78章:約束の刻 星が微笑む地に「1」
大広間。闘技場のように、丸い。床や壁は真っ白な大理石で、光り輝いていた。天井はあの透けた壁で、青い空と白い雲が広がっている。
広間の一番奥に祭壇のようなものがあり、そこに樹は佇んでいた。樹が影になって、その祭壇に何があるのかよく見えない。
僕たちは歩を進ませた。何も言わず、ゆっくりと。
「かつて」
僕が祭壇から10メートルほど離れた場所まで来た時、樹が言った。
「この世界に、『原初の人類』を継ぎし者が現れた」
僕は何も言わず、ずっと樹の背中を見つめていた。白いスーツ、白いズボン。カナンの聖塔の時と同じだ。
「そこから始まった人間の物語……幾重にも積まれたヒトの歴史。それは、二つの鏡によって成り立つ、不完全なもの」
まるで独り言のように呟いている。
「ユリウスとシリウスは、そんな中で絶望したんだろうね」
樹はゆっくりと僕の方に体を向け、視線を向けた。
ルビーのような赤紫の瞳――ロキの力が覚醒した証。
「よく来たね、兄さん」
樹は小さく微笑んだ。昔の面影を残す、懐かしい微笑み。
「こうして話すのは、聖都で再会した時以来かな」
「……ロキを復活させずに、待っていたのか?」
僕はそう訊くと、樹は小さくうなずいた。
「早い者勝ち――みたいなのは嫌なんだ。僕自身、納得できないからね」
樹は後ろへ振り返り、祭壇に建てられた石像に触れた。長方形の石像だが、ただの石造りの棺おけにも見える。
「これに、ロキが封印されている」
「な……っ!?」
ただの石像なのかと思ったが、表面には何かを差し込むような穴や、はめ込むような穴が見える。
「ロキの力は、ここに封印されている――と、あの聖書には載っていた」
再び、彼は僕の方に向き直った。
「……兄さんがここに来たってことは、二人は逝ったか……」
樹は石像に触れるのを止め、天井を仰いだ。樹にとってみれば、敵だったあいつらは信頼するに足る友人、だったのかもしれない。
僕にとっての、二人のように。
「まぁ、それもまた覚悟の上。犠牲は付き物だからな」
そう言って、彼は顔を横に向ける。
「――間違ってたんだ。今の現状は」
樹はゆっくりと歩を進ませ、白い壁に触れた。
「星の誕生と共に生まれた二つの意思。一つは星の内に、一つは星の外に。二つの軌跡……それはまるで、僕と兄さんのようなもの。決して相容れないものなのに、どうしてか触れ合ってしまうもの」
互いの信念が別々であっても、同じものであっても、それらはいつかきっと重なり合う。
今が、その時なのだから。
「……ヒトは、生まれるべきでなかった。互いに憎み合って、殺し合って。それは結局、ヒトとしての業なんだ」
変えられない――変わらない。
そう付け加えて、彼は僕に顔を向けた。
「いっそのこと、滅ぼしてしまおう。その方が、幸福なことだってあるんだ。世界を隔てる壁を破壊するようにね」
「壁?」
「例えだよ。レイディアントとガイア……言語の違いや、文化の違いによって生じるもの。その〈壁〉があるからこそ、ヒトは血で血を洗うことをし続ける」
「……だから、滅ぼすのか?」
僕は顔を振った。
「だとしたら、それは違う。まだヒトは何もしていない。しようともしていない。しないから殺すのか? 微々たる可能性を潰してまで、お前は何を得ようとしてるんだ?」
まだ何もしていないのに、なぜ滅ぼすのか。彼には、理由もへったくれもないじゃないのかと思ってしまった。
「……それこそ違う」
彼もまた、僕と同じように顔を振る。
「文明が発達し続ける中で、ヒトは山を越え、海を越え、さらには空を超えるようになった。そうすることで、ヒトの世界は広がっていった」
船や飛行機。ヒトの叡智が創り出した、多くのモノ。
「そして、多くの種族がいることを知る。白人や黒人、純血や混血。アジアと欧米。ヒトはそんなことを理由に他者を虐げ、犯し、嬲り……それは、未だに続く人間の『現実』なんだ。この世界だって、ある国は種族の違う人間を奴隷にしている」
それは、ルテティアだったか……。
「……更には、大気を汚し、地表には大量の廃棄物を捨て、川と海は排水で汚濁される。生活の品々によって、地球を守っていたオゾン層が破壊され、害を被るにまでなった。排ガスで地球の気温は上がり続け、海はさらに上昇する。少ない緑の大地に住まう生命や、気候の変化で死にゆく生命も生まれる。自然の摂理が崩れ始めれば、それによって成り立っていた生命の根本たるものまでも崩れていってしまう」
思わず、僕は少し顔を歪ませた。彼が言っていることを、否定することはできなかったから。
「どうせ、ガイアは近い将来滅びる。所詮、本元から外れた欠陥品だからね」
「……………」
樹は小さく笑い、続ける。
「なら、本来あるべき次元である、レイディアントの未来を護る。いずれガイアや古の時代と同じように文明を発達させるだろうけど、今ならまだ間に合う。ここなら、リセットできる」
再び一へ。
星だけが存在した、その時と同じように。
「……今まで生きてきたヒトの……命の歴史をむざむざ消し去るってのか?」
何もしていないのに、リセットをする。それは、ただ逃げているに過ぎない。
「どうして簡単な方法を選び取る? どうして、辛い現実だけを壊そうとするんだ。受け入れられないってのか!?」
「何言ってるんだ。これは、調停者としての責務だよ」
小さくため息を漏らし、彼は上空に目をやる。
「調停者――次元そのものに関与できる、唯一の存在。二つの側面である、創造と破壊。調停者には、そうする権利がある」
それはつまり、バルドルとロキとリンクできたかどうかってことだろうか。
「……すでに、創造のチャンスはない。世界が分たれるその時に、失敗してしまったのだから」
――だからこそ、破壊する。ロキとして――
「破壊するだけが、僕たちの力だっていうのか?」
僕にはそう思えない。この手は、血で濡らすためだけのものじゃないはず。
「そうとしか思えないね」
そう言った樹は、自分の掌を見つめる。
「ヒトであってヒトでない僕たち……カインの末裔はさ、そもそも存在しちゃいけなかったんだよ」
自分のを見ながら、樹は侮蔑するかのようにクスクスと笑い始める。
「なにせ、物質を超える物質なんだ。ヒトに赦された――星に住まうことを赦された生命じゃない。なのに、調停者が創造の権利を持つから、ヒトは……命は滅びる時に滅びなかった。それは、あるべき姿じゃないんだ」
創造の権利を持つが故に、星を傷つけて生命は生き延びた……そうとは、思いたくなかった。そう思ってしまうことは、自分たちがここに立っていることを否定しかねないから。
「だから、始まりに戻す。星に決定権を委ねる。……僕たちに与えられた『執行権』を、星に還すんだ」
「……それが、お前の本音か?」
そう言うと、彼は自分の掌から僕に視線を移した。
「異端な生命であるヒトの中でも、異質な存在であるヴェルエスには、破壊するしか能が無いんだよ。そうすることでしか、僕たちは自分の身命を傍らに置くことができない」
ただ傷付け合って、互いに憎み合うことしかないっていうのか?
……それは間違っていると断言できる。なぜなら、僕が生きてきたほとんどのことが、ありふれた日常で構築されているから。
「僕たちは世界を殺すためだけに存在しているんじゃない。カインも、ユリウスも……アイオーンも」
そう言って、僕は顔を振る。樹の考えが間違っていることを悟らせるために。
「調停者には権利があるとか無いとか……関係ない。僕たちは、既に一個の自由意思。自分自身がどうしたいかだ」
たしかに、自分は他人と違う。でも、姿や形が違うわけでも、考え方が違うわけでもない。
「調停者である前に、僕たちにはヒトとして生きていく権利も与えられてる」
同じようなことで笑い、喜び、悩み、苦しみ……同じように生きてる。違うのは、力があるかどうかだけ。
「僕は調停者だから破壊するとか、創造するとかじゃないと思う。他のヒトと同じように、自分がどうしたいかなんだよ」
自分で決めて、自分でする。そうでなきゃ、いつまでたっても変わりはしない。周りに原因を求め、抗おうともせずに自分の運命を呪うだけ。
僕はゆっくりと手を前に出し、樹を指差す。
「樹、お前はそうやって考えて、自分の結論を出したのか?」
「…………」
「ただ憎んだり、怨んだりするだけで結論を出しちゃいないか? お前には、自分の意思は存在するのか?」
誰に何を吹き込まれたのかは知らないが、樹は自分の考えを確立していないように見える。何かに原因や理由を押しつけているだけ。そこには、自分が本当にしたいことが現れていない。
「………いいか」
樹は再びため息を漏らすと、僕に目をやった。そのルビーの双眸は、すでに僕を睨んでいる。
「所詮、兄さんの言っていることも、やろうとしていることも理想論でしかない。それは、最善の結果を生まない。星の命を繋げること……そう、結果が大事だということだ。滅ぼすのは、過程の中で起こる話。滅ぼすことに意義があるんじゃない、星を救うことに意義があるんだ。生命の絶滅は、星の命の代価。滅びの未来を回避するには、こうするしかない」
それだけしか道は存在しない――と断言する樹。
やはり、わからない。本当に、彼がそうしたいのかどうかが。
「お前は、自分が憎んでるもんと同じことをしようとするんだな」
「何?」
ギロッと、彼は僕を見る。それに対し、僕はため息を漏らしながら腕を組んで答える。
「だってそうだろ? 破壊――殺戮で結果を引き出そうとしてる。それは、お前が嫌がっている人の業じゃないのか?」
「…………」
「典型的なヒトでしかないんだよ、お前も。ヒトがしてきたことと、なんら変わりはない」
だからヒトでしかない――そう思った。同時に、虚しくも感じる。
「樹、本当の理由は何なんだ?」
僕はゆっくりと歩を進ませた。それに対し、彼は睨みつけることで制止させようとする。
「ヴェルエス家の者でもなく、調停者でもない、お前としての理由は何なんだ?」
僕は、樹としての考えを知りたい。彼個人の意思とは何なのか。なぜ、この方法を選び取ったのか。今まで述べてきたことは、「調停者だから」というものでしかないように感じた。
「黙れ」
樹は祭壇の方に歩き始めた。
「僕は世界を護る。星の未来を護る。兄さんとは違う方法で、世界を護り通してみせる」
祭壇の前に立つと、彼は僕に背を向ける。
「……そうさ、僕が護る。あなたたちが愛したこの世界は………僕が……」
ぶつぶつと呟く樹。何を言っているのか、僕には聞こえなかった。
「これ以上は時間の無駄だ」
はっきりと声を放った樹は、ゆっくりと僕の方に体を向けた。