膝の上で大人しく着席する羽目になってしまった。


 対してマリアンヌを背後から抱きしめているクリスは、満足そうに低く喉を鳴らした。


 そして自分の唇を、すぐ目の前にある小さな耳に寄せる。


「元気があろうが、なかろうが甘やかしてさしあげますよ」


 吐息と共に耳元でささやかれ、マリアンヌの身体はピクリと跳ねた。


 すぐさま、お腹に回されたクリスの腕に力が入る。 


 そんなことをされれば、あの夏の日に過ごした時間が鮮明に蘇ってしまい、マリアンヌは赤面を通り越して、のぼせてしまいそうになる。


 けれど、クリスがマリアンヌにじゃれていたのは、ここまでだった。


「と、言いたんですけどねぇ」

「……え?」

「その前に、ちょっと耳に入れておいて欲しいことがあるんです。マリアンヌさま、どうかこのまま聞いてください」

「は、はい」


 急に声のトーンが変わったクリスに、マリアンヌは何かを察して硬い表情で頷いた。


 クリスはマリアンヌの緊張をほぐすように軽く髪を撫でる。そして甘さを含まない淡々とした小声で囁く。


「実はですね───」


 クリスが語ったことは、ウィレイムが調査をしているレイドリックとエリーゼのこと。


 それを聞いたマリアンヌは、二人が自分に隠れて交際をしていたことよりショックを受けた。


 でもすぐに気持ちを持ち直すと、クリスに()()()()()をした。


 クリスは嫌々ながらも頷いてくれた。




 ただその後の”甘やかし”は、クリスのもどかしい想いを表すかのように、砂糖菓子にシロップを掛けたような、それはそれは濃密な時間となった。

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