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小さな違和感と、大きな後悔③

 マリアンヌは自分の失態を誤魔化すのに必死で、レイドリックの表情に気付いていない。


 対してウィレイムは一度だけレイドリックに視線を向けた。が、そこに気付いてのことなのかはわからない。


 ただわざとらしい咳ばらいを一つして、話を元に戻した。


「まぁ今、お前の気持ちを聞いてしまったから、これ以上話を続ける必要は無いかもしれないが……この婚約は王命というわけではない。マリーの気持ち次第でいつでも解消できるものだ。だから即答せず、ゆっくり考えなさい」

「お兄様、わたくしの気持ちは固まっています」


 きっぱりと言い切ったマリアンヌに、ウィレイムは苦い表情を作る。


 マリアンヌは侯爵令嬢だ。

 しかも成り上がりではなく、建国からずっと爵位を持っている名門の貴族である。


 セレーヌディア国には二人の王子がいる。

 第一王子は、既に同盟国から妻を迎えることが決まっているが、第二王子はまだ未婚であり、婚約者も決まっていない。


 ただ第二王子の婚約者候補は国中から集められている。その中に当然マリアンヌの名前も入っている。


 マリアンヌが第二王子の元に嫁げば、ロゼット家は更なる繁栄が約束されるだろう。


 けれど、ウィレイムはマリアンヌを出世の道具として使うつもりはない。


 王族の一員として気苦労の多い生活をさせるくらいなら、身分相応の家に嫁がせ、人並みの幸せをと望んでいる。


 そう。そう思っているからこそ、苦い顔をしてしまうのだ。

 本人を前にしてあからさまに言うことはできないが、レイドリックは格下の伯爵家。しかも財政は、あまりよくないと聞く。


 はっきり言って、マリアンヌの嫁ぎ先としては相応しくない。


「……お兄様、わたくしの結婚に反対なのですか?」 


 今にも泣きそうなマリアンヌの声で、ウィレイムは現実に引き戻された。


 慌てて声のする方に視線を向ければ、声音と同じ表情を浮かべるマリアンヌと目が合った。


「まさか。私は、マリーに幸せになって欲しいだけだよ」


 意識して穏やかな表情を作ったウィレイムは、我ながら妹に甘いと心の中で苦笑する。


「ならこの結婚、進めてもよろしいですよね?お兄様」

 

 潤んだ黄緑色の瞳は、完璧主義のウィレイムにとって数少ない弱点の一つである。


 目に入れても痛くない……いや、入れられるものなら、そのまま閉じ込めて職場にでも持っていきたいと思っているウィレイムは、可愛くて仕方がない妹からそんな瞳で詰め寄られてしまえば、これ以上厳しいことを言えるはずもない。


「……ああ、わかったよ。マリー」


 やれやれと言いたげに溜息を吐きながら頷けば、マリアンヌはほっと安堵の息を吐く。


 別の方向からも、同じような気配が伝わってきたけれど、ウィレイムは敢えてそれを無視することにした。


 そしてティーカップに残っていたお茶を飲み干すと、やおら立ち上がった。


「じゃあマリー、私は今から仕事に行ってくるよ。今日はちょっと遅いから、先に休んでいなさい」

「はい」


 ウィレイムは、素直に頷くマリアンヌの元に足を向け、自分と同じ色のブロンドの髪をくしゃりと撫でる。


「見送りは良いからね。一人でも食事はしっかり摂るように。寂しいなら、ジルを同席させなさい」

「はい。お兄様もご無理をなさらないでくださいね」

 

 マリアンヌとウィレイムの両親は、今は代々統治している領地で過ごしている。


 使用人を除けば、広い屋敷に二人っきりでの生活。それが続くと、必然的にウィレイムは妹に対して親のような心境になってしまう。


 マリアンヌもそこは理解をしているので、聞き分けの良い返事をしてウィレイムを着席したまま見送った。







 兄と執事が出て行き、パタンと音を立てて扉が閉まれば、途端に部屋の空気が緩いものになる。


 マリアンヌは、すぐにレイドリックの隣に移動した。


「お疲れ様……と、労っても良いかしら?レイ」

「ああ、たくさん労って欲しいな。マリー」


 レイドリックの顔を覗き込みながらそう問えば、おどけた口調とは裏腹に、彼の表情は本気のそれだった。


 よほど緊張を強いられていたのだろう。マリアンヌはくすくすと笑う。


 つられてレイドリックも笑い声をあげるが、それはすぐに止まり、二人同時にはにかんでしまう。


「……なんだか、照れるな」

「……うん。そうね」


 ボソッと呟いたレイドリックに、マリアンヌも小声で同意する。


「これからよろしくね、マリー」

「わたしこそ。ふつつか者ですが、どうぞよろしくね、レイ」


 ぺこりと頭を下げたマリアンヌに、レイドリックは目を細めながら頷く。


 そして自然と視線が絡み合う。


 こういう時、どうすれば良いのかは、淑女の嗜みの本を読んでいるから、ちゃんとわかっている。


 マリアンヌは、優雅にレイドリックに手を差し出した。


 婚約者の触れ合いは、最初は指先に口づけをするところから始まるのだ。


 でも、レイドリックは、マリアンヌが差し出した手に口づけをすることはなかった。ただ友情を確認するように固い握手をしただけ。


「……え?」


 これまではそれが当たり前だったけれど、今からは違うのに。

 

 そんな気持ちを凝縮して、たった一文字を紡いだけれど、レイドリックには届かなかった。


 彼はもうマリアンヌから手を離して、窓の外に目を向けていた。


「曇ってきたなぁ。このままだと一雨くるかも。マリー、僕もそろそろ失礼するよ」

「……そう」

 

 マリアンヌは、さっき覚えた小さな違和感に気付かないフリをする。そして、さっさと立ち上がり廊下へと出ようとするレイドリックの後を追う。


「気を付けて帰ってね」

「ありがとう。じゃあ、またね」

「ええ、また」


 玄関ホールまで到着すれば、いつもと変わらない別れの挨拶を交わす。


 でもマリアンヌは心の中で、もしかしたら、今度こそという気持ちで、再び手を差し出した。


 でも、レイドリックは差し出した手を今度は握ることもしなかった。


 軽く手を挙げて、早足で外へと消えて行ってしまったのだ。一度も振り返ることはなく。


 使用人達は気配を消すのに長けているので、一人残された玄関ホールはしんとしている。

 

 扉が閉まってしばらくして、マリアンヌはレイドリックがドレスに触れなかったことに気付いてしまった。


 再び胸がチクリと痛んだ。






***





 季節が変わり、だいぶ後になって、あれが全ての答えだったのだと気付く。


 あの時、ちゃんと「どうして?」と聞いていたら、何かが変わっていたのだろうか。

 目を逸らすことなく、怯えずに、しっかりと現実と向き合っていたなら、全てを無くすことはなかったのだろうか。 


 どんなに考えても、思いをめぐらしても、答えはわからない。




 

 ただそうした結果、得られたのは大きな後悔だけ。


 ───それだけが、消せない事実として残っている。 

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