79章:FATE 凍てついた運命の言霊
声が途切れた。
僕は上空から、樹の方へと視線を向けた。そこには、何かに体を貫かれた樹の姿があった。
「ぐっ……は!!」
樹は、口から血を吐いた。せきをするかのように、何度も何度も。
「樹!!」
彼の後ろに、誰かが立っている。黒い装束を身に纏い、樹の背中から剣を突き立ていているそいつは――
「!!」
――漆黒の剣士!?
そこに、あの漆黒の剣士が立っていた。たしか、レンドたちがセレスティアル・ガーディアンに襲われた時、彼らを救ったらしいのだが……。
仮面の隙間から、彼は樹を見つめている。樹は、体を震わせながら後ろへと振り向く。
「き……貴様……!」
樹は、震える声で言った。
「リオン……! 貴様、どうしてここに……!」
リオン?
リオン――と、樹は言った。その名はたしか……
「ご苦労だったな、ユグドラシル――いや、樹」
その名をどこで聞いたのかを思い出す前に、仮面男の声が発せられた。そして、樹から剣を引き抜いた。すると、樹の腹から大量の血液が流れ出す。
「がはっ!!」
樹は、血を吐きながらその場にうつ伏せになるように倒れた。仮面男は、血塗れの刀身――氷でできているような、水色の刀身を眺める。
「…………あれ?」
初めて聞いた仮面男の声。なのに、ひどく懐かしい。
――いや、懐かしいなんてもんじゃない。はっきりと、僕の記憶に刻まれた声。それは、拭い去ることのできない声。
「……汚ね」
と、仮面男は剣をブンブンと振り回し、樹の血を辺りに散らす。
(なんだ……? どうして、すぐに思い出せないんだ?)
もうちょっとで出てきそうなのに、出てこない。喉に引っ掛かった魚の小骨のように、不快感が纏わりつく。思わず、僕は顔を俯かせてしまった。
「なかなか出てこないのも、無理はない」
「えっ?」
僕は顔を上げた時、仮面男は腰に付けた黒い鞘に入れていた。
「なにせ、久しく会話していないんだ。人間の脳みそってのは、大事な時にうまく動いてくれないもんさ」
唯一見える鼻から下……そこにある仮面男の口元が、ゆっくりと微笑む。
「お前は……」
そう、お前は僕と一緒にいた。一緒にいたんだ。
――――!!
体中を巡る、おぞましいほどの身震い。嬉しいからでも、怖いからでもない。いや、理由がわからない。
「お前……まさか……!」
その言葉を待っていたかのように、彼はフッと笑う。
「そのまさか、さ。……空」
そう言うと、彼は仮面の上の黒いターバンを取り始め、顔を隠していた仮面を取り外した。
「おま――え…………」
黒い髪が、さらけ出される。碧い瞳が、そこにはあった。
「――――修哉!!?」
柊修哉――僕の一番の親友。小・中・高と、ずっと一緒だった幼馴染。
「久しぶりだな、空」
修哉は手を挙げ、陽気な顔で言った。あの顔は、まぎれもなく修哉。いつも見ていた、あの修哉だ。
「約1年ぶりか。時間ってのは、あっという間に過ぎるもんなんだな」
そう言いながら、彼はそっぽを向いて笑っていた。現実に追いつかない僕を置き去りにして。
「お? なんか、この一年で体つきがしっかりしたんだな。一年前までは、細身の長身だったのにさ」
と、今度は僕を眺めながら笑う修哉。
「ど、どういうことだよ!?」
ようやく出てきた僕の第一声は、それだった。
「なんでお前が……? ど、どうしてここにいんだよ!?」
なぜ、ここに修哉が? どうして、修哉が? そんな疑問が僕の頭の中で這いずり回り、答えというものを必死に探すが、一向に見つからない。手がかりさえ、発見できないのだ。
「どうしてって……」
苦笑して、修哉は首をかしげた。
「そりゃあもちろん、ロキを復活させるためさ」
「!!」
その言葉と同時に、僕はシュヴァルツたちの言葉を思い出した。
――ロンバルディアとアルカディアの制圧総司令官……リオン。
「お前が……リオンなのか!?」
その言葉を聞き、修哉は小さくうなずく。
「ああ、そのとおりだ。俺が、リオンだよ」
自分を指差し、クスクスと修哉は笑う。
本当に、あいつがリオンだったのか……!
「ぐ、ぅ……リオン……!」
伏せるようにして倒れている樹は、横目で修哉を睨み付けた。それに気が付いた修哉は、僕から樹に視線をやる。
「なんだ、まだ生きてんのか? そんだけの傷で……ったく、しぶといなぁ、お前も」
めんどくさそうにため息交じらせ、修哉は言った。
「き……さま、やはり……!!」
口の端から血を流しながら、樹は修哉を睨みつける。それを受け流すかのように、修哉は首をかしげる。
「やはり? まさか、俺の狙いにでも気付いてたってのか?」
クククと笑い、修哉は再びため息を漏らす。
「なわけないんだろ? お前は気付いていなかったからこそ、今そこに倒れてんだよ」
「くっ……」
何とか体を動かそうとするも、樹は動けない。僕との闘いのダメージが大きすぎるのに、そこから追い打ちをかけられたのだから。
「無様な姿だな、樹。どんな気分だ? 最後の最後に逆転されるってのは」
「……ひどく、腹が立つ……!」
声を震わしながら、樹はほくそ笑んだ。それを、修哉は冷たい表情で応える。
「……そもそも、王手をかけていたのはお前でも、空でもない。この俺なんだよ」
「く……っ!!」
樹の顔には苦悶と悔しさ……そして、修哉に対する憎しみの想いが浮かんでいた。
その時、樹の身体から淡い光が立ち込めた。それらは、何かを形造っていく。一つは長い剣、一つは杯。もう一つは、宝玉。全て黄金のように輝き、フワフワと修哉の目の前に浮かんでいる。
「やっぱり、同化していたか。同じ元素だから、当たり前と言えば当たり前だが」
修哉はそう言うと、指先を金色に輝かせながらそれらに触れた。すると、それらはまるで誘われたかのように、修哉の上へ移動し、漂い始めた。
「空。これらが何か、わかるか?」
「え?」
三つの物体。剣と杯と宝玉……?
「まさか……封印の鍵じゃないのか!?」
デルゲンが指差し、言った。
そうだ、デルゲンの言うとおりだ。聖剣と聖杯、そして聖玉。樹の体と同化していたんだ。
「そう、ラストエンペラー『ユリウス=フェムト=ヴェルエス』の力であるロキの封印を解く鍵。これで、全ての鍵は俺の下に集った」
すると、修哉はしゃがんで樹の髪を掴みんで引っ張り、彼の耳元で何かを言い始めた。
「樹、冥土の土産だ。いいこと教えてやるよ」
「何……!?」
修哉は後ろの祭壇らしきものを、背を向けたまま指差す。
「あの祭壇、実はまやかしなんだよ。知らなかっただろ?」
「!!!」
樹の顔に、驚愕が広がる。それを見た修哉の顔には、不気味な笑みが広がっていった。
「本当の祭壇は、『紺碧の間』にあるのさ」
「紺碧の……間、だと?」
「アイオーン――シリウスはな、ロキを封印した場所を更に隠したんだ。アムナリアに与えた聖書には、この『天帝の間』にあるとかって記しておきながら、な」
「!! 貴様……最初から、知っていたな……!!」
歯ぎしりをしながら、樹は言った。白い歯が、血で赤く染まっている。
「ヴェリガンが使用していた執務室に、それについてのメモがあってな。どこで見つけたのかは知らないが……きっと、14年前に聖都で見つけたんだろうよ」
微笑みながら、修哉は続ける。
「そんでさ、いいこと思いついたんだよ。……お前らが全員死んで、残るのは俺だけっていうのを」
その瞬間、僕の背筋に凍りつくような悪寒が走った。ゾッとした。修哉の顔には、見たことも無い……おぞましい笑顔が浮かんでいるのだ。全てを見下し、全てを蔑視している笑顔。あらゆるものを殺しても、笑顔でいられるような。
「お前……奴まで殺したのか!!」
「ああ、そうさ。あいつは屑だったが、いいものを遺してくれたよ」
そう言って、修哉は樹の頭から手を離し、立ち上がった。そして、周囲に目をやりながら手を広げる。
「どうだ? おもしろかっただろ? シュヴァルツもバルバロッサも、お前も空も、うまいこと動いてくれてさ! ククク……ハァーーハハハハ!!!」
修哉は声を上げて笑い出した。抑えきれないのか、腹を押さえながら何度も自分の膝を叩いている。
「ゆ、愉快すぎて……腹がいてぇ! ハハハハハ!!」
なんだ?
あれは、誰だ?
あの笑い声を上げているのは、誰だ?
あれが修哉なのか? いつも一緒にいた、親友の修哉なのか?
なんだ……あの修哉は……?
その時、ようやく収まってきたのか、修哉は笑いで出てきた涙を拭いながら、再び樹に目をやった。
「まぁそもそも、祭壇が偽物だとは知らなかったとはいえ、敵が来るまでのんびり待っているような奴に、あの力を持つ資格なんてねぇんだよ。バーカ」
「……貴様ぁ……!!」
すると、修哉は再びしゃがんで樹に顔を近づけた。
「この際だ、はっきり言ってやる」
目を細くし、微笑む修哉。
「お前は所詮、俺の駒だったんだよ」
その瞬間、樹の眼が血走った。それは傷のせいではない。修哉が……許せないからだ。
「そして、お前と空……秤に量らせてもらった。その結果が、これだ。お前は、用済みなんだよ」
「くっ……!」
「残念だったな。古の神々にだけ許された『次元の執行権』を得るのは、この俺だ……」
修哉はそう言って、立ち上がった。僕たちを笑顔で見渡すと、祭壇の方へと歩き出す。そして、そこで印を結び始めた。
「……天を統べる、至上の帝よ。我を、その手許へと導き給え。ケリュ・ヴェル・ゼスナー……天界への梯子――ビフレスト」
すると、修哉の足元に不思議な光が出現した。それは彼を包み込むように広がり、粒子をまき散らす。一瞬の発光と共に、修哉は消えてしまった。そこに、光の円環を残したまま。
呆然と立ち尽くす僕たち。どうしてこんなことになっているのか、理解できない。
僕は顔を振り、空に支えられながら樹の所へ行った。
「樹!」
傷口から、とめどなく血が流れている。樹は、真っ青な顔をしていた。
「アンナ! 頼む!」
「え? あ、はい!」
すぐに、アンナの治癒術で応急手当をしてもらった。彼女の魔法ならば、傷は感知できるはず。なんてたって、斜光の巫女だから。
「何をしている……! 情けをかけるつもりか!」
治癒の光を受けながら、樹は僕を睨みつけた。
「違うよ。お前は負けたんだろ。どうしようが、僕の勝手だ」
「…………」
樹は呆れてしまい、苦笑と共にため息を漏らした。きっと、「甘い」などと思っているのだろう。
「なぁ、ソラ」
後ろへ振り向くと、デルゲンが神妙な顔でほほをかいていた。
「彼は……お前の知り合いなのか?」
彼――修哉のことだ。僕はうなずく。
「柊修哉……僕の、ガイアの友達だ。ずっと一緒だった、一番の親友だよ……」
天才と言われるほど賢く、運動能力も群を抜いていた。彼に勝てるものなど、何一つないと思わされるほど。
「……柊、修哉?」
つと、空がそう漏らす。ボーっと、彼が消えた場所を見つめながら。
「ああ、そうだよ。覚えていないだろうけど、あいつはお前にとっても幼馴染……なんだよ」
「幼馴染……」
顔を曇らせ、空は俯く。こんな時、彼女に記憶が消えていてよかったと思ってしまう。もし、覚えていたらショックで……
「あんな冷たい笑顔をする人がいるんですね」
「え?」
彼女は顔を振り、僕を見つめた。どこか、瞳が揺れているように見える。
――怖い、のか?
「彼とは関わっちゃいけない気がします。……触れてしまうと、自分たちが壊されてしまいそうな……」
「…………」
無垢に近い彼女は、何かを感じ取っていた。修哉の中にある、冷たい何かに。
その時、樹の治療が終わった。
「致命傷は無くしましたから、闘わない限り大丈夫だと思います」
と、アンナは小さく息を吐いた。何度も力を使っているせいで、彼女の疲労もたまっている。
「ありがとな、アンナ」
「いえ……」
労いの言葉をかけると、アンナは健気に微笑んだ。無理をしている――と確信させる、その笑顔。これ以上は、負担をかけられないな……。
「大丈夫か?」
そう言っても、樹は傷の癒えた自分の体を見渡しているだけで、何も言わない。
「……修哉は――」
「行け」
僕の言葉を遮り、樹は言った。僕を直視する、赤紫色の瞳。
「修哉は……リオンは、僕よりも質が悪い」
その言葉と彼の表情から察するならば――修哉を放っておいてはいけないということが理解できる。
「早く行け。手遅れにならないうちに」
「樹……」
すると、樹は右手を上げ、僕に差し伸べた。その時、その手から白っぽく淡い光がいくつも出現し、僕を包み出した。
だんだん、痛みが引いていく。関節や、筋肉の痛みも遠のいていく。これは……治癒術? いや、違う……元素か?
「これで……もういいだろう」
樹は、小さく呼吸しながら手を下ろした。それと同時に、僕の体が一瞬発光する。
「……元素を分けた。僕と兄さんは『聖魔』のエレメンタルで構成されているから、特に支障はきたさないよ」
そうか……要は、リサと同じようなことをしたってことか。
「さあ、行け」
樹はその場にあぐらをかき、祭壇の前にある魔方陣を指差した。
「どうせ、僕は負けたんだ。このステージから降りる。……もう、執行権を得ることもできないからな」
「…………?」
フッと微笑み、樹は僕を見据える。
「早く行ってくれよ。あいつを……修哉を、止めてくれ」
「樹……」
哀しげな双眸は、何かを言いたげだった。それでも言わないのは、意地になっている部分があるのだ。
僕はうなずき、みんなと共に祭壇の魔方陣の上に立った。入った瞬間、淡い光の粒子がフッと上空に舞った。そして、僕たちは光に包まれ、どこかへと消えた。
終わったと思った闘いは、まだ続いている。
修哉――いや、リオン。
最後の、インドラの幹部。
僕たちは真実を見定め、彼を止めるために……
カインが散った、紺碧の地に足を踏み入れようとしていた。
「………フゥ………」
樹は息を吐きながら、上空を見つめていた。青い空だけが、そこに広がっている。ここの天井は、マジックミラーか何かでできているんだろうか――などと思いつつ。
「いるんだろ? 出て来いよ」
樹は一人になった広間で、そう言った。その瞬間、彼の傍から光の柱が出現し、そこからある人物が出てきた。樹は彼に目を向けず、上空を見つめたままだ。
「いつから、いると気付いていたんだね?」
クスッと微笑み、その男は言う。
「さぁ? 直感かな」
と、彼はようやくその男に視線を向けた。
「クロノス……相変わらず、だな」
ローブを羽織った男性――クロノス。彼は樹に歩み寄り、ソラたちが行った跡を見つめる。
「君らしくないな」
「…………」
「空を、あのまま行かせるとはね」
いつもの樹ならば、そんなことはさせないはず。
そう思える部分が、クロノスにはあった。
「ハハ、そうだな。たしかに、僕らしくない」
やれやれと言いながら、樹は苦笑した。
「……ほとほと、嫌になっていたのかもしれないな」
そして、彼はため息を漏らした。いつにも増して陰気な彼に、クロノスは首をかしげる。
「嫌に? 何が?」
クロノスの問いに樹は顔をそらし、顔を振った。
「……何も望んじゃいなかったんだよ」
兄たちがいなくなったこの空間は、まるであの頃を思い出させるものだった。樹にとって、「奇」となりし影の始まり。
――白い、病室に。
「普通のヒトでありたかった。普通の」
それが一番の望みだった。普通でありたかった。
「僕には……僕たちには、そうする権利さえ与えられていなかったんだよ」
だから、壊したかった。自分に責任を押し付けたこの世界に復讐したい――というのは、一つの理由に過ぎない。
樹にとって、一番の理由となるものがあった。それを心に巡らせ、彼は嘲笑するかのように小さな笑い声を吐き出す。
「滅茶苦茶にしてやれば……どうなってたんだろうね」
顔を振りながら、樹は笑顔で言う。そんな彼を、クロノスは何も言わずに見つめていた。
「でも……疲れた。いちいち、意地になんのはさ」
そして、樹は再び青空を見つめた。
「……嫌になるよ。こんな世界……」