80章:カルマ 冥道への慟哭「1」
「どういうことだ? なぜ、覚醒しない。伝承どおりやったはずなのに……まさか、ここも違うというのか? ……いや、それはない。ここに、これがあるからこそあるはずだ。……ちっ、シリウスの野郎、最後の最後まで……」
光の中から出ると、そこに広がっていたのはさっきと同じようなフロアだった。違うのは、壁すべてが透けていて、外の風景が見えるということと、祭壇らしきものがある奥には、巨大な水晶体が浮かんでいた。青い、光り輝く水晶体。ゆっくりと横に回転している。
そこの祭壇に、修哉は佇んでいた。
「修哉!!」
僕は彼の名前を叫んだ。すると、修哉はゆっくりと僕の方に顔を向ける。
「……お前か」
彼は僕を見るなり、再びあの巨大な水晶体に目を向ける。
「空、これが何かわかるか?」
修哉はそれを指差す。ほんの少し透けているそれは、宝石というより……神秘的な神々しさを放っているように感じた。触れてはいけないもの。ヒトが触れたら、身の破滅を起こしそうな……。
――僕は、これを見たことがある。はっきりとではなく、夢のような空間の中で。
「これはな、この空中都市群の〈核〉――セレスティアルだ」
セレスティアルって、この天空帝都の名前のことではなかっただろうか?
彼はそれを見上げ、言い続ける。
「これこそが、この空中都市全体を一万年の長きに渡って浮遊させ続けている原因のものだ」
「じゃあ、それは……」
僕がそれが何なのかに気付いた時、修哉は僕の方に向き直った。ほんの少し、笑みを浮かべて。
「そう、これは天空石だ」
「あれが!?」
あんなに大きなものが!? ここから見るとはっきりとはわからないが、高さはゆうに3メートルを超えているはずだ。幅も、2メートルはあるんじゃないだろうか。今まで見てきた天空石は、石ころ程度の大きさばかりのものだったのに。
「天空石って言っても、そこらの天空石とはわけが違う。あれらは所詮、統制主から零れた偽りの果実」
統制主――その言葉の意味を、今の僕が理解することはできなかった。
修哉は再び、セレスティアルを見上げる。
「全知万能の神が創り出した、『星の遺産』さ」
修哉がそう言った瞬間、僕の中に映像が流れ込む。
ここと同じ、青空しか見えない空間。そこに浮かぶ、一つの水晶体。
――創造と破壊の象徴――
そう、僕はたしかにあれを見た。ガイアにいた頃、頭痛と共にそれを見た。
「……太古の昔、星が生まれたのと同時に誕生した、奇跡の物質」
意識を取り戻した時、修哉は再び僕から背を向けていた。
「星の元素『紺碧』のエレメンタルだけで構成された、純精霊石。大地の奥深くに眠り、何十億年と眠り続けた神秘の秘宝。生命が触れてはならない、禁断なる知識の果実」
彼は独り言でも呟くかのように、セレスティアルを見つめている。
「だが、約五万年前……人類は見つけちまったんだよ」
「え……?」
クスクスと笑い、彼は僕の方に顔を向ける。
「人類は歓喜して、神々にこれを捧げた。死への恐怖を払拭し、完璧な人類のための世界を創り上げさせるためにな」
僕は小さく顔を振った。彼の言っていることの意味が……わからない。なのに、僕の心拍数が上昇している。まるで、それを掘り起こすなと言わんばかりに。
何を、焦っているんだ?
「だが、神々がこれから創り出した『人類のための神』は、悉くを薙ぎ払った。存在していたほとんどのものが、消え去ったんだよ」
意味不明な彼の言葉が、僕の心を揺さぶる。
修哉は知っている――あれが、人類を殺したものだということを。
その時、修哉はパンッと手を叩いた。それと共に、遠ざかろうとしていた僕の意識が、ここにはっきりと立つことができた。
「ま、これの話はこれくらいにしておこうか」
目をパチクリさせる僕を見るなり、彼は微笑む。
「お前が知りたいことは、なんで俺がここにいるか――だろ?」
彼は「教えてやるよ」と言いながら、祭壇から降り始めた。
「俺はさ、お前と同じレイディアントの人間なんだよ」
「……!!」
「覚えはないか? 俺の瞳の色に」
修哉は祭壇から降りた所で立ち止まり、言った。瞳の色……修哉の瞳の色は、碧い。そう、ヴァルバと同じ瞳の色。
考えている僕を見ながら、修哉は言い始める。
「俺の名は『リオン=フェイト=ウルク=フォン=ペンドラゴン』。……聞いたことはあるだろ? ここまで辿り着いたお前なら、さ」
不敵な笑みを浮かべ、彼は言った。ペンドラゴン……僕はそれを、忘れてはいない。碧い瞳は、その証。
「じゃあ、お前は……ゼテギネア皇室なのか!?」
そう言うと、修哉は小さくうなずいた。
「そうさ。細かく言えば、俺は皇室の分家だがな。分家でありながら、本家の名を名乗ることを許された唯一の一族……『アヴァロン王家』の生き残りだ」
アヴァロンって、大昔に2大陸を統一したって言うやつか? でも、それと今のペンドラゴン家は関係ないような……。
「アヴァロン………あのアヴァロン王家か」
レンドが呟くように言った。
「知ってるのか?」
デルゲンがそう訊くと、レンドはうなずく。
「……俺が小さい頃、歴史学で習ったんだよ」
彼の説明によれば、アヴァロン王とは――ゼテギネアが創設され、皇位継承権第2位の人間が就く位らしい。帝国の盟主フィンジアスが建国された頃はそうだったが、帝国となってからは世襲され続けたという。
「へぇ、よく知ってるな」
と、修哉は拍手をし始めた。そして、何かに気付いたのか苦笑する。
「ああ、そっか。お前、カーラーン侯爵ライザー卿の息子だったな。忘れてたよ」
「…………」
あいつ、レンドがどこの出身なのかさえ知ってんのか……。
「……だが、アヴァロン王家は18年前、王家転覆を図ったとして、一族全員処刑されたと聞いた」
全員処刑――!?
僕は修哉に顔を向けた。それと同時に、修哉はニヤリとほくそ笑む。
「そして、アヴァロン王位は消えることとなった……らしい」
「……じゃあ、お前はそのアヴァロン王家の生き残りなのか!?」
そう問うと、彼はうなずく。
「そのとおりだ。俺は最後のアヴァロン王にして、当時の帝国議会議長オルドヴァスの孫。正当なる、皇位継承権を持つ人間だ」
逃げ延びていたってことか……。
待てよ? アヴァロン……そう言えば、誰かが言っていた。たしか、帝都だっただろうか。誰かが、アヴァロンの逆賊ども――とかって。
「俺の父、克正――本名は『ヴェリガン』と言ってな。祖父の嫡男だった」
「えっ!?」
あの人が、ヴェリガン!? ミランダが言っていた、樹の協力者。修哉がインドラの幹部なら、たしかにあり得ないことではないが……。
「18年前、祖父が謀反の罪で捕らえられ、即座に処刑された時、父は連座で処刑されると確信し、俺を妊娠していた母を連れてガイアへと逃亡した。父は王太子でありながら、歴史学・次元学の権威だったため、もう一つの世界があることを知っていたんだよ」
帝都には、かつての統一王朝アヴァロンの遺産が多く残っており、そこから次元学などが発展したのだという。
「ま、ガイアへ辿り着いてから俺を出産した母は、すぐに死んでしまったけどな」
死んでしまったというのに、彼はそれを淡々と説明していた。
「俺の祖父は、謀反など企ててなどいない。あれは、皇位継承の争いに負けた結果だからな」
「……?」
僕が首をかしげると、修哉は話し始める。
「聞いたことはなかったか? 18年前、ルテティアとゼテギネアの18度目の戦乱はゼテギネアが優位であったにもかかわらず、皇帝が急逝したために終結したのだと」
そう言えば、レイディアントに降り立った頃、ヴァルバから聞いたことはある。20年前に勃発した、二大国の戦乱だって。
「俺の祖父は3代皇帝デュラン=カルヴァス2世の実弟でな。皇位継承権第2位を持ってたんだ」
3代皇帝の嫡男で、次の皇帝であるベルセリオス6世というのが、18年前の戦乱の途中に急逝した帝なのだという。
「そして、当時の皇子と俺の祖父との間で、皇位を巡り水面下での政争が起きた。まぁ、それぞれの派閥の家臣どもの醜い争いに過ぎないがな」
即位したのが、ベルセリオス7世。……ヴァルバこと、ベオウルフの兄。現皇帝の実父。
「結果、俺の祖父は皇帝暗殺罪及び皇位簒奪未遂の罪で捕らえられ、即座に処刑された」
醜い骨肉の争い――いや、欲望に塗れた家臣たちによる悲劇。それを、ヴァルバは知っていたんだろうか。
「レイディアントへと逃れた父は、復讐を誓った。自分の運命を滅茶苦茶にしたゼテギネアを滅ぼすため――世界の覇権を手に入れるために、ロキの復活を目指したのさ」
修哉のお父さんと言えば、あの警察官だ。今でも忘れない。
空がさらわれた後、僕たちを調査しに来た警察官。彼の不気味で、冷たく、鋭い刃物のような笑顔は、今でも忘れない。
あの時もそうだったが、修哉はその笑顔をしている。あの頃はほとんど見かけなかったが、今はずっとその笑顔のままだ。
――空が怖がっていたのは、これのことなのだろうか。
「計画を進める中で、何人かの仲間を集めた。さすがに一人では、世界に対抗することなんてできないと思ったんだ。グランディア兄弟にホリン、ミランダ、ステファン……そして、樹」
計画の中枢を担っていたのは、どうやら彼の口ぶりからして修哉のお父さんらしい。……けど、樹によると修哉がその人を殺したんだ。
実の父を。
「くだらない奴さ。その計画の中で、俺を手駒として操ろうとしていた。……そうとは知りながらも、俺は親父に付き従ったんだがな」
修哉は吐き捨てるように言いながらも、横を向いて微笑む。
「じゃあ、どうしてお前は僕たちを助けたんだ?」
「……ん?」
修哉は僕の方に、再び顔を向けた。
「どうして仮面をかぶり、僕たちを窮地から救ったりしたんだ? お前の最終的な目的は……ユリウスの封印された力を手に入れることのはず。僕たちを助ける必要なんてなかったはずだろ?」
何度か目をパチクリさせ、修哉はニコッと微笑み、うなずく。
「……だけどな、空。樹が生きていては、ロキの力を得たからと言って、俺の望むことが成就されるわけじゃないんだよ」
「望むこと?」
問い返すと、修哉は自分の掌を見つめ始めた。
「あいつが目指す世界の姿と、俺が目指す世界の本当の姿は――違う」
彼は顔を振った。
「あいつは星を救おうとしていたが……俺にとって、そんなことはどうだっていいんだよ」
あの碧い瞳で僕を一瞥すると、彼は再び祭壇への階段を上り始めた。
「俺はな、世界がどうなろうと、星がどうなろうと関係ない。滅びるなら、滅べばいい。人に滅ぼされるのなら、勝手に滅ぼされてしまえばいい」
修哉は僕たちに背を向けたまま、巨大な水晶体を見上げた。青く煌めくセレスティアル。どこか、吸い寄せられるような感じがしてしまう。
「俺は俺が目指した未来を見るため、生きている。それだけだ」
小さく、呟くように言う修哉。彼の背中からは、さっきまでの猛々しい冷酷さが感じ取れなかった。……気のせいなのだろうか。
「そんなことはどうだっていい。それより、いいことを教えてやるよ……『セヴェス』くん」
くるっと僕の方に向き直り、彼は微笑みながら僕を見る。口元が笑っているのに、目が笑っていない。
「樹……いや、シェルフィル=ヴェルエス。あいつ、なんでレイディアントで生きていたのか不思議じゃなかったか?」
「え?」
たしかに……何で、あいつがこちら側に来ているんだって思った。やっぱり、さらわれたとしか……。
「樹は4年前のあの日、交通事故で死んだと思われていた。そうだよな?」
「…………」
僕は何も言わず、うなずいた。
「だが、あの交通事故が俺たちの――親父と俺の仕組んだことだとしたら?」
「なっ……!!」
僕の驚きの表情を見て、修哉はより一層笑みを大きくする。予想通りの反応と思いながら。
「ロキの力を手に入れるためには、カインの直系者が必要だった」
アイオーンが仕組んだシステムのほとんどが、調停者として覚醒した者が必要であり、調停者には直系者しかなれない。
「親父は、俺の友人にオディオン5世の死んだと思われていた二人の息子がいることを知った。親父も、ベオウルフと同じように何かを『探知』する能力を持ってたのかもな」
含み笑いをしながら、修哉は僕を見据える。
「まさか、息子の知り合いの中に、同じようにレイディアントから逃れてきた人間がいて、それがヴェルエス宗家の者だとは思いがけないことだ」
そして、ヴェリガンはどちらか一方を手に入れようとした。自分の駒として、上手に動いてくれる調停者を。
「空、お前は危険だった」
彼は僕を指差す。
「お前には、カインとしての『カリスマ』、ユリウスとしての『優しさ』、シリウスとしての『強固な意思』を隠し持っていた。正義感に溢れるお前に、世界を殺そうとすることなんかできやしない。逆に、自分たちが滅ぼされかねないと、親父は危惧したんだよ」
だからこそ、樹を選んだ――修哉は、そう付け加える。
「あいつは優しいが、馬鹿みたいに脆い。お前と違って、自分の意思なんかを築き上げられない弱者」
彼は腕を組み、青空を見上げて言った。
「簡単に周囲に感化される、愚かな調停者。誰かに付いていかなければ、自分の存在意義を見出せない不完全なヒト。まぁ、おかげでうまく動いてくれたけどな」
「お前ら……なんていうことを……!!」
じゃあ、樹が死んだ時から何もかもを知っていて、僕たちと接していたのか!?
あの時、優しく声をかけ、樹を失った悲しみから僕たちを解放させてくれたのは……ただの演技だったのか!?
僕の中に、修哉に対する憤りが膨らんでいく。それが、目に見えてわかるように。
「あいつ、最初は帰りたいなどとほざいていたが、簡単だったよ。……俺たちの色に染め上げるのはさ」
顎に触れ、その頃を回想しながら修哉は笑った。それもまた、僕の怒りを増幅させるものだった。
「お前……あいつに何を吹き込んだ!?」
いつの間にか、僕は怒声を上げていた。それに対し、修哉は細めた目で僕を見据える。
「ヴェルエス家――直系者に与えられた強大過ぎる力は、一体何のために存在し、意味を成しているのか」
「――!?」
「そして、お前自身ができることと言ったら、生命の悉くを殺して、星を護ることくらい――とかな」
そう言って、修哉は手を叩きながら笑い声を上げた。それと同時に、僕の体も怒りで震え始めていた。
「本当に、お前たちは上手に動いてくれた。シュヴァルツもバルバロッサも、何も知らないで樹を担ぎ上げてさ。自分たちが、俺に利用されているとも知らずにな」
「修哉……!!」
何もかも……何もかも、あいつが計画したこと。
最後まで闘ったシュヴァルツや樹たちを、掌の上で弄んで……!
「親父を殺し、俺は全ての権利を得るためにお前を助けた。お前と樹を競わせることによって、事を早く進ませたかったんだよ」
そう言うと、修哉はなぜか僕ではなく、僕の後ろにいる誰かを睨みつけた。
「……誰かさんのおかげで、少し遅れが生じてたからな」
それが誰なのかを理解する前に、修哉は僕に視線を戻す。
「やっぱり……お前が、家族を殺したのか!?」
ガイアに一度戻った時、修哉の家族はみんな死んでしまっていた。両親だけでなく、妹の咲希ちゃんまで。
「ああ、そうだ。親父は力を得ることによって、支配することしか見えていなかった。そんな奴に、『次元の執行権』を得る資格などない。あれは……もっと崇高な事を成すためのものだからな」
表情を変えず、修哉は言った。
「お前……咲希ちゃんまで殺したのか!? なぜだ!! 咲希ちゃんだけは、大切にしていたじゃないか! お前のことを想う、大事な家族だったはずだろ!?」
叫ぶ僕を、彼は冷たい視線で見つめる。
「答えろ……修哉!!」
修哉は殺していない。家族を殺しちゃいない。
――そう信じていたのに。
僕の瞳から背けるように、修哉はまぶたを閉じる。
「……俺に、家族なんて必要ないんだよ。俺に必要なのは……絶対的な権利と、超越的な力……この二つだ。それ以外は、ただのゴミさ」
修哉は冷たく吐き捨てた。いや、冷たく吐き捨てたように見せた。
今感じた修哉の雰囲気――それは、あの時と同じだ。
夕方の公園で、ブランコの上で佇んでいた時……親父に殴られたって、修哉が最初で最後の弱音を吐いた時と。
「空」
すると、修哉は祭壇への階段を降り始め、僕に近づいてきた。
「俺はずっとお前たちを見てきた。お前と樹、どっちが『約束の刻』に相見えるのかを、見定めるために」
そして、彼は僕から5メートルほど離れた位置で、立ち止まった。
「お前が樹と闘うまで死んじゃ困るってんで、あんなくそ暑い服装に仮面までしてたんだ。両者にばれないように行動すんのは、さすがに骨が折れたぜ」
シュヴァルツとバルバロッサにも顔がばれていたため、彼らにも接しないようにしていたのだという。
「結果、お前はここに立っている。一万年前の残留思念リュングヴィに勝ち、闇の調停者である樹にも勝ったんだ」
そう言って、彼は僕に手を差し伸べた。
「空、一緒にこの世界を滅ぼさないか? 欺瞞と憎悪に満ちた、この世界をさ」
微笑みかける修哉。さっきとは違い、今の修哉はいつもの修哉にしか見えない。それが、余計に嫌だった。
一緒に滅ぼそう――そう言っている修哉が、あの頃の修哉と重なってしまう。
「俺とお前の仲じゃないか。幼い頃から、俺とお前は常に一緒だったろ?」
その笑顔で、その声で言わないでくれ。
心が惑わされるのと同時に、怒りが僕を支配しようとしているのに。
「何をするにも一緒だった。共に悩み、共に泣き、共に笑った」
彼と出逢ってから、いつも一緒だった。同じことで遊んで、悩みがあれば聴いてくれた。傍にいて、僕を支え続けてくれた。
「俺たちは、親友だろ?」
一切疑わぬ双眸で、僕を直視する修哉。
どうして、あの頃のお前と同じようにして、世界を滅ぼそうなんて言うんだ?
お前のせいで、あいつらが死んでしまったのに……!
「全部……全部、お前の謀だったんだな……!」
僕の両手は、わなわなと震えていた。
「今まで……たくさんの人が犠牲になった。仲間たちも……失った」
この一年、目の前で多くの人が死んでいった。殺し合いたくもないのに、殺し合い。憎みたいわけでもないのに、憎み合い。
「ヴァルバが……」
彼の姿が脳裏に浮かぶ。修哉と同じ、皇室の碧い瞳を輝かせ、微笑んでいる姿が。いつも、僕にいろんなことを教えてくれたあいつが。
「リサが……!」
あいつは、僕たちを導いてくれた。自分の命を賭して、僕を先に進ませてくれた。彼女と一緒にいて、僕は何度も立ち上がることができた。空を救うことができた!
――泣かないで――
そう言って、あいつはいなくなった。微笑みだけを残して、二人はいなくなってしまった!
修哉さえ、修哉さえいなければ、二人は死なずに済んだ! こんな血生臭い闘いをしなくてもよかった!
「お前のせいで、あいつらは死んだんだ!!」
僕は彼に向かって叫んだ。
殺してしまいたい――――そんな想いに、僕の心は塗りつぶされてしまいそうになっていた。
「弱い者は死ぬ、それだけだ」
「――!!」
修哉は、小さく顔を振った。
「犠牲になった巫女たちも、惨殺された諸国の首脳陣も、リリーナやベオウルフも、俺の築く未来の礎になったに過ぎん」
僕を睨みつけながら、修哉は微笑む。どうして、そんなことを気にするのか理解できないとでも、言いたげに。
「……修哉ァ!!」
僕の怒りは頂点に達した。右手を掲げ、そこにティルフィングを具現化させようとした。
その時――
「ダメ!」
優しい手が、僕の腕を抱く。一瞬リサかと見間違うそれは、空だった。
「いけません。空さんは、怒りだけに囚われちゃダメです!」
「空……」
「たとえ世界中の人がそうであっても、あなたはダメなんです。あなたは、星と命を護ろうって……抗おうって決めたのだから……!」
僕を叱咤するその双眸は、見覚えがある。強く、美しく、気高い宝石の瞳は、僕を引き戻してくれる。
「……ありがとうな」
ゆっくりと深呼吸をし、僕は彼女の頭をポンポンと叩く。こんな時なのに、すごく落ち着くのは彼女の為せる業だろう。
僕は、修哉を見据えた。
「……成長したな、お前……」
修哉は少しだけ微笑みを浮かべながら、僕を見ていた。
「かつてのお前なら、それでも俺に掴みかかって来たのにな。……小山内美香の時みたいにさ」
「…………」
「元はといえば、お前の精神不安定はそこに息衝く馬鹿どものせいだが……今、お前がそうやっていられるのも、原初のヒト――『イヴ』のおかげだろうな」
目を瞑り、彼は苦笑した。
再びまぶたを開けると、彼は「リオン」としての顔で僕を見る。
「ならば、調停者『ソラ』として訊こう。……俺と共に来い、『聖魔の調停者』」
同じように手を差し伸べ、彼は言った。
「バルドルとしての責務――全てを創造するための力を行使するならば、この次元を『崩壊の時』から護るのがお前の目的のはず。俺がすることは、結果的にそこへと辿り着くことだ」
鋭い視線が、僕に向かう。
「全てが始まり、全てが終わりなる地――――そこへ至ることこそ、俺たちが生まれた時から望んでいることだ」
僕も同じように、彼を見る。
「さあ、セヴェス。この俺と共に来い。俺たちが望んだ『夢の形』を、ここに創り出すために。……俺たちは、親友だろ?」
――親友だろ――
碧く、煌めくような彼の瞳が、僕を貫く。その言葉が、僕の心の中で木霊する。
その時、僕の手を握り締める感触があった。それは、誰かを確認しなくても誰なのか、はっきりわかる。
細い指。何度も握りしめた、その手を。
――大丈夫だよ。僕には、お前たちがいるもんな。
「答えなんか知ってんだろ? 修哉」
そう言っても、彼は何の反応も示さず、僕を見つめている。
「お前なら、僕がどうしようとするのかわかってるはずだよ」
「…………」
「僕は滅ぼしたいなんて望んだことはない。一度も」
消えてしまいたい――逃げてしまいたいと思ったことは多々ある。けど、世界を殺したいと思うほど憎んだことはない。
空がさらわれてしまった時、勇気を持てずに受け身になっていた自分。
初めて人を殺した時、その場からいなくなりたいと思った自分。
リュングヴィが発露し、海を犯そうとした自分。
樹によって空が殺されかけ、記憶まで失ったことを知り、自暴自棄になった自分。
「世界なんて残酷だよ。世界なんて、自分を癒してはくれない」
人生なんか甘くない。幸福なことよりも、寧ろ苦しいことや悲しいことの方が多い。
「だけど、僕は憎んでいない。誰一人、憎んじゃいない」
樹も、シュヴァルツたちも、赦すわけではないけど……怨んじゃいない。
「お前にとってみれば、この世界は滅ぼすしかない世界なんだろうな」
僕は彼を見ながら、小さく微笑む。
「僕にとっては、大切な人たちが息衝いてる世界なんだよ」
祖国と愛する人への想いに揺さぶられたヴァルバ……でも、一緒に抗おうって言ってくれた。
信じ、愛する家族を殺され、復讐を誓い、他人を利用したことに苛まれたリサ……彼女も、僕と同じ位置に立ち、歩き続けてくれた。たとえ、自分が消えてしまうとわかっていても。
僕を信じ、世界を愛してくれた。
「そんなレイディアントを、滅ぼしたいだなんて思わない。思うはずが無い」
僕は自分の胸に手を当てた。
……なんだ、思ったよりも落ち着いているじゃないか。目の前にいるのが修哉なのに、さっきまでと違い、穏やかな緑風のように静かだ。きっと、後ろにいるみんなと、僕を握ってくれる人がいるからだろう。
「だから、お前と一緒に歩けない」
そう言い放ち、僕は微笑んだ。
修哉――僕にとって、一番の親友。
だからと言って、彼の冥い感情に流されてはいけない。
僕は僕でしかない。
そうであると、決めたのだから。
「……本当に、予想どおりの答えだな」
修哉は差し伸べていた手を引き、小さく微笑む。
「その言葉、本当にお前らしいよ」
上空を仰ぎ、彼はハハッと笑う。
「空、お前は変わらないんだな。旅立つ前と……何一つ、変わっていない」
旅立つ時、彼は僕の背中を押してくれた。あの時の修哉と同じであるはずなのに、そうではない修哉がいる。
「ああ、そうだ」
小さく顔を振り、彼は呟くかのように言った。
「俺はさ、ずっと思ってたんだ。いつもそんなお前に対して、いつも思ってたんだよ」
そして、彼は僕を見据えた。
「殺したいってな」




