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───対して馬車の中では、アンジェラが不貞腐れた表情で、クリスを睨み付けていた。
「ねえ、クリス」
「なんだい?アン」
「今すぐ、女装をしなさい」
「は?」
突拍子もないアンジェラの命令に、クリスは間の抜けた声を出してしまった。
そうすれば、向かいの席に座る彼女は更に不機嫌な顔になる。
「聞こえなかったの?今すぐ女装をして。誰がどう見ても、クリスだとわからないように完璧に女装して」
「......この暑さで頭でも湧いたのかい?アン」
「失礼なこと言わないで。わたくしは正気です。ただ、嫌なだけ。ウィレイムさまじゃなくて、あなたと馬車に乗っているこの現状が。だから女装して。そうしてくれたら、わたし、あなたのこと嘲笑うことができて楽しいから。早くして」
───ああ、なるほど。
などとクリスが納得するわけもない。
「......アン、それは八つ当たりって言うんだよ。あと、そんな理由で女装なんかごめんだね」
「なら、クリスじゃなくなってちょうだい。別のものになって」
「......はぁー......もう、無理言うなよ」
幼馴染みの恋路を邪魔した覚えは何一つないのに、全力で八つ当たりをされたクリスは、大きく肩を揺らしてため息をついた。
クリスとアンジェラは幼馴染だ。もちろんクリストファーとしても幼馴染である。
それにアンジェラは、クリスがセレーヌディア国の第二王子だということも当然知っている。
なのに知っている上でのこの物言いは、命知らずと言われそうであるが、こんなやり取りは今に始まったことではない。
むしろこれが二人の日常的な会話なのである。
そんなわけでクリスは、アンジェラの機嫌が良くなるのを、ただひたすらじっと待つ。
待つこと5分。
アンジェラは愛おしそうにウィレイムの名を呼んだのを最後に、気持ちを切り替えた。
そして、クリスに向かって切り出す。つい先ほど公園にて、意味ありげに視線を向けた内容を。
「ねえクリス、率直に聞くけど、あなたマリアンヌさんを抱いたりしたの?」
─── ガタンッ。
クリスは、アンジェリアの言葉を聞いた途端ずっこけた。
「……座ったままコケるなんて、相変わらず器用なことをするわね」
曲芸師の軽業を目にしたような感想に、クリスは思わず半目になる。
ただ、文句を言ったところで、この幼馴染に勝てるわけがない。なので、不平不満をぐっと飲み込んで、質問に答えることにする。
「抱いたりなんかしてませんよ。マリアンヌ様の身はお綺麗なままです」
「そう。でもキスの一つくらいはしたんじゃないの?」
「……あー……今日もいい天気だなぁー」
「したのね。この野獣めが」
アンジェラは鋭利な刃物より鋭い視線をクリスに向けた。
ただこれで、謎が解けた。
実は、つい先日ロゼット邸の別荘に二度目の訪問した時、マリアンヌの態度はとても変だったのだ。
最初は、誰かを待っていたのか、ひどく落胆した様子だった。
きっとレイドリックとエリーゼの到着を待っていたのだろうとアンジェラは思った。もしかして手紙を書いて、噂を否定しに来るのを待っていたのかもしれない。
なのにここに来たのは、悪い噂を伝えた張本人で。だから余計に嫌われてしまったのかと思った。そして早々に辞そうとアンジェラは決めた。
でもなぜかマリアンヌは、アンジェラを引き留めた。そして人気のない庭に連れ出して、ずっともじもじとしている。
その姿は聞いて欲しいことがあるけれど、自分からは切り出せないといった感じで。
だからアンジェラは、それとなくレイドリックとエリーゼのことを口にした。
でもマリアンヌは、こちらが拍子抜けするほど、そっけない返事をするばかり。先日、噂を伝えた時の衝撃は、実は演技だったのかとアンジェラは内心疑った。
そんな微妙な空気の中、ここで一匹の猫が現れた。真っ白な毛におおわれたそれは、どう見ても飼い猫で、マリアンヌに懐いている様子だった。
『あら、マリアンヌさん、別荘にノノちゃんを連れて来ていたの?』
恋する乙女は、好きな人のことならどんな些細なことでも覚えている。
だからウィレイムの妹が白猫を飼っていることも知っているし、名前だって知っている。多分、他の貴族令嬢だってその程度のことなら知っている者もいるだろう。
そんな予測で、アンジェラは何の気なしにマリアンヌに尋ねた。
正直、気づまりな空気を変えたかったのもある。動物は便利な生き物で、褒めれば空気が和むという打算もあった。
でも、この問いが思いがけないきっかけを産むことになる。
『あ……は、はい。ク、クリスさんが……その……連れてきてくれたんです』
そう言ったマリアンヌの顔は真っ赤だった。
羞恥でそうなったわけではない。目は潤んで輝いていたのだから。
───……はぁーん。なるほどね。そういうことか。
察しの良いアンジェラは、この僅かなマリアンヌの動作で全てを悟った。そして、レイドリックとの婚約破棄は間違いないと確信を得た。
……のだが、さすがにマリアンヌとクリスが、どこまで男女のステップを進んだかはわからなかったので、こうして当人に問い詰めたのであった。
「ま、おめでとうと言ってあげますわ。クリス」
「そりゃあ、どうもありがとう。アン」
同士に一歩リードされ、少々苛立つが、幼馴染としてはやっぱり祝福したい。
そんなアンジェラの気持を受け取ったクリスは、素直にその言葉を受け取った。けれど、表情には影がある。
「ただねぇ、後片付けが厄介なんだよね」
「あら、クリスならやれないことなんてないでしょ?これまで毒を盛られたって、暗殺されかけたって、乗っている馬車を谷に突き落とされたって、こうして元気に生きているんだから」
「まぁ、そうなんだけどね」
容赦ないアンジェラの言葉に、クリスは苦笑した。
遠回しに頑張れと言ってくれているのは、十分伝わっている。その気遣いに嬉しい気持ちもある。だが、
「どうしたって好きな女の子が泣くかもしれないと思ったら、やっぱり手を下すのは辛いよね」
「……はっ」
すぐさまアンジェラが鼻で笑った。
どんな気持ちでそうしたかは聞きたくもないクリスは、アンジェラから視線を逸らして窓に目を向ける。アンジェラの馬車が停めてある場所はすぐそこだった。
「ねえ、クリス」
「なんだい?アン」
窓から目を逸らさずにクリスが返事をすれば、強く腕を引っ張られた。
「あのね、教えて。わたくしお父様に、この件、早く片付けるよう発破をかけるようにした方が良い?それとも、もうちょっと様子を見てあげてとお願いした方が良いかしら?」
「は?」
アンジェラの思わぬ申し出に、クリスは目を丸くした。でも、すぐに答える。
「後者だと有難いな。なるべく事を荒立てたくはないから」
「わかったわ。全力で、お願いしてあげる。だから……」
── 貴方の恋が成就したら、今度はわたくしの恋を全力で応援しなさいよ。
恐ろしい程のアンジェラの私利私欲発言に、クリスは再びずっこけてしまった。




