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ウィレイムの言葉にガーウィンの眉がピクリと跳ねた。
但し、家臣の無礼な物言い対して腹を立てたわけではなく、至極正論を言われたからであって。
とはいえやっぱり、言い負かされるのは悔しい。
「じゃあさウィレイム君、マリアンヌ嬢から上目遣いに”お兄ちゃま”と言われたらどうする?」
「命を差し出します」
即答したウィレイムに、ガーウィンは唖然とした。
サリタナはドン引きした表情を隠すために、そっと手にしていた扇を開いて口元を覆った。シドレイは腕を離さず、「その気持ちわかる」としみじみ呟いた。
けれど、ここでウィレイムが何かに気付いたように、はっとした表情を浮かべた。そして恐る恐るガーウィンに問いかける。
「……まさか、あのクリストファー王子がそんなことを言ったんですか?」
「……ああ。言った言った。背筋が凍り付いたよ」
部屋は、ついさっきまでぎゃんぎゃん騒がしかったのに、今はしんとしている。
誰もがその状況を想像してしまっているので、とても微妙な空気に包まれていた。
「……王子、心中お察し申し上げます」
「それは、どうも」
溜息まじりにそう言ったガーウィンは、苦笑を超えた複雑な表情を浮かべた。
クリスことクリストファーは、庶子である。正妃の子である第一王子より身分が劣ることをちゃんと理解して、弁えている。
だからこそ無駄な世継ぎ争いを起こさないように、病弱なフリをして表舞台に出ないようにしている。
ウィレイムの護衛騎士という立ち位置を好んでいるのは、マリアンヌを想ってのことではあるが、全ての時間をそれに費やしているわけではない。
私室では兄の第一王子を支えるべく政務の手伝いをしているし、時には街人に扮して街の情勢をその目で確認し、不穏分子を事前に潰したりもしている。
意外に働き者で、ガーウィンにとってなくてはならない大切な存在であった。
ただ、大切な存在であり、自分の為に醜聞を甘んじて受け入れているクリストファーに対して、兄であるガーウィンは少々負い目を感じている。
そしてあの顔でにっこりと”お兄ちゃま”と言われれば、絶対に叶えてあげなくてはならないという脅迫観念に囚われてしまうのだ。
というわけで、ガーウィンはクリスの為にティフル国の礼服を用意してあげた。
そしてダンスの曲目を無理矢理変更してあげた。
そんでもってダンスが終わるまでの間、お邪魔虫を、ここで足止めしてあげている。
できれば、前日……いや、1時間前に言ってくれたら良かったのにという愚痴を心の中に飲み込みこんで。
───パンッ。
しんとした部屋に、両手を打ち鳴らす音が響いた。
サリタナが空気を変えるために、手を叩いたのだ。そして、注目を浴びたサリタナは、にっこりと笑みを浮かべて口を開く。
「素敵じゃない。初めてのダンスは好きな人とが良いっていう乙女チックな発想。それにお姫様の窮地を救うためのワガママ。まるでおとぎ話に出てくる王子様みたいだわ。うん、素敵。わたくしあんな可愛らしい義弟ができるなんて、とっても嬉しいですわ」
だからこれ以上、クリストファーを責めないで。
そんなニュアンスを込めて、サリタナはウィレイムにくるりと目を向ける。
次期セレーヌディア国王妃にそんなふうに言われたら、宰相補佐は受け入れざるを得ない。嫌々ながらも、小さく同意する。
ただし、次のサリタナの言葉は絶対に同意できないものだった。
「それに、わたくし義妹にするなら、ブロンドの髪の可憐な女の子が良いって決めてますのよ」
チラッとダンスホールの方向に目を向けるサリタナに、ウィレイムの目が険しくなる。
「さようですか。ですが、私の身近にはそのような者はおりませんので。クリストファー様にご紹介することはできません。個人的には、ブロンドの髪以外の女性の方がクリストファー様にお似合いだと思います」
さらっと嘘を吐くウィレイムに、サリタナは肩をすくめた。
ふと耳を澄ませば、ダンスの曲が終わろうとしている。
ガーウィンは目だけで、ウィレイムの拘束を解けとシドレイに合図を送る。屈強な宰相はすぐさまウィレイムから腕を離し、大股で2歩離れた。……反撃を受けたくは無かったので。
ただ幸いにも自由になったウィレイムは、シドレイに構っている暇はなかった。
しわくちゃになった上着とタイを、ぱっぱっと直して第一王子とその婚約者に向け、丁寧に一礼する。
そしてダンスホールへと飛び出して行った。
黙って3曲も躍らせてあげる程、兄の心は広くはないもので。




