表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/69

3

 一応、マリアンヌが訪問することは、リッツ家の使用人たちは知っていたようだった。


 ジルが訪問理由を口にしても驚くことなく対応している。ただ、戸惑いを隠せない様子ではあるけれど。


 それはエリーゼではなく、自分が来たことに対してのそれなのか。

 それとも、侯爵令嬢がわざわざ足を運んだことに驚きを隠せないのか。


 そんなことをマリアンヌは少し考えてみたけれど、結局どちらでも良いという結論に落ち着いた。

 

「では、ご案内します」


 婦人と呼ぶべきメイドはジルとの会話を終えるとマリアンヌに一礼した。そして、応接間へと誘導する。


 マリアンヌは視線を下に落として、なるべく屋敷の中を見ないように歩く。もうリッツ家の財政がどうなっているのかはだいたい理解した。


 これ以上、じろじろと見るのは失礼にあたるだろう。

 前を歩くメイドもそれを望んでいるようで、足取りは心なしか早かった。


 それからすぐに応接室に到着した。

 玄関ホールからさほど離れていなかったそこは、かつて何度も通された部屋だった。


 一歩足を踏み入れた途端、変わらぬ光景に懐かしさを覚える。


 正午を過ぎた部屋の陽だまりの中で無邪気に笑う、幼い自分とレイドリックとエリーゼがそこにいるような気がして眩暈を覚える。


 けれど、その感傷も一時のものだった。


  





「すぐにレイドリック様が参りますので、少々お待ちください」

「ええ、ありがとう」


 お茶を出したメイドは丁寧に腰を折ると、すぐに部屋を後にする。


 そして扉が閉まれば、ジルと二人っきりになった。


「えっ、マリー様、これをお飲みになるのですか?」


 手持ち無沙汰になったマリアンヌがティーカップを持ち上げた途端、すぐ後ろにいるジルが慌てた様子で声を掛けた。


 マリアンヌはカップを手にしたまま、振り返る。

 と同時に、腰かけているソファのスプリングがギィっと嫌な音を立てた。


「飲むわよ。だって喉が渇いてしまったもの。……駄目ね、私。やっぱり緊張しているのかしら?」


 ふふっと笑って同意を求めたマリアンヌだったけれど、ジルの表情はとても硬いものだった。


 きっとジルは兄からこの婚約破棄について、ある程度聞いているのだろう。

 そして、これから何か起こるのではないかと気を揉んでいるのだろう。


 確かに、自分はこれからレイドリックに一方的な婚約破棄を告げるのだ。

 それに激昂した彼が、自分に向けて罵詈雑言を浴びせるかもしれないし、最悪、手をあげるかもしれない。


 でも、そんなことにはならないとマリアンヌは思っている。そのための準備もちゃんとしてきた。


 といってもジルは兄からくれぐれも気を付けろと、しつこいくらいに言われたのだろう。だからと言って、お茶になにかいかがわしいものを入れるような真似はさすがにしないと思うが。 


 でもマリアンヌは、少しでもジルの気が休まるように、カップに口を付けることなくソーサーに戻した。


 それから軽い口調を意識して、口を開く。


「大丈夫よ、ジル。あっという間に終わるわ。そうしたら、街に行きましょう」

「ま、街……でございますか?」

「ええ。外に出る機会なんてめったにないんですもの。それにまだお昼過ぎでしょ?お兄様だって、きっと今日は大目にみてくれるはず。ねえ、ジル。この前の”ロワゾー・ブリュ”のチョコレートはどうだったかしら?」

「え……えっと……美味しかったでございます。……はい」

「なら、決まりね。今度はジルも一緒に選んでちょうだい。そして一緒にお茶を飲みましょう」


 にこにこと笑ってマリアンヌが提案をすれば、ジルはぎこちなくではあったが、ようやっとここで笑みを浮かべてくれた。


 ただ「ザッハプンシュは駄目ですよ」とすかさず言われ、マリアンヌは子供のように口を尖らせる。


 そうすればジルはいつもの笑みを浮かべてくれた。


 そして、それを合図にしたかのように、応接間の扉が開きレイドリックが姿を現した。





 許可を下すことなく訪問を受けたレイドリックだったけれど、彼は不機嫌な表情は浮かべていなかった。


 ただ使用人に向けるような横柄で、気安げな表情を浮かべ、マリアンヌの向かいの席に着く。

 そして、背もたれに身体を預けながら口を開いた。


「どう?少しは反省した?」


 ぞんざいなレイドリックの態度に、すぐにジルが顔色を変えたのが気配で伝わった。


 けれどマリアンヌは片手でジルを制してから、レイドリックに向かい口を開く。


「別荘は王都の中にあるのにとても涼しかったわ。でも、たくさんお散歩をしてしまったから少し日に焼けてしまったかしら」


 おどけた口調でマリアンヌがそう言っても、レイドリックはふんと鼻を鳴らすだけだった。


 それはこれまで通り、無邪気で無知で無能な自分だと思っているのだろう。そして、彼の質問にへんてこな返答をする自分に呆れているのだろう。


 でもマリアンヌはあえて、言ったのだ。

 反省などまったくしていないから。これからもする気はないから。


 ─── そして、これで最後にするつもりだから。


「ねえ、レイ。聞いて欲しいことがあるの」

「ん、何?あんまり長い時間は取れないよ。これから予定があるんだし」

「大丈夫、すぐに終わるわ」

「そう、じゃあ聞くよ。なに?」


 面倒くさそうにレイドリックは、ティーカップを持ち上げながらマリアンヌに続きを促した。


 こちらに目を向けることなく。


 でもマリアンヌは、きちんとレイドリックを見つめて口を開く。


「レイドリックさん、私との婚約を白紙に戻してください」


 ───ガシャン。


 しんとした部屋に、耳障りな音が大きく響く。


 少し遅れて、レイドリックが乱暴にティーカップをソーサーに戻したのだと気付いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ