83章:道標
「いい加減、離れたらどうだ?」
修哉は、空に冷たく言い放つ。空は彼の遺体を抱きしめ、泣き声をあげずに涙を流していた。
「どうせ、空ちゃんも死ぬんだ。すぐに会えるさ」
クスクスと笑い、修哉はセレスティアルを見据えた。
――どうせ、みんな消える。消えちまうんだから。
「かわいそうな人」
修哉はゆっくりと、空の方へ顔を向けた。彼女は、彼を睨みつけている。
「何もかも知っているはずなのに、世界を殺そうとする修哉くんはかわいそう」
憐れみのような言葉を放つ彼女に対し、修哉は目を細める。
「掌の上にある宝石に気付かないふりをして、周りにある真実に触れようともしないあなたは、本当にかわいそうな人」
彼女は顔を振った。修哉にしてみれば、それは自分を完全否定するに等しい行為だった。
「俺を哀れむつもりか?」
修哉はエクスカリバーの切っ先を彼女の喉もとに向けた。
「お前、俺の何を知ってるって言うんだ? 俺のことを何も知らないくせに、かわいそうだとかぬかしてんじゃねぇ!!!」
修哉の罵声に、空は目を逸らさずに受け止める。その瞳には涙が浮かんでいながらも、何にも屈しないという〈強さ〉が秘められていた。思わず、完全優位である修哉は一瞬だけたじろいだ。
「知りたいとも思わないわ!」
空はほとんど出したことの無い声を、このフロアに轟かせた。
「あなたはそうやって人のせいばかりにしているけど……あなたは今まで一度だって、自分の本当の心をさらけ出したことがある!? 本当の気持ちを、言葉にして誰かに言ったことがある!?」
「何……!?」
「自分の気持ちを理解してもらおうと努力しないで、わかってもらえるとしたら大きな勘違いだわ!」
空は顔を振った。自分の幼馴染でもある彼が、あまりにも幼稚過ぎているから……今までのことを、何も学んでいないから。
「信じてもらいたいなら……理解してもらいたいなら、相手を信じないとダメなの! それもわからないくせに、被害者みたいなことを言わないで!」
空は修哉を睨みつける。空色の双眸は、破壊の調停者を退かせんばかりに強かった。
――空がいたならば気が付いただろう。言葉を発する彼女の影に見える、二人の少女の姿が。
金色の髪を持つ少女が。
銀色の髪を持つ、少女が――
「黙れ!」
退いてしまおうとする自分の足を何とか食い止め、修哉は叫ぶ。
「……誰かに言ったってな、理解してもらえると思うか!? この世界――レイディアントもガイアも、古の神々が介入した結果、逃れることのできない滅びの道を歩んでいる。弱き者は強き者に虐げられ、“奴ら”が用意した掃き溜めみたいな道を歩かざるを得ない!」
そう願っているわけでもないのに、世界にはそこへ導こうとする確かな意志が存在している。
――修哉は、それが許せないのだ。
「そうやって生きるしか道のない二つの世界を変えようと思っても、たかがヒトではどうしようもできない! 所詮、権利なんてねぇんだ! お前らみたいに愛だのなんだの叫んでいて、本当の意味で腹が膨れることはありやしねぇんだよ!」
そうやって叫べば、楽になるだけ。修哉にとって、それらはその程度のものでしかなかった。
「……だから、何もかも消し去るんだよ。あらゆる夢も、希望も、憎悪も……ただ、無に還させるんだ!」
本当の意味でそう願っているとは言い難い。
けれど――そうするしかない。彼にしてみれば、それ以外の方法は詭弁でしかないのだから。
修哉は上空を見上げた。
「そうしなければ……ヒトは……全ての生命は、真実の愛を知らないまま、このちっぽけな揺り籠の中で朽ち果てていくしかない」
まるで、修哉の言葉は透けているあの大空に、吸い込まれていくかのようだった。虚空の彼方に、それは溶け込もうとしていた。
「空なら、あなたのことを受け止めてくれるはずだった」
目を背けず聞いていた空は、顔を振る。
「空なら、あなたのことを理解してくれる」
その言葉で、修哉は彼女に顔を向ける。
「ううん、理解できなくても……理解しようと努力をしてくれる。空は……あなたの親友の空は、絶対にそうしてくれるはずだった!」
それに対し、修哉は顔を振った。
「ふざけるな! あいつは――」
「空は!」
修哉の言葉を遮り、空は声を発する。
「彼は、絶対に理解しようと努力をしてくれる! 苦しむあなたを……“一番の親友だった”修哉くんを、支えてくれるはずだった!!」
すでに冷たくなってしまっていた彼の手を、空はぎゅっと握りしめる。
「なのに……」
魂のない彼の顔を見つめ、彼女は溢れ出す涙を拭った。
「なのに、あなたは……この人を殺してしまった」
可能性なんてなくなった。僅かな隙間を見つけてくれる人は、いなくなった。
彼女は強く、強く彼を睨みつけた。
「もう空はこの世にいない! あなたを支えてくれる人は、あなた自身が殺したのよ! あなたを唯一救ってくれる人間を――可能性を無くしたのは、あなた自身なのよ!」
空にしてみれば、修哉は迷走しているにすぎなかった。何が彼をここまでそうさせているのかはわからない。それでも、彼ならば何かをしてくれるはずだった。その可能性となる部分を、彼女自身見てきたから。
「てめぇ……!」
修哉は激しい憤りで、歯ぎしりをしていた。
自分の知らない部分を指摘する彼女に、殺意をより一層大きくしていた。今までしてきたこと、全てを否定されている。
それは嫌なのだ。
空を殺したことが、間違いなのだと指摘されるのが――
「うる……せぇんだよ!」
波紋が広がる。
見えない世界に、僕は降り立った。暗くて何も見えない。それでも、僕がここに立っているのはわかる。
ここは……最下層か?
堕ちた言霊たちが来る、最後の地……。
「まだ行くべきじゃない」
それは、今までのように僕の中から語りかけてくるものじゃない。たしかに、後ろから聞こえた。そこに振り向くと――
……リサ?
いつか見た、髪をほどいた姿。白いワンピースだけを着て、金色の長髪をなびかせているその姿は、あまりにも美しすぎる。
「その“時”は、まだ来ていないもの」
彼女は小さく顔を振った。
「何もかもが癒し、救われることなんてない。世界は常に、混沌へと向かおうとしているのだから」
そうでしかないだろ? 僕たちは初めから存在するべきじゃなかったんだ。いなければ……無為に命を削ることはなかった。
「でもね、あなたは違う。存在して、存在するだけで命を慈しみ、愛することができる」
何の確証を持ってそう言えるんだ? どうして……
「私はあなたを信じているから」
笑顔で、リサは言った。
でも……お前、さっき言ったじゃないか。愛も、信頼もいらないって。
――お父さん、お母さん――
――よくも、よくもみんなを――
――あいつらを、絶対に殺してやる――
――私の命が無くなったっていい。あいつらを殺せるなら――
――これで、彼はこちらへ来る――
――悪いわね、彼女……助けずに放っておいて――
――調停者の力、私が貰うわ――
――こんな気持ちになるなら、どうして――
――空ちゃんに悪い……なんて思っていないくせに。本当に、卑怯者――
――最低だ、私――
リサは目を瞑り、何かを考えているようだった。そして、穏やかに口を開く。
「そうね。たしかに、そう思っていた頃はあった。……寧ろ、最後までそうだったかもしれない」
すると、彼女は顔を振った。
「でも、最後の最後で気付いたんだ。私には、あんたが必要だったんだって」
必要? ただ、無為に破壊することでしか、自分の存在を示すことのできない、調停者が?
そう問うと、彼女は再び顔を振った。
――まるで、何もかも癒そうとする“聖女”のような微笑みを浮かべて。
「調停者でも、カインの末裔でもない」
そして、彼女は僕を指差す。
微笑みながら、彼女は真っ暗な上空を見上げた。
「あなたがいるだけで、私の心は癒された。醜いものでしかなかった私の心を、受け止めてくれた」
祈るように手を合わせ、再び彼女は僕を見る。
「世界の隅々まで、ヒトとしての希望と欲望、羨望……絶望が入り乱れる中、私にとっての“道標”はあなただけだったのだから」
僕が……?
そんなの、違う。
「違わないよ」
ニコッと、彼女は優しく笑う。
「暗いだけしかなかった私の世界に、青い色を与えてくれたのは……あなただから」
すると、彼女は後ろに手を組んだまま、ゆっくりと歩み寄って来た。足を付ける度に、波紋と共に光の円環が広がる。
「たとえ、世界があなたを憎んでも、怨んでも……」
彼女は僕の前に立ち、顔を上げた。
魅入ってしまうほど美しい、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳。この瞳に、何度も貫かれたいと思った。
「私は、あなたの傍にいる。ここで」
と、彼女は僕の胸に手を置いた。その瞬間、黒だけでしかなかった僕の姿が、はっきりとその姿を現した。
――久しぶりに見る、自分の手。
なぜだか、長い間……見失っていたような気がする。
「ずっと、あなたの傍に居続けるから」
優しく微笑むその姿は、彼女のそれと同じだった。
僕が唯一愛した女性と。
「だから」
――約束、忘れないで――
僕から手を離し、彼女は一歩下がった。
「愛は憎しみの一部でしかない。でも、憎しみも愛の一部でしかない。それらを切り離して考えることはできないけれど、私たちはたしかにその可能性を持っている」
願いは言葉となり、言葉は言霊となる。
「祈るだけでも、私たちの手元にある真実は輝ける。どんなに歪んでいても、生まれるずっと前から紡がれるこの誓約は、途切れない。浄化される時まで、私たちはその上で笑っていられる。その果てまで、歩いてゆける。……この、青空の下でね」
その瞬間、世界に色が広がる。どこまでも広い、青い空が。
「いつかきっと、私たちは全ての呪縛から解き放たれ、一からやり直せる。それこそが、この物語の――私たちの終焉なのだから」
その空の下に広がる草原に立ち、彼女は言った。
――バイバイ――
――空ちゃんと…………
目を閉じていたわけでもないのに、なぜか僕は目を閉じていた。ゆっくりまぶたを開けると、そこには白い風景しかなかった。
「戻ってきたのか、空」
そこにいたのは、バルドルだった。
「あそこから掬い上げてくれたのは、彼女か」
遥か上空を眺めながら、彼は言った。
「……あいつは、ずっと僕を護ってくれていたんだ」
樹の時も、そうだった。
彼女は死してなお、僕を導いてくれる。この手を手に取り、僕が描いた夢の形へと誘ってくれる。
「太古の時より、お前たちを補完してくれる人がいるのだな。まったく、羨ましいものだ」
「なんだよそりゃ」
僕とバルドルは、思わず笑ってしまった。
「まぁ、お前はお前としての自我を保てたようだ。彼の憎悪に沈むことなく、な」
「…………」
何が彼をそうさせていたのか――リーヴェに堕ちたおかげで、なんとなくだが、知ることができた。言葉に出したくもない、あの光景。垣間見えたあの情景は、もしかしたら……修哉の記憶なのかもしれない。
「さて、お前はこれからどうするのだ?」
「……え?」
すると、バルドルは苦笑する。
「レイディアントに戻り、お前は私の『権利』を使役し、何をしようというのだ?」
戻る……あそこに、僕は戻れるのか?
どうするとか聞かれても、それ以前に戻れることに驚いてしまっている。
「? 何を驚いている」
キョトンとした様子で、彼は言った。
「い、いや、普通驚くよ。だって、一度は死んだんだぞ? 某漫画のように願い事で復活〜みたいなことは起こらないわけだし」
「リーヴェの深淵に堕ちなかったのが証拠さ」
とは言っても……ほとんど、堕ちかけていたような気がする。いろいろな言霊が行き交い、僕は思わず自分を見失ってしまいそうだった。
あれは……ヒトの想いの集合地なのだろう。そうでなければ、彼らの声は聴こえなかったはずだ。
「それで? お前はどうするのだ?」
再び、バルドルは訊ねる。僕はほほをポリポリとかき、これからのことを思い浮かべた。つーか、僕はとっくの昔に答えを出しているんだよな。いちいち、深く考える必要性なんてない。
「言っただろ? 抗うって。死ぬまで、とことんな」
自分に課せられた運命や宿命が、どんなものなのかはわからない。それはもしかしたら、他人よりも苦しまなければならないものかもしれない。
「だから、世界を変える。この星の未来を、変えてやる」
そうだとしても、僕は歩く。挫けても、足を止めても、何度だって立ち上がり、前を向いて歩く。
この終わりの無い、永遠とも言える旅路の果てまで。
「……セヴェスとしてか? それとも、空としてか?」
バルドルの瞳が輝く。何かを呼び起こさせる、紅い双眸が。
「両方だよ。僕は、どちらでもある。双方の権利を持っている者として、自分のしたいことをするまでさ」
調停者であり、ヒトでもある。だからこそ、できることがある。
「いいだろう……ならば、私はお前と一つになろう」
「はっ?」
すると、バルドルは僕に近寄り、手を掲げた。その手が青く光り始め、僕を包み始める。
「な、何をするつもりなんだ?」
「……私がお前と同化することで、お前の離れてしまった魂と肉体を繋ぎ止めるだけさ」
同化? 僕は思わず、首をかしげた。
「お前と同じになることで、お前は癒される。そして、私は私としての自我を失う」
「!!?」
それってつまり、消えてしまうってことか?
「何も焦ることはない」
僕が戸惑ったことに気付き、彼は微笑んだ。
「いつかは消えてしまう存在。寧ろ、長く居続けたくらいだ」
自分が消えてしまうというのに、どうして彼は笑っていられるのだろうか。嫌じゃないのだろうか。
「私がいたために、お前たちには苦労をかける……」
遠い目をしながら、彼は僕を見る。なぜ、そんな目で僕を見るんだろう。まるで、自分の息子を見るような……。
その時、僕の足元に青い魔方陣が広がり、そこから無数の青い粒子が舞い上がり始めた。
「バルドル!」
「何も心配するな。自分たちの望むことをし、自分たちの足で歩み続けろ」
粒子のせいで、彼の顔がよく見えなくなってきてしまった。
「……らばだ、……………よ」
「何言ってんだ!? 聞こえないって!」
僕の体は浮かび始め、青い球体となってどこかへ飛び立とうとしている。
「……の審判を……」
そして、僕の世界は青くなった。
黒い世界に堕ち、白い世界から旅立った自分。
どこへ向かうのか。
それは、未だ果たせぬ夢の跡に。
「死ねぇ!!」
修哉の聖剣が、空に向かう。だが、それは激しい金属音を響かせ、彼女に到達できなかった。そこに、僕が障壁を展開させたからだ。
「――!! お、お前……」
「そ、空!」
修哉は思わず後ずさりをし、聖剣を引く。
「これ以上、お前の好きにはさせない」
僕はゆっくりと立ち上がり、奴を見据えた。憎悪だけを宿らせた、奴の双眸。リーヴェで見た時と、変わらない。
「空……なの?」
空は床に座り込んだまま、僕を見上げている。瞳には涙が残り、それは瞬きもせずにこの現実を見つめていた。
「ほら」
僕は手を差し出した。だが、彼女は未だによくわかっていない。
「……何、ボーっとしてんだよ」
「え?」
僕は彼女の手を握り、無理やり立たせた。服には僕の血が付いてしまっているが、外傷はないようだ。
「ど……して?」
彼女は小さく顔を振る。
「お前の傍にいるって言ったからな。」
――ずっと、な。
僕は微笑んだ。それに伴い、彼女の涙腺は緩んでしまい、そのまま大粒の涙を流し始めた。
「空……空ぁ……!!」
泣くなって言いたいところだが、そうもいかないだろう。
僕は彼女の頭に手を置き、撫でてやった。
「……ありがとな」
彼女と共に、お前はあそこで囁いてくれていた。ずっと……
僕は修哉の方へ向き直った。彼は、眉をしかめて顔を振っている。
「なんで、生き還ってんだ……? お前は、たしかに……」
「そんなことはどうだっていい」
僕は右手を掲げた。そこに、自然と光が集う。僕を護り続けてきた、温かい光が。
「お前を倒し、僕は僕の権利を執行する」
右手に集う光は徐々に姿を成していく。
「全ての約束を紡ぎ、この螺旋を断ち切るためにな」
そして、そこに聖剣が具現化される。
僕の力の証、ティルフィングが。
「くっ……!」
修哉は激しく僕を睨みつけ、臨戦態勢に入った。
「修哉」
僕はティルフィングの切っ先を、修哉に向けた。青い刀身が、太陽の光を反射している。
「お前の夢は、ここで終わる」
「……てめぇ……!」
全てを知っておきながら、何もかもを破壊するお前の「夢」など、絶対に認めない。それは、全てのものが望んでいる姿でも何でもない。
「――終わりにしよう、修哉」