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クリスの護衛っぷりは徹底していた。
何気なく歩いているようで、目は忙しなく周囲を警戒している。
剣こそ抜きはしないが、その手はしっかり柄に添えられている。いつでも抜刀できるように。
……といっても街は至って平穏だった。
耳を澄ましても、怒号も罵声も聞こえてこないし、何かが壊れたような破壊音も無い。
聞こえてくるのは活気ある人々の笑い声や、話し声。そして客に商品を説明する店主の元気な声や、行き交う馬車の車輪がカラカラと独特の音色を奏でているだけ。
春真っ盛りのルントンは、街中の至る所に花が飾られ、風が吹くたびに花びらが舞う。
歩道には、色違いの石畳が敷かれ、どこに目を向けても春の日差しに包まれた沢山の色彩で溢れかえっている。
しつこいけれど、今日のルントンは見る限り至って平和だった。
とはいえ、マリアンヌにとったら牢屋に連行されている気分だった。
気分転換のために外に出たのに、今や早々に帰宅したくて仕方がない。
この護衛っぷりでは、兄の為にチョコレートを買った後も、自分が馬車に乗り込むまでしっかり見張っているだろう。
マリアンヌは、クリスに気付かれぬよう、小さく息を吐く。
すぐに背中に暖かいものが触れる。ジルが慰めてくれているのだ。
「ウィレイム様へ贈るチョコレートの種類は、お決まりですか?」
ジルに向けて薄い笑みを返していたら、頭上からそんな問いが降ってきて、マリアンヌは自然に声がする方に顔を向ける。
「いいえ。決めていません。お店の方に選んでもらおうと思いまして」
もともとウィレイムの為にチョコレートなど買う予定はなかった。
でも、もしそうしていたらという仮定をして、マリアンヌはクリスに答えた。
予想通りの返答だったのだろう。クリスはあっさりと納得して言葉を続けた。
「では、差し出がましいようですが、一つおすすめがあります」
「どんなものでしょう?」
「ザッハプンシュです」
「……え?」
初めて聞く菓子の名に、マリアンヌは首を傾げた。
「強いお酒が入ったチョコレートケーキのことです」
すぐに説明を貰えて、マリアンヌは自分が知らなかった理由がわかる。
お酒を飲む年齢に達していない自分には、縁の無い菓子だったのだ。だが、それを職場に差し入れにするのは如何なものか。
「大丈夫ですよ。あの程度なら、お酒の内に入りません」
「……そうですか」
言葉として聞いたわけではないが、クリスは淡々と答えてくれる。
兄は25歳。クリスは一つ年上と聞いているから、今は26歳。
誰がどう見ても成人した男性で、大人だ。そんな彼が、大丈夫というなら、大丈夫なのだろう。自分なら一口食べたら目を回してしまうと思うが。
大人は辛い時や悲しい時にお酒を飲むというのは知っている。
マリアンヌはまだ少女と呼べる年齢だ。でも、本人は社交界にデビューもしたし、婚約もしたんだし、もう大人だと思っている。
兄への差し入れを買うついでに、自分もそれを食べてみようかな。
せっかくの外出がおじゃんになってしまったのだ。それくらいは許されるだろう。
マリアンヌは歩きながら、そんなことを思った。
そして、ようやっとお目当ての店の看板が視界に入った、その時───
「マリアンヌ様には、まだ早いですよ」
「た、食べたいなど一言も言ってません」
まるで自分の思考を読んだかのように、クリスにそう言われ、マリアンヌはムキになって言い返してしまった。
でも、クリスの表情は動かない。
ジルに至っては、クスクスと笑っている。
マリアンヌはむっとした表情を浮かべた。
先日、祝福の言葉を貰えなかった時より、もっともっと露骨に。
クリスのこういうところが……いや、彼の全部がマリアンヌは苦手だった。
冷たい印象を与える美麗な顔も。背が高くて、近くにいると妙に威圧感を感じてしまうところも。表情も死んでいて、何を考えているのかわからないところも。
なにより、人の心を見透かすような言動が。
しかもなぜか、彼に言われると、腹が立つと言うより、敵わないと思わされてしまうところが。
ムカムカとした感情を踏みつけるように歩けば、すぐに目的地のロワゾー・ブリュに到着する。
「マリアンヌ様、どうぞお入りください」
扉を片手で開けたクリスは、完璧な仕草で店内へと手のひらを向ける。
店の中にいた女性たちが、ほぅっと溜息を零すのが、チョコレートの甘い香りと共に伝わってきた。
クリスの気が無いくせに、女性たちを翻弄させる所作も、マリアンヌは苦手だった。




