81章:堕ちた願い 遥か深淵への旋律
あまりのまぶしさで、僕は視界全体を手で覆った。長い、長い発光が続く。
「修哉……!!」
すると、少しずつ、光が引いていった。波が引くように少しずつ、少しずつ。ようやく見えてくると、そこには祭壇はなく、セレスティアルだけが何事もなかったかのように佇んでいる。その近くには、爆発でできたであろうクレーターがあった。粉塵がその辺りを覆い、修哉がいるのかどうか分からない。
「空」
その声は、修哉だった。それと共に、粉塵が収まっていく。そこにいるのは――
「……お前は……?」
赤紫の長髪は、波打つように背中へと流れている。上半身は裸で、右肩に何かの紋章が刻まれている。
「なあ、見てみろよ」
言葉を放ち、そいつは僕に顔を向ける。
――鮮血の双眸。血塗られたかのように紅い、人とは思えない瞳。全ての人の心を切り裂こうとする、冷酷な眼差し。
……修哉?
「これが、俺か? この姿が、ロキとしての……闇の調停者としての姿なのか?」
修哉は自分の掌を見つめる。それが、本当に自分のものなのかどうかを確かめるように。
その時、修哉は目を見開いたまま微笑み始めた。クスクスと、周囲に笑いが零れている。
「そうか……あぁ、そうだな。俺は……ユリウス、お前と同じだ」
顔を振り、彼は手を掲げた。
「二千年という長い時の中で、お前はずっと待ってたんだな。……この世界を殺す、自分の子孫が現れるのを」
赤い光が一瞬、その掲げられた手に集う。何度も何度も発光し、修哉の体を包んでいく。
「ようやく、『審判』を下せる権利を得たってわけか……。シリウスによって、ここに封印されてたもんな」
手を下ろし、修哉はセレスティアルを見つめた。そこには、まだ微かに修哉の血が残っている。
「これで、俺はお前と一緒になれたよ」
修哉は僕の方に向き直ると、口元を歪ませた。凍りつくような、殺意に満ちた微笑み。
「お前……修哉なのか?」
なぜ、こんな馬鹿な質問をしたのだろうか。未だに、現状を把握できていないってのか?
「ああ、そうだよ。俺はリオン……柊修哉。姿形はこんなに変わってしまったが、俺だよ」
自分の体を見渡しながら、彼は言った。
「それにしても……」
修哉は呟きつつ、手を大きく広げて息を吐きだした。それはまるで、快感を得ているかのように。
「なんていい気持ちなんだ……。不完全だった色が、一つに統一された気分だ。そして何より、二千年分の知識を得るというのは、こんなに心地良いものなのか」
修哉の筋肉が躍動しているのがわかる。それが、ひどく気味悪いものだった。
「そう、俺は神になった。星によって選ばれたヒトとは違う、異次元の神々によって権利を与えられたヒト。この次元に存在する、全てのものを超越せし存在にな」
彼は再び、僕に視線を移した。そこには、不気味な笑顔が浮かんでいる。
「神……? そんな力を持っている奴が、神だってのか?」
神じゃない。あそこまで禍々しい威圧感を放つ存在が、神なわけ無い。畏敬されるべき存在なのかもしれないが、あいつは違う。
恐怖しか与えない、絶対的な悪。
「何言ってんだ……お前だって、そうだろ?」
修哉は首をかしげていた。
「調停者は、物質が得てはならない権利を持つ存在。そもそも、物質として存在してはならない、異端な生命。俺もお前も、共に破壊することしか能の無いヒト。太古の時代のように、世界が歩むべき道を狂わせる元凶さ」
「この力が破壊するためだってのか!? なら、ロキだけで十分なはずだ! バルドルが存在するのは、別の道も存在するからだろ!?」
そうでなければおかしい。わざわざバルドルとしての力があるというのは、理由があるからだ。
「じゃあ、どうしてお前は人を殺してきたんだ?」
「え?」
修哉はため息を漏らす。
「お前はここまで来るのに、障害となった者たちを殺していった。それが『破壊』ではなく、なんだと言うんだ?」
違う……そうじゃない。僕は、殺したかったわけじゃない。
「やむを得ない場合だって……ある。僕だって、好きで殺し合っているんじゃない!」
「それだけで済まされるのか?」
クスクスと笑い、修哉は続ける。
「ならば、命ってなんなんだろうなぁ、空。軽いのか? 重いのか? 『障害となったから、理想のためには止むを得ない』。そうやって切り捨てれば、気持ちとしては楽だからなぁ!」
彼は口を大きく開けて笑い始めた。
「くっ……!!」
僕は歯を食いしばった。ここで激情に任せ、動いてはならない。あいつはわざと、僕の冷静さを失わせようとしている。
「露と消え、露と消えぬるは我が身……そう、俺たちは全てを滅ぼし、己もこの星と共に消えさるべき。そうすることで、遥遠なる夢は果たされるのさ」
すると、修哉は床から少しだけ浮かび、そのまま停滞した。
「さあ、一緒に消えようぜ……空」
彼は右手を掲げた。そこに白い光が集い、何かを形作っていく。見る見るうちに、十字架――いや、逆さ十字のようなものになった。
あれは、聖剣エクスカリバーか!?
すると、修哉は猛スピードで僕に斬りかかって来た。
「なっ――!?」
あまりにも攻撃が早い。自分の身の丈ほどある聖剣を、彼は高速で振り回す。僕はそれを防ぐのに精一杯だった。
奴の横一文字を何とかしゃがんで避けると、僕は剣を振り上げる際に交戦も同時に弾き出した。斬撃は奴に当たらなかったが、光線は命中し、奴を空中に吹き飛ばした。
「喰らえ!!」
僕は瞬時に衝撃波を飛ばした。
「疾風の帝王、ガヴァルゲノス」
攻撃を放ったのと同時に、僕の足元に巨大な風の渦が発生し始めた。
まさか――修哉の魔法か!? 聖魔術を詠唱破棄しやがった!
すぐさま避けたが、その際に左足の部分だけ風に切り刻まれてしまった。そこから、血が噴出する。
「逃さん」
「!!」
長い髪をなびかせ、修哉は僕の頭上から斬りつけてきた。僕は横へ転げることで避けられたが、奴の攻撃は床に直撃し、そこが粉砕した。
「――ゲーヴレイグ!」
僕は床を手で押し、わざと吹き飛ぶ中、無理やり風の禁呪を詠唱破棄して発動した。無数の風の刃が、修哉の方へと飛んでいく。
「無駄だ!」
修哉の持つ聖剣が一瞬にして光の盾となる。そして、修哉は左手を振りかざした。すると、僕の頭上からいくつもの光の槍が降り注いできた。それらも、聖剣のような形をしている。
「くそ!」
体勢を整えられていない僕は、それをマジックシールドで防御した。だが、それでもかなりのダメージを受ける。
「白き断罪――ヴァイスノヴァ」
追い打ちをかけるように、光の爆弾が降り注ぐ。それらは僕に当たると発光と共に小爆発を起こし、炸裂していく。そして、最後の巨大な爆発が引き起こされ、僕はその場にめり込んでしまった。
「や……ろぉ!!」
足が震える。詠唱破棄をしているのに、奴の聖魔術の威力が凄まじい。すでに、足にきてしまっている。
「スゲェな……使っても使っても、疲労感が無い。これは、セレスティアルと同化していたせいか?」
自分の手を、彼は訝しげに見つめた。
「さすが星の遺産……あらゆるものの源となりし、星の心だな」
そして、修哉は僕を見て微笑んだ。
「お前は完璧な調停者だが……俺は、星と交わった調停者だ。敵うはずもない」
「なんだと……!」
僕はティルフィングを携え、奴の方へと突進した。
「ふん」
修哉は鼻で笑うと、聖剣を空中に放った。それは一瞬にして僕を囲む円環となる。僕はそれを無視して、奴に斬りかかろうとした。
「無駄なあがきだな……」
すると、光の円環が引き締まり、僕を動けなくした。必死にもがくが、微動だにしない。
「さぁて」
修哉は右手を掲げて広げた。そこに無数の粒子が集い始める。そして、彼はギュッとそれを握り締めた。指の隙間から、光が漏れる。
――僕の視界が真っ白になった。
光の円環は消え、僕はその場に両膝を付いた。それと同時に、体のあちこちから血が破裂するかのように出てきた。
「がっ……!」
何をしたんだ? そこまで外傷はないのに……体に力が入らない。
「力が出ないだろ?」
修哉は腕を組み、見下すかのように僕の目の前に浮かんでいる。
「お前の体内元素を破壊した。元素は力の源……極端にそれが減れば、体は動かせない。それを超えれば、乖離が起きるがな」
聖剣には、そういった能力があるってのか……?
僕は歯ぎしりをしながら、修哉を下から睨みつける。調停者の力を持っているのに、手も足も出ないなんて……!
「……残念だったな。お前の旅路は、ここで終わりだ……」
「!!!」
修哉の右手にエクスカリバーが具現化され、彼はそれを振り下ろした。咄嗟に、僕はティルフィングで防ごうとした。
――パキィン
青い刀身が砕け散る。
ティルフィングが……破壊され――
「――――!!」
そして、僕は後ろへと吹き飛ばされた。起き上がろうとしたが、自分の身体の傷を見てハッとした。肩から腰にかけて、大きな傷ができていたのだ。それに気が付くと、今まで体験したことも無い痛みが、電流のように響き渡る。あまりの痛みに、僕は声を上げることができなかった。
「がっ……! ああァ……!!!!」
呼吸が荒くなった。過呼吸になったように、うまく呼吸ができない。しかも、そこから大量の血が流れ出る。
「空さん!」
「ソラ!!」
みんなが、僕の所へ駆け寄ってきた。すぐさまアンナが治癒術を開始する。だが、一向に傷口が塞がらない。更には、リジェネレイトさえも発動しない。
「ど、どうして!? どうして、治らないの!?」
「わかりません! まったく効いてないんです!!」
空はパニックになり、アンナは必死に元素を注入している。
「もう無駄さ」
修哉はさっきの位置に浮かんだまま、僕たちを見据えていた。
「空の核エレメンタルを破壊した。つまり、ティルフィング……聖魔の元素の中核。しかも、体内元素も枯渇に近い。治癒術による細胞結合なんぞ、意味ないってことさ」
「そんな……!」
それでも、アンナは顧みずに治癒術を行う。
「アンナ……もういい」
「ダメです! このまままじゃ……このままじゃ!!」
彼女は顔を振った。それによって、涙の雫が辺りに散る。
「空さん、しっかり……!」
空は僕の傍で、震えていた。必死に涙を堪えている。
「……デルゲン」
「ああ、わかってる」
レンドとデルゲンは顔を合わすと、立ち上がって僕たちの前に立った。
「お前ら……何するつもりだよ?」
僕はかすれる声を絞り出し、言った。
「何って、自分らにできることをするだけだよ」
レンドは背を向けたまま、腰に取り付けてあった斧を握り締めた。
「待て……お、前らじゃ……!」
「敵う敵わないって問題じゃないって」
どこか微笑みながら、デルゲンは言ったように見えた。その背中が、そういう風に感じさせる。彼も、槍を取り出していた。
「さて、行くとするか」
レンドはそう言うと、二人は修哉の方へ歩き始めた。
「へぇ、お前らが俺の相手か?」
修哉は二人を見渡し、笑いながら言った。
「……少しは、やってやらないとな!!」
「もちろんだ!」
二人は声を掛け合うと、修哉に突撃した。斧と槍が、腕を組んだままの修哉に直撃する。だが――
「!!」
斧と槍は、まるで鋼鉄に当たっているかのように、動かない。
「てめぇらヒトなんか、この程度さ」
修哉は手を広げた。その瞬間、そこで光が弾ける。レンドとデルゲンは四隅に吹き飛ばされてしまった。壁に打ち付けられた二人は、その場に倒れた。気を失ってはいないが、相当なダメージを受けたようだ。
「お前らは、空の後に嬲り殺してやっからさ」
笑顔でそう吐き捨て、修哉は床に降り、僕たちの方へ歩み寄って来た。
「やめてください!」
いつの間にか、アンナは修哉の前に仁王立ちしていた。手を広げ、先へ行かせないようにと。
「……斜光の巫女、ね」
修哉は顔をかしげながら、微笑む。そのまま、アンナを平手打ちした。彼女はもののように床に転げていった。
「アン……ナ……!」
あいつ、見境なしかよ……!!
「ちっ……邪魔ったらありゃしねぇ」
修哉は床に唾を吐き、再び歩み寄り始めた。そして、僕と空、シェリアの目の前に立った。
「……どんな気分だ? 空」
そう問われ、僕は修哉を睨みつけた。鮮血の瞳は、余裕の笑みを浮かべている。
「星の遺産は輝きを増し、『約束の刻』はもう目の前だってのに、そこで倒れてんのはさ」
「…………」
僕は返答できず、ただ睨みつける。
「終わりだな、完璧に」
修哉は僕たちを一瞥し、自分の手元に聖剣を具現化させた。金色に輝く、逆さ十字のような剣の切っ先は、僕たちに向けられている。
「……っと、その前に」
「キャッ!」
すると、修哉は空の腕を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「は、離して!!」
空は咄嗟に、修哉のほほを叩いた。
「……相変わらずだな」
それをものともせず、修哉はニッと笑った。思わず、暴れていた空の動きが止まる。あまりにも、冷たい笑顔だったから。
「紺碧……いや、時空か。リリーナの元素をもらったせいだな……」
空を上から下へ、ゆっくりと見渡す。
「な、何……?」
「星の幼子ってのは、いまいちよくわからないな。サリアの末裔でもなければ、レナの末裔でもない。寧ろ、教皇家に顕れるはずだしなぁ」
うーんと唸りながら、修哉は空から手を離した。彼女はいきなり離されたため、その場に倒れてしまった。
「……君さえいなければ、無為に時間を費やすことも無かったんだけどな」
「えっ?」
彼女が顔を上げたのと同時に、修哉は聖剣の切っ先が向けられた。
まずい……早く、空の所に行かないといけないのに……体が動かない。ただ、震えるだけだった。
「星の幼子……生命の運命に関わりし、唯一無二の存在」
「……?」
修哉の言っていることの意味がわからない。あいつは、空のことを知っているのか?
「だから生きていられるってのか? ……ふざけるなよ」
修哉は意味もわからず、クスクスと笑っている。そして、あの鮮血の双眸で空を睨みつけた。
「お前はなんで生きてんだ? なんで、お前だけが生きられんだよ!!」
空に向けた憤怒の意思。なぜそれが自分に向けられているのかわからない空は、顔を振った。
「何……? 私が、何をしたって言うんです?」
「何をした? ……ハハ、ちげぇよ。俺は、あんたが憎いだけさ」
左手で目の辺りを覆い、修哉は首を振る。
「ただ、そうであるからという理由だけで……お前が生きてるからだ。命の重さが、定められてるからだ!!」
そう吐き捨て、修哉は天を仰いだ。
「完璧に平等な世界なんて存在しない! 遠い昔から定められてるのなら、何のために存在してんだ!」
わけがわからない。あいつは、何を言いたいんだ……?
「殺してやるよ」
再び空に視線を戻し、修哉は剣を引いた。
「やめろ!!」
その時、シェリアが修哉の腕に噛みついた。恐怖を顧みず、空を護ろうとしている。
「……ガキが」
まるで虫を払いのけるかのように、修哉はシェリアを平手打ちした。横に吹き飛ばされたシェリアは、そのまま気を失ってしまった。
「修哉! お前……!!」
思わず、僕は声を上げた。
「黙ってろ。お前はもうどうすることもできない、屑さ」
放り出された玩具を見るようにして、修哉は言った。
「さて、覚悟はできたかい? 空ちゃん」
「い……嫌……!」
空は手を動かし、後ろへ逃げようとする。しかし、彼女は恐怖で震えてしまい、うまく動くことができていない。
「ハハハ、怖がるなって。あっという間だからさ」
聖剣をゆっくりと引く。その切っ先が、白く煌めく。
「お前の代わりに星の愛を受けられなかった者たちのために……ここで死ねぇ!!」
「いやああぁ!!」
「空ァァ!!」
身体の筋肉が切れていく。千切れていく音が、細胞の中で始める。絶え間の無い、赤い血が流れていく。僕の体は無理やり動かされ、そこへ向かう。
――息が止まったような感じがした。
「空……さん?」
傍で倒れている空が、僕を見つめる。
「……馬鹿が」
目の前にいる修哉は僕を見下ろしながら、ため息を漏らした。
体を貫く、白い線。それは、他らなぬ聖剣の刃。
あーあ……ったく。
また、同じことをやってしまったよ。
「そ、空さん!」
彼女は目を見開き、それを見ている。
「……いくら強力なリジェネレイトがあっても、追いつかんな」
修哉は凍るような瞳で僕を見つめ、ゆっくりとエクスカリバーを引き抜いた。その瞬間、せきを切ったかのように血が流れ出てくる。
「空さん!!」
空は倒れようとする僕の体を支えた。血が流れ出るのと同時に、僕を維持しようとするエネルギーが消えていく。最早、体を支えておくことさえできない。
「空さん……空さん!」
僕の大量の血なんて気にせず、彼女は必死に傷口を押さえようとする。
この様子だと、大丈夫っぽいな。そんなことを思いつつ、僕は小さく微笑んでしまった。
「無事……みたい、だな……」
声があまり出ない。自分の中から、何かが絶え間なく抜けて行くのがわかる。それと同時に、もう自分はどうにもならないのだと……確信した。
「ダメ……空さん、どうしてこんな……!!」
既に多くの涙をこぼしている彼女は、それでも必死に血を止めようとしている。
「どうして……って、そりゃあ……」
わかりきってることなのに、なんでいちいち質問するのかな。まぁ、こんな時でないと言えないのかもしれない。
「お前が、大切……だからな」
僕はフルフルと震える手で……血塗れの指で、彼女のほほに触れた。
疑う余地の無い、僕の真実。あの日見つけた、一番の宝物。これを見失うことは、自分を見失うことに等しい。
「空……さ――――」
彼女の瞳が揺らぐ。瞬きもせず、口を半開きにしたまま僕を見つめている。
何かを悟ったような双眸――
彼女の下に、一つの宝石が舞い戻る。
「……空……」
彼女は僕の名を呼び、小さく顔を振った。今まで僕を呼んでいたようなものではない。あの頃と同じ――ガイアの頃と同じように、僕の名を呼んだ。
「そ、ら………お……まえ……?」
彼女は、小さくうなずく。
「……私、思い出せたよ。あなたと過ごしたこと……全部」
空は微笑み、僕の顔に触れた。
――白い指先。天使のような、優しい温かさ。
「そっか……よかっ……た、これで……」
海のことも、家族のことも思い出せたんだな。ようやく、お前はあの頃と同じに戻れたんだ。乖離する心配もないんだ……。
「空! ダメだよ……しっかりして!!」
崩れかけそうな僕の体を、彼女は支える。
「……ハハ、泣き過ぎ……だよ……」
「こんな時に何言ってんのよ! お願いだから……」
僕はそのまま、空を抱きしめた。たぶん、これ以上は動けないだろう。
「空……?」
「……お前と、出逢えて……よかった」
心からそう言える。
14年前、お前と出逢えて……本当に良かった。
「そんなこと言わないで! 私を一人……一人にしないで……!」
僕の体を、彼女はギュッと抱きしめる。
「ごめんなぁ……約束、守れ……そうにない……」
「そうよ! 一緒にいるって約束したじゃない! 私を残して……逝かないでよぉ……!!」
嗚咽を混じらせ、彼女は言う。彼女が記憶を取り戻したとたん、これだもんな。泣いてしまうのも、しょうがない……。
「……好きだ……」
ああ、なんでこんなことを言ってしまうのか。普段は恥ずかしいから言わないはずなのに。すると、
「私も同じだよ」
彼女はそう言い、さらに僕を抱きしめる。
「空が好きだよ」
――それを聞けて、よかった。
ありがとう。
「…………ら…………」
僕の言葉が聴こえているだろうか? もう、何も聴こえない。自分が言葉を発しているのかさえわからない。
「何……? 聞こえないよ! 空……ねぇ、空?」
……ありがとう……
まぶたが閉じた。目の前が、真っ暗になった。
僕の言葉……彼女に辿り着いただろうか?
ちゃんと、その手元に届いただろうか……
願わくば、泣かないで前を向いていてほしいな……
あいつ、泣き虫だから。
「空?」
空は身体を離し、彼を見た。すでに目を閉じ、体には力が無い。まるで、ただの人形のように。
「空……空!!」
空は彼の体を揺らしながら、何度も名を呼ぶ。何がどうなっているのか、その心の奥では悟っているのに。
「ねぇ……返事してよ……ねぇってば!」
返事は無い。
彼は、死んだ。それだけは、認めたくなかった。
「嫌……よ、そんなの……」
反応を示さない、彼の体。体中にある傷から、血が流れ出てくるだけ。
「嫌……私を……一人に、しないで……」
彼女は顔を振る。今、目の前に広がる現実を否定し、そこにある絶望から目を背けるため。
彼の顔に自分の顔を付け、空は願いを届けようとする。
――冷たい。
どうにもできないのだと、改めて実感する。
「どうして……目を開けてくれないの……?」
そう言っても、空のまぶたが開くことは無かった。眠るかのように、彼の顔は穏やかだった。
「そ……ら…………そらぁぁぁ!!!!」
魂の無くなった器を抱きしめながら、彼女は叫んだ。いつも見上げていた青空は冷たく、何も応えてくれないこの紺碧の間で。
その時、彼女から何かが立ち込める。淡い光が、彼女から立ち上る。虹色に輝くそれは、オーロラのように揺れている。
「これは……!?」
修哉はつい、漏らした。見たことも、感じたことも無いエレメンタルの波動。それは、彼に少なからず恐怖を与えていた。
「まさか…………? いや、違う……レナか……!?」
彼の中に、抽象的な答えが膨らんでいった。それが正しいかどうか分からない。だが、彼の胸を揺さぶる「これ」は、奴のものなのだとしたら……。
「空……嫌だ…………空ァァァ!!」
泣き崩れる少女。そこにあるのは、虚無と絶望のみ。
ただ、叫ぶしかなかった。そうすることでしか、現実を霞ませることができなかった。
「ソラさんが……嫌………そんなの……」
アンナは現実を直視できず、小さく震えていた。震えは徐々に大きくなり、それと同時に現実がおい寄せてくる。
「死んじゃ……やだよ……ソラ…!!」
シェリアの瞳に浮かんだ涙は、小さくその場に落ちて行った。
「くそっ………! 死ぬなんて……許さねぇぞ……!!」
レンドは小さく歯ぎしりしていた。悲しみを受け止めたくないがために、偽りの怒りを呼んでいた。そうすることでしか、逃避することができない。
それは、自分でも理解していたのに。
「くっ……ダメだ。このままじゃ…………どうすることも……!」
希望を失ったことにいち早く直視したデルゲンは、どうしようもできない絶望感に打ちひしがれていた。
これから……どうすりゃいいんだ!
ソラがいないのに……どうやってリオンを……!!
リサ……ヴァルバ……!!




